エスタ大平原は、その大半が「平原」とは名ばかりの礫砂漠地帯だ。雨が少ないこの地域、乾期の最高気温は人間の我慢の限界などあっという間に超えてしまう。
そんな土地で何かをしでかそうものなら、綿密に綿密を重ねた下準備が必要となる。ティーダがまず最初にすることになったのは、ベーステントの設営作業であった。
スタッフ総動員でベーステントを張り、あれやこれやと準備をする。太陽が天頂に差し掛かろうかという頃、一同は追い立てられるように完成したテントへ逃げ込んだ。
「お疲れ様でーす!」
「お茶、どうぞ」
先にテントに入っていたユウナとティナが、手分けして熱い茶を配る。ティーダやバッツはぶうぶうと不平を漏らしているが、食中毒と大量の消耗を防ぐ為、飲用水は必ず沸かしてから使用するようにと監督から直々に注意されているとなれば、従わざるを得ない。
「よく気が付かれるのですね」
無銘塾リーダーであるライト・コーネリアは、感心しながら茶を口に含む。ルークは照れ笑いで頭を掻いた。
「いやぁ……実を言えば、借りてきた猫ならぬ知恵なんです」
「ほう、どちらから?」
「本職の方々から……」
と、ルークはテントの入口を指し示した。正確にはその向こう、野営の準備をしている黒っぽい集団だ。それを見たフィリオンは眉をひそめる。
「彼らにはもっと離れた所に陣を張ってもらった方が良いのでは? 撮影の邪魔でしょう」
「あ、いえいえ違うんです。僕が頼んできていただいたんですよ」
慌てて両手を振るルークに、一同は首を傾げた。
ライトはちらと集団を眺める。
「SeeD……ですか」
「「しーど?」」
ティーダとユウナは顔を見合わせた。互いに知らない言葉だ。
「って、何ですか? リーダー」
無銘塾最年少のルーネスは、ちょこちょことライトに寄ってきた。ライトは彼の頭をひと撫でする。
「『SeeD』というのは、ある傭兵集団指すコードネームだ。年若い者達で構成されていて、どんな依頼も必ずやり遂げる」
「へぇ」
「あ、知ってるぜ! 確か、『ガーデン』ってとこが本拠地だって奴らだろ?」
バッツが立ち上がると、ライトは小さく頷いた。
「そうだ、バラム・ガーデン誇る世界屈指の傭兵集団、それが『SeeD』だ」
「彼らは何でも承けてくれる。但し、安くはない――という話は、昔聞いたことはあるな」
愛用品らしい武骨なダガーナイフを磨きながら、クラウドが口を挟む。
「どうだったんだよ? 監督さん」
ジタンが興味津々に身を乗り出すと、ルークは苦笑いした。
「15万」
「へ?」
「15万ギル、用意したんだけど……全く、足りないそうで」
「「えぇえ〜っ!?」」
その驚きの価格に目を剥いた者は、片手では足りなかった。
「ぼったくりじゃん!」
「まぁ、人数が人数だからね。だから候補生の子で良いんで、と言ったんだけど……」
* * *
ルーク・トラッドがその青年に初めて会ったのは、トラビア・ガーデンとバラム・ガーデンを繋ぐテレビ会議用のディスプレイ越しでのことだった。
ルークはトラビア出身である。トラビアは軍隊を持たない「国民皆兵」の国である為、国民は学生の間に最低限の戦闘訓練を受けることが義務付けられている。その為か、15年程前にトラビア・ガーデンが出来てからは、ほぼ全ての学生がここから社会へ出るようになった。無論、ルークもトラビア・ガーデンに少しばかり縁がある。
「……という訳で、少しのスタントをお願いしたいだけなので、候補生を何人か貸していただけたら、大変有り難いんですが」
ルークが身を乗り出すと、トゥリープと名乗った女性SeeDは難しい顔をみせた。
『そうは言われましても、候補生の派遣は行っていないんですが……』
トゥリープは隣に座る青年をみやる。青年は口許に拳を当て、ルークから預かった書類を眺めていた。
綺麗な青年だな、というのが、ルークから見た彼の第一印象だった。
さらさらと額にかかる金がかった茶髪、形の良い眼窩に嵌まる蒼銀の瞳。中性的で魅力的な彼の唯一の瑕疵は、眉間に過ぎる淡く残った傷だった。
『どうですか、司令官?』
その綺麗な青年へ、トゥリープが遠慮勝ちに問うた。青年の眉間に、きゅっとシワが寄る。
『……余りにも、危険過ぎますね』
「危険、ですか」
『撮影場所はエスタ大平原であることは、先程お伺いしました。どういう場所なのかはお分かりですか?』
「一応リサーチはしています。あの砂漠は良い構図が撮れそうで……」
