晴れた日だった。
「いや〜、今日は暑くなるよ〜」
「げー、勘弁してほしいぜ」
 任務から帰還し、バラム港で漸く一息ついたアーヴァインとゼル、そしてスコール。彼らは久々の夏の気配に戦々恐々としていた。バラムという所は、時折ひどく暑い夏が来る。
 アーヴァインがテンガロンハットを脱ぎ、髪を撫で付ける。
「迎えはいつ来るんだっけ」
「高速艇に乗る前に要請したが、少しかかる、とは聞いたぞ。何か立て込んでいるらしい」
 流石に疲れているのだろう、キャリーケースに腰掛けたスコールは、常より些か覇気に欠ける声で答えた。
 ゼルががっくりと肩を落とした。
「はぁ〜、何だってこんな時に」
「仕方ない。派遣業務も多いから、車両が出払ってるんだろう」
「……涼しい顔しやがって、ちくしょう」
 ゼルが薮睨みすると、スコールは微かに口元を緩める。
「暑くなる前に、来ると良いな。流石にしんどい」
「確かに〜」
 アーヴァインはうんうんと数度頷き、ハットを被り直した。
 ……だが、3人のささやかな願いはあっさり裏切られる。
「だーっ、暑い!」
 頼りない木陰に避難して、ゼルは悲痛な大声を上げた。ハットで喉元を扇いでいるアーヴァインは苦笑いを零す。
「ま、ま、ま、いきり立っても暑いだけだよ〜」
「ったって、どれだけ時間かかってるんだよガーデンのやつら!」
 腹立ち紛れに喚くゼルの横で、スコールはうなだれている。彼は、既に突っ込むだけの気力もないようだった。
「大丈夫かい、スコール?」
「あぁ……」
 背の高いアーヴァインから、スコールの表情は見えない。声から益々覇気がなくなっている彼へ、アーヴァインは風を送ってやった。最も、温い風ではスコールもゼルも宥められそうになかったが。
「おっ、来た!」
 幸いにも、沸騰寸前のゼルがガーデンへ徒歩帰還を提案する前に迎えが来た。いつもの黄色いカラーリングを施された車両は彼らの目前の広場に止まる。
「お疲れ様、皆。ごめんなさいね、遅くなっちゃって」
 後部座席から、キスティスが顔を出した。
 ゼルがいそいそと駆け出す。
「待ちかねたぜ〜!」
「あ、ちょっとゼル荷物! ったくぅ〜」
 アーヴァインは溜息をつくと、ゼルが置き去りにしていった旅行鞄を持ち上げた。
「しょうがないな、ゼルは。……スコール?」
 木にもたれたまま動かないスコールに、アーヴァインは訝しんで声をかけた。
「行くよ?」
「……あぁ」
「ひょっとして、寝てた? 器用だね〜」
 冷やかしに肩を竦めるスコール。彼はガンブレードのケースを肩にかけ、キャリーケースの取っ手を掴んだ。
 アーヴァインに追従するように木陰を出れば、高くなった陽が眩しい。スコール、何となく空を見上げた。
 今日は、晴れている。快晴だ。こんな日は、太陽に(かさ)がかかることはない。なのに、太陽が滲んで見えるのはどういうことだろう? 焦点が、合わない。
(――あ れ ?)
