「いって!」
留守居役のみが残る司令室で、スコールは盛大な悲鳴を上げた。雑誌を見ていたセルフィとキスティスが、顔を見合わせて苦笑する。
「また刺したの〜?」
「そんなことで大丈夫? 出来上がるの?」
スコールは加えていた指を放すと、べぇっと舌を出した。
スコールがリノアにプロポーズをしたという話は、瞬く間にガーデン中に広まった。
「おめでとう、お2人さん!」
「婚約おめでとう〜!」
ガーデン関係者は2人に擦れ違う度に祝福した。そしてとりわけ仲間達はこのおよそ5年に渡る恋愛の成就を手放しで喜んだ。
そうなると、彼ら彼女らの次なる期待といえば。
『で、お式はいつ?』
これである。
皆に何度となく問われ、スコールは何とも言えない顔をした。
「えーと……そのぉ…………」
歯切れ悪いスコール。
対してリノアは、あっけらかんと皆の度肝を抜いた。
「え? あー……式、挙げなくても良いかなって。お金かかるし、家で軽くパーティーでも開こうかと」
さて、こうなると仲間達から――特にキスティスとセルフィから――責めを受けるのは、リノアの結婚相手たるスコール・レオンハート、本名スコール・レウァールその人である。
「もうっ、貴方どういうつもりなの!?」
「それでも男か、SeeD司令官か〜!」
そうは言われても、と言いたい所だが、大学を出て更に口達者になった女性2人にはなかなか言い返せるものではない。というか、早過ぎて一言も挟めない。
「ねぇスコール、わかってる? 結婚というのはね、人生にとってままたとない一大イベントなのよ? 特に女性にとっては!」
「ホンマにそうやで。そやのにいいんちょ、女の子の方に遠慮させるとかどういうことなん? しかもお金のことで!」
キスティスの言い分は良くわかる。スコールもそれは理解している。だがセルフィには一言物申したかった。
「金には困ってない。母さんが遺してくれた遺産もあるし、俺だって貯めてたんだ。そりゃあ家建てるからには随分吐き出したけど、それでも式挙げるくらいは余裕だよ。リノアもよーく知ってる」
スコールからの反論に、セルフィはきょとんと瞬きする。
「え……じゃ、理由何やの?」
スコールは口をヘの字に曲げた。
「リノアが、式要らない、写真だけで良い、って言うんだ!」
これには、2人共驚いた。
という訳で。
「これから緊急の会議を開きたいと思います」
司令室奥の会議室には、何故かバラム・ガーデンの主立った運営メンバーが集まっていた。流石に警備主任を兼任している救護隊3班のカイン・レクセルは欠席しているが、それは特に問題ではない。
問題は、どうして懲罰委員会のように、自分達が下座に座っているのか。
スコールはホワイトボードに書かれた文字を、もう一度ゆっくりと頭から読んだ。
「司令官の挙式について」。
そんなもの、俺達の勝手だろう。スコールはそう思うものの、悪態は自分の胸の内でしか言えない。目が合ったアーヴァインは困った顔で笑っていた。
「議題は見ての通り、司令官方の挙式についてです。何と彼らは式を挙げないと言い出したのですが、これについて皆さんはどう思いますか!?」
キスティスが語気荒く問い掛けると、皆から有り得ない、だのおかしい、だのと声が上がる。
「さぁリノア、理由を簡潔に述べなさい」
「えー……」
キスティスから白羽の矢を立てられたリノアが、気恥ずかしげに頬を掻く。
「だって、大変じゃない? お式をやるとなれば、場所取ったりドレス用意したりって色々物入りになるでしょ? お家も新築しちゃったし、お金きついと思うんだ」
確かに、結婚して2人で暮らすとなれば、先立つものが幾らあっても不安である。現実的といえば、現実的だ。
勿論双方の親は、金銭面は気にせず盛大にすれば良いとまで言っていたのだが、肝心のリノアはどこ吹く風のようだったので早々に諦めていた。
スコールは盛大な溜息をついた。
「お前は何でそこで式を挙げないって方向に行くんだ? ドレス着たくない?」
