不意を打てたのは良かった、とスコールは思った。先制出来るかどうかというのは、生存率に密接に関わってくる。
 ましてや今なら尚更だ――護らなければいけない者が多過ぎる!
 スコールはほんの一瞬瞑目すると、戦いの口火を切った。


騎士の矜持

Act.5 約束


 最初に飛び込んで来た男は肩を撃たれて蹲る。その後ろから黒い筒が放たれた。スコールは咄嗟に目を覆い、傍らにいたラグナの頭を抱え込む。
「伏せろ!」
 カァッと強い光が辺りを席巻する。予想通り、閃光弾らしい。呻く声がいくつか聞こえてくる。戦える状態にある者は殆どいないと覚悟しなくてはいけない。スコールは祈るように拳銃を構えた。
 武芸百般というには程遠いが、ガーデンで訓練されるSeeD達はそれなりに様々な得物を使いこなす。スコールとてそうだ。だがやはり、慣れた相棒以外を実際に使うのは心許ない。
(ガンブレード、持ってきてもらうべきだったな……)
 ちゃら、とブレスレットが音を立てる。それを合図に、スコールは立て続けに引き金を引いた。目を閉じていても光に刺された視界はかなり悪くなっており、気配と勘だけで撃ち込まざるを得ない。
「……っの!」
 全弾を撃ち尽くし、手探りで換えのマガジンを探す。が、そこで思い出した――リノアから分捕ったのは本体の拳銃だけだ。スコールは舌打ちしてラグナに空の銃を押しつけた。突然のことにあわあわとお手玉するラグナの頭を乱暴に下げさせ、スコールはネクタイを引き抜く。上手く立ち回れば、捕縛術の応用で何とか出来る。
「スコール」
「ラグナ、出てくるなよ。皆が降りたら、あんたもさっさと降りろ!」
 スコールはわざと足を踏み鳴らし、机に飛び乗った。
「誰だ?!」
 黒尽くめの格好をした覆面の男が、スコールにライフルを向けた。
「さぁ、誰だろうな?」
 スコールはおどけて首を傾げると、ライフルの弾道を計算し、その場を飛び退る。
 派手な音を立てて木が爆ぜた。2度、3度。
(下手くそどもめ)
 飛び回って銃弾を回避しながら、スコールは胸の内で舌を出した。良く見ると、銃身を上手く目標に定められない者達も混じっているようだ。どうやら、武器の扱いは付け焼刃らしい。おまけに、武器はライフルにブレード、拳銃とバラバラだ。スコールはブレードを持った覆面の首にネクタイを巻き付け、引き倒してブレードを奪った。
(これ、ガルバディア軍で制式採用されてる武器だな……あぁ、そうか。奴らか!)
 思い出した。
 少し前、リノア・アーヴァイン・サイファーの3人をSeeDに上げた時の認定試験は、確かガルバディア軍からの依頼だった。ティンバー駐屯部隊への物資輸送を護衛するものだったが、その時の相手はドールに集う過激派だった。奴らが使っているのは、その前の襲撃の際に分捕った武器だろう。
 SeeD達がスコールの援護を開始した。プロテスの光がまといつき、流し切れなかった打撃の痛みを緩和する。
(有り難いっ)
 火花が散る。重い衝撃だが、ガンブレードよりは軽く、扱うはたやすい。スコールはブレードを寝かせて攻撃を受け流すと、その相手の腹を蹴り飛ばした。壁に叩き付けられた覆面は、ずるずると滑り落ちて動かなくなる。
(2人目!)
