兎角この世は侭ならぬ。
 誰が言ったか、言い得て妙だなとスコールは思う。
 例えば、身の安全。
 バラムは観光地であるが故に、スリや置き引きといった軽犯罪が多い。重大事件は稀だが、ない訳ではない。殺人だってある。
 世界一安全基準が高いというドールでは、娼館が黙認されており、身売りが絶えたことがない。
 ガルバディアはご覧の通り。
 エスタは下町の郊外が危険地域と聞いた。
 戦争がなくても、こんなものだ。
 ならばSeeDがやるべきは?

 ――悲劇の芽を根気強く潰していくこと。


Mission: Hide and Seek

Act.6 幕引きを告げるもの



「……不愉快や」
 セルフィが憎々しげに吐き捨てる。
 金銀宝石や珍獣は落札がないものもあった。だが少女達には高値が付き、あまつさえそれが釣り上がる。
 病的なまでに白く痩せた少女達は、誰ひとりとして抵抗しない。腕に薬物を入れたような跡はないが、吸入タイプか服用タイプか、何かドラッグの類を使われていることは間違いない。勿論怯えているのもあるだろうが、薬物でふらふらになっている彼女達は逃げ延びる自信がないのだろう。
「……『ジェイル』、かな?」
 アーヴァインの呟きに、スコールは首を傾げる。
「『バードケージ』じゃないか? もしくは『カナリヤ』」
 いずれも行動を抑制するダウナー系のドラッグである。裏社会では利かん気な女の「躾」によく使われる、と聞いたことがある。依存性が高く性格が変わるとまで言われる程のドラッグだ、長く使われている少女にはこれからが辛いだろう。軽症であることを祈るしかない。
 セレーネは、適当に手を挙げては途中で諦めるのを繰り返している。
『18番、落札です!』
 オークショニアが宣言、落胆の声がそこかしこで起こる。セレーネも形ばかり悔しがり、扇子で口許を叩く。
 18番の札を持つ太った男が、斜め後ろのセレーネを振り返った。
「申し訳ないですな、マダム」
「いいえ、構いませんわ。皆様、資産家ですこと」
 セレーネは品良く笑う。
「マダムも充分に資産家がいらっしゃるでしょう。……ところで、どうですか。よろしければ今夜」
「うふふ、嬉しいですわ。では、ホテルのバーでいかが?」
 男は機嫌良く頷き、マダムの手を取り口付けた。セレーネはにこにこしながら時を待ち、解放されるとこっそり手を拭う。巧妙に隠して事を成す辺り、男あしらいの上手い女性だな、とスコールは思った。
「『魔女』はやっぱり、1番最後のようですわねぇ」
 おっとりとセレーネが囁いた。アーヴァインが身を屈め、彼女の言葉に応じる。
「そうですね。最後に説明がありましたし……」
 セレーネは扇子で口許を隠し、アーヴァインの耳に寄せる。
「こういうことは明るい時間になることを嫌いますでしょう? だから時間稼ぎの意も込めて、入札はしようと思ってますの。あたくしが入ることで、値が釣り上がって時間がかかるかも知れませんからね。……突入の準備などはよろしくて?」
 アーヴァインはスコールを見る。スコールは小さく頷いた。セレーネは目を眇め、スコールを見る。
「警察についても? 少なくとも、軍の配置完了は待った方がよろしいですわ。傭兵はこういう時、立場が悪いから」
「つまり……逮捕は我々には難しいということですか? 人身売買の現行犯でも?」
「立場上追い込まれやすいから、ちゃんとした後ろ盾を手にした上で力を行使なさい、という忠告ですわ。
 それで、いかがですの?」
「……地元警察の協力は要請しました。ただ装備を調える都合もあるので、ぎりぎりになりそうだ、と……軍については、この場所が判明した時にカーウェイ臨時元帥に連絡済みです」
「到着は?」
「……それが、まだ……」
 スコールが歯切れ悪く呟くと、セレーネはふぅん、と不満げに鼻を鳴らした。
「まぁ、政府関係が牛なのは前からですし、驚きはしませんけれどね」
 セレーネは椅子に深く座り直すと、オペラグラスで舞台上の少女達を見遣る。
 彼女から見たリノアの佇まいは、何とも不思議だった。
 礼装をまとう客の興奮具合とは裏腹に、少女達は肌も顕わな装いをさせられ、鬱々とした空気を隠しもしない。境遇を考えれば当然だ。
 だが、リノア・カーウェイ――「魔女」セシリアと紹介されていたが、セレーネは彼女の本来の姿を知っている――は全く違う。背を真っ直ぐに保ち、焦点が上手く合わないにしても凛とした目線を客席に注いでいる。恐らく、誰もが彼女に見られているのは自分だと思っていることだろう。