 頭が、すっと冷えた。視界が急に暗くなり、ガンブレードのケースが派手な音を立てて石畳にひっくり返る。
「スコール?!」
 驚いて振り返った皆の目に映ったのは、茫然と空を見上げてふらつくスコールの姿。
 荷物を車両に放り込んでいたアーヴァインが、慌てて駆け出す。ゼルも、キスティスも。
「――っと!」
 間一髪、スコールが後頭部を打つ前にアーヴァインが間に合った。
「おい、スコール! スコール!!」
 スコールの頬は、文字通り色を失っていた。


導きの光

Act.1 始まり


 診察を終えたドクター・カドワキは、ベット周囲のカーテンを勢い良く払った。
「先生っ、スコールは?」
 傍目から気の毒な程沈痛な面持ちをしたリノアが、カドワキの姿を認めていち早く駆け寄る。
 カドワキは苦笑いした。
「大丈夫だよ、単なる貧血さ」
「貧血……?」
「成長期には男でも良く有るんだよ? 特に、あの子みたく後半急激に身長が伸びたようなのにはね。ほら、早く顔見て安心しておいで」
 カドワキがリノアの背を軽く叩いて促してやると、彼女はいそいそとスコールが横たわるベットへ急いだ。
「……先生、本当に貧血なんですか?」
 リノアが離れたのを見届けて、キスティスは不安げにカドワキへ問う。カドワキは大きく頷いてみせた。
「あぁ、そうだよ。そんなに心配しなさんな、キスティス。ゼル、アーヴァイン、セルフィもだよ」
「でもぉ……」
 落ち着かなげに指先を弄るセルフィに、カドワキはにっこりとしてみせた。
「迎えが遅れて、昼が遅くなったからね。大方そのせいだろう。血糖値が極端に下がって、ひっくり返ったのさ。ま、差し当たっての対処方としては、目が覚めてから砂糖水でも舐めさせてあげることかね」
 おどけた物言いに、一同は思わず噴き出した。
「スナネズミかよ、先生!」
 ゼルが腹を抱えると、カドワキも軽く声を立てて笑う。
「そうかもしれないね、手のかかるでっかいスナネズミだ」
 その時、ぎしっとベットの軋む音が聞こえてきた。見れば、スコールがゆっくりと身を起こしている。
「あぁ、目が覚めたね、スコール。どうだい、何か違和感とか、気分悪いとかは?」
「……特にありません。大丈夫です」
 先程より声のトーンを落として問うカドワキに、スコールはリノアの手をやんわり振りほどきながら頷いてみせた。リノアがひそかに頬を膨らませる。
「アンタ、朝食は食べたかい?」
「食べました」
「そうかい。どのくらい?」
「……普通、くらい」
「正確には」
 スコールは、少し考え込んだ。今朝のディッシュは全て食べたが、並んでいた物を思い出すのはスコールにはなかなか厳しい。
「…………出されたものは、全て。トースト2枚と、小鉢のサラダと、ハムが何枚かと茹卵」
 カドワキは、深く溜息をついた。
「……アンタね、少ないよ。ダイエットしてるの」
「まさか」
 スコールは憮然として、間髪入れず返す。
「もっと食べなさい。そうじゃなきゃまたすぐひっくり返るよ。アンタは身体が大きくてエネルギー消費はでかいはずなんだから、アーヴァイン程ではなくても沢山食べるだろう? 普段は」
 呆れた風で諭すカドワキ。
 スコールは、昔から彼女に見守られて生きてきた。彼女は義務感だけでなく、情でもってスコールを心配してくれている。それは彼にも最近わかるようになってきた。愛情がどんなものか理解できない自分でも、母親というのはこんな風なのかもしれない、と想像を巡らせられるくらいには。
 余り心配をかけるのは得策ではない、とスコールは思う。
 だが、もっと食べろと言われれば、スコールは困り果てるしかなかった。
「……先生」
「何だい?」
「何食べても味がしなくて、あまり食べたくないなら、どうしたら良いんですか」
 カドワキはぎょっと目を見開く。これに慌てたのは、リノアだった。
「ちょ、ちょっとスコール! 何もそれ今言わなくても」
「一度カドワキ先生に見てもらえって言ったの、リノアだろ」
「だからって今? 今なの?!」
 リノアはスコールの如才なさに呆れ返って額を押さえた。普通、こんな相談をするときは一対一のときを狙うだろうに、スコールはちっとも頓着しない。仲間として彼女として、自分達が信頼されていると思って良いのか、悪いのか。
 カドワキは少し動揺したようだったが、すぐに気を取り直して咳払いをし、ゼリー状の携帯食料であるエナジーパックをスコールに手渡した。