「ドレスは着たいよ。だってスコールの為に着るドレスだもの、……スコール?」
「…………俺、は、そのドレス着たリノアを見せびらかしたい」
その瞬間、場の空気が固まった。
「……え? やだ、スコールってばお式挙げたかったの?」
リノアの心底意外そうなその一言に、スコールは完全に撃沈した。リノアはテーブルに突っ伏したスコールを覗き込む。
「そうならそうと言ってくれれば良かったのに」
「言ったじゃないか……『式、どうする?』って」
「あれそういう意味だったの!? やだぁ、スコールこういう大袈裟なことが1番嫌いだと思ってた! だからお式もしたがらないだろうな、って思ってたのに」
「結婚、って言ったらまず結婚式だろ……悪かったなぁ、ガラじゃなくて」
何と言うか……ここまで見事な擦れ違いもそうそうあるまい、と一同は思う。そこでふと思い出したことには、彼は自分の主張を最後まで押し通すのがとても下手だということだった。ことリノアに対しては、彼女に一度否定された事物はどんなに自分が望んでいても主張出来ない質なのだ。
「……あぁ、じゃあ式場手配しないとね」
「おれ、知り合いにデザイナーいたりするけど声かけようか?」
「お、良いね〜。我らが友人には最高の物を用意したいしね」
やるとなったら俄然勢いづく友人達のノリの良さに、スコールは慌てて立ち上がった。これは早く止めないと地味な悲劇が発生する。
「待てお前らっ、1から色々準備する気か? 手配なんかブライダルプランナーにしてもらえよ、つか俺達の結婚式なんだから俺達に計画立てさせろ!」
至極ごもっとも。
キスティス、シュウ、セルフィは顔を見合わせて肩を竦めた。アーヴァインは苦笑し、ニーダとゼルは頭を掻く。サイファーはあくどい笑みをリノアへ向けた。
「おい、リノア。お前こいつの好みに合わせようってんなら、徹底的に付き合わされるって覚悟しとけよ。何せこいつはロマンチストだからな」
「…………てめぇには言われたくねぇよ、サイファー」
スコールはわざわざサイファーの元へ行き、彼が斜に腰掛けている椅子を蹴飛ばした。
やるとなれば迅速かつ徹底的に。そのSeeD内暗黙の了解を地で行くかのように、プランニングはとんとん拍子に進んでいった。というのも、スコールの中ではどんな式にしたいかが既に組み上がっていたようで、後はその希望に添って具体的なプランに落とし込む作業に終始していたからである。
リノアはおかしくて仕方なかった。
何せ、担当してくれることになったベテランのプランナーが、「こんなに決まっているなら、パンフレットは要らなかったですね。お勧めをいくつか持って来ていたんですが」と笑ったくらい、スコールは喋り倒したのだ。普段はあまり主張しない人なのに。
(そういえば、家の時もこんなだったなぁ)
2人の暮らす家をバラムに建てようということになった時も、彼は大まかな間取り図を描いてきていて、それはもう驚かされたものだった。彼曰く、「ずっと暮らすんだからとことんこだわらないと」。とかく自分に関わることには手を抜きたくないらしい。
「リノアは、何か希望ある?」
それでいて、彼はリノアへ不満はないかと問う。だがリノアは自分の希望を2、3挟むくらいで特に修正しようとしない。それは偏に、彼へ絶大な信頼を寄せているからである。スコールはわたしの好みを熟知して、それを尊重してくれている、と。
「んー、特、に……あ、身内に高齢者がいるので、庭園での披露宴の際はお手洗い等の配慮をお願い出来ますか?」
「お任せ下さい。その方とのご関係は?」
「母方の曾祖母です」
「でしたら相当お年を召されていらっしゃいますよね。最終的なご招待客のリストが出来上がり次第、席次を調整致しますね」
「ありがとうございます」
リノアが頭を下げると、プランナーはにっこりと笑みを返してくれた。
「それにしても、こんなにスムーズにアウトラインが決まることは滅多にないんですよ。たまには好みが噛み合わなくて喧嘩になるカップルもいらっしゃいますし」