 視界にちらと誰かの姿が見えた。推測される身長の割に豪快な投げは、恐らくセルフィ。これで、3人。
 4人目をダウンさせたのは、新米の少年だった。キスティスが電撃を喰らわせた大柄な男を、急所を突いて堅実に倒す。
「スコール、下がって!」
 リノアの声に、スコールはバックステップを踏む。瞬間、青白い光が視界を切り裂いた。指向性でもあるのか、雷の鞭は蛇のようにのたくった。
「うわぁっ!」
 不様に転がった細身の男は、聞いた声をしていた。
 ぞっとするスコール。覆面を乱暴に剥ぐと、後輩の怯えた顔が目に飛び込んできた。
「……クリス……?」
 満足に驚く間もなく、スコールは直感に従って少年の首根っこを引っこ抜いた。それまで少年がへたり込んでいた床が小さく弾ける。射手はちっと舌打ちをする。
 少年はがたがたと震え、スコールの背を見上げていた。
「し、しれいかっ……ごめんなさい……!」
「後で説教だ! 下がってろ」
 スコールが後ろも見ずにがなると、キスティスがクリスの腕を取り、リノアの創る結界の範囲へ引き込む。
「随分と姑息な手を使う……!」
 スコールは歯噛みした。
 戦況は微妙な均衡を保っている。覆面達は寄せ集めの集団である為か、戦闘技術ははっきり言ってひどい。だが、数が多いし場数を踏んでいる様子だ。対して、こちらは練度は高いが殆どが新米――つまり、今回が初陣の者ばかり。五分五分とは言い切れない。
(何とかして……何とかして、時間を稼がないと!)
 議員達は殆どが降りた。残りはラグナ達4人と、SeeDだけだ。 ラグナが声を張った。
「キスティス、子供達を降ろせ!」
「大統領?! ですが……」
「良いから早くしろ! ガキが大人よか後で避難する道理なんてねぇんだよっ!」
 いつの間にマガジンを装填したのか、ラグナは不意に立ち上がって銃弾を叩き付ける。スコールは気付いた――ラグナは、スコールを下がらせようとしている。
 スコールはブレードを逆手に持ち替えると、槍投げの要領でぶん投げた。隙を作る為の威嚇とはいえ充分過ぎる程に勢いがついたそれに、逃げ惑う覆面の姿が僅かに映る。
 その中に、黒光りする銃口が見えた。
「っ?!」
 息を呑んだスコールは、それを探して視線を巡らせる。狙われているのは誰だ? 俺か? しかし、微妙に照準がズレている。となれば、狙っているのはスコールの後ろ。背後にいるのは、ラグナだ!
(よせ)
 スコールは、焦った。向けられた銃口は大径口の散弾銃だ。
(やめてくれ)
 散弾銃は普通、大型動物を対象にした狩りに使うものだ。あんなもの、人間が受けたら。
「やめろぉっ!」
 スコールは絶叫した。
 なりふりなど構っていられなかった。
 もう誰もなくしたくない――その思いだけに突き動かされ、スコールはラグナに飛び付こうと振り返った。
 だが。

   だ め 。 い か せ な い 。

 ぶわりと、生暖かい突風が吹いた。有り得ない方向からだ、とスコールはぼんやり思う。脚がその場に留まってしまう。突風に煽られた身体は、自分1人を支えるのが精一杯で、とてもじゃないが床を蹴るのは無理だった。
 背中から腹に、灼熱が駆けた。ぱっと散った紅い飛沫。それが、己のものだとは俄かに信じられなかった。
 下肢から力が抜ける。膝がかくんと折れる。スコールは驚きに目を丸くしたまま、ラグナの腕に受け止められた。
 ラグナは、何か叫んでいる。だがスコールには、それよりももっと気掛かりなことがあった。
(リノア)
 ぽかんと惚けていた恋人の顔に、見る間に悲しみと怒りと憎しみが満ちていく。
(駄目だ、リノア)
 リノアは、両手で耳を塞ぐように髪を掴んで絶叫した。その瞬間、どこからか高らかな嗤い声がこだまする。

   あ ぁ 、 や っ と て に い れ た 。 こ れ で あ な た は わ た し の も の !

 勝鬨の、声だった。スコールは歯噛みする。このままでは、奴の思惑通りになってしまう。
「……っ、ァ」
 このままではいけない、止めなくては。だが上手く声が出ない。身体に力が入らない。
「……っ、ぇ、だ」
「動くな、スコール!」
 押し止めようとするラグナの腕を、渾身の力で払い退ける。
「ぃ、ァ」
 リノアはふらりと歩き出した。だんだんと速度を増していく。いけない、あのままではリノアは。
(リノア、駄目だ。人であることをやめるな……!)
 止めないと。留めないと。彼女が望むのは、平穏な幸福だけなのだから――!
 スコールは手を伸ばす。細い腕を掴めば、トップスピードに乗った彼女に引きずられる。リノアは重くなった半身に気を取られてたたらを踏んだ。その隙に、スコールは彼女の背に覆い被さる。
「う、ううぅうぅ」
 リノアはもがいた。
「ぁ……く、そ……く……」
 約束。
 2人の約束を、今、果たす。
(止めてやる、何が何でも。お前を、ひとでなしになんてさせない……!)
