導きの光

Act.5 父と子


 リノアは、真っ白い靄の中にいた。
 見渡す限り、何も見える物はない。音もない。だが、不思議と無音空間特有の耳鳴りはしなかった。
 まるで、柔らかいものを抱いているような。まるで、温かな腕に抱き込まれているような。
 リノアはその場に丸くなって、眠ってしまいたくなった。真っ白い闇は彼女を温かく包む、彼女の恋人の気配を宿していたから。
 ――だが、目を閉じて漸く気が付いた。
 誰かが、泣いている。
 甲高い、子供の声。言い知れぬ哀しみを含む、嘆き。
 リノアは声のする方へと向かう。
 不意に、靄の中に人影が現れた。大きな影と、小さな影。それが「誰」なのかを瞬時に悟ったリノアは、盛大に顔をしかめて胸の中で舌打ちした。
 ――やらかした。ここは、「彼」の夢の中だ。
 最近、スコールとリノアの間で、たまさかこういう風なことが起こる。平素は全くないのだが、スコールの感情が大きく揺らぐとき、或いはこうやって互いに意識がなく無防備な状態のときに、リノアはスコールの思考を我が物のようにに受け取ってしまうのだ。
 それを聞き付けたオダイン博士に因ると、魔女が騎士を慕うあまり、魔女の力が騎士を己の一部と見做しているのではないか、とのことだった。仮説検証テストの際には、スコールの脳波が大きく揺らいだ瞬間、同時にリノアからもそれが観測されたらしい。
 ともかくも今、リノアはスコールと無意識が見せる電気的幻影を共有している。
(情報収集しろってこと?)
 リノアが訝っている内に、いつしか靄は完全に晴れ、2人の影は完全な姿を曝していた。
 地にうずくまり泣きじゃくる幼子と、それを茫然と見下ろす背の高い少年。幼子の声はますます大きく、少年の顔はますます強張っている。
「パパはどこ? パパに会いたいよぅ」
「………」
「ぼく、パパに会いたい」
「…………黙れ」
「パパはどこにいるの?」
「知らない」
「ねぇ」
「黙れ!」
 声が反響する度、少年の顔は恐怖で凍りついていく。幼子ではなく、少年の方が。
「パパに会いたい」
「俺は会いたくない!」
「ぎゅってしてほしい」
「黙れ……っ!」
 少年の声が悲痛に歪んだ。
「……黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!」
 少年は大きく腕を薙ぐと、両手で頭を抱えた。
「もういい加減にしてくれ! 何でお前消えないんだよ、もう充分苦しめただろ、俺をそっとしといてくれよ!」
 くずおれる少年。
「……そっとされたくなんてないくせに」
 泣いていたはずの幼子は、ぼそりと呟くと立ち上がった。
「皆に構ってもらうの嬉しいんでしょ」
「やめろ……」
「頼られて、取り巻かれて」
「黙れ、」
「ホントは大好きなリノアを滅茶苦茶にしたいんでしょ。滅茶苦茶にして壊れちゃったら、ずぅっと側にいてくれるかな」
「黙れぇっ!」
 狂的な笑顔を見せる幼子の前で、少年はその高い背を小さく丸めて蹲ってしまう。
 リノアは、少年を抱き締めたいと切に思った。だが出来ない。してはいけないのだ。
 今目の前にいるのは、どちらもスコールだ。理性と諦め、欲望と希望の間で引き裂かれた彼の自我だ。どちらを庇ってもいけない。
 それに、本来バランスを保っていたものを打ち壊してしまうきっかけを作ったのは、彼女だ。その上無意識に放たれた魔力が彼を大変な目に合わせているのに、これ以上引っ掻き回してはいけない。
(起きなさい、リノア。目を覚ますのよ)
 リノアが胸の内で己に呼び掛けると、靄はゆっくりと辺りを取り巻き始めた。
 人影はだんだんとぼけていき――そして、暗転。

