スコール。
それは、枯れた砂漠へ命を還す恵みの雨。
オレがお前にそう名付けたんだ。
だから、すぐにわかったよ。お前が、オレの思ってもみなかった宝物だということは。
――なぁ、スコール。お前の目に、世界は美しいか?
「ゆーえんち?」
セルフィが差し出したチケットを見て、スコールは首を傾げた。
「そ、遊園地。今大人気の場所なんだよ〜! チケット取るの、大変だったんだから」
それは、最近新たに開園の運びとなったオーベール湖近くの「ティンバー・ドリーム・スクエア」、略称TDSという遊園地のチケットだった。セルフィ曰く、開園して間もない為にチケットの競争率がやたらに高いのだそうだ。
「でもね、どんなに頑張っても3枚しか取れなかったんだ〜。しょっく〜」
がっくり肩を落とすセルフィの肩を、アーヴァインが慰めるように優しく叩く。
「確かに、残念だよね〜。でもま、スコールとラグナさん行かせるには充分なんだから良いじゃないか」
「良くないよぉ。これじゃリノアかエルお姉ちゃんか、どちらかが行けないじゃない」
ぷく、と頬を膨らませたセルフィ。エルオーネは、くす、と微笑ましげに笑った。
「私は良いわ。リノア、行ってらっしゃい」
「え、でもせっかくの家族水入らずじゃないですか」
「良いのよ。この歳になって遊園地で喜ぶ訳でなし」
「それ言ったら……」
リノアの一言に、皆の目が一様にスコールへ向けられ……そして、爆笑の渦が巻き起こった。当のスコールはきょとんと瞬く。
そこに、電子音のチャイムが割り込んだ。
『SeeDディン、ティルミット、キニアス、ハーティリーの4名は、至急学園長室へ来なさい。繰り返します……』
「キスティ? どうしたのかな……」
天井近くのスピーカーを眺め、アーヴァインが首を傾げる。
「さぁ……とにかく、行かないと。ゼルどこかなぁ?」
がたがたとリノア達が席を立つと、エルオーネとスコールは手を振って見送った。
「すみませんね。一応、夏休み中だというのに」
揃った5人を見渡して、シドは申し訳なさそうに眉を寄せて微笑む。至急ということで、皆私服で集まっていた。
「緊急、なんですよね?」
リノアが不安げに問う。
「緊急といえば、緊急ですね。しかも、ふたつの依頼を同時に遂行してもらわなければいけません」
子供達の気配がぴりぴりし始める。シドは冗談めかした動きで肩を竦めた。
「とはいえ、片方はちょっとしたことなんですよ。何たって、ちょっと外遊に行くエスタ大統領の護衛ですから」
「なぁんだぁ〜」
あからさまに脱力するセルフィ。そんなもの、頼まれずとも報酬がなくともやるだろう。
「……もう片方は?」
気を抜けないキスティスが口を開いた。
シドは大きく深呼吸し、一同を見回す。
「もう片方は――」
さて、およそ2時間後。スコール達はティンバー・ドリーム・スクエアの門前に立っていた。
チケットを大事に握り締めているスコールは、ぽかんとしている。大きな建造物は見慣れていても、こういった所謂「アミューズメントパーク」は見たことがなかったのだ。戦中に生まれた彼が見たことがあるのは移動遊園地がせいぜいで、遊ぶ為だけに建てられたこれにはただただ圧倒されっぱなしだった。
それは勿論、「兄弟」達も同様。
「すっ……ごぉ〜いっ!」
素直に歓声を上げるセルフィ。
「正しく夢の国だね〜」
アーヴァインも感嘆した様子で、受付にチケットを見せる。これは、今朝シドからSeeD達へと渡されたものだった。
先日、俄かに司令室が騒がしくなった理由。それこそが、「もう片方の任務」に関係している。
