真新しいSeeD服に身を包み、リノアは扉の前に立っていた。
ここは、ドール執政議会議事堂。
緊張しているリノアの肩を、キスティスがそっと支える。
「リノア、大丈夫よ。私達が一緒だから」
「そうそう、大船……とは言えないけど中船に乗ったつもりくらいで!」
セルフィの軽口に、SeeD達は笑った。リノアもほんのりとした笑みを見せる。
「行くぜ」
ゼルが一声かけると、一同はそれぞれに頷き……彼は扉に手をかけ、押し開いた。
昨日、リノアは会議の準備の為、一度ホテルへ引き取ることになった。リノアは床についたままのスコールを残していくことに気掛かりを覚えたが、そんなことを言っても仕方がない。会場が議会議事堂に移ったことで、警備等の打ち合わせが必要だったからだ。
『聞かれたことにだけ答えれば良い』
別れ際、アドヴァイスを強請られたスコールはそれだけをリノアへ伝えた。
『余計な計算はするだけ無駄だ。聞かれたことだけを素直に返せ。ドールの議長だって馬鹿じゃない。「森の魔女」は昇華したし、リノアの働きだって見てたんだ。前回の俺に対してよりは素直に聞いてくれるだろう』
がちがちに緊張したリノアに、スコールが苦笑していたのをよく覚えている。
リノアは深呼吸して、演説台に立った。
「さて、準備は良いかね?」
「はい」
ドール執政議会長アイゼンの問いに、リノアは凛とした応えを返す。ぴんと伸びた背筋が美しい。
「まずは、名前を」
「リノア・ハーティリー……いえ、リノア・カーウェイです」
「歳は」
「17です。次の3月で18」
「出身は」
「ガルバディア、デリングシティです」
「現在の居住地はバラム、ということで間違いないな?」
「はい、バラム・ガーデンで生活しています」
最初こそ引っ掛かかったものの、リノアはなめらかに答えていく。
――そうだ、怖いことは何もない。ただ真っ直ぐでいれば良いんだ。わたしは独りじゃないんだから!
思えば、リノアはずっとスコールの背中に隠れていた。SeeDに上げられてからもそれは同じ――実を言えば、実戦任務はこれが初めてのものだった。スコールは、時に過保護な程にリノアを大事にしている。
(これじゃいけない、いけないんだ)
魔女と騎士。
一般に、その関係は騎士が魔女を護るものと認識されている。或いは、騎士は魔女に隷属し、生きた盾にされている、とも記している文献もある。
だがリノアには、そんな認識はおかしい、と感じられた。
リノアは魔女、そしてスコールは魔女の騎士。だがリノアは一方的に護られたい訳じゃないし、恩賞やら何やらで隷属させたい訳じゃない。リノアは、スコールを愛したいのだから。愛して、支えて、護ってあげたい。それこそが現代の魔女と騎士のあるべき姿だろうと、リノアは強く信じている。
それに、リノアにはスコールの他にも沢山の友人達がいるのだ。
――そりゃあ、1人でこんなところに立つのは初めてで、緊張しまくって怖じ気付いてはいるけれど。
「さて……」
アイゼンは手を擦り合わせ、そのまま組んで机に置いた。
「そなたが魔女になったのは、大体いつ頃の話かね?」
「第三次大戦終期に近かった頃と存じます。たまたま、レディ・イデア・クレイマーにお会いして、力の継承を受けました」
「そのレディ・クレイマーは現在?」