 給仕が真っ赤なワインを注いだグラスを手に、セレーネの許へ来た。
「マダム、グラスの換えをお持ちしました」
「あら、ありがとう。ちょうど喉が渇いたところでしたの」
 セレーネはにっこり微笑み礼を告げると、新しく貰ったグラスに口を付ける。
「…………?」
 セレーネは片眉を上げる。反応を見咎めたアーヴァインはその肩に僅か触れた。
「マダム?」
「あぁいえ、気になさらないで」
 セレーネがゆるゆると頭を振るものだから、アーヴァインは不審げながら身を引くが、喉に何かひっかかるのか、頻りに咳払いをしているのが気にかかる。
「アルカス、カリストー、ちょっと……」
 セレーネは自身の背後に侍らせていた2人に声をかけ、立ち上がろうと肘掛けに手をかけた。
「!?」
「マダムっ」
 力を入れた瞬間、ずるり、と手が滑り、セレーネは床に崩れ落ちてしまう。セルフィが慌てて肩を貸し、椅子へ戻そうとした。
 アーヴァインがグラスを手にし、中身を改める。
(これ、ワインじゃない!)
「リーダー、っ!」
 スコールに報告しようと顔を上げたアーヴァインは、視界に入った危険に即座に反応して手を伸ばした。乱暴に胸倉を掴まれ、スコールは引き倒される。
 ビシュッ! 鋭い音は、セレーネが座していた椅子に突き刺さった。周囲の客は悲鳴と共に飛び退くように席を立つ。
 給仕の1人が、サプレッサー付きの銃口を彼らに向けていた。ストレートの黒髪を首許でまとめた女だ。間違いない、あれは聖クリスティアンの古典文学教師だ。
「あら、ごめんなさい。外れちゃったわ」
「カリー・ゴートランド!」
 威嚇の意を込めてスコールが叫ぶ。女は彼を馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「嫌ね、人のこと調べたの? そんなじゃ女の子にモテないわよ」
「ふざけるな」
 噛み付くように声を荒げるスコール。それが呼び水になったように、オークショニアから何からスコール達へ銃を向ける。女は男を誘惑するような動きで、スコールへ近付いた。スコールは懐に手を入れようとしたが、女の持つ銃は彼の顎を捉える。
「ふふ、学校で見た時から綺麗な顔と思ってたのよ。
 ねぇ、色男さん。貴方が私達に味方してくれるなら、お仲間さんくらいは生命を助けてあげられるわよ? そこのお姉さんの解毒剤も渡してあげる」
「誰が」
「あら、気の強い子。じゃあ、こんな報酬はどう?」
 女は自身の着ているシャツの胸元を開き、豊満な肉体を見せた。アーヴァインは思わず目を背ける。
「たっぷり味わわせてあげるわよ?」
 スコールは嘲笑を頬に浮かべる。そして、傲然と拒絶の言葉を口にした。
「間に合ってるよ、この年増」
「…………!」
 女は見る間に怒りの形相になり、銃を振り上げるとスコールのこめかみに叩き付けた。
「ぐっ」
「情けをかけてやろうと思ったのに、とんだ生意気だわね! 良いわお望み通り皆殺してあげる!」
 女は立ち上がり、マガジンの残弾数を確認してから照準を定めた。その指先が引金を引く、正にその瞬間。
 スコールは素早く懐から何かを掴み上げ、宙に放った。女は一瞬気を取られるが、所詮子供の悪足掻きと蔑笑を浮かべ――。
 ぱあんっ、と光が閃いた。
「……な……っ」
 女は、氷の檻に捕われていた。それを認めたスコールは、耳に付けたイヤホンマイクをオンに切り替え、号令をかける。
コード・レッド(状況開始)! 1人も逃すな!!」
 何が起こったのか理解出来ず、女はおろおろと周囲を見回す。ホール内の動きは、完全に停まっていた。
 舞台上で、黒いドレスをまとった少女が、優雅に指先をこちらへ向けている。少女はにっこり微笑んだ。
「残念でした」
 女は貴重な数秒間を思考回路の再起動に要した。状況が段々と理解出来てくると、その顔が見る見る内に鬼のような形相になった。
「きっさまぁー――っ!」
 少女に飛び掛かろうと女が走り出す。だが遅い。彼女が動かなかった数秒、たったそれだけの間に、少女はセルフィから投げられた魔法カートリッジを見事手中に納めていた。
「魔女の分際でぇっ!」
 黒衣の少女――リノアは女の勢いに臆することなく、カートリッジの照準を見定める。そして。