「あらら……」
リノアが口許を押さえてみせると、スコールは軽く肩を竦めた。プランナーは意味ありげにスコールを見遣り、メモやパンフレットをまとめてとんとんと揃える。
「では、水曜はドレスのご試着ですね」
「はい、よろしくお願いします」
「……で、良かったのか?」
ジュエリーショップに足を運ぶ道すがら、スコールはリノアに問うた。
「え、何が?」
「式の、段取り。殆ど俺が喋ってたから」
「あぁ」
リノアはくすりと微笑う。
相も変わらず、この人は自分よりも他の誰かを、取り分け彼女を優先しようとする。
「素敵な式になりそうだから、口出しする必要がなかったんだよ」
「でも……」
「だってスコール、あなたわたしの好みを熟知してるじゃないの。バラムで式挙げるのに、わざわざガルバディア風のチャペル・ウェディングにして、しかも披露宴は庭園パーティー! すっごく楽しみだわ」
「…………」
プランナーの前では言わなかった褒め言葉を告げると、スコールは顔を赤らめてそっぽを向いた。この顔を独り占めしたくて、他人がいるときには言えなかったのだ。リノアは上機嫌で歩道を歩く。
あぁそういえば、この道はよく歩いた道だった。リノアはふと思い出す。
もう少し行った先の十字路を港側へ曲がると、市場に辿り着ける。朝早くに行くと新鮮な野菜や魚が安く沢山買えるから、スコールと待ち合わせては買い出しに行った。時には手に入りにくい珍しい品も買い込んだ。どう使う香辛料なんだと2人で売手を散々問うたこともある。
これから、この町で生きていくのだ。
既に物珍しいものもない。ガーデン生の頃から通い詰めて、すっかり顔馴染みになった店も山とある。それでも――。
ちりりん、とドアベルが鳴る。品の良い女性店員が会釈した。
「いらっしゃいませ」
「昨日電話したレウァールですが」
「あぁ! お待ちしておりました」
店員は再度深々と頭を下げると、スコールとリノアを商談用のテーブルへ案内する。
「この度はおめでとうございます。プロポーズが上手く行ったようで何よりですわ」
スコールははにかんで軽く頭を下げた。リノアは照れてスコールに身を寄せる。
店員は微笑み、予め用意していたパンフレットをひとつひとつ広げていく。
「本日はブライダルジュエリーをご覧になりにいらしたのでお間違えございませんか?」
「……はい」
「以前いらして頂いた時のご選択から、勝手ながら幾つかピックアップしておきました。勿論、この中以外からもご用意出来ますので、どうぞごゆっくりご覧下さい」
「ありがとうございます! 助かります」
リノアが嬉しそうに礼を言うと、店員は再度会釈してショーケースカウンターへ戻る。スコールはほっと息をついた。あれやこれやと店員に纏わり付かれるとどんどん面倒になってしまうから、こういう配慮は本当に有り難い。
リノアは早速パンフレットを見漁る。
「綺麗〜、どれも素敵♪」
「あぁ」
男性向けアクセサリーはともかく、女性のジュエリーはスコールにはあまりよくわからない。ただ物の善し悪しは多少わかるので――これもSeeDとしての嗜みだ――、リノアが綺麗だ素敵だと言っているものには素直に同意出来る。リノアは良家の令嬢でかなり目が肥えているから、ジュエリーやドレスは彼女の好きにしたら良い、とスコールは思う。
ただ一点を除いては。
「あの、さ。リノア」
「ん?」
ティアラのページを眺めていたリノアが、スコールを振り向いて首を傾げる。
スコールは口許を引き結び、一呼吸置いてから口を開いた。
「ティアラは俺が用意する、から、……選ばないでおいてくれないか?」
リノアはきょとんとした。
少々の空白の後、リノアの頬がゆっくりと笑みの形に緩んでいく。抑えようにも抑えられない。だからとりあえず頷いた。リノアが何度も頷いて理解したことを示すと、スコールはゆったりと彼女の髪を撫で、パンフレットのひとつを取り上げる。
夢心地のリノアはスコールの肩にくっつき、手元を覗いた。