『砂漠というのはモンスターが出やすい場所です。エスタ大平原は一番新しい「月の涙」が落ちた場所でもありますから尚更ですよ。そんな所にまだまだ訓練の足りない候補生を派遣するなんて、狼の群れに羊を御馳走するようなものです。ましてやあなた方撮影スタッフがいらしては、余計に危ない』
「…………」
ではどうしろと。
とは言え、彼の言うことが正論なのも事実である。ルークは気まずさに口を閉ざした。
青年はぱらぱらと書類をめくり、閉じてテーブル(机?)に落とした。
『……経費、幾らまでなら出せますか?』
「そ、そうですね……」
ルークは必死に頭の中で計算する。方々からやっと掻き集めた資金の半分は役者への支払いだ。後機材と撮影許可料と……。
「…………15万、くらいまでなら、何とか……」
『…………』
沈黙が、痛かった。
このルーク・トラッド、監督としては成り立てのひよっこだ。知名度も財力もない。これでも新人としてはスポンサーも集まった方だったりする。最悪、借金してでも持ち出しで何とかするつもりだ。
青年は熟考の後、深く息をついた。
『その15万で、子供達の食費の負担だけお願いします』
* * *
「……という訳で、バラムとガルバディアの合同野外演習ついでにということになりまして、晴れて彼らは我々撮影スタッフの護衛、ということに相成りましてございます」
芝居がかった口振りと共に、ルークはテントの入口からSeeD達を指し示した。現在彼らは、5人ぐらいのグループに分かれてテントを張っていた。手伝いに入った方が良いのだろうか、とティーダがそわそわしていると、ルークは「『手出し無用』、なんだそうです」と釘を刺す。
そこに、一台のジープが停まった。手の空いているSeeD達がわらわらと集まる。 ジープから降りてきたのは、1人の青年と少女だった。
青年は少女に対してジープの荷台を指し示した。少女は軽く頷き、荷台の幌を捲り上げる。SeeD達は次々に荷台の荷物を下ろしていき、最後に残った箱を少女が少女が両手で抱えた。青年はそれを取ろうとしたが少女は拒否するようにそっぽを向き、青年を促す。青年は肩を竦めると、撮影スタッフのテントを振り返った。
「あ、こっち来る」
一緒に覗いていたジタンが言う。ルークは慌てて立ち上がり、ばたばたと身なりを整えた。バッツがさもおかしげに目を細める。
「……失礼ですが、こちらは『魔女の騎士』撮影隊の方々でいらっしゃいますか」
「はい、そうです!」
ルークの声がひっくり返った。バッツが思いっきり噴き出し、セシルが窘めるように肩を叩く。
一呼吸置いて入ってきたのは、ティーダ達の想像より、ずっと年若い青年だった。
「初めてお目にかかります、ミスタ・トラッド。スコール・レオンハートです」
その姿に目を瞠ったのは、ライト・コーネリアだった。
「どしたんスか、リーダー」
「あぁ、いや……」
目敏く問い掛けるティーダに、ライトは言葉を濁す。だがティーダには、彼の瞳に懐かしむ気配があることに気付いた。役者は一般人より目敏いのだ。
「知り合い?」
「……古い、な」
淡く微笑むライト。
しかしスコールの方は、ちらと見たきり何とも反応しない。ティーダは眉をひそめたが、何も言うことはなかった。所詮、他人事だ。
スコールはかっちりとした会釈と共に、テント内の一同を見渡した。
「ここにいらっしゃる方々で全員ですか?」
ルークが頷く。
「では、簡単にではありますが、注意喚起と警告だけさせていただきます。
皆様もご存知の通り、この土地は限りなく砂漠に近い場所です。軽率な行動は命取りであることを念頭に置いて行動してください。
また、モンスターも多く生息しています。結界装置は作動させますが万全とは参りません。我々の目の届く範囲でのみ撮影を行われますよう強くお願い申し上げます」
「けっかいそーち?」
「モンスター忌避装置のことです。点で設置し、それを曲線で結んで囲われた範囲を守るものなので、結界と」
「へぇ……」
残念ながら、門外漢のティーダの頭の上には、疑問符ばかりが漂っている。そんなものだから、スコールの淡々とした説明に、ティーダは馬鹿にされた気分になった。副音声で「このくらい常識だろう?」と聞こえてきた気がする。
「それと……クレア」
「はい」
外に待機していた少女が、箱を持ってテントに入ってきた。
「お手間ではありますが、皆さんこちらの装置を腕に付けてください」
そっと降ろされた箱の中身は、ホワイトメタルらしき物質と大振りのビーズで構成されたバングルだった。クレアはてきぱきとバングルを配る。
「嵌めた方の腕を、胸の高さ程度まで上げてもらえますか」