ガルバディアのとある上院議員の娘が、誘拐された。テロリストを名乗る犯人から身代金目的であると示すように議員の元へと連絡があったのだが、どうも様子がおかしい。内部犯の可能性もあって娘の安否が気遣われた為、議員の要請によりSeeDを派遣することになったのだ。
(余計なトラブルが起こらなきゃ良いんだけどね……)
アーヴァインは努めて精神を平静に保とうとする。自分とて、こんな場所に来てはしゃぎたい気持ちはある。だが、一応仕事で来ているのだからクールにならなくてはいけない。
そう、仮令「軍も警察も詰めていますし、我々が気遣うべきは身代金受け渡しの際に犯人を逃がさず捕らえることです。どうせだから、時間までは大統領達と一緒に楽しんでいらっしゃい」とシドに言われていたとしても。
ちらりと目線を背後に向けると、スコールはラグナに肩車され、2人分のチケットを受付嬢へと見せていた。
「楽しんでね、坊や」
受付嬢はにこやかに言う。スコールははにかんだ笑顔を見せ、チケットを持った手を振った。その後ろでは、リノアとエルオーネが楽しげに笑っている。
「ほら、スコール。ウェルカムレセプションやってるよ〜」
「写真撮ってもらおうぜ、写真!」
セルフィとゼルに促され、スコールはラグナの肩から降りた。そこにスクエアのマスコットキャラクターの着ぐるみが楽しげな足取りでやってくる。スコールを歓迎してくれるつもりらしい。
スコールは目を真ん丸にしてキャラクターを見ている。キャラクターは、”困ったなぁ”といった仕草を見せ、幼子の左手を誘うように右手を出した。何を思ったのか、スコールも右手を出す。恐らく予想外の動きだったろうに、キャラクターは全く動じずにその手を取り、きゅっきゅと握手した。スコールの表情が、見る間に笑顔へと変貌する。
「きゃーっ♪」
スコールは歓声を上げると、がしっとキャラクターにしがみついた。身体が小さくキャラクターの胸まで届かない彼の為に、キャラクターの方が屈んで抱き返してくれる。
「スコール、スコール! こっち向いて!」
セルフィがカメラを構えて呼びかけた。その振り返った満面の笑みが、何と可愛いことか。
(あんなに可愛い子やったんやな、スコール)
胸の奥がじんわりする。ほんの僅かなボタンの掛け違いで、彼は苦しい道を歩かされて来たのだ。
セルフィはこの刻を惜しむかのように、幾度もシャッターを切った。
きゃあきゃあ声を上げてはしゃぐスコールの背中を追いながら、アーヴァインはカメラを調整しているセルフィの手元を覗き込む。
「そんなに沢山撮ってどうするんだい? まさかガーデンスクエアに載せたり?」
「まさか〜。人のプライベートは切り売りしないよ。やるのはあたしのだけ〜」
セルフィはケラケラ笑い、アーヴァインに微笑んでみせた。
「これね、現像したら全部スコールとラグナ様にあげるんだ。宝物にしてもらうんだよ」
「宝物?」
「うん。これはあたしの予測なんだけど、スコールは多分、元に戻ったら全部忘れちゃうと思うのね。だから、こうやって写真に残しておくの。そしたら、ラグナ様にとっては大切な思い出を思い出すツールになるだろうし、スコールにとっても大事な物になると思うんだよ。仮令、覚えていなくても」
「思い出」というものの大切さを、嫌というほど知ってるはずだから。セルフィはそう言って微笑むと、アーヴァインに向けてシャッターを切った。
「わ、不意打ちはやめてくれよ〜」
「油断してるからだよ〜」
ぱたぱたとセルフィは走り出し、遠くへ行きかけたスコールを捕まえる。