「このパールのネックレス、素敵ねぇ」
「そうだな。こっちは?」
「これは、ちょっと派手かなー。派手というか、きらきらしすぎるというか」
「ははっ、そうか」
「……あ、これは?」
「どれ?」
「ほら、これ。メンズのラペルピンもセットですって」
「ラペルなぁ……使うかな?」
「あっても悪くないと思うよ。わたし、これ気に入った」
「じゃあ、このセットでティアラを抜いてもらえるか聞こう」
「そうだね」
幸福なカップルの相談を聞くともなしに聞いていた店員は、優しい笑みを浮かべてお声がかかるのを待っていた。
さて。
スコールは先日注文を済ませたジュエリーのパンフレットを手に、ネットの海を回遊していた。
探し物は、ティアラ。在り来りでは嫌だと思うスコールは、どうにかして自分で作る術はないかと思案する。
サイファーに指摘されるまでもなくロマンチストな彼は、最愛の女性を妻とする日には是非とも自らが作り上げた物を贈りたい。それに、ウェディングには「サムシング・フォー」というラッキーアイテムの伝承があるではないか。その内のひとつ、「サムシング・ニュー」は自分が埋めてやる。そんな気概を持ちながら、スコールはあれやこれやと見漁っていた。
しかしスコールには彫金の技術はない。リノアにリングを作ったことはあるが、あれは小さかったしゼルという指南役が逐次見てくれていた。そもそもあれは銀粘土での細工物であり、彫金とは何ら関係ない。
それはともかく、何か策はないものか。
「あら、スコール。精が出るわね」
「おかえり、キスティス」
スコールは司令室に帰ってきたキスティスに一言だけ返し、目線も寄越さない。それだけ画面に集中しているということだろう。キスティスは苦笑しつつ、「弟」の背後に回り込む。
「あら、なぁに? 調べ物?」
スコールはこくりと頷いた。
「……ティアラ? あぁ、そういえば貴方、『ティアラは自分で用意する』って大見え切ったんですって? でも、どうするの?」
「……作りたいな、と」
「成程、どうせ贈るなら一点ものよねぇ。だったら、検索ワードを変えてみましょうよ。そうねぇ……」
キスティスはサイドからそっと手を伸ばし、「ティアラ クラフト ウェディング」と打ち込む。
結果は、あまりよろしくなかった。
「……何か、余計なもの出てきたな」
「そう、ね……ごめんなさい」
「いや……」
微妙な空気が漂う。
「どしたの、また変な空気で〜」
「あら、セルフィ」
タイミング良く帰ってきたセルフィを、キスティスは天の助けとばかりに手招きする。セルフィは事情を聞くと、スコールのサイドから画面を覗き込んだ。
「んーむ、自作するとなれば……『クラフト』じゃなくて『ビーズ』で検索かけたら?」
「ビーズ? 出来るのか?」
眉をひそめて訝しむスコールに、セルフィはうんうんと頷く。
「ビーズはビーズでも、ビーズ織りとかじゃなくて、ワイヤーワークの方だけどね。鋼線使うから割と丈夫に出来るよ。但しちょこっと技術要るけど」
スコールは少し思案し、検索ボタンをクリックした。
「俺でも出来るかな?」
「大丈夫でしょ〜」
根拠なくからりと言い切るセルフィに、スコールもキスティスも不安になる。
セルフィはびし、とスコールの鼻先へ指を突き付けた。
「だっていいんちょ、『俺に任せろ』って言っときながら結局間に合いませんでしたとか、リノア相手に出来る〜?」
「ごもっともなご意見ありがとう」
スコールはわざとらしく早口で頭を下げる。セルフィが偉ぶって胸を張ると、キスティスが彼女の肩を叩いて笑い出した。
「スコール、どぉ〜?」
試着室のカーテンを開き、リノアはくるりと回ってみせた。真っ白い丈長のドレスはふわりと広がり、トレーンが足元にしなを作る。
綺麗では、ある。綺麗だが、さっき着たドレスとどう違うのか。スコールは曖昧に首を傾げた。
リノアは頬を膨らませた。
「もー、スコール真面目に見てる?」
「……ごめん、正直さっきのとどう違うのかわからない」