「……わかった。じゃあ、それに関してはまた別の日にちゃんと聞かせてもらうよ。30分くらいで良いから、時間取れる日にここにおいで。消灯後でなければ、いつでも良いから」
 スコールは頷く。
「じゃあ、行って良し。仕事はあるだろうけど、今日は任務から帰って来たばかりなんだし、ちゃんと休むんだよ?」
「わかってます」
 ベットを降りたスコールは早速パックを口にしていた。すぐに飲み干してしまうものだが、これで2時間位もつのだから不思議だ。
「悪かったな、皆。驚かせて」
「ホントにな! 驚いたどころの騒ぎじゃねぇぞ!」
 スコールがいつも通りらしいのにほっとしたのだろう、ゼルはスコールの首を捕まえると拳骨でぐりぐりとやり始めた。
 17、8歳の子供らしく一気に騒がしくなった中で、カドワキはパンパンと手を打ち鳴らす。
「ほらほら、そんなことはよそでやっとくれ。ここは保健室だよ、静かにおし」
 それに思い思いの返事を返し、6人はわらわらと保健室の外へ向かう。
 キスティスは和やかに微笑んだ。
「それにしても、3人とも本当にお疲れ様。帰還報告終わったら、食事にしましょ。私、食堂のおばさんに取り置きを頼んでいるから、それもらって司令室に戻るわね」
「やりぃ! オレ、腹減って腹減って」
「でもその前に報告だよ〜? いいんちょから報告書は届いてるから、口頭だけで良いけどさ」
「わかってるっつーの!」
 セルフィにからかわれ、噛み付くゼル。スコールは何も言わないが、少しだけ微笑んだ。
 カドワキはそのスコールの様子を少し見て、リノアを呼び寄せるべく手招きした。
「あぁ、リノアは残っておくれ。仕事が忙しいとは思うけど」
「あ、はい」
 リノアは名残惜し気にスコールを見上げ、保健室へ舞い戻る。それを見たアーヴァインも足を止めた。
「……あ、僕絆創膏欲しいんで、皆先行ってて〜。報告、間に合えば混ざるから」
「わかった、先に行ってる」
 スコールはひらりと背中越しに手を振り、保健室を後にした。
 後に残ったのは、保健室の主であるカドワキとリノア、そしてアーヴァイン。
「さて、ちょっと聞きたいんだがね、2人共良いかい?」
「スコールのことですよね」
 リノアが確認すると、カドワキは頷いた。
「アンタ達はあの子と付き合い浅いかもしれないけど、あの子のことよく見てると思うんだ。だから、ちょっと教えて欲しいんだよ」
 カドワキは心配そうに眉根を寄せる。
「……あの子、いつからあんな調子だい?」
 リノアとアーヴァインは顔を見合わせた。
「いつから、と言われても……そういえば、甘いものばかり食べてたかな、くらいで」
 リノアにとって、それはスコールの「常態」だった。えり好みはしないが食事の量は最低限、たまに何か食べてると思えばチョコレートかガム。甘いものが好きらしいのは大戦時から薄々気付いていたが、それが異常を伴うことだとは露ほどにも思わなかった。彼が甘味、その逆の苦味以外はあまり知覚してない「らしい」ことは、つい最近になって知ったのだ。
 リノアがそれを話すと、難しい顔で黙り込んでいたアーヴァインが口を開いた。
「叱られるのを承知で白状しますが、……確かに、酒を呑むときにも何かと甘味の強いものばかり口にしていたように思います。ビールも口にしていたけど、『苦い』とすぐに置きましたし」
「素直に言ってくれたから、聞かなかったことにしておいてあげるよ」
 尤もらしく頷くカドワキ。
「食事の量も、あんな感じなんだね?」
「……はい」
「あれで腹が足りてるはずないと思うんですけどね〜」
 アーヴァインは大袈裟に両手を広げ、溜息をついた。
 カドワキは暫し沈思黙考する。
 何時からだ、何時からあの子はそんな風になった? カドワキはスコールの今までを、思い付く限り思い出してみる。
 昔から、周りより少し体格の悪い子だった。先程本人に対して「身体が大きくてエネルギー消費はでかいはず」とは言ったものの、あの鋼の塊であるガンブレードを振り回すにしては、彼の身体は細い。
 割と病弱な子でもあった。毎年1番に風邪を引き、彼の保護士を勤めるカドワキを悩ませたものだ。今年も多分、そうなのだろう。
 食事に関して小言を言ったのは、数度。しかし量に対してではなく、子供らしい偏食に対してだった。食事量のことで言ったのは、今回が初めて。
 結局カドワキには、自問の答えは出なかった。

 2日後、スコールは保健室に来ていた。
 左腕には注射器が刺さっており、ゆっくりと薬剤を彼の身体へ流し込んでいる。スコールはそれを、ぼんやり眺めていた。