 破裂音と共に、中空に光の網が走った。身を寄せ合う少女達の悲鳴が上がる。
「ぎゃあぁっ!」
 女はびくんと身体を震わせ、沈黙した。それを成し遂げたリノアは、ぐったりと床に臥した女を前に目を丸くしている。
「っしゃあっ、セルフィちゃん考案『サンダーウォール』炸裂ぅ!」
「……少し前にエスタの第一研究所と連絡取り合ってたの、あれの為かい?」
 ガッツポーズを取るセルフィに、アーヴァインは嘘寒い気分を覚えた。全く、いつの間に何という恐ろしい道具を思い付くのだ。
 首を振り振り、アーヴァインはスコールを促して懐から銃を取り出す。
「はい皆さんご注目。残念ながらここは既に包囲されています。大人しく投降して下されば手荒なことは致しません。投降の意思は、武装を解いて床に置き、両手を上に挙げて示して下さい」
 客も給仕も、観念した者はのろのろとだが指示に従った。ぶつぶつ呟いている者もいるにはいたが、リノアが不審そうに口許を覗き込みに行くと2、3歩後退りして口を噤んだ。それはそうだろう、「商品」だとばかり思っていた「魔女」は、自分達を取り押さえる側の人間だったのだから。
 ドアが開き、黒いボディスーツをまとった少年少女数人がホールに雪崩込んできた。スコールは彼らに舞台上で怯えている少女達の為の衣服や毛布の手配を頼み、事態の収集を任せる。
 リノアはホール内の人々を一通り観察してから、ドレスの裾を掴み上げてスコールの許へ走った。それを見たスコールは、呆れた顔で額に手を当てる。
「お前、ちょっとは自嘲しろ……」
「だって動けないんだもん! サイズ合ってなくてもたもたして鬱陶しい! ねぇナイフとかハサミとか持ってない?」
「残念ながらどっちも持ってない」
「…………。じゃあ、仕方ない」
 リノアはむーっと頬を膨らませ、ばさりと裾を落とす。スコールはそんな彼女の首に揺れる下げ飾り(ペンダント)を取ってセルフィへ投げ渡す。
「セルフィ、それの中身をマダムに」
「は〜い、了解〜。……レイチェル、お水くれる? ……」
 リノアはスコールの脇から顔を覗かせ、セルフィに手を振っている。スコールは彼女の首根っこを掴み真っ直ぐ立たせた。
「うにゃっ! 何するの〜」
 スコールは刺激に目を丸くするリノアの頬を両手で包み、目を覗き込む。
「真っ直ぐ見て」
「へぇ?」
「良いから真っ直ぐ見る! ……あぁ、やっぱり。お前、目の焦点合ってないぞ。大丈夫か?」
 リノアは数度目を瞬かせ、力なくへらっと微笑う。
「実はあんまり大丈夫じゃないんだよ〜。頭がくらくらする」
「……薬か?」
「っていうか、空腹……。ここに来てから何にも食べてないの。……あ、ちょっと! 男子近付いちゃダメ! パジャマ並に無防備なんだから!」
 舞台に近付くSeeDの少年に鋭い声飛ばすリノア。スコールは思わず彼女の胸元を遠目に覗く。
(……確かに『パジャマ並に無防備』だな。下着、付けてないのか)
 視線に気付いたリノアは胸元を押さえてスコールの顔に掌を押し返す。
「えっち!」
「確認しただけだろ」
「下心が見えました!」
 通りすがったSeeDが1人、スコールの背後で思いっ切り吹き出した。密かに彼が臑を蹴飛ばされたのは言うまでもない。

 保護された少女32名とリノアは、念の為に地元の病院で検査を受けた。幸い危険なドラッグ等の成分は検出されず――リノア曰く『ベッドルーム用のアロマ』を幾らか吸った程度らしい――、ふらふらしているのは空腹状態が続いての低血糖が原因だろうとの医者の折り紙も付いたので、彼女達が帰宅出来るようになるのは時間の問題だろう。
 軍や警察が手分けして事情聴取をしている間、スコール達SeeDの面々は、保護された少女達の衣食の世話をしていた。「女三人寄れば姦しい」という言葉のある通り、きゃあきゃあと明るいお喋りの声が絶えない。暇潰しの為に与えられた雑誌を囲み、やれこの服が良い、そのコーディネートは許せない、と騒いでいる一団がいる。帰宅しても連絡を取り合おう、とSeeDから奪ったメモ用紙にアドレスを書いて交換し合う子達もいる。
 ある一団は、スケッチブックを抱いた少女を中心にしていた。彼女は周りの子達に、ドレスやアクセサリーのデザインをしては披露している。
「ミリィ?」
 SeeD服をまとった青年が1人、控え目にその一団に声をかけた。スケッチブックの少女が顔を上げる。その顔は不思議そうだ――何故彼は、自分の愛称をよんだのだろう?