「あぅ」
がっくりと頭を垂れる女性の姿に、プランナーは笑いそうになった口許をそっと拭う。
「お好きなだけ試着して、納得いく一品をお選び下さいね。今日はレウァール様方のみのご予約ですから、多少お時間が延びても大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
リノアが礼を言うと、プランナーはにこやかに頭を下げて部屋の角へそっと下がった。
リノアは溜息をつく。
「ねぇ、スコール。お願いだから少しは協力……スコール?」
どこから取り出したやら、スコールはカメラを構えてリノアに向き直っていた。
「はい、ポーズ」
ポーズ、と言われてにっこりするのはお約束。だが。
「……何で捜査用のポケットカメラ持って来てるの……」
「だってこんな機会滅多にないだろ? 徹底的に着て写真撮って、で、後で見返そう。その方が納得いくものに決まると思う」
「お?」
スコールらしくない、面倒な提案だ。リノアは意外そうに目をきょろりとさせた。スコールは構わず顎をしゃくって促す。
「ほら、次着て」
「あ、うん」
リノアは別のドレスを手に取り、また試着室に引っ込む。
そうしている内に楽しくなってきたリノアだったが、同時にあることに気が付いた。傍目には良いように映るドレスでも、似合わないデザインがあるのだ。
「スコール、これ撮っちゃダメ〜」
悲しそうな顔で出てきたリノアに、スコールは苦笑する。ドレス自体は美しいものだが、リノアにはどこかちぐはぐだった。
「あー、胸の辺りが浮いてるな」
「ビスチェ、憧れだったのに」
リノアは残念そうに胸のラインをなぞる。だが似合わないのは仕方がない、スコールは彼女の肩を叩き、また別のドレスを差し出した。
「仕方ない、次行こう」
「うん」
そうして、次々に着替えてカメラに納めていく。
プランナーはくすくす笑いながら見守っていた。どうもこのカップルは、新郎さんの方が積極的だ。
「すごいですねぇ、レウァール様」
「え?」
スコールはきょとんと瞬いた。
「普通、新郎さんは試着がいつまでも続くのにお疲れになるようですよ。レウァール様は本当に、協力的ですね」
「……いつだったか、身内でドレスを選ぶ機会があって」
プランナーの疑問に、スコールは気恥ずかしそうに首筋をさする。
「その時はあまり時間が取れなくて、適当って言ったらおかしいですけど、勧められたのを何着か着てみて、それで決めたんです。でも本人はすごく不満だったらしくて、事が終わってからあーでもないこーでもないって……」
「……あぁ、成程」
つまりその時に、女性の買物、特にこういった一生を左右されそうな買物にはとことんまで付き合ってやるべきと刷り込まれたのだろう。ましてや相手は姉だか妹だか、はたまた母かは知らないが身内の女性だ。今試着室にいる女性よりずっと脅威に感じられたに違いない。
カーテンが音高く開かれた。
「スコール、これ! これ素敵!」
リノアは興奮した様子で、くるりと回ってみせた。プランナーは微笑ましげに目を細める。スコールは勢いに少し面食らったようだったが、やがて相好を崩して頷いた。
「どう、スコール?」
「あぁ、綺麗だ。良く似合ってる」
リノアは心底嬉しそうに微笑み、またくるりと鏡を振り返る。うっとりと鏡に見入るその頬は、ほんのりと薔薇色に染まっている。
「それにするか?」
「うん……あ、でも……」
逡巡するリノア。恐らく、さっきまでの行為が無駄になるような気がしているのだろう――散々色々着て後で選考しようと写真まで撮ったのに、と。
後ワンプッシュか。スコールはリノア越しに鏡を覗き込み、その細い肩を抱く。
「でも惚れたんだろ?」
「うん……」
リノアは頼りなく頷き、スコールをちろりと見た。スコールは柔らかく微笑む。
「物っていうのは『出会い』だろ。他のがどうでも良くなるくらい気に入ったんなら、それにしろよ」
「……良いの?」
「着るの、俺じゃないぞ?」