「眠剤は1時間程で効いてくる。そうしたら、始めよう」
 カドワキが耳元で囁いた。
 スコールは目を閉じ、昨日のことを反芻する。
 昨日――つまり倒れた翌日、スコールは皆に散々叱られ、嘆かれ、宥めすかされて保健室へ行くことを約束させられた。
 実を言うと、ああは言ったものの、スコールはカウンセリングを受けるつもりは毛頭なかった。そんなものを受けるなんて時間の無駄だと思うのだ。話を聞いてもらえばどうにかなるような軽い問題ではないと、自分自身が1番よく解っていたから。
 自分が「弱い」人間なのはとっくのとうに知っている。だから、自らの深淵など、見たくなかった。狂気を孕む本性を、知りたくなかった。彼が今の今まで、所謂「精神的疾患」をひた隠しにして放ってきたのは、偏にそれ故だった。
 瞼が、重い。
「楽におし。抵抗しないで」
 カドワキにそっと目許を撫でられ、スコールは素直に目を閉じた。
 深く深く潜っていくような――高く高く昇っていくような。そんな奇妙な感触と共に、スコールは背もたれ代わりに設えられたクッションに身を預ける。

 … … …

「スコールには、アミタール面接を試してみようかと思うんだよ」
「……アミタール?」
 カドワキから話を聞くべく集められた5人の内、リノアだけがきょとんと首を傾げた。後の面々は複雑な表情をしている。
 リノアに視線を向けられ、キスティスが説明役を買って出る。
「アミタールは、バルビツール酸系催眠剤の一種よ。……本当に使うんですか、カドワキ先生?」
「まあ、依存性があるからね、多用は出来ないけれど……今のあの子が、麻酔のひとつも使わずに素直に話してくれると思うかい?」
 それに関しては、一同同意見だった。即ち、「絶対思わない」。
 アミタールという薬剤は、神経系統に作用を及ぼし、普段意識的無意識的に嵌めている精神的な枷を取り払う効能がある。故に大戦時には自白剤として使われたという不名誉な実績があり、処方としてはあまりメジャーなものではない。またカドワキの言う通り依存性もあれば尚更だ。
 だが精神分析を施す為なら――これほど力強いものはない。自己に対する欺瞞すら暴き立てる為、注意しなくては逆に傷付けかねないが。
「SeeDは催眠にかかりにくいように訓練されているだろう? ましてやあの子は一期生だ、これしか策はないんだよ」
 そう言われてしまえば、誰も反論出来なかった。

 … … …

 スコールが目を閉じてしまって、少し経った。
「さて、そろそろ良いかね」
 傍で見守っていたカドワキはスツールから立ち上がり、スコールのベッドサイドに立つ。
「スコール、聞こえるかい」
「……」
 スコールは緩慢な動作で、顎を引くように頷いた。
「これからね、ちょっとおしゃべりしよう。アンタのこと、気軽に話して、……」
 不意にカドワキは言葉を切った。
 少年の手が、震えている。
 カドワキはリノアを指先で招くと、スコールの手を指差した。リノアは軽く頷き、その手に触れる。
「っ!」
 過剰な程の反応速度で、彼の手が逃げるように跳ね上がる。
 リノアは目を丸くしたが、気を取り直し、わざと声を立てて微笑んだ。
「ごめんね? スコール。何も言わないで急に触ったら驚くよね」
 リノアがそっと肩に触れてさすると、スコールは目に見えて緊張を解いた。彼は薄目を開け、何事かとリノアを見る。
「手、握らせてね。ちょっと不安なの」
 やや上目がちにねだられ、スコールは胸元に引っ込めていた手を差し出した。リノアがその手を取ったことを確認すると、彼はまた目を閉じる。
 ――こうしていると、「あの時」みたいだ。
 リノアはふと、時間圧縮世界から帰ってくるあの瞬間を思い出した。
 冷たい肌、呼んでも反応しない身体と心。その指先は強張り、彼女を拒んだ。重心を失った彼は殊の外重く、抱き起こした時に薄く開いた唇からは吐息ひとつ零れなかった。
 もちろん、今はあの時とは違う。
 肌は温かく、名を呼べば振り向いてくれる。まだぎこちないが微笑ってくれる。その手は、ねだると握り返してくれる。
 ――大丈夫、生きている。
 その生を満喫しているのかどうかは、残念ながら甚だ疑問だが。
「さぁ、スコール。気楽に思い出話でもしよう。そうだね……最近、1番楽しかったことは何だい?」
 カドワキが優しく問うと、スコールは少し首を傾げた。
「……ゼルと、アーヴァインが、部屋に来た日のこと」
「それが楽しかったのかい?」