「バラム・ガーデンで経理や保育の仕事のお手伝いをして頂いています。レディは元々孤児院を経営していらして、その方面にはお強いので」
「軍事訓練等に参加することは?」
「ご冗談を……レディ、いえ、マンマ・イデアは、軍用魔法の使い方のような知識を一切お持ちではありません。彼女がよく知るのはむしろ、傷の手当や、薬草やハーブを使った民間療法の方です。ご存知ですか? 傷口を早く跡形なく治す方法」
周囲から好意的な笑い声が零れた。先日、スコールも同じようなタイミングで冗談を口にしていた。アイゼンも思い出したのか、小さく笑う。
「さて、では……」
その時、アイゼンが会議場の扉を見やった。
「騒がしいな」
「何事でしょうかな」
トラビア共同体のテュルキス代表が、不思議そうに首を傾げた。キスティスが傍らのSeeDへ、様子を見に行くよう指示を出す。指名された少年は頷きを返すと、ドアを薄く開き……硬直した。
「なっ、なん……っ!」
幽霊でも見たかのような顔で、SeeDの少年は誰かを指差した。
「司令官っ!」
「何ですって?!」
会議場はざわめく。
そして――。
「スコール!」
リノアは、驚きの声を上げた。
スコールは、2人のSeeDに支えられて、ゆっくりと会議場へ入ってくる。1人はアーヴァイン・キニアス、もう1人はクリス・マッコール――先の任務で、敵方に囚われ囮にされた彼だ。
「クリス……貴方、スコールを見ていてってあれだけ……」
「す、すみません」
睨み付けるキスティスに、クリスはしゅんと肩を縮こまらせる。
「キスティス、クリスを怒らないでやってくれ。俺が脅して、付き合わせたんだ」
「脅した、ですって?」
「憂さ晴らしに付き合うのと、説教とどちらが良いか」
キスティスは呆れて頭を振った。
「貴方がそんなことするなんて」
「戦略の内だろ」
にやりと笑うスコール。
両脇から支えられ、足を引きずり会議場を進む彼は、傍目には弱々しいことこの上ない。普段なら威厳を糾すべく隙なく着込むSeeD服も、背中の負傷の為ベルトも止められずにいる。だらりと下がったチェーンが、彼の体調を物語るようだった。
「局所麻酔と痛み止めのせいでろくに動いてくれないんだ」
穴を開けるようなキスティスの視線に、スコールは肩を竦める。
突如、テュルキスが立ち上がった。
「いや、申し訳ない! 無理に呼んだばかりに辛い思いをさせてしもうたな」
頭を掻き掻き、テュルキスはスコールの元へ急ぐ。スコールは不思議そうに片眉を上げたが、すぐにテュルキスの思惑に思い至り頭を下げた。
「遅参致しました上にこの体たらく。申し訳ありません」
「いやいや……済まないね、そこまで酷い状態だとは思わなんだ。ささ、座ると良い」
「いえ、このままで。質疑が終わりましたらすぐに退散致しますから……」
実際は、座るにも一苦労どころか痛みも合わさって十苦労以上あるから、なのだがそれは言わない。
テュルキスは大いに頷いた。
「では、早々に終わらせるとしよう。アイゼン議長、宜しいですかな?」
「え、えぇ。構いませんが……」
アイゼンは呆気に取られた。ちらと左右を見れば、実父であるレウァール大統領は嘆かわしげに頭を振り、カーウェイ首相はさもありなんと苦笑している。皆、同じ気持ちなのだ――何故彼はここに来た?