スコールが大仰に肩を聳やかすと、リノアはふわぁっと、まるで花が開くように笑顔になった。
不思議なもので、楽しい計画を立てている時間は本当に早く過ぎていく。
「荷物、これで全部だっけ……?」
リノアは不安そうに部屋を見回した。
本来ならば、大学を卒業した時点で引き払うべき部屋だった。学生用のマンションなのだから当然だ。しかし卒業間際に結婚が決まり、バラムタウンに家を建てる事になって、すぐに出ていく訳にはいかなくなった。だからといって学生でもないのにガーデンの学生寮に寝起きする訳にもいかず――学園長夫妻からは教員として就職する身なのだから暫くの間くらい構わないとは言われたが、あまりにも申し訳なかったから辞退した――、事情を聞いた大家の好意に甘えて暮らし続けていた。
それも、今日で終わりだ。
キスティス達に強制されたブライダルエステがあるので、今日から式当日まではホテルに泊まる。そして、旅行に行って――帰ってくるのは、この部屋でもバラム・ガーデンでもない。新しい、2人の家だ。ここにはもう、帰ってくることはない。
視界が水気を含んで揺らぐ。
「リノア」
「っあ、はーい!」
外からかかった声に、リノアは慌てて目許を拭い、ドアを開いた。
「荷物纏まったか?」
「うん、もう運べるよ」
「わかった」
スコールは後を業者に頼み、リノアを連れて大家へ挨拶に行った。リノアはボストンバッグだけを手に、4年間の感謝を込めて「お世話になりました」と頭を下げる。大家は「お幸せにね」と、まるで自分の娘に対するかのように言ってくれた。2人はもう一度頭を下げ、車に乗り込む。この車は、スコールが大学に上がる際にラグナが買い与えた「入学祝い」だった。「俺の為にこんな無駄遣いしやがって」と口では言っていたスコールだが、リノアは彼がこの車を本当に大切にしていると知っている。
2人を乗せた車が、海沿いのホテルの前で止まる。
「じゃあリノア、少し家の方片付けてくる」
「わかった。良い子で待ってるね」
リノアはひらひらと手を振って、スコールを見送る。
ホテルの部屋にはキスティスとセルフィがいる筈だった。2人は式当日、友人代表としてブライズメイドをしてくれるのだ。
「あ、お疲れリノア〜! お引越、無事終わった?」
部屋のドアを開けるなり、セルフィがくるりと纏わり付いてきた。相も変わらず、人懐っこい猫のような人だ。
「新居、どうだった? いいんちょがオーダーしたんでしょ〜? リノア的にはオッケーな感じ?」
「あ、わたし見に行ってないの。旅行から帰ってのお楽しみなのさ」
「え〜っ?」
きゃらきゃらと楽しげに笑いながら、リノアはボストンバッグの整理をする。ワンピースの類くらいはクローゼットにかけておきたい。全て合わせてもほんの数日分だが。
「お疲れ様、リノア。スコールは引越の続き?」
さりげなくハンガーを取り上げながら、キスティスはリノアへ問う。リノアは頷いた。
「そう。とりあえず荷物の置場だけ指示して、戸締まりしてくるって。わたしの物の置き方もあるし、荷解きは帰ってからするの」
「あぁ、そうなの。それはそうよね。いくら何でも、式寸前までばたばたする訳ないか」
微笑むキスティスに、セルフィは片眉を上げた。
「でもいいんちょ、あたしらが取り上げなかったらギリギリまで仕事するつもりだったんじゃないの〜?」
「…………」
その一言に、キスティスはふと思い出した。
式を挙げるとなった時、準備時間は幾らあっても足りないだろうから仕事はこちらで負担する、と伝えたところ……。
『え? いや、良いよそこまで……。プランナーとの打ち合わせは休みの時にするし、後はちょっと早引けさせてもらえたら……』
いや貴方、結婚式の準備にどれだけかかるかわかってます? しかもその前に新居の用意もしなきゃいけないんでしょ? というかそもそも貴方、自分が新郎で、新婦の次くらいには細やかな準備が必要だってこと理解してます? おまけにリノアのティアラは貴方が用意するんでしょ!?
