リノアが目を醒ました時、辺りは暗闇に包まれていた。
 固い所に転がされていることは、すぐに理解出来た。現在地は不明。わかっているのは、自分が部屋着姿であり、武器の類は一切身に付けていない無防備な状態であることと……。
(随分がたがたするなぁ)
 身体がバウンドする具合から、未舗装らしい道を走り続けるこの車は払い下げの軍用車だろうということだ。軍用車、それも一世代二世代前のモデルはとにかく乗り心地が悪い。自分が放り込まれているのは、恐らく荷台だろう。足に温かい何かが当たる。他にも誰かいるのか。
 考え事をしたいのに、この充満している甘ったるい匂いに無気力にされそうで苛々する。猛毒のシアンカリにも似た匂いだが、さらった少女達を殺してしまっては意味がなかろうから、毒物ではなくドラッグだろう。そしてリノアはその正体を知っている。これは確か、閨で女をあやす為に焚くという香の類だ。
 SeeDになった以上は傭兵部隊の一員だから、リノアはガーデンで催される勉強会に積極的に参加していた。「怪我人の絶対帰還」が至上任務である救護隊では、手当・解毒方法のおさらいと最新の薬物に関しての情報更新を主に行う。特に解毒は時間との勝負だから、新しい情報が入ればすぐに皆と共有した方が良い。女子SeeDにとって重要だと思われるのはやはり興奮剤の類だろう。望んで傭兵になるのだとはいえ、無抵抗で辱めを受けるのは出来得る限り避けたいのが女心だ。
 リノアは胸元を探った。気付かれなかったのか興味がなかったのか、クリスタルのカプセルはきちんと彼女の首から下がっていた。内心ほっと胸を撫で下ろしつつ、カプセルから錠剤を取り出す。錠剤は5つ入っていた。不要分を丁寧にカプセルへ戻し、1錠だけ唇に挟んだ。口内崩壊錠――これは水がなくとも唾液だけで服用出来る――であることを祈りつつ、出来るだけ唾液を口内に溜めて静かに飲み込む。小さな白い錠剤は、ひっかかりつつもゆっくりと喉を下っていった。
 錠剤は効きが遅い。リノアは覚醒しなかったふりをして、そっと目を閉じた。

Mission: Hide and Seek

Act.5 潜入


 礼拝に出ず教室にも戻って来なかったスコールを、エディは駆けずり回った挙句に寮で発見した。彼はいつか見た漆黒の軍服を着ている。
「おい、レオンハート!」
 大声で呼ばれたスコールは、ゆるりと振り返った。エディは急ぎ足で歩み寄ると、スコールの胸を斜めに過ぎるベルトを掴んだ。
「何処に行くつもりだよ」
「何処って、捜査だ。他に何がある?」
「ハーティリーがいなくなったんだろ?」
「呼び出しに応じないから、多分な」
 エディはぎりりと歯ぎしりする。
 何故こいつはこんなにも平静な顔をしているのか。リノアがいなくなったというのに、心配ではないのだろうか?
 そこで、エディはぴんときた。
「……お前、謀ったのか?」
 スコールは何とも言わず、肩を竦めるに留まった。
「部下とは言え、女性だろ? それを囮にしたのか!?」
 エディは畳み掛けるように言葉を投げ付ける。スコールはエディを見ず、ただ黙りこくっていた。
「何考えてるんだよ、この冷血漢!」
「……言いたいことは、それだけか?」
 焦れるエディに、スコールは冷え冷えとした応えを返す。エディの肩がびくっと震えた。その隙にスコールは自身のベルトを掴む手を叩き落とし、踵を返す。
「レオンハートっ」
 エディはスコールを引き留めるべく肩に手をかけた。
 その瞬間、スコールは豹変した。
「……っきから、ごちゃごちゃと煩いんだよ!」
 ダァン!
 と勢いの良すぎる音が響いた。
「あぁ確かに作戦は俺が立てたよ。リノアを囮にすると決めたのは俺だよ。でもなぁ、自分の女が犯人共に連れていかれて冷静でいられると本気で思ってんのか!」
 スコールの瞳が怒りでギラギラと輝いている。だが殺気立っているその顔は、今にも泣きそうな風にも見えた。
「はーいはい、そこまで!」
 ぱんぱん、と手を鳴らしながら割り込んできたのは、長身の男だった。
「落ち着きなよ、スコール」
 スコールが苛立ち冷めやらぬ剣呑な目を向けた先にいたのは、彼と同じ軍服を着た長髪の男だった。
「アーヴァイン、準備は?」
「万端だよ。後はあんたの号令待ち」
「……ふん」
 スコールは鼻を鳴らして乱暴にエディの服を手放す。アーヴァインはちらとエディを見、スコールに顔を寄せる。
「誰?」
「第一被害者の恋人」
「え、マジ? ……護衛要るよね、余力在ったかな?」
「うちから割く必要ないだろ。ジェイクを置いていく」
「あぁ、G2(ジー・ツー)の。確かに、奴なら安心だね、特進クラスの生え抜きだから」
「そういう訳だ」
 それきり、2人はエディに見向きもしなかった。
 エディは呆然と2人の背を見送り……ふと、両手で筒を作り口許に当てた。
「レオンハートっ! 男なら、絶対助け出して来いよーっ!!」
 これが、精一杯の、激励。
 スコールが振り向くことはなかったが、その力強い拳が一度、高く大きく振るわれた。