 誰かの為に手を汚したのは俺だけで良い。お前が俺の為に手を汚すことなんてない。絶対的に清らかであれとは言わない。だけど笑っていてくれ、俺の傍で。あの笑顔を、自分で曇らせないでくれ!
 スコールは力いっぱいリノアを抱き締める。
 そして。
サンダガ
 最早声は出なかった。しかし彼は、己の意図の成功を知る。
「きゃあぁぁー―っ!!」
 リノアが悲鳴を上げ、のけ反った。痛い筈だ。苦しい筈だ。だがスコールは彼女を抱き締めたまま、3度雷撃を喰らわせた。その度にリノアの細い身体はびくりびくりと四肢を突っ張らせる。
 リノアががくりと膝を突く。その背を抱いていたスコールは、重力に従いずるりと彼女の肩を滑り落ちた。力無く床に横たわり、動かない。
 リノアは強く自分の頭を振り、ぎっと魔弾の射手を睨み付けた。右手が上がる。
「リノア、よ」
「スリプル!」
 蒼褪めたラグナが止せ、と言う前に、リノアは魔法でもって強制的に眠らせた。ぐらりとその身が傾ぎ、地に臥しかける。それを無理に引っ張り上げたのは、ドール歩兵隊だった。漸く救援が到着したのだ。
 歩兵隊は外のSeeD達と合流し、ここまで来たらしい。予定通り挟み撃ちに出来たSeeDと歩兵隊は、あっという間に覆面集を取り押さえていく。
 ……誰もが、遅すぎると思った。後もう一歩早ければ、喪われずに済んだものがあったのに。
「リノア……」
 左腕を胸に固め、拳銃を手にしたアーヴァインが、俯いたリノアへ歩み寄った。リノアはスコールを仰向かせ、膝に抱いていた。楽観的なことを言うには、床の染みが大き過ぎた。
(……スコール)
 彼は、穏やかな顔をしている。幼子のように薄く唇を開いた、何の心配もしていない顔。その髪を、リノアはそっと撫で付けた。
「……満足、なの?」
 リノアがぽつりと呟く。
「これで、満足なの?」
「リノア……?」
「結局、あなたがしたことも同じじゃないの。あなたが味わった思いを、わたしがしただけじゃないの。ただあなたは、同じことしただけじゃない。魔女だからって奪われたものを、同じように、同じやり方でわたしから、『現代の魔女』から奪っただけじゃない!」
 リノアは、中空を睨み付けた。
「あなたがやったのは、ただの八つ当たりよ! 満足した? 『未来の魔女』(わたし)から騎士を奪い取って! もう二度と、永久に取り戻せない方法で取り上げて! 満足なんてしたの? 答えなさいよ、『森の魔女』! スコールを……わたしの騎士を、返してよぉー―っ!」
 泣きじゃくる彼女を慰められる者は、ここにはいなかった。

 ふと気付くと、暗闇の中に立っていた。
(ここは……?)
 湿った土の匂いがする。湿潤な緑の匂いがする。嫌いじゃないな、とスコールは思った。
 しかし、一体どういう場所なのだろう? 暗闇を見通すことも出来ず、スコールはゆっくりと歩き出した。
(まるで、『あの時』みたいだ)
 誰もおらず、何もない――その様は、時間圧縮世界から帰還する際にスコールが紛れ込んだ“時の最果て”を思い起こさせた。
 スコールは歩く。歩いてゆく。あの時のように、ひたすら、歩き続ける。
 やがて、清浄な水の匂いがスコールの元へ届いた。次いで、微かな人の声。
(泣いてるのか……?)