そんな風に論破して、漸く連日半休――流石に書類の決済だけは責任者たる彼に任さざるを得ず、午前中は通常業務を行うと本人に押し切られたのだ――を確約させたのだ。本当に、お人好しにも程がある。だが、それこそがスコール・レオンハートだ、とも思う。
キスティスの口許が、柔らかく解れる。
皆無事に成人した。しかしだからといって、それを境に何かが変わる訳ではないのだ。
リノアは初めて出遇った頃と比べて、随分と大人び、綺麗になった。身体には女性らしいメリハリがつき、全身から愛されている歓びが溢れているようだ。
そんな彼女にじゃれかかるセルフィもまた、愛らしい少女からすっかり女性へと変貌を遂げていた。オレンジのグロスを塗った唇は、時折蠱惑的な色を宿す。
キスティス自身も、自分では余り変化があるようには思えないけれど、久々に会う友人達がはっとした顔をすることがあるから、少しは大人の女性に近付いているように思う。
今ここにいないスコールだってそうだ。ずっと昔は女の子に間違われる程性を感じさせなかった彼は、リノアに出逢ってから見る間に男になっていった。
ゼルも、アーヴァインも、今では頼りがいのある良い男だ。昔は泣き虫の「弟」だったというのに。
皆ひと回りもふた回り大きくなり、無事に成人した。しかしだからといって、それを境に何かが変わる訳ではないのだ。
甘えん坊でお人好しのスコールも、どこかいい加減なリノアも、太陽のように明るいセルフィも、涙脆いゼルも、繊細過ぎるところがあるアーヴァインも、そしてお姉さんぶりたい自分も、変わらない。心の奥の、1番大切な部分は決して変わらないのだ。
「さ、リノア。貴女はエステに行ってらっしゃい」
「ねぇ本当に行かなきゃダメ?」
「あら、貴女誰よりも綺麗な花嫁さんになりたくないの? 確かにスコールはあまり貴女の容姿に構わないようだけど……」
キスティスはちら、とリノアを見る。
「しっかりお手入れした綺麗なお肌に真っ白のドレスを着て、その上でスコールの用意したティアラを付けたら、きっと彼も惚れ直すでしょうねぇ」
リノアは頬を赤らめ、唇を尖らせてキスティスを睨む。その姿は相変わらず愛らしい。
キスティスはにっこり微笑んで、リノアの肩を押した。
気の進まなかったブライダルエステも、やってみれば至極満足なものだった。身も心もすっかり解れて、式を目前にして意外にも緊張していたことに気付いた。
頭が軽くて快適だ。リノアは良い気分で部屋のドアを開けた。
「お帰り」
中から男性の声がリノアを迎える。リノアはぱっと笑顔になった。
「スコール!」
ベッドに腰掛けたスコールに飛び付くリノア。その勢いでベッドのスプリングが軽快に弾んだ。スコールは手の中の物を傍らに置き、リノアの腕を撫でる。
「キスティスとセルフィは?」
「俺が着いたのと入れ違いに帰ったよ。キスティスからエステ行ったって聞いた。どうだった?」
「もぅ、最っ高。初めて体験したけど、すっごい気持ち良かった〜」
蕩けるような笑顔でうっとり話すリノアに、スコールは「良かったな」と返した。
「ほら、触って? ほっぺたつるつる」
リノアはスコールの手を取り、自身の頬に触れさせる。するとスコールはその手で彼女を引き寄せて頬擦りした。
「本当だ、すべすべしてる」
「やぁん、擽ったぁい」