「走っちゃダーメっ! 先刻キャストのお姉さんにも言われたでしょ?」
不満そうに頬を膨らませるスコール。そこに、ラグナとキスティスが漸く追い付いた。
「いやー、助かるわセルフィ。オレじゃ追い付けねー!」
息を切らして大笑いするラグナ。
「自分じゃ若いつもりなんだけど、やっぱ体力は落ちてるな〜」
「無理だけはしないで下さいね〜、大統領」
「お〜。ところで、あと3人は?」
「リノアとエルオーネはチュロス買いに。ゼルはバックステージツアーの申し込みに行ってます」
「バックステージツアー?」
アーヴァインが口にした聞き慣れない言葉に、セルフィに捕まえられたままのスコールは可愛らしく首を傾げた。
「遊園地の裏側を見てみようってツアーよ」
「面白い?」
「どうかしら。私達も初めてだし……お昼ご飯食べてからだから、ひょっとしたら、スコールはお寝んねしてるかもね?」
「僕赤ちゃんじゃないよぅ」
キスティスのからかいにスコールは唇を尖らせる。それが皆の笑みを誘い、ますます彼の顔が不機嫌になった。
「ふふっ、そうよね。もうお兄ちゃんだものね? ……あら」
「お待たせ、皆〜! カートが混んでて、随分並ばされちゃった」
「でも出来立て熱々よ。ラッキー♪」
リノアとエルオーネは喜々として、皆にチュロスを配る。
「はーい、スコール。お待たせ」
リノアからチュロスを受け取ったスコールは、信じられないものを見る目でそれを眺め見た。彼が持つと、まるで剣か何かを持っているようだ。
「全部食べて良いの?!」
「うん、勿論!」
リノアが頷くと、スコールの目がきらきらと輝いた。
「うわぁい、いっただきまーす!」
がぶ、と大口開けて噛み付くスコール。やたらに幸福そうな顔をしている彼の頭を、ラグナは「良かったな」と撫でた。
「おぉーい、皆! ツアーパス取れたぜ! ……って何だよ〜、皆してずりぃぞ」
既にチュロスを口にしていた面々に、やっと戻ってきたゼルは唇を尖らせる。
アーヴァインは苦笑した。
「ゼルも子供みたいだねぇ」
「何だとぅ?」
「まぁまぁ」
キスティスが宥めついでにゼルへチュロスを渡し、腰を屈めてスコールを覗き込んだ。
「さぁ、次は何処に行きましょうか?」
「ぼくあのお城に行きたい!」
びしっと指差したるは、TDSの象徴であるドリームキャッスル。
「了解、王子様。では、出発進行!」
「ゴー!」
邪悪なドラゴンを倒した証としてメダルを手に入れた「勇者様」は、ただ今お食事中。人気キャラクターの顔を象ったパンケーキを口いっぱいに頬張り、ご満悦の様子だ。
「皆良く食うな〜」
「身体が資本のSeeDですから☆」
ラグナが感心した声を上げると、セルフィが良い笑顔でフォークに刺したパンケーキを口にした。
「じゃあ、こいつもいつもはそんな感じか」
「いえ、スコールは……その、ちょっと小食で〜」
「へぇ〜」
あっさりと納得したラグナだったが、事情を良く知っている仲間達には冷や汗ものであった。何せ、スコールは「ちょっと小食」程度では済まない食事量だったのだから。それを考えると小さいスコールは良く食べるが、果たして元に戻ってもこれほどちゃんと食べてくれるだろうか。リノアはこっそり溜息をついた。
「ほら、スコール。これも食べて良いぞ」
「わーい♪」
ラグナに差し出されたカットオレンジを摘み上げるスコール。エルオーネははそれを優しい目で見ている。リノアはというと……堅固になりつつある「家族」に、ほんの少しの嫉妬を感じていた。
その時、隣に座るキスティスが手の甲でリノアの腿を叩いた。
(?)