全員が腕を持ち上げた。スコールは一同を見回し、左耳に付けたイヤクリップ型の通信機を起動させる。
「レオンハートから
スコールは自身の腕時計を見る。
「テンカウント、10、9、8、7、6、5、……起動!」
その時。
「わ……っ」
淡い碧の光が、バングルに留められたビーズから零れ出した。
「な、何だ何だ!?」
「おぉ……」
皆一様に驚きを見せる。ただ1人バッツだけは面白そうにバングルを見回していたが、ユウナやティナに至っては声も出ない様子だ。
光が一際強く輝いた。と思ったら、バチン! と凄まじい音が響く。
「きゃっ」
バングルが破裂したような気がして、ユウナは反射的に目を覆った。しかしそれは杞憂だった。恐る恐る手を下ろすと、バングルは何事もなかった風で彼女の左手に嵌まっている。先刻碧色に輝いたビーズは、シャボン玉の様な淡い虹色をしていた。
「……これは?」
「移動型モンスター忌避装置の試作品です。平原にいる間は付けたままでいてください」
「何でだ? 結界張るんだろ?」
「結界装置も完璧ではありません。極端に弱いモンスターは稀にですが装置をすり抜けることがありますし……」
「で、そういった弱いモンスターは、魔力のような形のないエネルギーを忌避する性質がありまして、これはその点に基づいて構成した、魔導石を使用した装置なんです。除虫香を持ち歩くような感じですね〜」
クレアに言葉を遮られたスコールは、額に手を当て頭を振る。
「……そういう訳ですので、よろしくお願いします。クレア、ここは頼んだ」
「了解です、司令官」
クレアは右手を掲げ、ぴしっと姿勢を正してスコールを見送った。
ジタンがわざとらしく、詰めていた息を吐き出す仕種をしてみせる。
「っだぁ〜っ、何あのプレッシャー! 威圧感、とでもいうのか? きっつ〜!」
「あ、ジタンも思った? オレもオレも!」
迎合するバッツ。ライトはぐったりと溜息をついた。
「すまないな。私が知っている彼は、あぁではなかったのだが……」
「つぅかさ、酷くない? コーネリアさんの知り合いなんでしょ? あの……何だっけ……」
「『スコール・レオンハート』」
言葉に詰まったティーダの耳に、ユウナはそっと囁く。ティーダは気まずげにジェスチュアで「そう、それ」と指し示し、クレアを見遣った。
「お姉さんも大変ッスよね、あんな冷酷野郎の下で働くなんて」
「いえ、そんなことは」 クレアは柔らかく頭を振った。肩辺りで切り揃えられた髪が、ゆらゆらと弧を描く。
ジタンはにじり寄る。
「いやいやいや、そんなことあるだろ? 今だってほら、こーんな可愛らしいレディを独りで放り出しちゃってさぁ……」
「ありませんよ。単体での行動を許されるということは、それだけ信頼されているということですから」
男の風上にも置けない、と言いたかったジタンは、笑顔のまま凍り付いた。
「一言反論させていただきますと、司令官は我々にとって師であり、兄であり、上官であり、友人です。その司令官から信頼を得ることは、我々にとって無上の誇りです」
クレアは、極上の笑みをジタンへ返した。フェミニストを自認するジタンだったが、これはもう反論も出来ない。
「そ、そうなの……あはは……」
しおしおと引き下がるジタンの視界の端で、クラウドはさもありなんと肩を竦めていた。
気温が下がり始め、無銘塾の面々はテントを出た。撮影スタッフ達が機材の調整をする間、殺陣の基本的な動きをティーダとユウナに見せる為だ。
「しっかしさぁ、何なのアイツ?」
塾生に混じってストレッチを行いながら、ティーダはむくれた顔をする。その背中を押しながら、ユウナは苦笑いした。
「SeeDさん達はお仕事で来てるんだよ?」
「でもさぁ、普通もっと愛想良くしない? ブリッツスタジアムの警備員だって、目が合えばにこにこするぜ?」
「それは……」
確かに、彼らも仕事だ。ユウナは笑みを曖昧にする。ティーダには悪いが、ユウナはあの青年に特に反発するような感情は持たなかった。
ユウナは、有名な俳優である父親を持つ二世女優だ。昔から、公私混同して馴れ馴れしく接してくる他人に辟易していた。仕事に関しては人一倍プライドの高いユウナは、仕事中はビジネスライクに他者に接する、そういう人もいるだろうとむしろ好意すら覚えている。
それにしても、彼らはなんて大人しい少年少女だろう、とユウナは思っていた。
普通、映画撮影にエキストラ――スタントとエキストラは少し違うが、今はさしたる問題ではない――として参加する一般人は、兎角煩いのだ。司令官の引き締めが相当恐ろしいに違いない。あぁ、何と哀れを誘う子達だろう!