「スコール」
リノアは演説台に縋るようなスコールへ手を貸しながら、咎めの目を向ける。
「ねぇ、何で来たの? あなたを休ませる為に、わたしが来たんじゃない」
「来るなとは誰も言わなかった」
「行間読めないほどおバカな訳? 違うでしょう?」
スコールは苦笑し、肩を竦めた。
「……正直なところ、俺もわからない。ただ、いても立ってもいられなかったんだ。テレビ局に突っ込んだサイファーの気持ちがよーくわかった。わかりたくなかったけど」
訳知りの「兄弟」達は、笑う者あり、呆れる者あり。あの時失態を冒したゼルだけ、苦虫をよくよく味わっている。
スコールは演説台に両手を突くと、気負いなく真っ直ぐに
そうしてみると、何と見目好い青年であろうか。
さらりと額にかかる鳶色の髪は、光に透けて金の色彩を帯びている。美しい蒼銀の瞳は力強く、人を射抜かんばかりの光を宿している。どこか怯えたようだった最初とは、受ける印象が全く違っていた。
スコールは少しばかり逡巡し、口を開いた。
「……ここに来るまで、いろいろと考えていました。何を話せば良いのか、どう話せばわかってもらえるか……結局、何一つまとまらなくて……」
スコールは一瞬、言葉を詰まらせ目を閉じた。しかしすぐに、意を決して毅然と顔を上げる。
「だから、洗いざらい、全て話してしまおうと思います。勿論、皆さんからのご質問にも、全てお答えしたいと思います」
皆が、スコールに視線を集めていた。固唾を呑んで、彼を見守っていた。 スコールは、ぐるりと場内を見回した。
「……まずは、改めて。自分、は……『俺は』、スコール・レオンハート、といいます。……あ、通称で失礼します。正式な名前はあるんですが、名乗るとちょっと、これからの業務に障りがあるかもしれないので」
議員達は納得したようなしないような顔をする。スコールは全く気にせず、息をついて……。
「どういう巡り会わせだか、俺の半生は『魔女』と呼ばれる人が多く関わっています。
1人目は、俺の義理の姉です。仮に、『エル』、と呼んでおきます。当時、エスタとガルバディアは戦争中で、彼女の両親はエスタの襲撃で亡くなっています。その後、彼女は親戚である俺の母に引き取られ、養子となりました。それから2年くらい経って、うちの両親が結婚することになったんですが……エスタの誰かが、エルが生まれつき持っていた特別な能力に目を付けたらしくて、エルはエスタに連れ去られて……話が、うやむやになってしまって。結局、エルは何とか帰ってきたんですが、エルを探して旅に出た父が帰ってこなくて……俺達2人は、セントラの孤児院に行きました」
アイゼンが軽く手を挙げた。
「待ちたまえ、お母上はどうなさったか?」
「母は俺を産んでひと月程で亡くなったそうです。エルは5歳か6歳で育てられないし、村の人にも余裕なんてなかった。だから俺達は、『石の家』という孤児院に預けられたんです。父が母を見取れなかったことをエルはとても悔やんだそうで、これが後々騒動を引き起こすんですが、それは後でお話します」
スコールは小さく息をつき、水の入ったコップを手に取った。舌先にほんの僅か水をつけ、唇を湿らせる。
「『石の家』は院長のミスタ・シド・クレイマーと奥さんが夫婦で経営している孤児院で、俺達はお2人を『院長先生』『ママ先生』と呼んでいました。ママ先生の名前は、『イデア』といいます。――俺が知る、2人目の魔女です。彼女はとても優しい人で、俺達を実の子供のように可愛がってくれました。実際、俺は彼女のことを、実の母だと思っていました。……エルが、いなくなるまでは。
孤児院に入ったからといって追っ手がなくなった訳ではなかったし、後から聞いたんですが、ママ先生はこの時から頭がザワザワするような、もやもやするような、そんな感触に悩まされていたそうです。だから彼女は、エルを匿う為に船を用意したんです。俺は精神的に不安定なところがあって、いつもエルにくっついていたんで、いなくなった時はかなりきつかった。一度、探しに行こうとしたことがあります。当時俺は4歳で……あれは、本当に辛かった、です。それから暫くして、ママ先生がいなくなりました。そして俺が5歳になった頃、ミスタ・クレイマーが学園長となるバラム・ガーデンが開校し、俺はそこに入学しました。それから、12経って……まぁ、こんな感じ、ですね」