リノアはするりとテーブルの上から手を降ろす。キスティスの手はリノアの手の内側に潜り込んだ。
カ・ー・ラ・イ・ル・ギ・イ・ン モ・ク・シ・ニ・テ・カ・ク・ニ・ン IRV
(『カーライル議員、目視にて確認 アーヴァイン』)
指文字で、キスティスからリノアへと情報が受け渡された。
リノアはアーヴァインの位置を確認する。ほぼ対面に座っている彼から視認出来るということは、自分の死角にいるのか。
実を言うと、ここは互いの外見を把握する為に指定したチェックポイントだったのだ。普段ならこんなセッティングは不要だが、今回は相手方に誰がSeeDなのか悟られることは非常なデメリットと考えられた為、こんな形で互いを確認せざるを得なくなった。最悪でも、依頼人を誤射してしまうのは避けたい。
(『それにしても、こんなあからさまに若者で、しかも子供連れってどう思われたでしょうね?』)
キスティスのその一言に、リノアの知らず緊張していた頬が一気に笑いの形になりそうになる。
その内に皆すっかり食べ終わり、急かすスコールの希望を容れて店を出ることになった。議員と目が合ったアーヴァインは、一瞬顔の横で四指を揃えてみせ……そのまま、何事もなかったかのように髪を掻き上げ帽子を被った。
『皆様、ようこそ「ティンバー・ドリーム・スクエア」バックステージツアーへ! 私は、今回皆様のご案内をさせていただくルーシーです。どうぞよろしく!』
ノリの良い話し方で、スピーカー越しに話す案内嬢。彼女がいくつかの注意事項を説明すると、更にノリの良い子供達は元気の良いお返事をした。
「スコール、良いか? パパの服から手ェ離すんじゃないぞ?」
父から個人的な注意を受け、スコールは大真面目な顔で頷くと手を握り締める。ラグナは満足げに頷いた。
「よしよし。じゃ、しゅっぱーつ!」
「しんこー!」
「……2人共、もうちょっと静かにね?」
他のツアー客の笑い声が恥ずかしくなったエルオーネは、2人を控え目に注意した。親子2人は亀のように首を引っ込める。
「怒られちった」
「えへ〜」
「えー、お前ここは『しゃーねーなー』だろ〜?」
「?」
「お父さん? スコールに変な言葉覚えさせようとしないの!」
「すんませ〜ん! (……うぉ〜、怖ぇ怖ぇ。お姉ちゃんってばお前のママそっくりになってきたなぁ)」
微笑ましい、当たり前の親子の姿に、仲間達は声を立てて笑う。
案内人のルーシーが、スコールの方を向いて微笑みかけた。
『僕、この遊園地は初めてかな? アトラクション、楽しかった?』
「うん!」
『じゃあきっとこのツアーも気に入ってもらえると思うわ。お姉さん、うんと頑張って案内するから、よろしくね』
「はぁーい!」
スコールは楽しそうに手を挙げて応じた。
バックステージツアー、開始である。
(…………?)
スコールはふと、細い路地を見た。
「STAFF ONLY」という看板をぶら下げたロープが張られている。その向こうから、何か聞こえたのだ。
(話し声……?)
の、ように聞こえた。それが気になって、すっかり寛いでおざなりになっていた手から力が抜け、父の服を放してしまう。そのことに誰も気が付かず、スコールはこういうのが迷子の原因か、とぼんやり思いつつロープを潜った。
足音を殺し、そぉっと進む。微かだった「何か」は、男2人組の声になりつつあった。どうやら、あまり使われていない倉庫からのようだ。スコールは聞こえるぎりぎりの位置で膝を突き、耳をそばだてた。
「……そろそろ時間だな」
「カーライルは金を持って来ると思うか?」
「可愛い娘の為なら持って来るだろうよ。馬鹿な男だ、娘が無事に戻ってくると本気で信じてやがる」
不穏な会話に胸が騒ぐ。どうやら自分は、ミス・カーライル誘拐事件の渦中にに紛れ込んだようだ。スコールは眉間にシワを寄せ、もっとはっきり聴き込む為に素早く倉庫の窓の下へ身を寄せた。もう少し情報が欲しい。
片方が盛大に溜息をついた。
「しっかし、腹が減ったな」
「昼時だしな……何か買ってこいよ、ボスにどやされない内に戻ってこりゃ良いだろ」
2人の声が少し遠ざかり、一組の足音がどこかへ消えた。
(今、中にいるのは1人)
スコールはそっと頭を上げる。見える範囲には誰の姿もない。大欠伸の声は聞こえたが、それも予測より遥か向こうから聞こえてきた。
(何故、片方残った?)
人員を残す理由は何だ。
考えられるのは2つ。ひとつは此処が拠点、もうひとつは誰かが監視をしていなければいけない何かが存在する。誘拐事件のようなので、後者である確率の方が高そうだ。
スコールは立ち上がり、窓に手をかけた。嵌め殺しかとも危惧したが、幸い窓は横に動いた。無用心にも、鍵が開いている。
(よし!)