 組織の潜伏先と断じた建築物は、放棄された研究所のようだった。斥候の報告によると、かつては製薬会社の持ち物だったらしい。前線基地は、程近い町の外れに置かれた。
 スコールは前線基地に到着すると、ある目的の為に借りたホテルの一室へ向かう。
「あらぁ、こんにちは。若き司令官さん」
「こんにちは、ご機嫌麗しゅう」
 スコールは真っ赤なドレスを纏った女性の手を取り、その甲へ恭しく口付けた。
「嬉しいわ、あたくしの力を借りたいと言ってくださって」
「蛇の道は蛇と言いますから」
「まぁ! ホホホ」
 女性は優雅に、そして妖艶に笑う。
 彼女は、通称セレーネ。ティンバーを根城とするフリーの情報屋だ。腕が非常に良く、情報のみならずあらゆる物事を調達してくるという。
「さぁて、では本題に入りましょうか。お話は一通り聞きましたわ、オークションに入り込みたいとか?」
「現場を押さえる事が出来れば一網打尽に出来ますからね」
「恐ろしい方」
 セレーネはくふ、と微笑うと、ドレスの胸元から3枚のカードを取り出した。
「どうぞ。ご所望の『身分』ですわ」
「3枚きりですか」
「ごめんなさいね、『身分』は5枚あるけれど、あたくしの可愛い子達も連れて行きたくて」
 ねぇ? と側に控えている黒スーツの男女を見遣る。
「ご不満かしら?」
「いいえ、有り難く。ミズ・セレーネの護衛として入ることが出来るなら、疑われることもないでしょうから」
 そう言うとスコールは小切手帳を取り出し、金額欄を空白にしたまま差し出した。
「……あら」
 セレーネは意外そうに目を瞬く。
「よろしいの?」
「随分と無理を申しましたので、手間賃と迷惑料を存分にお取り下さい」
 スコールがセレーネへペンを差し出す。
 だが。
「結構よ」
 セレーネは優雅にペンを跳ね退けた。
「ガーデンからは充分に頂きましたもの。その上司令官殿からまでもせしめては、あたくし仕事が出来なくなってよ。
 ……それに」
「それに?」
 スコールが首を傾げると、セレーネは扇子を広げて口許を隠し、にっこりと笑う。
「必ずや、潰して下さるのでしょう? あたくし、それで充分ですの」
「そうでしたね。貴女はそうやって、ご自分の関わった犯罪組織を必ず潰すことに力を注がれている」
「えぇ。ですから『狩人』(セレーネ)と呼ばれるのですわ。悪を射抜く狩人、それがあたくしですの。
 ところで、司令官さん? あなた、お仕事の後はお暇があって?」
 スコールは苦笑し、ひざまずいて深く頭を下げた。
「女神からのお誘いとは身に余る光栄ですが……生憎と、この身は魔に囚われています。汚れた身では女神の御足にすら触れることは叶いますまい?」
「あら、つれない」
 セレーネはくすくす笑っていた。