「あんなに沢山喋ったのは、初めてで……笑ったのも……」
「おや、前に同室だった子達とはそんな喋らなかったの?」
 小さく頷くスコール。
「ライナス以外は、あんまり仲良くなかった」
「そう……リノアとは、まだ出掛けたりしてないのかい?」
「ちょっと前に、カフェに行った」
「おや、いつの間に」
 カドワキがややからかうような口ぶりを見せると、リノアが恥ずかしそうに俯いた。
「カフェでは何を? 何か食べた?」
「マンゴーのフラッペ。思ったより甘くて……シャーベットみたいだっだ」
「おやおや、一度ならずジャムを舐めてたアンタが言うんなら、よっぽどだねぇ」
 くすくす笑うカドワキ。
 リノアは何となく不機嫌になった。
 自分には、スコールの過去を知ることが出来ない。出逢った頃はもう十代も後半で、未だに何が好みなのかもいまひとつ理解していない。ジャム? 何のことだろう、スコールの部屋にジャムは常備されていない。
 スコールの眉間に、何故かシワが寄った。
「皆が、俺が甘いもの食べるのは意外だって言うんだ」
「そうだねぇ。確かに、見た感じだけだとそうは思えないね」
「先生も?」
「あたしに聞くのかい?」
 どこかあどけないスコールの問いに、カドワキは笑う。
「さぁ、次の話をしようか。そうだね……去年、一昨年の話をしよう。何が印象深かった?」
 去年、一昨年。リノアはここにはおらず、スコールの額に傷はない頃。
 スコールは少し考えている様子だった。
「……何も……」
「何も? 何もない?」
「毎年あるような行事は、あるけど」
「あぁ、そういう意味か。特にないんじゃなくて、特別印象に残ってる出来事がない、ってだけだね?」
 ぎこちなく頷くスコール。
 カドワキとリノアはあからさまにホッとした。
「あぁ、良かった。あたしゃてっきり、アンタがそんなにまで周囲に興味がないのかと思っちまったよ」
 大袈裟なカドワキの言に、スコールの唇がほんのり開く。はにかんでいるのだろう。
 リノアがそんな彼の耳元に唇を寄せて問い掛けた。
「ね、ね、スコール。ホントに、何もないの?」
 スコールは少し驚いたように薄目を開けたが、眠気に耐えかねて瞼を落とすと、小さな声で答えた。
「……実は一昨年、ニーダに負けたんだ、カード」
「カード?」
「夏の、納涼大会で、二回戦負けしちゃったんだ。結構強いカード持っていったはずなのに、ニーダにぶち当たって負けた。あいつ、『オープン』じゃ敵無しだから、仕方ないと言えば仕方ないけど」
 最後の方は何だか悔しそうで、リノアは思わず微笑んだ。スコールは割と負けず嫌いなところがある。
「ニーダって強いんだ」
「俺だって強いんだぞ」
「そうだね。わたし、スコールに1回だって勝ったことないもんね?」
 リノアのおだてに、今度ははっきりと笑むスコール。目は閉じているが、何だか偉そうだ。
 カドワキも頬を緩ませた。
「ふふ、じゃあ今度お手合わせ願おうかね。さぁ、次へ行こう。更に前へ……そうだね、シニアクラスに上がる頃は、何かあったかい?」
 スコールの笑みが解け、ほんの少し眉が寄る。
 シニアクラスに上がる頃――12〜3歳頃。何があったか。
「……ガンブレード」
「ガンブレード? あぁ、専科選択か。アンタは確か、専科を剣技にしたんだっけ。サブ専科は? 指揮かい?」
 カドワキに問われ、スコールはゆるりと首を横に振る。
「先生にも指揮を勉強したら良いって言われたけど、絶対嫌だ。だから、銃にする」
「へぇ、また何で?」
「だってこれ取ったら、またサイファーの奴と同じクラスにされる。もういい加減うっとうしいよ、あいつ」
 心底嫌そうな拗ねた物言いに、リノアは思わず口元を歪めた。
「サイファーは、嫌いかい?」
「嫌いというか……うっとうしい。あいつ、何であんなに突っ掛かって来るんだよ。俺別に、何もしてないのに」
 何もしないからこそ突っ掛かるのだ、という思考には至らないらしい。リノアはふとアンジェロを思い出した。アンジェロも躾の出来てない頃は、こちらの気を引こうと悪戯ばかりしていたものだ。
 この考えは、間違ってもサイファーには言えないな、とリノアは思う。ガキ大将と躾の出来てない子犬を一緒にしては、サイファーも立場がなかろう。
「銃か格闘で、通してくれないかな。あいつの顔見るの、剣技だけで良いよ、もう」
 カドワキの片眉が上がった。
(様子がおかしい)
 先程まで、スコールは過去形を使って話していた。だが、今は?