「ミス・ミリアム・ロックベル?」
「はい」
「少し、こちらへ来てもらえますか?」
 少女――ミリアムは頷き、スケッチブックを置いて立ち上がった。青年は彼女を伴い、少し離れたテントへ向かう。
「あの、何かお聞き忘れたになったことでもありましたか? 事情聴取は終わったとばかり思っていたんですが」
 ミリアムの言葉は、表面こそ丁寧だったが、疑いに満ちていた。男が自分1人だけ呼び出し、誰もいないテントに2人で入らされたのだ。余程の暢気物でなければ、警戒して当然だ。
 青年は苦笑し、緩く頭を振った。
「事情聴取ではありません。そちらに関しては、ご協力ありがとうございました。こちらにお呼びしたのは、ちょっと、電話をしてもらおうと思いまして」
「はぁ……?」
「すみません、本当は電波通信を使える機材をお渡し出来たら良かったんですけど、電波通信は高額なので、ガーデンでは利用していないんです。だからこういう作戦の際には有線電話を引くしかなくて……」
「……それが、何か」
「このテントにお連れした理由です。ここの機材の管理責任者は自分です。ですのでこれは、自分の個人的な通信として扱います。録音もしませんので……少し、お待ちください」
 そう言うと、青年は受話器を取ってダイヤルを回し始める。 随分と旧式の電話だな、とミリアムは思った。それにしても、彼は一体どこに電話をさせるつもりなのだろうか。
「……あ、おはようございます、先生。3のAのレオンハートですけど、501号室のバウワー、呼び出してもらえませんか? ……そうそう、エディ・バウアーです」
 エディ・バウアー。その名前にミリアムの胸が高鳴った。
「……よぅ、おはよう。お前いつまで寝てるんだよ、もう7時近く…………あーはいはい、常識なくて悪かったな……うるさい、こっちは逆に寝不足なんだ。平和に寝呆けた声なんて聞きたくない。さくっと起きろ」
 先程と比べて随分と柄の悪い喋り方に、ミリアムは何だかおかしくなってきた。SeeDが年若い青年達で構成されているらしいことは前々から噂で知ってはいたが、これでは自分達とそんなに変わらないようではないか。
「良いか? これから5分だけ電話させてやる。誰かは自分で確かめろ。良いな、5分だぞ? よし。……どうぞ、お待たせしました」
「はい」
 ミリアムは受話器を取って耳に当てた。
 青年は手元の時計を確認すると、音を立てないようにそっとテントを出ていった。

「あれ、司令官」
 通信班用のテントから出てきたスコールに、撤収準備を始めていたSeeD隊員はきょとんと目を丸くした。
「緊急ですか?」
「いや、私用。中、5分だけで良いから誰も入らないようにしておいてくれ」
「わかりました。中の人が出てくるまで、テント置いときますね」
「頼む。時間は俺が見てるから」
 スコールはひらりと手を閃かせると、ぐうっと大きく伸びをする。
「ふーっ……」
 薄闇が払われ、夜明けの光が世界を輝かせていく。それに合わせ、カクテルライトが消灯され解体されていく。
「任務完了、お疲れ様っ」
 ぴたっと背中に貼り付いてきたのは、ボディスーツ姿のリノアだった。
「リノア……何でそれ着てるんだ?」
「あ、被害者さん達と混ざってややこしいから、SeeDの他の皆と同じ格好にしておいて、って軍の人が」
 だから予備の借りた、と言う彼女は、別段不調はなさそうだ。怪我をした様子もなければ、何かの薬物で中毒を起こした様子もないし、風邪も引いていない。
 スコールは内心ほっとしていた。
 この誰よりも大切な少女を囮にする、と決めたのは自分だ。その癖、彼女の無事を信じきることが出来ず、ずーっと苛々していた。思わずエディに八つ当たりことは、忘れ草を使ってでも忘れたい――あぁ、あのアイテムが人間にも使えたら!