「……んっ?」
何かを見付け、ティーダが上半身を跳ね上げた。ユウナはきゃっと小さな悲鳴を上げて激突を避ける。
「ティーダ?」
「何してんだろ、あいつら」
ティーダが指差した先には、SeeDの野営地がある。彼らは幾つかのポリタンクと何かの機材を抱え、何処かへ向かうつもりのようだ。ティーダの瞳が好奇心で煌めいた。
「オレ、ちょっと行ってくる!」
「あっ、こら!」
ユウナの咎めも何のその、ティーダはすばしっこく彼らの元へ駆ける。元々プロのスポーツ選手だ、ちょっとやそっとでは追い付けないし、止められない。
それを見たバッツとジタンが顔を見合わせ、何事かと後をつける。バッツが連れたチョコボがクゥと鳴き、それを聞き付けたセシルとクラウドが付いていく。皆が歩き出したのを見たルーネスがティナとフィリオンの手を引いて駆け出し、ライトは肩を竦めて踵を返した。
どうやら彼らは、水を汲みに行くところだったようだ。期せずして集まってしまった面々を見回し、何故か演者達と同じ傭兵団の衣装を纏った司令官は溜息をつく。
「見学は別に構いませんが、我々の前へ出ないようにしてください。後、うちのジープは補給班と水汲みの機材でぎりぎりなので、アシはそちらでご用意下さい」
スコールは苦々しい顔でそれだけ言うと、ジープのキーを隣にいたSeeDへ投げ渡した。
「ジープの運転はお前がやってくれ」
「司令官は?」
「素人を丸腰にする訳にいかないだろ……セルフィ! 接地型の汎用ライフル、1本借りてくぞ!」
ベースで機材の調整をしていた少女に大声を発するスコール。少女はひらひらと片手を振って見せた。
「あーい、弾忘れないでね〜」
スコールは無造作に手近なテントからライフル装備一式を持ち出し、襷掛けにした。もたつくマントが鬱陶しいのか、ぞんざいに裾を払い、演者達の乗り込んだミニバスを見上げる。
「ミスタ・トラッド」
「はい、何ですかっ?」
突如のご指名に、乗り込もうとしていたルークが身を反らして顔を出した。
「上の荷台に上がらせてもらいます。よろしいですね?」
「あ、はい、勿論」
「なるべく傷を付けないようには致しますが、有事の時には……」
「わ、わかってます。修理代はお気になさらず!」
悲壮感たっぷりの顔で頷くルーク。スコールはほんの僅か目を細め、軽くジャンプして梯子の中程を掴む。
若草色のマントが風を孕み、翻った。
水場への道すがら、ティーダはフィリオンと共に2台あるモニターを眺めていた。
モニターは画面が四分割されている。そこに映し出されているのは、今現在荷台の上に鎮座しているスコール・レオンハートだ。ライフルを傍らに寛いだ様子の彼は、しかしその目を全方向に光らせている。
(くそぅ、カッコイイな……)
ティーダは悔しそうな顔だ。フィリオンは彼の手元の銃を睨み付けている。
「今時の傭兵って、ああいう武器も使うんだな」
「あれ、ガルバディアからの払い下げ武器とかだったりするんスかね〜。なぁクラウド?」
話を振られたクラウドは、緩く首を傾げ、次いでそれを横に振った。
「……いや、いくらなんでもガルバディア軍がSeeD相手に武器弾薬を放出するとは思えないな」
クラウドの人工的な程青い瞳が斜め後ろのセシルを見遣る。セシルはふんわりと微笑み、そうだね、と請け合う。
「司法の観点から見ても、武器の払い下げは有り得ないと思うよ。警察でも、ジャケットやアンダースーツなんかはたまに出ても、アーマーや武器に類するものは出ないし、出すと厳罰処分が待ってるからね。
そうでなくても、ガ軍とSeeDって少し前まで小競り合いしてたし、放出武器から対策立てられたら目も当てられないでしょ」
「へ、へぇ……」
さらりと説明されたが、ティーダにはちょっとよくわからない。それよりも、最初に耳にした単語が気になった。
「なぁ、セシル。司法って? セシルってリーマンじゃなかったのか?」