(まさか、催眠状態?)
 黙り込んだカドワキに、リノアは声をかけようと唇を開く。カドワキは素早く指を立てて「静かに」、とジェスチュアを送った。今ここでリノアの声を聞けば、スコールは恐らく混乱するだろう。何しろ、シニアクラスのスコールはリノアを知らないのだから。
「印象が強い思い出は、それくらいかい? 他には?」
 カドワキの問いに、スコールが緩慢に首を振った。
「よし、じゃあ去年、一昨年辺りに行こうか。アンタは10歳くらいだね。何か、幸せなこととか、逆に悲しかったこととか、アタシに教えておくれ」
 カドワキは子供相手のように、優しく聞く。彼女の予想が的を射ているならば、スコールは今10歳のはずだから。
 スコールの頬が緩んだ。幸福そうに。
「……あのね、聖霊降臨祭のプレゼントが届いたんだ、ぼくに」
 大事な秘密を打ち明けるかのように、スコールはひそやかにカドワキへ告げる。
「そう、良かったねぇ。どんなものが届いたんだい?」
「カッコいいペンダント。でもぼく、最初はキーホルダーかと思ったんだ。金具ひとつしか付いてなかったから」
「そうかい。誰からのかな?」
「わかんない。でも、いつもの人。いつもの変なスタンプがカードに押してあるんだ。百合の花に、弾丸の」
「あぁ……」
 カドワキは頷く。
 スコールには、昔から「あしながおじさん」がいる。正体不明の彼からスコールに届けられる贈物には、いつも同じスタンプがあった。中身は大概ジャムの詰め合わせで、スコールが甘いものを好むのはきっとこのせいだとカドワキは睨んでいる。
「カードに、名前はなかったのかい」
「ないよ。えっと……『For you』って。あとはぼくの名前だけ……」
 とろとろと眠りに落ちるかのように、あどけないスコールの言葉がフェードアウトした。
(参ったねぇ……)
 カドワキは嘆息する。これまでのところ、何もない。スコールの影の部分は、どれ程に根深い場所にあるのか。
 更に、更に過去へと戻り、探る。幸か不幸か、ガーデンに入って来てからの彼に決定的な問題はなかった。細かい傷は沢山あるのだろうが、そんなものは社会的生活を営んでいれば嫌でも付く。増して多感な頃だから尚更だ。
 カドワキは少しばかり焦っていた。思ったより時間がかかっている。やはり、スタンダードな自由連想法なんかにした方が良かっただろうか。それとも、退行催眠をやるならやるで、後日専門家に依頼した方が良いだろうか。
 だが、自分が何とかしてやりたい、とも思う。彼の友人達程わかっちゃいないが、少なくとも10年近く見てきたのだ。とことん付き合って、そして叶うことなら救ってやりたい。
「……スコール、聞こえるかい? 今、何が見えるのか、何が聞こえるのか、おばちゃんに教えてくれないかい?」
 カドワキの予測が順調なら、彼の「今」は3、4歳。姉エルオーネがいなくなったのは、確かその辺りだ、とイデアから聞いている。
 スコールの唇が、微かに震える。
「……あめ……」
「あめ? お空から降ってくる?」
 スコールは頷く。
「ザーって……マンマが、まどを閉めて……ぼくの頭を撫でたの」
「うん」
「『もうちょっとおやすみなさい』って……もう、お昼なのに。ぼく、いつまで寝たらお外行って良いの?」
「マンマの言うことは聞かないといけないよ? スコール」
「でも、皆遊びに連れてってもらったのに、ぼくだけお留守番なんて、ずるいよ。エルお姉ちゃんも行っちゃったもの、ずるい」
 表情は殆ど変わらない。だが、眠たげな声に不満がなみなみと満たされている。
「……マンマ、どこ行くの?」
 不意に、スコールが首を傾げるような動きを取った。
「その人、誰? 誰かの、新しいパパ?」
 アーヴァインは隣のゼルを肘でつついた。
「……ママ先生、誰か来たって話してたっけ?」
「覚えてねぇよ、ンなもん」
 顔をしかめるゼルに、セルフィも頷く。
「そうだよね〜。あたしも覚えてなんか……ン、あれ?」
「どうしたの、セルフィ」
 何か引っ掛かりを覚えたらしいセルフィを、キスティスが覗き込む。
「ねぇ、前のスコールって、どんなだったか覚えてる〜?」
「は?」
 ゼルはあからさまに「訳がわからない」という顔をした。
「覚えてたら気色ワリィだろ、物心つくかつかないかの頃だぜ?」