 ベッドに凭れてのうたた寝から醒めると、閉め忘れたブラインドの隙間から月が見えた。
 どうやら台風は漸く通り過ぎていってくれたらしい。ぷっくりと膨らみつつあるそれは、夏だというのに冷ややかな光を雲間から注ぐ。
 額の辺りに熱を感じる。首を巡らせれば、ぱきっという乾いた音の後に息の荒い幼子の顔が見えた。
 まだ、熱が下がらないのだ。流石に辛いだろうとは思うものの、手立てはない。ドクター・カドワキも首を捻るばかりだった。
 リノアはブラインドを閉め、静かにベッドに上がった。
「……ん」
 幼子はもぞりと身を捩る。
「お姉ちゃん……?」
 起き抜けの、掠れた声。
「ごめんね、スコール。起こしちゃったね。」
 リノアは小さな声で謝り、柔らかな髪を撫でてやる。
「まだ寝んねしてて良いよ。まだまだ朝は遠いから」
「……もう寝んね飽きた……」
 憮然とした響きに普段の彼を感じて、リノアはくす、と笑う。
「じゃあ、ちょっとだけお喋りしようか?」
「うん」
 リノアはゆっくり起き上がると、スコールを抱き上げて壁に寄った。もたれ掛かって胡座をかき、そこにスコールを座らせて後ろから緩く抱く。
 普段は、リノアが強請ってしてもらう体勢だった。
「…………」
 小さな身体が、緊張している。スコールは、抱かれ慣れていないのだ。こんな風に、愛情で包み込まれる快さを知らないのだ。
 リノアにはそれが哀しい。誰も無くさない為に慎重に立ち回り、結局温かな何もかもを取りこぼした彼が。あれだけ人を気遣い、自分を大事にしてくれるのに、その気持ちが何物なのか理解すら覚束ない彼の心が。
 だからリノアは、ゆっくりと慎重に日々を重ねた。彼にとって自分の存在が当たり前になるように。この先の未来にも当然一緒にいるのだと、彼が確信出来るように。
 例えば、食事の世話。甘いものが好きらしいと知り、実家に置き去りにしていたビスケットのレシピを送ってもらった。これがなかなか好評らしく、出せば完食してくれる。
 例えば、恋人らしいこと。キスをしたり抱き合ったり、デートしたり……。およそ恋人同士でやることは全て経験しただろうと思う。後は、任務抜きの旅行くらいか。
 けれど。

『血の繋がらない他人だもの、結局は俺なんか置いていくんだろ?! なら放っておいてくれよ、そうしたらあんた達の望む「俺」なんていくらでも演じてやるよ』

 あの言葉に、全てを否定された気がした。
 結局、変われると、変えていくことが出来ると思っていたのはただの傲慢だったのか。
「お姉ちゃん? 苦しいよ」
「あ、あぁ、ごめんね」
 知らず力を込めていたらしい。リノアはぱっと両手を緩めて、スコールを抱き直す。
 そして、先程までの思考を振り切るように頭を振った。
「ねぇ、スコール? そろそろ誕生日だねぇ。どんなお祝いが良いかなぁ?」
 明るく、優しい声でリノアは問いかけた。
「……ぼく、お祝いいらない」
「あら、どうして? お姉ちゃん寂しいな。せっかく、スコールと一緒にいられる最初のお誕生日なのに。リノアちゃんスコールに何かお祝いを贈りたいなぁ」
 おどけるように嘆いてみせた瞬間、ぱっとリノアの脳裏に赤い光が閃いた。
(照れてる。かーわいいvv)
 当のスコールは、顔を見られないようにか背中を丸めてしまっている。暗がりでは見えないが、きっとその頬は真っ赤だろう。熱が出ているというだけの理由ではなく。
「うーん、何が良いかなぁ? プレゼントはともかく、何か美味しいもの作ってあげたいな」
 リノアは、ゆっくりとスコールを揺すり始めた。全身でゆっくりと、赤子をあやすように。
「ゼルから美味しい桃を貰ったんだよね。桃のシャーベットを作ろうか。それから、シロップで煮付けたコンポートに、それを使ったタルトでしょ? そろそろティンバーのオレンジが入荷する頃だから、フレッシュジュースやゼリーも良いね。でも甘いものばかりじゃいけないから、パプリカのムースに、ごぼうのグリッシーニ……。
 そうそう、ケーキは忘れちゃいけないね。スコール、ケーキはどんなのが良い?」
 スコールがリノアを見上げる。闇に強い蒼眸が、ほんの微かな光を集めて彼女を見つめていた。
「……ぼく、チョコレートのケーキが良い!」
 リノアはにっこりと笑顔になった。
「オーケイ! じゃあ、ケーキはガナッシュクリームをたっぷり挟んだチョコレートケーキにしよう」
「やった」
 小さな衝撃がリノアに伝わる。多分、ガッツポーズをしたんだろう。あまりの可愛さに、リノアはぎゅっと抱き締めた。
 元に戻れば、きっとこの会話は忘れてしまうのだろう。だが、それで良いとリノアは思う。忘れてしまってもお菓子やケーキを作るのは変わらないのだし、辛いことを思い出すことなどもうなくて良い。
 スコールが小さく欠伸をした。
「さ、もう寝ようか。明日スコールの調子が良くなってたら、バラムの町までお買い物に行こう」
「うん」
 リノアはスコールを抱えたままそっとベッドに横たわり、ブランケットを整えてやる。戯れに小さな軽い身体を胸に載せてやると、スコールは素直に身体を預けてくれた。
「……おやすみ、スコール」
 リノアは改めて目を閉じる。今度は、夢は見なかった。