スコールがおどけて手をひらめかせる。笑う者はない。笑える者は、この場にはいない。
「……それで?」
テュルキスが続きを促す。
「それで……そうですね……俺は単位や健康上の問題で、他の人よりも候補生になるのが遅かったんですが、今年になって漸く、SeeD試験を受けることになりました。派遣先はドールで、ガルバディア軍の侵攻を防ぐのが試験でした。これは電波塔を常時使える状態にしておく、ということでガ軍が撤退したことは皆さんご承知の通りだと思います。それからの情勢はむしろ、皆さんの方がお詳しいでしょうから省くとして……これから話すのは、ほぼ裏方の話、ですね」
スコールはこほんと咳払いをした。
「俺は同期の2人と共に、ある任務に就きました。ティンバーのとある組織の手伝いをしてこいというもので……ですがその遂行中に合流したSeeDから、別の任務を言い渡されました。バラムとガルバディア、両ガーデンの共同任務で、内容は……魔女の、暗殺」
ちらと視線を向けると、リノアはきゅっと唇を噛み締めていた。
「結果はご存知の通り、失敗でした。後に彼女の主導でトラビア・ガーデンがミサイルを受け、占領されたガルバディア・ガーデンとバラム・ガーデンが対峙することになって……俺達は何とか、魔女イデアを無力化することが出来ました」
「倒した……訳ではないのかね」
「倒してはいません。倒せる訳がない。だって、知っていたから――魔女イデアは、ママ先生だ、って……。
……最初、俺達は気付かなかった。あまりにも変わっていて、彼女だとは気付けなくて……気付かせてくれた奴がいなかったら、俺は、多分、何の感動もなく事を成したに違いない、です。そうならなくて良かった。俺達は何とか彼女を取り戻すことが出来ました。でも、代わりに失った物、失いかけた物は、多い……。リノアが、意識不明になって……原因がわからなくて、何か情報はないかと、俺達は『石の家』に戻ったイデアを訪ねました。『憑き物の落ちたような』という表現がありますけど、本当に、そんな感じで。彼女は俺達に、持てる限りの情報を下さいました。でも俄かには信じられない話ばかりでした。
未来の魔女、アルティミシア。
アルティミシアはイデアの意識を乗っ取り、エルを探していたという。アルティミシアは、エルの持つ不思議な力――ある人の意識を、別の誰かの過去に『接続』する力を欲しがっていた」
「待ちたまい、騎士殿。ちとわからんのだがの、そのエル嬢が持つという『不思議な力』とやらは一体何なのかね?」
テュルキスの問いに、スコールは困った顔をする。
「……何と言えばわかりやすいか……G.F.のジャンクション、みたいな感じ……と言って、おわかりになられますか? それが、現在と現在ではなく、現在と過去が繋がる、という」
「ふむ、わかったようなわからぬような……む? 今、『未来の魔女』、と言うたの?」
「はい」
「エル嬢の能力は現在から過去への『ジャンクション』、ということだが、まさか、それがアルティミシアとやらにもにも出来る、ということかね?」
「ジャンクション・マシーン、というものが未来には完成しているようで……それをしでかしたのは、現在のエスタの奇才、オダイン博士です。彼は、かつてエルを自身の研究所に連れ込んだ際、エルの脳神経パルスの解析をし、それを機械化したとのことです。未来から見れば、現在は『過去』にあたりますから、ジャンクション・マシーンはその威力を発揮できます」
「そのアルティミシアが、過去に侵攻してきたその理由は?」
「『時間圧縮』」
スコールの発したそれが、場に浸透するまでは少しかかった。
その言葉を知り、また理解している者は、極度に少ない。現に、この場にいる者でかけらでも理解していると言える者は、たった6人しかいないのだ。
「アルティミシアの干渉を恐れたイデアは、俺達に護衛を頼んで、エスタへ向かいました。いろいろ……あって、リノアも何とか目を覚ましてくれました。その代わりにわかったのは、リノアがアルティミシアの干渉を受けていた、ということでした。ずっと後になって聞かされたとき、俺は本当に呆れた。何やってるんだって、皆どれだけ心配したかわかってるのかって……でも話聞いたら怒れなかった。リノアはアルティミシアの時間圧縮を阻止したくて、だから、独りで押さえ込んでたんだって……」