「……だよねぇ。うーん、なんっか気にかかるんだけど〜」
 セルフィが眉間にシワを寄せ、こめかみを捏ねくり回したその時。
「ねぇ、どうしてぼくを見ないの? ぼくたちを、見に来たんじゃないの?」
 スコールの手が、ゆらりと宙を掻く――誰かを引き留めようとするかのように。
「ねぇ、待って。待ってよ。おじさん、誰なの。『エル』って、お姉ちゃんのこと? お姉ちゃんじゃなきゃダメなの?」
 ただならぬ様子に、皆絶句した。
 皆、この時のことを知らない。あの日、4人とエルオーネはシドに連れられて、ガルバディアの農場で遊んでいたからだ。時期外れの長雨に風邪を引かされたスコールはこの日熱を出していて、イデアと共に留守番をしていた。
 不意にスコールが目を開け、「誰か」を、見た。
「――っ!!」
「スコール!」
 自由の利くはずのない身体でベッドを飛び出し追い縋ろうとするスコールを、リノアが押し止めようとする。半ば身体の上に乗り上げている状態だが、あまり抑制にはなっていない。
「待って……待って、待って待って、置いていかないで、――っ!!」
「スコール! こっちを見て」
 言葉にならないほどの金切り声を上げるスコールの視界に、リノアが割り込んだ。
「見て、スコール。見なさい!」
 両頬を挟まれて怒鳴り付けられたスコールは、びくん! と身を震わせる。
 リノアは殊更優しい、だが有無を言わせぬ声色で語りかけた。
「いい子ね、大丈夫よ。悪い夢はもう終わり。朝になって目が覚めたら、皆元通りよ。あなたの、何もかも元通り。さぁ、いい子だからお休みなさい」
 スコールの目が閉じる。同時に全身から力が抜けてしまい、リノアは潰されかけた。
「わわっ」
「おっと!」
 アーヴァインが大きな一歩を踏み出し、リノア越しにスコールの両肩を支える。彼はそのまま軽い気合いと共に、スコールをベッドへ押し戻した。
「ごめん、ありがとう」
「お安い御用さ」
 申し訳なさそうなリノアへ、アーヴァインは軽口を叩く。
「それにしても、お見事。あんな状態から寝かし付けられるなんて、すごいね。流石はリノアとスコールの仲?」
「まさか。催眠状態だから暗示が上手くいっただけよ」
 リノアは肩を竦め――落とした。そこに、カドワキが手をかける。
「悪いんだけど、リノア。少しここを頼めるかな?」
「あ、はい」
「ちょっと、スコールに怒られる心の準備をしてくるよ。あたしは何の解決にも、手助けにもなれなかった」
 リノアはそんなことはない、と言おうとした。が、唇が動かない。ほんの少しあるカドワキを責める気持ちが、彼女の唇を縫い付けてしまったようだった。
 いつもは堂々としてみえるカドワキの背中が、今日は何だか小さく見えた。

 暫く後、スコールは目を醒ました。
「やぁ、起きたかい」
 ベッドサイドのアーヴァインが、もの柔らかな笑顔で彼を覗き込む。
 スコールはちらと彼を見、その背後を見た。
「僕で悪いね。リノアは今、皆と食堂に昼飯の調達に行ってるよ。僕が行ければ良かったんだけど、生憎あんたの好みがわからなくてね」
 大仰に肩を竦めてみせるアーヴァイン。
 だが。
「……なぁ、スコール? ちょっとくらい反応見せてもらえないと、僕ちょっと寂しいんだけど〜」
 何も言わず、ただ天井を眺めているスコールに、アーヴァインは溜息をついて諸手を上げた。
「ゴメン、ふざけるのはナシにするよ。ホントは、リノアには席を外してもらったんだ。ヤロー同士の方が話しやすいかと思って」
「……」
「それに……リノアに聞かせたくない愚痴も、あるだろ?」
 ぴくり、とスコールの指先が跳ねた。
「無理に話せとは言わないさ。……ただ、あんたがだんまりだと誰もあんたの辛さなんてわかんないんだよ?」
 スコールの両の眦から、すうっと光る筋が伝う。
「………………ったん、だな」
「え?」
 掠れた声は聞き取りにくく、アーヴァインは思わず聞き返す。
「あいつは、俺なんか要らなかったんだな」
 あいつ、とは? アーヴァインは問おうとしたが、唇を動かすことが出来なかった。
「あいつには、エルしか要らなかったんだ。だったら、何の為に俺は生まれて来たんだろう。母親の命さえ犠牲にして」
「スコール……」
 下手な慰めなど、出来なかった。何を言えば良いのだろう?