「スコールをラグナ様に会わせてあげよう」
 スコールの部屋のリビングスペースで、セルフィはそう言い出した。
 キスティスは白い目を彼女に向ける。
「会わせてどうするの?」
「どう、って、その後は家族の問題じゃない。とにかく、会わせてあげようよ」
「どうやって? 大統領を連れてくるの? ここに?」
「あ、う〜っ」
 キスティスの問いに、セルフィは唇を噛む。
 あ、とゼルが身を乗り出した。
「じゃあ、スコールの奴をエスタに連れてくのはどうだよ?」
「入管でどうやって説明すんのさ。『父親のはずの大統領に会いに来ました』って? それこそデメリットしかないじゃない。急に出て来た子供、なんてスキャンダルの種だよ」
 ばっさりとアーヴァインに切り捨てられ、ゼルはぐっと詰まる。
「……っじゃあ、どうしろって言うんだよ!」
 いきり立つ彼に、キスティスはそっと指を立てて唇に当て、次いで寝室のドアを示した。
「抑えて、ゼル」
「あ」
 慌てて口を塞ぐゼル。リノアはふと笑い、立ち上がった。
「リノア?」
「起きた」
 それとほぼ同時に、寝室のドアがスライドする。
「おはよ、スコール」
「おはよ……」
 スコールは軟らかな茶髪をぺたんと寝かせ、目をすりすり出て来た。
「あれ、まだ顔赤いやん。寝んねしとかな」
「…………」
 覗き込むセルフィの脇を擦り抜けて、のそのそとスコールは冷蔵庫に向かう。そして、戸惑った。
「開けるよ、ちょっと下がって」
 リノアの言葉に素直に一歩下がるスコールは、眠そうな半眼でリノアを見上げる。
「? なぁに?」
 リノアは首を傾げ、蓋を開けたペットボトルを渡す。
 幼子は頭を横に振った。
「……んーん、何でもない。ありがと、お姉ちゃん」
 両手でボトルを抱え、大儀そうに持ち上げる幼子。リノアは慌ててボトルの尻を支えた。
「ごめんね、気付かなかった」
「……、ぼく、ひとりで出来たよ?」
 何でも1人でしたいお年頃、なのだろう。皆のささやかな笑みを誘った幼子は少し恨めしげにリノアを見、唇を尖らせて抗議した。
「そっかそっか、もうお兄ちゃんだもんね? さ、お兄ちゃんはお顔洗いに行こう」
 リノアが笑顔で提案すると、スコールはこくんと素直に頷いてバスルームへ向かう。
 アーヴァインが腰を浮かせた。
「大丈夫かい? 洗面台届く?」
「椅子置いてもらったから大丈夫」
 気遣いがご不満らしく、スコールは振り向かないでリビングスペースを出ていった。
 その寸前。
「……ありがと。リノアお姉ちゃん、アーヴァインお兄ちゃん」
 律儀に礼を言うスコール。そんなところに普段の彼を垣間見て、皆は顔を見合わせて微笑った。