スコールは伸び上がり、細く開けた窓から上半身を突っ込んだ。短い手で近場の箱を引っ張るが、中身が詰まっているのか動かない。
「………っの」
悪態をついても事態は変わらない。仕方なしスコールは、一旦戻って窓を開け直した。これで、足場に届くと良いのだが……。
「何やってるの?」
ぎくりと身を震わせ、スコールは声の出所を探る。果たして、それはすぐそばに見つかった。
そこに座っていたのは、幼い少女だった。プラチナブロンドに青い瞳をした愛らしい子だ。笑顔になれば尚更だろうが、生憎と今は涙と不安に曇っていた。
「あなた、だぁれ?」
「……スコール」
「あたし、キアラ。ねぇ、何やってるの?」
無邪気な様子で首を傾げるキアラ。
スコールは手を差し出した。
「おいで、キアラ。ここを出よう」
キアラはふるふると頭を振る。
「ダメ。おじさんが、パパが来るまで動いちゃダメだよって」
「おじさん? キアラの知ってる人か?」
「うん、パパのお友達のおじさん。うちにも何回か来たことあるから、知ってるよ」
(誘拐事件としては最悪のパターンだな……)
スコールは舌打ちした。
面が割れているなら、仮令人質が子供でも無傷で解放するなど有り得ない。このままでは、十中八九この子の生命は消されてしまう。
「……キアラ、おいで。頼むから一緒に来てくれ」
「でも、パパが来ないと……」
「パパはもう来てる。その『おじさん』に邪魔されてて、キアラのところに来れないんだ。だから、こちらから行かないと。ほら、おいで」
苛々するのを極力抑え、スコールはもう一度手を差し出す。キアラは少し考えてから、怖ず怖ずと手を握った。
スコールの目許が和む。
「良い子だ。ほら、下の箱に乗って」
「うん」
スコールが苦労してゆっくり引き上げてやり、キアラは何とか窓枠に乗り上がる。
だがその後、キアラは地面を覗き込んで固まってしまった。
「ど、どうやって降りよう?」
「跳べば良い」
「でも」
「大丈夫だから。それより早く!」
スコールは両手を広げて促す。あぁ、身体が大きければこんな面倒味わわなくて良いのに。ひょいと抱き上げて走れば事は足りるのに!
「キアラ!」
「あっ、何やってやがるこのガキ!」
遠くから先刻の男の声が聞こえた。キアラがびくりと身体を震わせ、背後を見る。スコールは慌てて彼女の服を引っ張った。
「きゃあっ」
落ちてきた彼女をスコールは全身で受け止め、2人は路地に転がる。
「あ……」
「早くっ」
スコールはぱっと立ち上がり、キアラの手を引っ張って走り出した。キアラはよろよろと、バランスを崩したままついていく。
「待ちやがれ!」
僅かに遅れて男が追いかけてきた。スコールは背後を確認することなく、駆(はし)る。
身体の使い方を思い出す。ほんの少し、だが確かにスピードが上がる。地面に手を突き、慣性を利用してまろび出るように角を曲がる。
「うわっ!」
「きゃ、何この子達?!」
メインストリートに程近い裏道に出たらしい。パークスタッフの狼狽した声を尻目に、スコールはもう一度角を曲がって木箱の裏に膝を突いた。
「す、こ……」
苦しそうにキアラが呼ぶ。スコールはそれを制するように彼女の口許へ手を翳した。
スコールは努めて息を整えると、被っていたキャップを脱いでキアラへ振り向く。
「……あたし、死んじゃうの?」
「死なない」
「何で言い切れるの?!」
「しっ。……今ここには警察も軍も、SeeDまでいるんだ。あんた1人の生命守れない訳無いだろ」
「でも」
「でもじゃない」
スコールは被っていた帽子の径を拡げ、かぽっとキアラの頭に被せた。そして彼女のカーディガンを脱がせ、その腰に巻き付ける。
「意地でも守ってやる。……もういけるか?」
キアラは泣きそうな顔をしていたが、確かにこくりと頷いた。スコールは淡く微笑うと、鋭い目付きで通りを睥睨する。
(今の内か……?)
