少し、寂しい気がしないでもない。
たかがひと月にも満たない短い日々は、とてもきらきらしていて優しかった。
これが、普通の高校生の姿か。そう思うと、今までの自分が異質なものだったようで。
だけど、それでも――。
潜入系の任務で最後の仕事といえば、潜入した先で残した己の痕跡を丁寧に消すことだ。
スコールが司令官になってからそういう長期に渡る任務はあまりないし、あっても大抵軍やそれに準ずる組織と連携して行うものばかりだ。後始末は向こうがしてくれる。
今回はガルバディア軍との連携で行った任務だったが、後始末は自分の手でしなくてはならない。陣を張った最前線は軍と警察が何とかするが――「誘拐事件の捜査」が任務だ。犯人グループを締め上げて内情や背景を吐かせるのは警察に丸投げした――、潜入先である聖クリスティアン学院から撤退する際の始末はスコールとリノア個人の責任だ。任務の後始末、というより、退寮の為の後片付けである。
「司令官、こちらは全部詰め終わりました」
「ありがとう、ジェイク。ガムテープくれるか」
「はい」
投げ渡してもらったテープで段ボール箱の蓋を閉める。
2人で、3箱。
学校から借用した教科書類を除けば、後は捜査資料と衣服が少し、それと受験勉強の為のあれこれのみだ。
「手伝ってくれて助かったよ、ありがとう」
ジェイクははにかんだ笑顔で頭を振った。
「いえ……任務、お疲れ様でした」
「あぁ。……そういえば、あんたは片付けしなくて良いのか?」
「あ、僕は去年からここにいるので。進学予定なんです」
「そうだったのか」
「はい。このまま卒業して、大学で情報系を徹底的に学んで、改めて司令官方のお役に立つつもりです」
「壮大な計画だな」
その頃には引退してたりして、とスコールがうそぶくと、ジェイクは慌てた様子で「出来るだけ急ぎます!」と敬礼する。
一瞬の間の後、笑い声が部屋に満ちた。そこに、リノアがひょこっと顔を見せる。
「スコール、準備どう?」
スコールはひらりと手を振り立ち上がると、ベッドに無造作に放り出していた上着を手にした。
「大丈夫だ。行こう」
チャペルでの全校礼拝の後、教頭から少し話があるのでそのままでいるようにと指示があった。
エディ・バウアーはちら、と後ろの空席を見る。スコールとリノアの姿はない。
結局、2人は朝礼までに戻ってこなかった。今朝想い人からの無事を知らせる電話を受けて幸福な気分を味わってはいたが、しかしあの2人が戻って来ないでは完全に解決したとは言えないのではないか? 少なくとも、エディにとっては懸案事項だった。
「皆、静かに」
壇上の教頭からの声に、チャペル内はしんと静かになる。彼に促されて演壇に立ったのは、黒髪の少女を伴った1人の男だった。
金がかった茶色の髪、銀混じりの青い瞳。ぎゅっと引き締まった痩躯は銀の縫い取りも勇ましいかっちりとした衣装を纏っている。
「SeeDだ……」
誰かの呟きは瞬く間に伝播し、さわさわと空気がさわめいた。
SeeD――バラム・ガーデンが誇る、世界最高の傭兵集団。軍隊とは違う縦横無尽、緩急自在の集団は、その勇名を世界に轟かせている。
その筆頭たる司令官は――まだ柔らかい少年の姿をしていた。
「あいつ……レオンハート……!」
「え、マジ? 何で?」
生徒達の、特に3年生の動揺が凄まじい。何故ならその姿は、つい先日編入生としてその場に立ったものだったからだ。
少年――スコール・レオンハートは、マイクの具合を確かめてから、1歩後ろに退いて頭を下げた。
「改めて、ご挨拶申し上げます。私はバラム・ガーデンのSeeD、スコール・レオンハートです」
折り目正しい挨拶は学生らしくない。むしろ軍人然とした凛々しさがあり、見る者の目を引く。
「……まずは、皆さんに謝罪を。
編入生として皆さんに受け入れて頂いた私とこちらのハーティリー――リノア・カーウェイは、実は学生ではありません。我々は、ある事件の捜査の為、軍からの依頼を請けてこちらへ潜入しました。結果、皆さんを騙してしまう形となりましたが、これに付きましては、我々は謝罪の言葉以外を持ち得ません。本当に、申し訳ありませんでした」
再び頭を下げるスコール。その姿にひそひそと話し合う声もあるが、早々に事情を知り彼らに協力したエディにしてみれば、どこか切ない気持ちしかない。