 スコールは何となく胸を塞がれた気分になった。別人だとわかっているのにリノアが泣いているようで。
 弱々しい月の光が、泉の辺(ほとり)に座り込む女性を照らしていた。泉の縁から小さな波紋が広がる。絶えず零れ落ちる雫が、それを創り出しているらしかった。
『何故……』
 女性は、哀しみに満ちた声で呟いた。
 スコールはどうした、と声をかけようと手を伸ばした。だが、するりと肩を擦り抜けてしまい、目的を達成することが出来ない。
 あぁ、とスコールは気が付いた。この女性は、既にこの世の人ではない。声はすれど、気配がないのだ。だから自分は、彼女が声をあげるまで気付かなかったのだ。
 女性はスコールに気付かず、ほろほろと涙を零し続ける。
『何故、私を裏切ったのですか』
 わたしのきしさま、と彼女は続けた。その言い方に、スコールは聞き覚えがあった。
(そうか、この人だったのか。俺を呼び続けていたのは)
 それは、随分と前から聞いていた声。仮称「森の魔女」の声。とすれば、ここはあのセントラの森か。決戦前の最後の野営地として選び、スコールが「魅入られ」たあの森か。
『あれ程私を慈しんで下さったあの手は、嘘だったのですか……?』
 スコールは想像する。この魔女は、心の底から慕った騎士の裏切りに因って、死を押し付けられたのだろう。他人事ながら無性に悔しくて、スコールは唇を噛んだ。
 かしゃん、と背後から何かが聞こえた。スコールははっと身構え、振り返る。丸腰でも、今彼女を護ってやれるのは自分だけなのだから。せめて心行くまで、静かに嘆かせてやりたかった。
 光が生まれる。それは瞬く間に成熟した男の姿を象った。中世の騎士のような格好をした男は、苦渋に満ちた顔で女性を見つめていた。
 女性はしかし、背後の男に気付かない。男はふと、スコールへ視線を向けた。
『すまない』
「…………」
 スコールは何者かわからない男を睨んだ。男は、また女性へ視線を落とす。
『死して尚、想いを伝える方法があったなら……そなたをここまで苦しませずに済んだろうに……』
 スコールは気付いた。この声にも、聞き覚えがあった。幾度も「振り向け」と彼を呼んだ声だ。男のような、女のような――そう感じた声だったが、何のことはない、2人が同時に呼んだタイミングのものだけがスコールに聞こえていたらしかった。魔女は裏切ることのない騎士を手に入れる為に、男は危機を警告して彼女を止める為に。
「……あんた、騎士なのか? この魔女の」
『騎士……と呼べたかどうか』
 男は苦笑した。
『しかし、そうだな……フィリアの、その娘の夫ではあったつもりなのだが。騎士と呼べる程に妻を護れたかどうかは、定かではない』
 最期には、奪われてしまったから。そう零し、男は俯いた。
『我々は、元々はこの地の――セントラの者ではない。戦禍に追われて、遥か神聖ドール帝国の手からこの地へ逃れてきた。故国が帝国に亡ぼされるしかなかったことが悔しくてね、善かれと思い人々を護る為に起ったのだが……多勢に無勢だった。あれは悲しんだよ。あれは、確かに魔女だ……しかし、人を癒す為の術しか持たなかった。戦う為の術は、なかったのだよ』
「…………」
『我々は、故国の生き残りを連れてセントラの地へ来た。この地は辺境だった為か、戦禍は遠かった。たたずまいだけでなく人々の心根も美しい村で、皆、快く我々を受け入れてくれた。あれも、戦いと関係なく薬を創り、人を癒すことに生き甲斐を見出だしていた。久方振りの、穏やかな暮らしだった。当たり前のように手を取り合い仲良く暮らしていたのだ。――あの日、まで』
「……あの日」
 スコールは思い出す。確か、幻聴の中で魔女自身そう言っていた。

   (それがあの日、脆く崩れた)

『帝国の、皇帝親征軍がこの地にやってきた。セントラの王をどう丸め込んだのかは、わたしは知らない。わかっているのは、彼奴(きゃつ)らがあれの命を奪いにわざわざ辺境と蔑む地へ来た。それだけだ』
 騎士は哀しみ呆れて頭を振った。
『身内が射られても、斬られても、村の者達は我々をぎりぎりまで匿ってくれた。だが、わたしの不注意であれを混乱の中に見失ってしまったのだ。我々は、そういう時の為に、約束をしていた。もしはぐれたら、森の奥に見付けた泉まで逃げてくれ、わたしもすぐに行くから――その約束が、結果的に仇となってしまった……わたしが駆け付けた時には、あれは、もう…………あの時、手を放さなければ、とわたしは今でも思う』