身を乗り出してティーダが問うと、セシルは小さく頷いた。
「僕、元々は警察官だったんだよ。ただ、企業をやっていた両親が早期リタイアしたいって言い出してねぇ……仕方なしに、僕が親の後を継いだ感じ。妻と親友が手伝ってくれなきゃどうなっていたことやら……」
「「妻ぁ!?」」
それまで我等関せずを決め込んでいたバッツとジタンが食い付いてくる。それを見ていたルーネスが盛大な溜息をつき、ティナとライトは顔を見合わせて苦笑した。
和気藹々とするミニバスの中、ルークはふと見たモニターに動きがあることに気が付いた。何となく気になり、マイクの音量を上げる。
『アテンション・サーズ。指示をお願いします』
『ん。……まだ遠いな、コード・ヴァイオレットを維持』
『了解です』
朧ながら無線通信の内容が聞こえてくる。ヴァイオレット、とは何かの作戦名だろうか。
『あの分なら近付いてこないですよね?』
『どうだろうな。向こうがよっぽど腕に自信があるなら来るんじゃないか?』
『や、やめてくださいよ! 縁起でもない』
『ふふ……ほら、前見ろ前。現在地は?』
『えぇっ、と……』
その時。
大きな陰が砂地を横切った。
「うわ……っ!」
動揺した運転手が操作を誤ったか、ガタン! とバスが揺れた。そこかしこで悲鳴が上がる。
「な、何だ!?」
ティーダはユウナを抱き寄せ、窓の外を伺う。
特に、何かある様子は見当たらない。少なくともティーダの目に、異変は見当たらなかった。
「な、何だ今の……」
「うわ、ちょ、モニター!」
バッツがモニターを指差す。それによって、ティーダが何も目にしなかった理由がわかった。
異変は、バスの真上に存在していた。冗談のように大きな鳥が、ばっさばっさと羽を動かし、バスを啄もうとしている。
『そのままの速度と方角を維持してください、すぐに片付けます!』
スコールがマイクに向けて怒鳴ると、バスの運転手は腕を突っ張らせてがくがくと頷いた。
「司令官!」
『手を出すな! 他見張っとけ!』
並走する部下の悲鳴も何のその、スコールは中腰になるや否や、怪鳥に向けて無造作にライフルを向けた。
破裂音が響く。
怪鳥はバランスを崩しはしたが、大したダメージにはなっていないらしい。
『あ、間違えた』
「何を間違えたんスかぁっ!!」
聞こえていないと知りつつも、思わず叫ぶティーダである。
スコールは装着していた弾倉を引き抜き、朱く塗られた別の物を差し込んだ。具合を確かめ、再度構え直す。
そして。
「ひっ……」
轟音の連射に混じったのは、誰の悲鳴だったのか。
天井から響く音に比べ、モニターに映る惨状には現実味がない。羽に次々と穴が開き、怪鳥が身悶えする。その間、僅かに数秒。
スコールは舌打ちの後、再度弾倉を抜こうとし……手を止めた。
全く別の方向から、さっと空間を走る光条。次の瞬間には、怪鳥は最早バスを追える状態ではなくなっていた。
『サンクス、アーヴァイン!』
スコールが謝意を述べると、進行方向にむけて手を振り上げる。
『そのまま東へ3キロ、ランデブーポイントはKの5で! ランディ、先導を。最短じゃなくて良いから、安全優先で』
『了解です』
並走するジープが速度を上げた。
いつの間にか、数台の車両がバスを囲むように円陣を組んで走行していた。
そんな大騒ぎの末に到着した水場は、とても静かな場所だった。
遠くに桃色の背の高い鳥の姿が見える。モンスターはいないらしく、彼らはのんびりと餌を啄んでいる様子だ。ルーネスは、自分達が元来た方向に見えるその光景をまじまじと眺めていた。
実はこの水場、最初に到着した場所ではない。最初の湖は、見た目こそ澄んでいて良さそうに見えたが、実は強アルカリ性の苦い水なのだとSeeD達が言っていた。元ブリッツ選手であるティーダが飛び込もうとしてSeeDの司令官に止められたりして、他人事ながら情けない気持ちになったものだ。
(魚、いないのかな?)