スコールは俯く。
「魔女の力は死を厭う。
演説台に置かれた手は、真っ白になる程に強く握られていた。リノアは心配そうにスコールの背を撫でる。
「……すみません。この部分はとてもプライベートな話なので、少し飛ばします。えぇと、そうだ、皆さん、17年前の『エスタの沈黙』はご存知ですよね? 当時、エスタは魔女アデルに支配されていた。そのアデル主導の所謂『女の子狩り』で俺の義姉は連れ去られ、ある男性がエスタに乗り込みました。現大統領、ラグナ・レウァール氏です。エスタに問えば、彼の最初の功績は、アデルの追放だそうです。追放されたアデルは特殊な技術でパッキングされ、宇宙に打ち上げられ監視を続けられていたそうですが、それが不運にも『月の涙』に巻き込まれ、地上に落ちてきました」
リノアの手がぎくりと強張った。それを感じたスコールは、労りの視線を向ける。リノアは気丈にも微笑んでみせた。
「アデルは復活しつつありました。アルティミシアがリノアを解放したのは、リノアよりも強力な魔女であるアデルの方がよほど使えると判断したからでしょう。それでも、アデルが使えなければ、アルティミシアはまたリノアを狙うかもしれなかった。リノアを脅かすアルティミシアを倒したい、俺達は皆そう思ってた。
ちょうどその時、大統領から作戦付きの依頼が入ったんです。何というか……何とも言いようのない無茶な作戦でした。未来の魔女に手が出せないなら、未来へ行ってしまえば良い。乱暴ですが要約するとこれが全てです。大統領は、要するにに時間圧縮を――過去と、現在と、未来を全てごちゃまぜにして、途方もない膨大な時間をただ『一瞬』にまとめてしまう、そんな魔法をあえて発動させろという。確かに、それしか俺達がアルティミシアに対峙する方法がなかった。そしてそれを確実にする為には、俺達がいるこの現在よりももっと前の時点から巻き込まれる必要があって、その為にはエルの力が不可欠でした。だから俺達は、手下を使ってエルを捕らえていたアデルと――後から考えると、これは、中身はアルティミシアだったのかな?――戦いました。
結果、リノアが継承を受け、アルティミシアが動き出す前にエルがリノアごと過去のアデルに送り込、んで……あぁ、そうか、そういうことか。アデルが世界各地から女の子を集めたのは、アデルに接続したアルティミシアが、エルを探す為か。いや、これは今関係ない……えぇと、すみません、脱線しました。ともかく、アルティミシアはリノアごとかつてのアデルに『接続』され、確実に俺達は、時間圧縮に巻き込まれることになった」
リノアはスコールを見た。今どんな顔をしているのか、無性に気になったのだ。
スコールの横顔は、一見、平静に見えた。だがリノアは異変に気付く。
(汗掻いてる……?)
額に、玉の汗が浮いている。それによくよく観察してみれば、スコールは僅かだが前屈みになっていた。リノアの手の高さが、最初の頃より下に下がっている。
考えれば当たり前に過ぎる話だ。スコールは重傷の身をおしてここにいる。鎮痛剤が、麻酔が切れてしまえばその身を立たせることすら叶わないはずなのだ。
リノアは、看護士がスコールの手当てをするところを見ていた。まるで爆ぜた柘榴のような傷口の有様が、目に焼き付いている。散弾を身に受け、それでも傷が浅かったのは、リノアが魔力を注ぎ、体内でケアルを精製し内側から傷を塞ぐなどという暴挙に出たからだ。勿論、リノアだって無茶なことをしたとはわかっている。現に、スコールの身体はそのエネルギーの強さに耐え切れず、魔力を込めて身代わりに仕立て上げたブレスレットが消滅している。それでもそうしたのは、何が何でも彼を失いたくなかったからで、決してこんな無茶をさせる為ではない。
「どうした? リノア」
その手に力が篭ったことに気付き、スコールは心配そうにリノアを見た。
「辛いのか? 外に出てても良いぞ?」
「……ううん、大丈夫。だって、わたし達のことだもん。スコールが言ったんじゃない、自分達のことを他人に決められたくないって。ほら、アルティミシアのこと話すんでしょ? 時間圧縮に巻き込まれて、それからどうしたの」