「案外と、スコールは演じているだけなのかもしれませんね」
 穏やかな昼下がり。
 学園長室に集まった皆の前に紅茶をサーブしながら、幼子へ時折感じる違和感に関して、イデアはそう評した。
「演じている……ですか」
「えぇ。外見に合わせて、ね」
 人間は意外と、外見に合わせて行動するものだ、とイデアは言う。
「例えば貴方達、SeeD服を着ればどう振る舞います? 求められているSeeDの姿として、ぴしっと背筋を伸ばすでしょう? 女の子達なら、可愛い服やドレスを来たら、可愛らしく振る舞うんじゃありません? そういうものなのよ。
 だからスコールも、感情の箍が外れたときだとか、貴方達が見たような寝起きのぼぅっとしたときだとかに、いつものあの子が顔を出すんでしょう」
 だから「俺」と言うこともあるし、無意識の習慣的な行動で戸惑うこともある。今朝、冷蔵庫を開けようとして戸惑ったのはその為だろう。目線が違って混乱したのだ。
「む〜、じゃあ何でスコールはそれを言わないのかなぁ〜」
 納得がいかないセルフィは、こめかみを捏ねながらカップを手にする。
「それは、演じているのが無意識なせいでしょう。スコール自身も、自分がそうだとは気付いていないのね」
 イデアは、リノアの膝にもたれて眠っているスコールに微笑んだ。
「……あー、皆さん? ちょっと良いですかね?」
 話に区切りが付くのを待っていたのか、シドが遠慮勝ちにイデアの肩へ触れた。
「今内線で、カードリーダーの管理人さんから来客の連絡があったんですよ。誰か、迎えに行ってあげてくれませんか?」
「あ、はい。行ってきます」
 キスティスが立ち上がり、きびきびとした動作で部屋を出る。ややあって、彼女は慌てた様子で2人の人物を伴って戻ってきた。
「お連れしました、エスタからです」
「……あら!」
 客人の顔を見るや否や、イデア達は喜々として立ち上がった。
「こんにちは、皆」
「エルお姉ちゃん!」
 エスタ風の旅装束に身を包んだエルオーネは、嬉しそうなセルフィに飛び付かれて少しよろめいた。
 それを支えたのは、同じように旅装を纏う1人の男性。
 シドは目を剥いた。
「……大、統領……?!」
「どーも、連絡もなくすんません」
 彼は人好きのする笑顔を見せると、皆へ軽く一礼しする。
 勿論、イデアも子供達も大いに驚いた。
「ラグナ様!」
「ミスタ・レウァール……?」
「え、ちょ……」
「あららら……」
 予想外の出来事に、場が騒然となる。まさか、要請もなしに御大がご登場とは。
「……んん」
 不意に、幼子が身揺いだ。ぽかんとしていたリノアがはっとして、彼を見守る。
 ふわりと、瞼が折り畳まれた。熱に潤んだ蒼眸が辺りを見回し――止まる。
 ラグナの、翠の双眸に。
「…………」
 スコールの目がはっきりと見開かれていく。喘ぐように唇をわななかせ、よろりと起き上がる。
 空気が、ぴしりと張り詰めた。
 ラグナは一瞬辛そうに顔を歪め――結わえた髪を解き、切なげな笑顔を幼子へと向けた。
「……スコール、だよな?」
「――っ!」
 瞬間、スコールは弾けるようにソファを転げ降り、ラグナの許へ駆け込む。
 ラグナは2人分の荷物を床に降ろし、屈み込んで幼子の身体を受け止めた。
「〜〜〜〜〜っ」
 幼子は何も言えず、ラグナの顔を見ることも出来ず、ただ拳を握って振り上げた。
 彼は、言葉足らずだ。端から見れば明らかに奇矯な論理で他者を遠ざけてきた彼は、最も大切にしている仲間に対してすら語彙が足りない。
 そして、彼が習い覚えてきたのは、不満を「力」として発散させる方法だった。
 ラグナは甘んじて幼子の攻撃を受け止める。幼子の拳は、軽い。だがラグナにとって、何よりも重たいものだった。
 皆、固唾を呑んで見守っている。
「……ごめんな、スコール。父ちゃん、ち〜っとばっかし、遅すぎだよなぁ?」
 ラグナはそう言って、ふわりと幼子を――たった1人の息子を、抱き締めた。
 スコールの顔が上向いた。蒼眸がぱちりと開かれ、父とぴったり目が合う。
 その視界が、あっという間に歪んだ。
「あ……ああぁぁぁぁぁっ!」
 スコールは割れんばかりの大声で泣き叫ぶ。その両手は、ラグナの服をしっかりと掴んでいた。
「お姉ちゃんから聞いたぜ〜? お前、すっげぇ頑張ってたんだって? 偉いよなぁ。それに比べて、父ちゃん悪い子だよな。約束なんて破りまくりだもんな」
 ラグナはあやすように、幼子の背を頭を撫で摩る。そして、泣き声さえ閉じ込めるかのごとく、胸に深く抱き込めた。
「……会いたかったよ。本当は、もっと早く会いに来るつもりだったんだ。本当……会いたかったんだよぉ……」