 想像して余りある結末に、スコールは泣きそうになるのをぐっと堪えた。
 時間圧縮が解けるその瞬間のことを思い出す。友を見失い、約束を見失い、道に迷ったのはこの自分だ。
 騎士は、再びスコールを見た。
『すまなかったな、巻き込んでしまった』
 スコールは、頭を振る。
「気持ちは、よくわかるから」
 魔女の騎士は、魔女を護る者。物理的な意味での守護ではなく、心の支えとなるべき者。時にそれは重い務めだろう。1人で果たせないのならば、誰かの力を借りたいと思うのは当然だ、とスコールは思う。ただ独りで「闘う」のは至極簡単なことだが、誰かと手を取り合い、愛し抜くと決め、それを貫くには努力が不可欠なのだ。それがただ1人の特別な人と定めるならば尚のこと。魔女とか騎士とか、そんなことは関係ない。それを捩曲げて定義するのは、いつだって何も知らない「他人」なのだ。
 目の前の騎士と自分が違うことはただ一つ――時代に恵まれたか、否か。
『止めたかったのだ、何としても』
「こんなことをしても、同じことの繰り返しになるだけで良いことなんてないから」
『だから、早く気付いて欲しかった。「上」に、昇れなくなる前に』
「死んでからも苦しむことはない」
『憎しみを持って死に逝くことはとても大きな苦しみだ。それを見知らぬ者に押し付け、復讐を遂げたところで意味はない。わたしとて考えなかったことはない……だが、あれに無体を強いた者は既に亡い。いないのだ。手を下した者も、わたしも――』
 スコールは、女性を見遣る。彼女は気付かない。何故、気付かないんだろう?
「……あんたさ」
『ん?』
「もっと何か、あるんじゃないのか? 確かにあんたの言うことは正論だ。でもそういうのじゃなくて、もっと根本的というか――わがまま、というか」
 騎士はきょとんと瞬き、そして淋しげに苦笑する。目の前の若者が持つ無邪気な強引さを懐かしむように。
『そりゃあ、あるともさ。彼女がわたしを誤解したまま、独りで逝ってしまったこと……それが、何より悔しく、哀しい』
 そうか、とスコールは深く頷いた。彼が振り向けと声をかけ続けた相手は自分ではなく彼女だった。誤解を解いて、2人安らかに眠りたい――その一心で呼び続けていたのが、時折彼女自身の声と混ざって聞こえていたのだろう。
 ならば、一肌くらいは脱いでやろう。そう思う程度には、スコールも彼らに同調していた。或いは、仲間と同等に思っていたかもしれない。
(どうしたら、良い)
 どうしたら、彼女はこちらに気付くだろうか。
 心を閉ざした人間は、それが誰のものであれ他者の言葉に耳を貸すことはない。それは、自分が一番よく知っている。そしてそれを振り向かせることが出来るのは、壁をぶち壊す勢いと掛け値のない情であることも。
(そう考えると、リノアってすごいんだな)
 スコールの思考が、瞬く間に彼女の笑顔を形作る。心の底から楽しんでいる時の晴れやかな笑顔。自分が派遣任務に出ると聞かされた時の寂しげな笑み。何か企んでる時のに間にました顔や、慈愛に満ちた優しい微笑み。そのどれもが、スコールには愛おしい。
 スコールの口許が、自然と優しい笑みを描いた。
『……そこにいるのは、どなたですか』
 女性が、振り向かぬまま傍らのスコールへ問うた。
『不思議ですか? 貴方が何も言わぬうちから、私が気付いたことが』
 彼女は小さく笑ったらしい。そして、ゆっくりと振り向いた。柔らかな若草色のローブをまとう、美しい女性だった。ただその頬を汚す涙が痛々しい。
『あなたから、何か温かいものが流れ込んできました。だから、気が付いたのです』
 女性はそっと袖で頬を拭うと、スコールに向き直って深く頭を下げた。
『いずれかの精霊様とお見受けいたします。きっと、多くの方々に慕われる位の高い方でございましょうね。私のような者にまで慈悲をかけて下さいますとは……お見苦しいところをお見せいたしました』
「……いえ」
 スコールは頭を振る。さて、どう切り出すべきか。
「あの、ここで何を?」
『待っているのです』
「待っている、とは」
『……私の、夫を』
 女性は、泉へ視線を戻した。