「え? あぁ、えぇと、そうだった……時間圧縮に巻き込まれて、俺達は『未来』に向かって突き進み、何とかアルティミシアの城に辿り着きました。アルティミシア――俺の知る、最後の魔女。彼女が何を思って時間圧縮を仕掛けたのか、それは詳しくは知りません。彼女がイデアの口を通して語ったのは、魔女から見た人間のひどい姿でした。同じ人間なのに、ただ魔女だというだけで悪し様に言われ、追いやられる。ならその通りに振る舞ってやろう――そういう、宣言でした。『未来』で対峙した彼女は、ただ哀しいだけの人だった。時間圧縮世界では、魔女の庇護なしではどんなものの存在も保証されない。俺達がそんな世界で何とかアルティミシアを倒せたのは、リノアの力と、……多分、アルティミシア自身が望んだからだ、と思います」
「望んだ? あの魔女が?」
ガルバディアを余計な騒乱に巻き込んでくれたイデア=アルティミシアの存在を苦々しく思っていたカーウェイが、驚きに目を丸くする。
スコールは静かに頷いた。
「アルティミシア『そのもの』はどうだか知りませんが、少なくとも宿主は……。
アルティミシア――いえ、『ミシュア』という少女は、瀕死の状態で俺達に呼びかけてきました。『目覚めし庭園の使者よ、この身を滅し、ハインを止めろ』……そう、頼まれました」
「『ハイン』? 魔法のハインのことかね」
「そのようです。ミシュアは、止められなかったハインを、自分ごと滅ぼせと、そう言ったんです。だから……」
「ふむ、君達は果たして、見事成し遂げた訳だ。魔女君共々、幼いながらあっぱれよな!」
テュルキスが手を叩く。それは、瞬く間に議場いっぱいに広まっていった。リノアは人知れず唇を噛む。
「違う!」
スコールはヒステリックに声を上げた。
「違う、違うんだ! 俺は、褒められるようなことはしてない! 英雄なんかじゃない、俺は……」
スコールは言葉を詰まらせる。だがそれも一瞬のこと。
「……俺は、ただの、人殺しだ!!」
彼は、絞り出すように叫んだ。
「そうしなきゃいけなかった? それしか彼女を救う方法がなかった? 嘘だ、俺はただ何も考えず、『そうしてくれ』と言われから、って剣を振り下ろしただけだ。彼女の気持ちも何も考えず、ただ、俺は」
「もうやめろ、スコール!!」
ラグナが凄まじい勢いで立ち上がり、
(……何て顔してるんだ)
何であんた、そんなに痛そうな顔をしてるんだ――? ひどく叱られた子供の気分で、スコールは俯いた。ゆっくりと、呼吸を数える。
長い、沈黙。
「…………実を言うと、最初は、何も話さないでいようと思っていたんです。どうせ話しても信じてもらえない、だったら相手が聞きたいことだけ答えよう、って。自分でも、何も知らない状態でこんなこと話されたら、頭おかしいんじゃないかって疑いそうな話だし……俺が、狂人だって思われたら、リノアはどうなるんだろうって考えたら、怖くて怖くて……だから、何も話さないでおこう、そう思ってました。
……でも、俺が黙ってしまうことで、また同じことが繰り返されたら? 人々の無知から徒に魔女が迫害され、世界への絶望が生まれたら? それを思ったら、黙ってる方が怖くなりました」
とつとつと話すスコール。漸く上げられたその瞳は、露を含んであどけなく一同を見上げている。
「西の大陸の殆どが『神聖ドール帝国』と呼ばれていた頃、その帝国に因って国を逐われ、遠い地で果てた1人の魔女のことを、誰かご存知ですか? 東の大陸で力を振るった魔女アデル、彼女が魔女になる前はどんな人だったのか、知っている方はいますか? 俺達を育ててくれたマンマ、イデア・クレイマーが、俺達に、もしものときは……こ、殺せ、って、そう言った時の気持ちを想像出来ますか? 『時間圧縮』に体を使われたくないと、誰かに恐れられる前に、嫌われる前にいなくなりたいと封印される道を選ぼうとしたリノアの気持ちを、ちょっとでも考えてみたことありますか?!」
その悲痛な声が、議場に反響する。
「……皆さんに、お願いがあるんです。偏見で、彼女達を虐めるのをやめて下さい。今、それを止められないのなら、その偏見をなくす努力をして下さい。そうでないなら、お願いですから放っておいて下さい……!