 スコールの随伴として、会見の様子を眺めていたセルフィは、ホテルを出るなり大仰に自身の両腕を摩ってみせた。
「いいんちょ、きっしょく悪〜い。見てこの鳥肌〜!」
「うるさい、俺だって不気味だったよ我ながら!」
 苦虫を噛み潰してよくよく味わった顔をするスコール。彼は顎をしゃくってセルフィを促し、前線基地へと歩を進める。
「それより、あの廃研究所の情報は?」
「んー、まず悪い方。内部の最新情報は取得不能。あの研究所、放棄されてはいるんだけど売却してないんで登記上はまだ元の製薬会社の物なんだよね。でも管理されてないんで現状は本気で不明」
「良い方は?」
「製薬会社から使ってた当時の見取り図もらってきた。レセプションホールとかあるらしいよ」
「……製薬会社だよな?」
「福利厚生の一環?」
 2人して首を傾げる。まぁそんなことは今どうでも良い。
「それはともかくねぇ、こっちが本命なんだよね」
 セルフィは人の悪い笑みを浮かべると、スコールへ1枚の紙切れを押し付けた。
「今回噛んでる悪い奴らリスト〜!」
「偉い」
 スコールは指先で拍手をし――紙を持っているので掌は打てなかった――、リストを見る。
「因みにソースは?」
「奴らにハッキングをぶちかました」
「そうか、なら裏付けは良いな。
 ……しっかしそうそうたるメンバーだな。絡げ取れたらどれだけガルバディアがすっきりするか」
「でもさぁ、そういう奴ら程すぐ出てくるよね。何かやり損な感じ〜」
「出てこないように画策するのは軍と警察と検事であって俺達じゃない。俺達は現行犯逮捕と出来るなら『商品』の救出だな」
「……だね」
 セルフィの表情がすっと抜け落ちる。彼女は怒りが沸点に到達すると、表情が消えるのだ。
 その通り、セルフィは大変憤っていた。
 トラビアは極寒の季節が1年の大半を占める為、集落のひとつひとつが大きな家族のように互いを労って日を暮らす。特に豊かという訳でもない国だから子供でも労働力となるものの、女子供の身売りなどは決して容認されることのない地だ。そんな地で育ったセルフィだから、彼女は今回の事件については誰よりも腹立たしく思い、積極的に動いていた。
「セルフィ、あんた銃の扱いは?」
「拳銃はBプラスだけど」
「……基準、誰だっけ」
「アーヴィンだねぇ」
 世界トップクラスの狙撃手が基準なら、セルフィの成績は並の軍人より上だろう。そもそも狩猟を得意とするトラビア民だ、無駄玉を打つ悪手ではない。
「潜入チームに入れてくれるの〜?」
「アーヴァインと一緒にな。合図するまで暴れるなよ」
「だーれが」
 セルフィは「意地悪はんちょ」とスコールの足を蹴り、風のように駆けていった。