唇を湿し、スコールはキアラの手を探った。
「良いか、キアラ。助かりたかったら……パパのところに帰りたいなら、今から言うことをよく聞くんだ」
何があっても止まらないこと。
出来るなら、何でも良いから叫びながら行くこと。
もしはぐれたら、出来る限り人通りの多い道を走ること。
キアラはぎゅっと手を握る。それを了承と捉え、スコールは「行くぞ」と声をかけて大通りへ飛び出した。
スコールはキアラを庇いつつ、わざと人にぶつかるようにして足を進める。その度に叱声や悪態が降ってくるものの構うことはない。彼が目立てば目立つほど、皆が見付けてくれる可能性は高くなる。このチェイスゲームは、SeeD達が彼等を誘拐犯よりも先に見付けられればその時点で勝利が決定するのだ。
しかし。
「うぁっ!」
石畳の僅かな歪みに足を取られ、スコールは転んだ。キアラはたたらを踏み、スコールを起こそうと駆け寄る。
「スコールっ」
「馬鹿、止まるな走れ!」
スコールは自立で立ち上がろうとした。そこに、誰かの手が伸びる。
「こら、坊や!」
パークスタッフの青年だ。スコールは内心舌打ちした。親切心故だろうが、今はそれが命取りになりかねない。
「走っちゃダメだろ? どうしたの、迷子かい?」
抱き上げられたスコールは、キアラを探した。彼女は足元でおろおろしている。
(走れって言ったのに!)
スコールは酷く不機嫌な顔をした後、すぅっと大きく息を吸い込んだ。
「きゃーあぁぁ! 助けて、殺される!!」
その驚くほどの大音声と物騒な内容に、スタッフはぎょっとして手を放した。
ひらりと地面に降り立つスコール。
「お兄さん、『スコール』を探してるお兄ちゃん達がいたら、ぼくらのこと伝えて! お願い!」
「あっ、こら……」
呆然とするスタッフを置き去りに、スコールはまたキアラを引っ張り走る。
止まる訳にはいかない。スコールとて死にたくない。仮令結果的にそこへ行き着くとしても、最後の最後まで足掻いてみせる。
さぁ皆、見付けてくれ。俺達の命綱はお前らが握ってるんだ――!
「スコールーっ!」
呼び声が、聞こえた。
パーク中央の噴水広場へ差し掛かったとき、その蒼眸が声の主を、そして翠の瞳が幼子を、捉えた。
「……ラグナ。皆……」
思わず零れた声に安堵の気配が混じっていても、一体誰が彼を責められよう?
「キァ……」
繋いだ手を振り返った瞬間、ぞくりと肌が粟立った。咄嗟に、司会の端に見えた明るい服の少女へ向かってキアラを突き飛ばす。その少女――セルフィは彼の意を汲み、四つん這いのような姿勢から童女の腰を掻っ攫って即座に離脱した。
大きな隙を作ったスコールの首に、太い腕が巻き付く。
「うぐぅっ」
「っのガキが! よくも散々虚仮にしてくれたなぁ!!」
怒りに顔を歪ませた男は、遠慮呵責なく拳銃のグリップを幼子の頭に振り下ろした。
「くっ!」
「スコールっ!」
真正面からそれを見たリノアが悲鳴を上げる。
だが皆、手が出ない。
今回、こんなことになるとは誰も予測しておらず、G.F.も魔法カートリッジも最低限――それも、低レベル魔法とケアルがいくつかのみ――しか用意していない。アーヴァインの拳銃とキスティスのチェインウィップ以外には、武器すらないのだ。何も知らない一般人を巻き込まないことを優先するあまり、危険度を見誤るという平凡なミスを冒してしまったことに、キスティスは歯噛みした。
だが悔いても遅い。
「さーぁ、どうしてやろうか。ん?」
切れたこめかみをえぐるように、男は銃口をスコールへ突き付ける。がち、と男が撃鉄を弄ると、ラグナは恐怖で思わず声を張り上げた。
「止せっ!」
「おっと、動くなよ。動けば可愛い坊やの頭に穴が開くぜ」
自身に照準を定められた方が、まだ良い――! ラグナはぎりりと歯を食いしばる。
キスティスはアーヴァインをちらりと見た。アーヴァインは男のやや後ろ側から拳銃で狙いを定めようとしている。だが、どうしたって彼の位置からはスコールを巻き込んでしまう。忌々しげに舌打ちをし、アーヴァインは拳銃を下ろした。
その横で、ゼルが必死に隙を探っている。セルフィは怯える童女を抱いていて攻撃は出来ないし、キスティス自身のウィップでは決定力に欠け、おまけに背後にはエルオーネがいる。
残るは、リノアだ。だがキスティスの視界に入る彼女は、パニックになりそうなのをぎりぎりで堪えているように見えた。
「さぁ、お嬢さん? その子、こちらに渡して貰おうか。坊やの生命と交換だ」
「な、んやて……?」
信じられない、という顔をするセルフィの腕の中で、キアラはおびえて身を竦めた。男は苛立って銃を振る。
「簡単なことだろうが。ほら、寄越っ……っ」
男が言葉を詰まらせる。スコールに腕を引っ掻かれたのだ。夏場の裸の腕に、これはキツイ。
「大人しくしてろ、このクソガキ!」
男はもう一度、銃を振り上げた。周囲で不特定多数の悲鳴が上がる。
その時、リノアは見た。
「…………!」
スコールは、薄く笑っていたのだ。
(あぁもう、全く何て人!)