(『そんなことはない』? 『皆はあんたを頼りにしてる』? いや、そんな在り来りな言葉なんか……、……!)
 アーヴァインは唐突に、セルフィが言っていた「違和感」に気が付いた。
 スコールもかつては、どこにでもいる、自分達と同じ懐っこい幼子だった。それが、ある日突如としてエルオーネにべったりくっついて離れなくなった。それがいつなのかはわからない。わからないが――「あの日」が、境だとしたら?
 アーヴァインはゆっくりとスコールを振り返った。
 スコールは目を閉じている。何故か、空っぽの人形の様に見えた。
(あぁ――)
 合点がいった気がした。スコールがかつてエルオーネに執着し、今またリノアを囲い込もうとする理由が。
 彼は――。
「アーヴァイン、戻ったわよ」
 キスティスだ。アーヴァインはぱっと出入口へ視線をやる。
「っお、お帰り〜、皆。早かったね」
「ちょうど食堂空いてたんだ〜」
「スコール、起きたか?」
 セルフィとゼルは返答を待たずにばたばたとベッドサイドへ駆け寄って来た。彼らの方からはカーテンのためスコールの姿は見えないだろう。
 アーヴァインは慌てた。今のスコールに、あの2人はあまり会わせたくない。
 スコールへ目をやると、彼はいつの間にか向こうを向いていた。そして、やや俯せの状態になってから頭をもたげる。
「……うるさい」
 不満げな声と視線。向けられた2人は大袈裟に肩を竦め、けたけた笑う。
 傍目からは何となくわかる、2人の気遣い。大事な仲間が暗い気分を引きずらないようにと、殊更明るい雰囲気を作ろうとするそれ。しかし、今のスコールには逆効果な気もする。現に、笑っていないし(これは元来の性格の問題か)。
 1番最後に入って来たリノアは、スコールの様子を見て心配そうな表情を見せた。だがそれも一瞬のこと、彼女はにっこり笑うと両手の小さな紙袋を掲げてみせた。
「スコール、クラブハウスサンドとチキンのホットサンド、どっちが良い?」
「……どっちでも。リノアが先に選んだら良い」
 その言葉に、セルフィとキスティスが顔を見合わせて笑った。
 スコールは憮然とする。
「何だよ」
「や、だって、リノアの予想通りなんだもん〜」
「リノアが言ってたのよ。『スコールの好きそうなもの選んでいっても、スコールはきっと「先に選べ」って言うんだよ』って」
 スコールは決まり悪そうに頭を掻き、リノアは恥ずかしそうに紙袋を寄せて顔を隠した。
「そこで開き直れば、一歩前進、なんじゃないの〜?」
 皆に便乗してアーヴァインがからかうと、スコールは手加減はしているとはいえ遠慮のない平手をその肩に食らわせた。
「いってー」
「馬鹿なこと言ってんな。それよりそこどいてくれ、降りる」
「はいはい」
 アーヴァインがひと足離れると、スコールはするりとベッドから立ち上がる。
「保健室で飯食うわけにはいかないだろ。書き置きでもして、どこか行こう」
 スコールのその言葉に、やれ中庭だ、裏の丘にピクニックだとセルフィらが騒ぎ出す。謀ったのか無意識か、場の空気はうやむやになってしまった。

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