 そして、夜。
「ようこそ、マダム・ラクシーヌ。お待ちしておりました」
「お招き頂いてありがとう」
 スーツ姿の男が、真っ赤なドレスを纏う女の手を取り口付けた。
「今宵もまた、マダムはお美しい。後ろの方々も気品がある」
「うふふ、そうでしょう? あたくし、綺麗なものが大好きですの」
「しかし先日はお眼鏡に叶うものはなかったようで、失礼を致しました」
「良いのよ、そんな時もあるものですわ。今宵のお品に期待します」
 男は深々と礼をすると、女をホールへと案内する。
 建物の外見は廃研究所そのままの古ぼけたものだったが、内部は完全にリフォームされていてちょっとした屋敷のようになっていた。勿論、ホールに至ってはどこのオペラ劇場だと言いたくなる程のものである。先程まで月のない闇夜にいた身としては、シャンデリアの光が目に痛い。
 女が用意された椅子に座ると、給仕がグラスを差し出した。
「マダム、お飲み物などはいかがですか?」
「ありがとう」
 口当たり柔らかなロゼは彼女に似合うものではなかったが、これから始まることを思えば酔っている場合ではないので妥当なところだろう。
 アーヴァインが細く長く息をついた。
「……ここまでは上々だね」
「油断するな」
 スコールは小さく叱声を飛ばす。
 とは言え、確かに上手く潜入出来た。マダム・ラクシーヌ――セレーネのおかげだ。
「そうですわ、油断こそが時には生命すら奪うものですわよ? でも余裕がなければ気付かぬ内に足元を掬われてしまうもの。ですから疲れてしまわない程度によくよく気を張りなさいな」
 セレーネはゆったりと脚を組み、グラスを傾けた。スリットから零れる脚線美に、目を向けてしまった男達は釘付けになる。セレーネはその視線を愉しむように、にっこりと微笑んだ。すると男達は自身を恥じるように視線を背けてしまう。
 くすくす笑うセレーネの視界に、何か納得のいかない顔をしているセルフィが目に入った。漆黒のスーツを纏う彼女は今、いつもは下ろしたままにしている髪を後ろでひとまとめにしている。セレーネはさりげなく首を傾げ、セルフィを促した。
「……マダム、あたしどうしてもわからないんですけど」
「何かしら」
「マダムはどうして、あたし達に力を貸して下さるんですか?」
 セレーネはゆったりと肩にかけていたストールを少し落とし気味にした。
「あたくしのストールを直す振りをして、背中をご覧なさい」
 セルフィは不可思議に思いながらも、言う通りにストールへ手を触れる。
「…………!」
 何かの焼き印。そして、それを引き裂くように付けられた鉤裂きの傷痕。これ程はっきり残るなんて、よほど酷く傷付けられたに違いない。
「見えまして?」
 セルフィはそっとストールを直し、セレーネから退こうとした。セレーネはさりげない風を装い、セルフィの手を引き留める。
「任務中にミスをしてね、ターゲットの組織に囚われましたの。仲間達に助けられるまではたった数日でしたけれど、焼き印を捺されて散々嬲られましたわ。だからあたくし、こういうときには全力を尽くしますのよ。あたくしが踏み台になってあげますから、しっかりやりなさい、後進さん」
 セレーネは微笑み、そっと手を放した。その笑顔は美しいものだったが、妖艶というよりは、姉が妹に向けるように温かで、上官が部下に向けるように厳しいものであった。
 不意に、弦楽が鳴り止む。セレーネは懐から取り出した懐中時計で時刻を確認した。
「あぁ、時間だわ。『品物』のお披露目が始まるわよ」
 おっとりとセレーネが零すのと同時、楽団が華やかなファンファーレを奏でた。ホールのドアが大きく開け放たれる。
『皆様、大変長らくお待たせ致しました。これより、本日の「品物」をご覧頂きたいと存じます。どうぞご存分にお見定め下さい』
 持ち込まれたのは珍品、珍獣、そして着飾られた少女達。ふらふらとした足元は酷く頼りなく、皆一様に虚ろな表情をしていた。
「可哀相に……」
 恐怖と疲労で抵抗する力もないのだろう。アーヴァインは痛ましさに顔を歪めた。そうしながらもSeeD達は、記憶の中の被害者写真との照合作業を怠らない。流石に名前は適当な偽名になっていたが、わからない筈がない。
『それでは皆様、本日最後にして最高のお品をお目にかけたいと存じます』
 スーツ姿の男が4人、ドアの前に並んだ。その奥から現れたのは、黒いドレスをまとった1人の少女。
 美しい娘だ。漆黒の髪にぬばたまの瞳、抜けるような白い肌はシャンデリアの光を受けて艶やかに光る。彼女がゆっくりと歩を進める度にサテンのドレスが揺らめいて、光が波立つように踊った。
『これなるは「魔女」。人形の様な娘ではございますが、その身に秘められた力は計り知れません』
 ホール中がざわめいた。それはそうだろう、魔女という言葉で身の危険を感じない者はそういない。そして同時に、その全てに魅力を感じない者も。
『……ですが、ご安心下さい。彼女にはオダインバングルという力封じのアイテムを身につけさせておりますし、落札者様へお渡しする前にはきちんと躾を施します……』
 オークショニアが滔々と語る間、少女はあちらこちらへと連れ回される。先の少女達と同じくらい頼りない足取りに、ペンダントやバングルがしゃらしゃら音を立てた。
 少女がセレーネの座する席に近付く。するとスコールは、ふらりと彼女に歩み寄りひざまずいた。
「あら」
 セレーネは目を丸くした。
 スコールは少女の手を取り、頬を擦り寄せる。そして縋り付くように腕を引き寄せると、その滑らかな甲にそっと口付けた。
「貴様、何をしている!」
「離れろ、この……っ」
 スーツの男の1人はスコールを引き離そうと肩を引くがびくともしない。焦れたもう1人がスコールを蹴り倒し、2人はやっと離れ離れになった。
「あらあら、ごめんなさいねぇ。やっぱり若い男の子は女の子の魅力に弱いのね。こんなに意志の弱い子とは思わなくて……」
 セレーネは申し訳なさそうに眉根を寄せる。スーツの男は強く出ることも出来ず、ただ襟を正して「気を付けて下さい」と呟いて立ち去る。
 アーヴァインに肩を借りて立ち上がりながら、スコールは一団を見送り……そして、人の悪そうな笑みを浮かべた。

 誰一人として、彼女と彼が同じバングルを身に付けていると気付かなかった。




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