「……リノア」
「ん?」
「ごめん、リノア。本当にごめん。怖かっただろ?」
「そりゃあね……。だけど、わたしもSeeDだよ? 危ないことは百も承知で『出来る』って言ったんだから……あ、言ったんじゃないや、敬礼したんだから」
 わざわざ言い直すリノアに、スコールは微笑んで頬にキスをする。
「無事で、本当に良かった。ほっとした」
 リノアはにっこり微笑み、スコールをぎゅうっと抱き締める。
「当たり前じゃない。スコールが来てくれるって信じてたからね」
 屈託なく少女は微笑う。スコールは急にいたたまれなくなって、リノアの顔を見ないようにその頭を肩に抱き寄せた。
「皆も、無事で良かったよねぇ」
 それについては心の底から同意して、スコールはゆっくりと頷いた。
 唯一の例外は少量とはいえ毒物を飲んだセレーネだったが、彼女も生命に別状なく、1週間程度の入院で済みそうだとの話だ。この朗報に誰よりも喜んだのはリノアだった。
 通信用テントの撤収も済ませた後、彼女のたっての願いによって、スコールとリノアはそのセレーネの病室に訪いを入れた。
 余計な化粧をすっきりと落とした彼女は、温かみのある顔立ちをしていた。豪奢に結い上げていた髪はサイドにまとめて緩い三つ編みにされている。
「セレーネさん、元気になって良かったですーっ!」
 きゅーっと抱き付きにいくリノアはまるで子供だった。セレーネはふんわり微笑んで彼女を抱き返す。
「そういうリノアちゃんも元気になったわね。安心したわ」
「だってわたしはお腹が空いてただけですもん。後は……」
 ちらりと意味ありげにスコールを見遣るリノア。スコールは気まずげに咳払いし、持ってきた花束を備え付けの花瓶に押し込む。部屋の隅であれやこれやと片付けていた男女――アルカスとカリストーは、顔を見合わせてくすっと笑う。
 それにしても、女性の化粧技術というものは本当に恐ろしい。仮名カリー・ゴートランドといい、この目の前の通称セレーネといい、アイシャドウだの何だのを塗ったくっただけで何故ここまで面変わりするのだろう。変装とは得てしてそんなものなのかもしれないが、同じようにいろいろ付けているイデアや他の女子SeeDはそんなにすごく変わることはない。スコールには不思議だったが、目の前の2人に聞く度胸はない。
 どこか遠い所を見ているようなスコールを、リノアが覗き込む。
「スコール? どうしたの、何考えてるの?」
「……パウンドケーキ」
 スコールはそれまで考えていた事などおくびにも出さず、何となく思い付いたセレーネの印象を端的に口にした。当然、意味も何もわからないリノアは首を傾げる。
「?」
「お酒の効いたフルーツたっぷりの、パウンドケーキな感じ」
 スコールが顛末をすっ飛ばして結論だけを答えるのはいつもの事だが、いつにも増して突飛な返答に、流石のリノアも彼の思考が掴めない。
「…………あの、結論だけじゃなくて、そこに至るまでの思考の変遷も教えてもらって良い? 流石のリノアちゃんもわかんないよ。それとも単にお腹空いたの?」
 セレーネはけらけら笑い出した。
「司令官くん……えぇと、スコールくんだっけ、じゃあ君の好みは具体的に何になるのかな?」
「……………………ガナッシュたっぷりのチョコレートケーキ」
「チョコレートケーキね……スポンジにリキュールを染み込ませたやつ?」
「それは、あんまり……」
「成程成程。と、いうことは……スコールくんは経験豊富だけど後味あっさりなティンバーの女より、(ウブ)でこっくり濃厚に愛してくれるガルバディアの女の子の方が良い訳だ」
 数秒間を置いて、スコールは頷く。セレーネはますます笑ってしまい、痛む腹筋を宥めるのに必死だ。リノアは呆れた顔で2人を見遣る。
「……何で通じ合えるんですか」
「何でかしらねぇ」
 ひとしきり笑ったセレーネは、リノアににっこり微笑む。
「甘ぁいベイクドショコラはリノアちゃんの十八番だったよね」
「え、……あ」
 ぱっとスコールを見れば、スコールは気恥ずかしそうに唇を引き結んでそっぽを向いた。