しゃがみ込んで淵を覗くルーネスの隣に、1人の影が立った。
「何かいそうかな?」
振り仰ぐとそこには、そのSeeDの司令官――スコール・レオンハートが立っていた。
「……何も見えない、です」
「そうか、残念だな」
スコールはルーネスの隣に屈み、湖を見渡す。
「水の確保って、大変なんですね」
何を言って良いのやら、と思案した結果、ルーネスが口にしたのはそんな言葉だった。
「今日だけだよ、こんなに大変なのは」
「そうなんですか?」
スコールは頷く。
「明日からはシティまで水を取りに来させる。だから、こんな風に危ないことは、よっぽどのことがなければもうしない」
「じゃあ、どうして今日だけそうしなかったんですか?」
「水質チェック、浄水装置の使い方、そういったことの実習だな」
「実習……」
「万が一何か予期しないことがあって、いざ装置の出番だ、ってなったときに使えません、なんてお話にならないからな」
「SeeDの人達がいるなら、何も起こらないんじゃないんですか?」
ルーネスが首を傾げると、スコールは微かに微笑んだようだった。
「そうなるように、努力する。それが俺達の仕事だから」
スコールはルーネスの頭をくしゃくしゃと撫で、ゆっくり立ち上がる。そして、ふとそこに生えている植物を見上げた。
「えぇと、ウルリックくん、だったな」
「『ルーネス』で良いです。それか、『ルー』で」
「じゃあ、ルーネス。君は甘いものは好きかな?」
何を薮から棒に。ルーネスはきょとんと瞬く。
「人並みには……」
「じゃあこれは気に入るかな」
スコールは傍らの植物のひと枝を無造作に手折り、懐から取り出したナイフで切り開いた。
「手は綺麗?」
「……はい」
ルーネスは両の掌をスコールに見せる。スコールはそこに、切り出した植物の髄を落とした。
「食べてごらん」
断りも出来ず、促されるままに口にしたルーネスは、驚きに目を見開いた。
「甘い!」
スコールは満足げに頷いた。
「ぶどうみたい。これは何ですか?」
「ウエスタカクタスは知ってる?」
「知ってます。世界三大珍味ですよね」
「これはその近縁種、親戚で、『イースタスサボテン』というんだ。カクタス類は中に水分や糖分を溜め込む性質があるんだよ」
「へぇ……」
ルーネスはサボテンを見上げた。
イースタスサボテンは、なかなか珍妙な姿をしている。直立したハンガーラックをみっちり太らせてトゲトゲにしたら、こんな風になるだろうか。中心の幹(?)はやたらに太く、先程の解説も相まってルーネスの頭に風変わりなイメージを思い浮かばせた。
「……自然の水筒かぁ」
「なかなか良い表現だな」
スコールはくふっ、と噴き出し、ルーネスの肩を押した。
「そろそろベースに戻るから、バスに乗って」
「あ、はい」
促されて歩き出すと、スコールの羽織った若草色のマントが風に乗ってふわりと広がる。その姿は、傭兵というよりは砂漠を渡り歩く吟遊詩人のようで。しかしルーネスの肩を抱くその掌は、鉄を握り慣れているせいか硬く締まっている。
世界最強の傭兵軍団、SeeD。
善悪の区別が付く年齢ではあるがまだ幼いルーネスには、その存在の是非はわからない。
「……あの」
「ん?」
ルーネスが声をかけると、スコールは彼を見下ろして首を傾げた。その蒼い目は、優しい光を湛えている。
「その衣装、似合ってます」
「……ありがとう」
スコールは苦笑して、ルーネスをバスへと押し込んだ。