「……それで、どうしていらっしゃったんでしょうかね?」
 新しい紅茶を前にして、シドは真正面のラグナの目を見据えた。
 現在この学園長室には、学園長シド・クレイマーとエスタ大統領ラグナ・レウァール、この2人のみである。子供達はイデアが私室として利用している応接間のひとつに退避していた。勿論、泣き疲れてすっかり寝入ってしまったスコールも、彼を抱きたがったエルオーネも一緒である。
「……まぁ、様子見ってとこっすか」
「様子見?」
 ラグナは軽い調子で頷く。
「自分の息子がいるガーデンから、急に『架空の依頼状を送ってくれ』、なんてコールが入ったら、どんなボンクラだって勘繰るでしょ。しかもウチにだし。こりゃ、何かあったのはスコールかな、って」
「リノアかもしれない、とは思われなかったのですか」
「リノアにゃ良い親父さんがいるでしょ。奴さん、娘の為なら何だってしそうだ」
 何を想像したのか、ラグナは頬を緩ませた。そして、ぐっと顔を引き締めて、シドへと頭を下げる。
「お願いします。逗留許可をください。あの子が元に戻るまでは、見守ってやりたい。そうでなくてもせめて、何事もないとわかるまでは」
 シドは厳しい目でラグナを見ていた。
 思えば、どれほどこの男に振り回されたか。
 スコール達を捨てたつもりはないのだろう。エルオーネなど、魔女アデルがいたエスタに連れる方が自殺行為だった。だが、結果的にスコールは名無しの、生まれていない子供として育ってきた。
 そのまま放っておいてくれれば良かったのだ、とシドは思う。養子にしようかという話をしていたくらい、クレイマー夫妻はスコール達を可愛がっていた。だがラグナは来てしまった。石の家へ、スコールに会いに。スコールは思っただろう、いつか父が迎えに来てくれる、と――。
 結果的にはそれは糠喜びになり、彼に最も厳しいだろう道を選ばせてしまった。あの笑顔の可愛かった子は、どんな道でも選べるはずだったあの子は、傭兵として生きる道を選びとらざるを得なかった。
「……もし、元に戻らないようなら?」
「その時は、オレが連れて帰ります。オレの息子、ですから」
「それは義務感からですか? 父親としての」
「いえ。……どっちかって言うと、『権利』、かな。子供を育てる親の権利」
 ラグナは一旦言葉を切り、深く息を吸う。
「勿論、スコールには断る権利がある。あの子が嫌だと言うなら身を引きます。望むなら縁を切る覚悟もある……。わかってくださってるとは思いますが、俺はあの子の嫌がることはしたくないっすから」
 言うことは言ったと、ラグナは口を閉ざした。
 シドの青い瞳と、ラグナの翠の瞳が真正面からぶつかり合う。
 長い沈黙の後、シドはふーっと溜息をついた。
「……全く、どうして貴方のような方が可愛いスコールの父親なんですかね。貴方が、私利私欲の為に子供を捨てるようなろくでなしなら良かったのに。そうしたら私達は、何が何でもあの子を手放すことなく、可愛がって育てたのに」
 事実上の敗北宣言、だった。シドはいつもの柔和な笑みを見せ、両手を広げてみせた。
「わかりました、お部屋を用意しましょう。そして、今後のことはスコールと貴方の気持ちに任せます」
 ラグナはほっとした顔で微笑むと、立ち上がり握手を求める。シドはそれに応じ、2人はがっちりと手を握りあった。
 と、そこに。
 ぺちぺちぺち。
「「?」」
 妙な音を聞いた2人は、顔を見合わせた。
 ぺちぺちぺちぺち。
(「パパー、パーパー!」)
(「こ、こら、スコール! 邪魔しちゃダメでしょ」)
(「何で? ぼく、パパと一緒が良い!」)
(「それはわかってるけどねぇ」)
(「パパは先生と大事なお話があるんよ。そやから、もうちょい待っとこ。な?」)
(「『もうちょい』ってどれくらい?」)
(「えぇっと……」)
(「ほら、スコール。おやつ食いに行こうぜ! リノア……お姉ちゃんがビスケット持ってきてくれるって言ってるぞ」)
(「だから、パパも一緒! 一緒におやつ食べるの!」)
(「好かれてるのね、おじさん……じゃなくて、お父さんったら」)
(「どうしましょう、ママ先生?」)
(「困りましたねぇ……」)
 ラグナもシドも、笑いを堪えるのに必死だった。一体何だ、この可愛らしい攻防戦は!
「スコールの奴、起きちゃったのか〜。……どうします? 学園長」
「入れてあげましょうか。話はもう済みましたし」
 シドはにこにこしながら、テーブルに置かれたリモコンを操作し、ドアロックを解除する。パシュ、と排気音がして、学園長室のドアは開かれた。
「パパ!」
 ころりと転がり込んで来たスコール。ラグナが立ち上がると、幼子はちょこちょこと足元に寄って来た。
 ラグナは問い掛けるように笑顔で首を傾げ、両手をそっと差し延べた。スコールも手を伸ばし、その細い頼りない腕をラグナの首に纏い付かせる。
「甘えん坊だなぁ、スコールは」
「ふふっ」
 幸福そうな親子の図が、今正にここに出来上がった。

 ……だが、仲間達は気が付いていた。哀しい習い性の存在に――スコールが、ラグナを「観察」していたことに。

⇒Next「愛情と幸福」