彼らは結局、異物だったのだ。受験を控えた編入生ではなく、必要ならば躊躇なく部下を囮に使う捜査員であった彼ら。その存在はつまり、この世界の歪みでもある。
スコールは、エディに対し「同い年」と言った。その言葉に偽りがないのであれば、本来在るべき彼らはエディ達と同じ高校生の筈だ。SeeDは若者ばかりで構成された凄腕の傭兵集団だという噂だが――それが高校生程の、自分達と同じくらいの歳の奴ばかりと知ってしまえば、羨望どころか戸惑いばかりだ。しかも傭兵と銘打つ以上、警察や軍よりも余程危ない橋を渡らされているに違いない。彼らが心安らかに眠ることの出来る日は、果たして存在するのだろうか。
スコール・レオンハートが顔を上げる。
「それと、感謝を。
ほんの短い期間でしたが、皆さんと過ごすことが出来て本当に良かったと、俺は思っています」
先程までの大人のような話し方をしていた青年が、急に少年らしさを見せた。
「俺は5歳の頃からガーデンに暮らしていたので、クラスに知らない顔しかないっていう状況になったことがなかったんです。だから最初、正直言って怖かった。知らない奴からいろいろ言われたし、ちょっかいもかけられました。高校の3年生で受験生の癖に、こいつらこんなことして何してるんだろうな、と思いました。
……羨ましかった。
多分、嫉妬したんだ。当たり前の、平和な世界に住む皆に。俺は、俺達はその世界を知らない。ガーデンの中からみた世界は、平和だけど平和じゃない。俺達にとって、世界は常に戦争状態で、平和は勝ち取らなければならなくて、取ったら取ったで維持が大変。俺達SeeDはそれに振り回されて、平和は俺達のものにはならない――そう思ってきた。
でも、平和な日常が当たり前の人達もいる。その中には、未来をより良くしようと勉強して努力してる人もいる。なら俺達は、その日常を護ろうと思います。それを、時々思い出してもらえたら……それだけで良い。それだけで俺達は報われる。感謝してもらいたい訳じゃありません。ただ、普通に暮らしていて下さい。皆さんそれぞれの夢の為に、突き進んでください。
……あぁ、そうだ。俺達が受験生なのは本当なので、どこかの大学でみかけたら、また仲良くしてやってくれな。よろしく」
最後におどけた一言を添えて、スコールは壇を降りた。黒髪の少女を引き連れてチャペルの正面扉へ向かうその姿は、美しいとすら言える程真っ直ぐだった。
エディは思わず立ち上がり、まろぶように駆け出す。彼はクラスメイトの声も教師の制止も振り切り、チャペルを飛び出した。
「レオンハート……っ」
彼を呼ぶ声が小さい。あぁ、こんなのでは引き留められない! エディは大きく息を吸い、力の限り声を張った。
「スコールっ!」
正門を潜ろうとしていたスコールは、弾かれたように振り返った。
こんなに大きな声を出したのは生まれて初めてだ、とエディは思う。血が上ったのか、頭がぼーっとして頬が熱い。
スコールはほんのり微笑むと、門の外で待っている車の方へリノアを促した。リノアは小さく頷き、小走りに向かう。
そして当の本人は、目を丸くして首を傾げてみせた。
「どうした?」
「…………っ」
エディは戸惑う。
引き留めてどうする訳でもない。ただそのまま行ってしまうのが寂しくて、慌てて声をかけたのだ。何も考えず、ただ幼い心のままに。
「何か、泣きそうな顔だな」
スコールは苦笑し、自然な動きでエディの頭を撫でる。エディは大いに驚いて飛び退いた。
スコールは悪戯が成功した子供のような顔をして喉の奥で笑う。
「悪い、いつも寮のちび達にやってるから」
「お、おれは子供かっ!」
エディが噛み付くと、スコールはとうとう噴き出した。藪睨みするエディ。
2人の間に、不意に静寂が訪れた。
「……行く、んだよな?」
「あぁ、任務終わったからな。これでやっと受験生に戻れる」
大仰に伸びをしてみせるスコール。エディは、俯いた。
「ここでは、受験生しないんだな」
「え? あぁ、仕事があるからな。派遣任務は抑えてもらっても、運営の仕事はなくならないんで」
「運営!?」
「そう、ガーデンの運営。難しいもんだな、本当に」
「じゃあもう本当に、おれ達とは別の世界だな……」
スコールは肩を竦め、ズボンのポケットに手を突っ込む。
「エディ」
「?」
「構えろっ!」
鋭く声を上げたスコールの手が、突如振りかぶられる。エディは無意識に、自身の頭を庇うべく手を翳した。
ぱぁんっ!