子供の戯れのようにふざける2人。くすくすとひそやかに笑い合い、口付けを交わす。
引き寄せられるままにスコールの隣に座ったリノアは、ベッドに置かれた物にそっと指先を触れた。
「ティアラ、大分出来たのね」
「あぁ、何とか間に合いそうだ。こんなぎりぎりになるはずじゃなかったんだけど」
「ふふ……」
リノアは喉の奥で小さく笑い声を転がす。スコールは肩を竦め、ティアラを膝に抱いた。
「すごく、綺麗」
「まだ出来てないぞ」
「うん、だけど綺麗。わたし、スコールからこんなに綺麗なものをもらうんだ」
リノアはスコールの肩に頬を寄せる。
「スコールはいつも、わたしに沢山のものをくれるね。そんなにしてくれることないのに」
「俺が好きでやってるんだ。気にしないで」
「でも気になるわ」
リノアは両手で慎重にティアラを取り上げてサイドテーブルへ置くと、スコールの膝へ乗り上げる。スコールは上体を反らすようにしてリノアを受け入れた。
「気持ちだけでも溢れる程なのに、あなたは形のあるものまでくれる」
「俺の気持ちを差し出すには言葉だけじゃ足りないと思うから。だから形にして残したい」
「……言葉は、不安?」
スコールは少し躊躇い、苦笑して頷いた。
リノアはそっと彼の髪を梳く。
「こうやってくっついてても?」
「くっついてる時間は割と短いだろ? どうしたって俺達は別々の人間で、生涯を一緒にって言ったって人生は別々だ。だから、傍にいない時間も俺を思い出してもらえるように何か贈りたい。……俺、おかしいか?」
「ううん」
首を傾げるスコールに、リノアは柔らかく微笑み頭を振る。
「ただね? クローゼットから溢れる程服をくれるのはどうかと思うのよ。もうよれよれになって着れそうにない服も、あなたからのプレゼントじゃ捨てられないわ」
スコールは苦笑し、リノアの額を軽く突いた。
「それは捨てろよ。で、さっさとクローゼットに空き作れ。空きが出来たらまたプレゼントしてやる」
「だからそれをやめなさいってば〜!」
リノアはぐいぐいと肩を揺するが、スコールはどこ吹く風。終いにはあまりのおかしさに、2人でベッドに転がって大笑いする。
散々笑いに笑い、2人の腹筋が悲鳴を上げはじめた頃、不意に静寂が訪れた。
胸に抱いたリノアの髪を、スコールはゆっくりと撫でる。
リノアは気持ち良さそうに目を閉じると、スコールの広い胸に頬擦りする。
ずれていた呼吸が合っていく感触。後少しの間は他人の2人だけど、今この時は、確かにひとつになっていた。
「これから、ずっと一緒なんだな」
感慨深げに息をつくスコール。
「うん、ずっと。ずーっと」
リノアはスコールの背に両手を回し、ぎゅうっと力をいれる。
「……あ、やばい。緊張してきた……」
「ちょっと、今から!? もー、そんなことで当日大丈夫なの?」
突如気弱なことを呟いて横向きに丸まるスコールに、リノアは身を起こして軽くはたく。
「多分、大丈夫だと思う、けど……」
「けど?」
「リノア、落ち着かせてくれないか?」
一瞬意味がわからず、きょとんとするリノア。だがすぐに妖しい微笑みが頬に浮かぶ。両手の隙間から覗いているスコールの瞳が、艶を含んで笑っていた。
「……仕方のない人ねぇ」
リノアはスコールの手を取り除け、優しい口付けで愛を伝えた。