「つまりはスコールくん、君はリノアちゃんのこと、すーっごく好きなのね」
 面白そうに言うセレーネに、リノアは真っ赤になって俯いた。
「幸福そうで羨ましいこと。それだけ充実してれば、どんなにイイ身体の持ち主でも相手にしない筈よねぇ。『年増』を突っぱねるスコールくん、カッコ良かったよ〜?」
 セレーネがにやにやすると、スコールはわざとらしく咳払いした。
「…………ところで、ですね」
「あら、何かしら?」
「2人は、知り合いですか?」
 今更ながらのスコールの問いに、リノアはきょとんと瞬き首を傾げた。
「スコール、知らないで一緒に仕事してたの? セレーネさんはティンバーの情報屋ギルドのトップだよ?」
「こらこらちびフクロウちゃん、オンナの秘密を暴露しないの」
「ちびじゃないですもん」
 セレーネがちょんと唇に触れると、リノアはぷーっと頬を膨らませる。
 対してスコールは耳を疑った。
「……情報屋ギルドの、トップ?」
 セレーネはにっこり微笑む。
「えぇ。あら、言ってなかったかしら?」
「諜報課から『情報源兼調達元』とは聞いていましたが……、あれ?」
 何かに気付いた様子のスコールに、リノアはそっぽを向いて笑いを堪える。
「情報源、ふたつ? ……ひょっとして、『ダーティ・ルート』から回ってきた情報もミズ・セレーネ提供ですか?」
「貴方、ちょっと混み入った物事を考えるのは苦手?」
 セレーネは苦笑し、リノアはとうとう噴き出した。
「ふっ、あはははっ、スコールそこまで来たならもう1歩突っ込んで考えようよ!」
「素直なのは良いことだとは思うけれどねぇ。本当、傭兵とは思えない程真っ直ぐだこと」
 2人から散々に言われたスコールは憮然として眉間にしわを寄せる。
「悪かったですね……」
「はいはいスコール、拗ねないのー」
 リノアはぎゅっとスコールに抱き付き、ぽふぽふと背中を撫でた。スコールはわざと子供っぽく唇を尖らせ、顔を背ける。
「リノアは知ってたのか」
「セレーネさんの所属? まぁ、知ってたといえば、知ってたね。『森のフクロウ』もお世話になってたもん。やっぱりね、(ティンバー)には土に塗れた根っこ(ダーティ・ルート)は必要だから」
「表社会も裏社会も、情報関連なら我が『ティンバー・ルート社』にお任せあれ! ガーデンからのご依頼なら、基本料金のみで追加は頂きませんわ」
 リノアはきょろりと目を丸くした。この話は初めて聞いたらしい。
「セレーネさん、ガーデンとも取引してるんですか?」
「今でこそ株主の1人に名前があるくらいだけれど、クレイマー先生が設立時に出資して下さってね」
「じゃあ、ガーデンとはその時からの付き合い?」
 緩く頭を振るセレーネ。
「一応これでも、元バラム・ガーデン生なの。だから信頼ある情報源としてガーデンとも契約しているのよ。卒業生の受け入れもやっているわ」
 ほうほうと感心するリノアの隣で、スコールは額に手を当てて項垂れた。通りで潜入の為に用意してもらった身分証の料金なんて要らないと言う筈だ。ガーデンとトータルサポート契約を結んでいるなら、最初に渡した2万ギル以上に受け取る必要はない。
「……『信頼ある情報源』の割に、随分と評判悪いようですけど?」
 腹立ち紛れにスコールが呟く。セレーネはきょとんと目を瞬かせ……あぁ、と声を上げた。
「そりゃあ、そうでしょう。あたし達が目を付けた組織は尽くSeeDが潰す訳だから、裏社会では評判悪くもなるわよ。ま、犯罪組織は潰れてくれるのが最高なんで知ったことじゃないし、構成員の安全はがっちり守りますけどね」
 自慢げに宣言してくれるセレーネを前に、スコールはがっくりと頭を垂れた。
(……何か、疲れた)
 数日かけて思いっ切りからかわれた気分だった。
 そりゃあ勿論、向こうだって仕事で結果的にそうなったことは理解しているけれど。




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