俺達は、何もしません。何も、出来ないんです……そんな力無いし、望んでないから……望むのはただ、他の人と同じ、当たり前の、静かな生活だけなんです。それだけなんです。だから、お願いします。どうかそっとしておいて下さい……」
スコールは俯く。或いは、大人達に頭を下げたのか。
ぽつり、と演説台に雫が滴った。
思えば、子供にとって世界とは何と理不尽なことか。彼が必死に主張した所で、大人達が「駄目だ」と言えば彼は従わざるを得ない。そういう立場だからだ。
さぁ、誰だ。誰がこの子に世界の冷酷さを突き付けるのだ?
――少なくとも自分には無理だ、とアイゼンは思う。ただただ愛を乞う子供を、無為に叩くは忍びない。
トラビアのテュルキス代表は、そもそも「魔女の騎士」という存在に同情的だった。
ガルバディアのカーウェイ首相にとっては、ご令嬢に関わることだ。積極的に擁護はしないだろうが、さりとて冷酷にもなれまい。
エスタのレウァール大統領に至っては、息子を哀しみに堕とすのは本意でないだろう。先日の行動を見るにつけても、彼は息子を痛め付けるよりはむしろ辞職を選ぼう。
結局の所、この場にいる者達には、そんなことは逆立ちしたって出来やしないのだ。敵視していた筈の自分ですら情が湧いてしまったのだから。
沈黙が、痛々しい。
立ち上がったまま固まっていたラグナは、息子の様子を訝んだ。
――嫌な予感がする。
ラグナは速足で段を駆け上がり、スコールを覗き込んだ。
「……リノア、腕引いて支えてくれ」
「はっ、はいっ」
ラグナはそっとスコールの肩に手を触れた。ほんの僅か指先が触れた、と思ったら、少年の身体は容易く父の腕の中に崩折れてしまう。リノアは慌てて力を込め、案外と重いその身体をラグナの膝にゆっくりと預けた。
「誰でも良い、医務室からケット貰って来てくれ。後、救急車な」
言いながら、ラグナはスコールの上着に手を差し入れた。スコールの身体が小さく跳ねる。
「ひでぇな……ったく、傷も閉じてないのにこんな身体痛め付けて何になる?」
スコールの目から、ほろりと涙が流れた。ラグナは微かに舌打ちし、渋面を作る。
「何で自分のこと大事にしないかねぇ、ウチの息子さんは。痛くて泣くくらいなら、無理すんなっつの」
ラグナは自らのシャツの袖で、そぅっとスコールの目許を拭った。そこに不満の色が垣間見え、ラグナは小さく微笑う。
「……わかってるよ。お前が痛くて痛くてしょうがないのは、こっち、だろ?」
柔らかく胸を叩くラグナ。図星だったのだろう、スコールはちらとラグナを見、目を伏せた。
「……スコール、勘違いするな。言っとくけどそれはな、お前の負うべきモンじゃない。オレのだ。オレの……咎だ」
「……?」
「確かに、お前が奪った生命の重み、ってヤツは、お前が覚えておくべきものだと思う。けどな、それで自分を責めるのは、ましてや痛め付けるのはゴモン違いってヤツだぜ」
「……『お門違い』だろ」
「ん? そうとも言うな」
ラグナは小さく笑い、SeeDの1人が差し出した毛布にスコールを包む。
「もう良い、休め。お前が罪だと思ってるモンはお前のじゃない。お前に何もかんも押し付けて、見ないフリ知らないフリしようとしてたオレの罪だ。責められるべきは、オレだ。オレなんだ」
だから休め、そう言われて目を閉じさせられたスコールは、この自分に良く似た強情な父に盛大な溜息をついてから意識を手放すことにしたのだった。