明るい破裂音が響き渡る。それは、任務の成功を祝うハイタッチだ。
「じゃあ、またな」
スコールは悪戯っ子のように微笑うと、ひらりと身を翻して駆けていった。
後に残されたエディの手の中には、1枚の紙。
「名刺?」
彼の名前が書いてあるだけの、とてもシンプルな物だ。斜めにして初めて淡いホログラムが彼の所属を示すバラム・ガーデンの紋章を浮かび上がらせる、その程度の情報しかない。
「これが何だ、って……」
矯めつ眇めつ、名刺をひっくり返してみて初めて気付いた。
『
○○○―××××』
「ふっ……」
思わず零れたのは、嗚咽だったのか笑い声だったのか。気付けば、エディは笑い泣きしながら、大きく手を振ってスコール達を見送っていた。
「――あ、あった、あったぁっ!」
貼り出された数字の羅列からお目当ての並びを見つけ、リノアはその場で飛び跳ねた。
「やった、あった、やったよぉっ! スコール!」
「わ、わかったからちょっと待てって……」
喜びのあまりぐいぐい腕を引くリノアに、スコールは困り果てた顔をした。見つからない。なかなか見つからない。何度も見返している内に一体どこまで見たのかわからなくなって、更に焦る。
「おーい、スコール、リノア!」
「ゼル!」
別の掲示板を見に行っていたゼルが小走りに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
リノアが急いて尋ねると、ゼルは満面の笑みと共にVサインを突き出した。
「教育学部合格!」
「やったぁ! わたしも合格だったよ、文学部!」
「よっしゃあっ!」
2人は手を取り合って大喜びだ。
だが。
「スコール?」
スコールはまだ掲示板を見ている。ゼルは嫌な予感がした。
「お、おい……まさか……」
「……った……」
「え?」
スコールは呆けた顔で振り返った。次いで、泣きそうな顔になって掲示板を指差す。
「あった。受かった! 情報社会学部!!」
何となく神妙になっていた2人の顔が、見る間に笑顔になっていく。
「ばんざーいっ」
「んだよもー、脅かしやがってぇっ」
リノアはスコールに飛び付き、ゼルはスコールの頭を小突く。された本人は照れ笑いして肩を竦めた。
「これで、春から皆大学生だね」
「いや、まだキスティスから連絡入ってないだろ?」
スコールが首を傾げると、ゼルが手をひらひら振ってみせる。
「キスティスは今朝聞いたぜ、ドール一大、首・席・だ・と・よ」
「うわ、相変わらず度肝抜いてくれるな」
スコールがわざとらしいしかめ面をすると、リノアはころころと笑った。
「えーと、じゃあ、キスティはドール第一大学で、セルフィはトラビア共立大で、アーヴァインはガルバディア中央大学に行く訳だよね」
指折り皆の進学先を挙げていったリノアは、ふぅ、と寂しそうに息をついた。
「……みーんな、ばらばらになっちゃうのかぁ」
スコールとゼルは顔を見合わせる。
ゼルは苦笑いでスコールの肩を小突き、彼を促した。スコールは肩を竦め、リノアの肩を叩く。
「行く先がばらばらになっても、心まで離れてしまう訳じゃない」
「…………」
「俺達は、仲間だ。最後まで、心の深いところで繋がってる」
リノアはじっとスコールを見る。スコールは小さく微笑み、肩から滑らせた手を彼女のそれに絡めた。
「わたし達と、同じように?」
リノアは可愛らしく首を傾げ、スコールは片眉を上げて。
「俺達ほどではないけどな」
繋がれた手が大きく揺れる。
それを後ろから眺めていたゼルは、両手を頭の後ろで組むと大儀そうに大欠伸をした。
その時、スコールのコートのポケットで、PDAがささやかに着信を告げた。
海の向こうの友人からの、大学合格を伝えるメールだった。