リノアの手に、紫電が走る。
そうだった、彼はそういう人間ではないか。肉を切らせて骨を断つ――正しくその通り、己の身を顧みず、その上で皆の最大限の結果を期待する――それが、スコール・レオンハートだ!
「サンダー!」
鋭い声と共に、リノアは腕を一閃する。
男は苦鳴を零す間もなく、全身を痙攣させた。当然、スコールの小さな身体も宙に投げ出される。ゼルが飛び出し、彼を受け止めた。同時にキスティスとアーヴァインが男を取り押さえ、念の為に手足を縛り付ける。
「スコール、スコール!」
気絶したスコールの頬を叩くゼル。首筋に触れ、口許に手を翳してバイタルサインを確かめる。本当に気絶しただけのようだが、電撃傷というのは見た目より重傷の場合が多く油断は出来ない。
駆け寄ってきたラグナが傍らに膝を突いた。ゼルは彼にスコールを渡し、リノアに場所を譲る。
「……スコール?」
両膝と頭から血を流している息子に、ラグナは恐る恐る呼びかけた。
ぴくり、と瞼が震え、ゆるゆると折り畳まれる。皆の頬が、明らかに緩んだ。
スコールはひとしきり皆の顔を見回した後、唇を動かした。
「……あ……は」
「え?」
「キアラ、は?」
掠れた小さな問いかけ。
一同は顔を見合わせ、呆れるやら感心するやら。あれほどの目に遭って、死にかけた揚句が他人の心配か。
ゼルは盛大な溜息をついた。
「ったくお前は〜!」
「キアラちゃんやったら、今さっきパパのところに戻ったで。安心し」
セルフィはそう言ってにっこり笑うと、スコールの乱れた金茶の髪を撫で付けてやる。
「スコールは優しいなぁ。偉い偉い」
「……なぁ、スコール」
ラグナは静かに口を開いた。いつもより低い声。
「父ちゃん、言ったよな? ちゃんと服掴んどけって。お前が自分で歩くって言うから。……皆、心配したんだぞ」
その意外にも静かな叱責に、スコールは暫し、
「……ったんだ」
「?」
「何かあるとわかっていて、放っておくなんて、出来なかったんだ……」
そう、スコールは呟いた。ラグナは今にも泣き出しそうな顔になる。
「……ったくよぉ、それでお前がぼろぼろなんじゃ意味ねぇだろうが! 無事で済んだから良かったものを……っ」
ラグナは強く怒鳴った後、息子を強く抱き締める。
彼を愛するが故の叱責。それは甘く甘く、彼がその気持ちを形として届けた蜜よりも、更に甘美なものだった。
(これだ。俺は、これが欲しかったんだ。本気で俺を心配してくれる、本気で俺の為に怒ってくれる――俺にとっての、愛情、の、アーキタイプ)
スコールは、滲んだ視界を隠すべく目を閉じた。
――そうして、ふと思い出す。
俺は、明日18になるんだったな……。