『夫は、故国では国に仕える騎士でした。ですが国は亡び、私達は人々を引き連れてこの地へ参ったのです。
 ここはとても、美しい地でした。皆、魔女である私のことも受け入れてくれて、漸く安息を手に入れたと、そう感じていましたのですが……やはり、魔女というものに幸福とは分不相応な望みのようです。穏やかな暮らしは長くは続かず、故国を亡きものにした帝国の軍隊が、私達を……いえ、私を……』
「いいです、話さなくて」
 直接的な言葉を言わせるのが忍びなく、スコールは話を遮る。だが女性は首を横に振った。
『よろしければ、最後まで聴いていただけませんか? 夫に見捨てられた、哀れな女の話を』
 女性の口許がほんのり綻ぶ。自らを哀れむ、自嘲の笑みだった。
『私は魔女といいましても戦うための力はございませんから、そういうことに関しては夫に全て頼り切っておりました。やはり、それがいけなかったのでしょうね。軍隊が村に来た時、私は夫とはぐれてしまい、この泉まで逃げ落ちてきました。ここは夫と私の、「約束の場所」でしたから』
 ふっとその頬に、小さな光が滑る。
『ですがその場所に、軍の者達が現れたのです。私は追い詰められ、刃を受け、泉に落とされました。あの泉の水を汲むのは私くらいのもので、村の者はあれ程奥には来ませんでしたから、私達2人しか知らない場所でした。その筈の場所に軍の者が現れたということはどういう意味を持つのか、物を知らぬ私でもわかります……』
 震え出した声を隠すように、若草色の袖が口許に押し付けられた。
『でもね、でも、それでも私は待たずにはいられないのですわ。今来るか、もう来るかと、そう思うとここを離れられないのです。この身は疾うに朽ち果てているのに……ね?』
 袖の内で、口の端が吊り上がったのが見えた。スコールはぎょっと身を引くが、女は素早く彼の首筋に纏わり付く。
『でも、もう良いわ。あなたが私に応えてくれたから! ねーぇ、魔女の騎士様?』
 くすくすくす、と狂気じみた甘い声がスコールの背筋を撫で上げる。
『私と一緒にいらっしゃいな。あなたは魔女の力を浴びるのが好きなのでしょう? 気持ち良くて仕方ないのでしょう? 私と一緒に来るのなら、極上の快楽をいつでもあげるわよ?』
『止せ、フィリア!』
 男は腰に携えた剣を掴む。その顔は、苦しみと哀しみに歪んでいた。
『どうしても、どうしてもわたしはそなたを斬らねばならないのか? 我を忘れた時にはそなたを斬れと、その約定をわたしに果たせと、そなたはそう言うのか?!』
 その時、スコールは彼の真の姿を見た。切り裂かれ、炎に炙られぼろぼろになった鎧の胸元が真っ赤に染まっている。視線を上げてその理由が知れた。彼は唇を紅く染め上げている。胃か肺腑か、その辺りを痛め付けられたのだろう。或いは、それが致命傷となったか。
 スコールは、意を決した。
「……フィリア」
 悪霊や悪魔というものにとって、名は己を定義付け、それを知った者に己を縛り付けるものだという。自身の危機と捉えたのか、女の笑みが凍り付いた。
「わかってるんだろ? 俺を身代わりにしたって、何も変わらない。あんたは充たされない」
『……っ』
 ぱっと手を解き、女はスコールから離れた。髪を逆立て、ゆらりゆらりとローブの袖や裾を揺らめかせる様は、スコールに碧色の焔を思い起こさせた。
『あなたに何がわかるというの?!』
「わからないな」
 怒れる女に、スコールは傲然と返す。そして、彼女の背後を指し示した。
 彼女の、騎士を。
「とっくに気付いてるんだろ、あんた」
『…………』
「あいつは、ずうっとあんたに呼びかけてる。気付いてる癖に信じようとしないのは、信じて振り向こうとしないのは、あんた自身だ」
 女は唇を噛んだ。
『……今更……』
 両手で顔を覆う女の姿は、いつしか元のたおやかではかなげなものに戻っていた。女性は、俯いて力無く首を振る。
『今更、どうやって信じろというの? ずっと、ずぅっと、裏切られたと憎んできたのに』
「素直になれば良いだけだろ。ほら、観念しろ! ただちょっと、あんたの騎士かそうでないか確認するだけじゃないか」
 女性はほんの少しだけ顔を上げ、ちろりとスコールを見た。少し拗ねたような、恨めしげな目をしている。
『……意地悪だわ、あなた』
「うじうじしてるやつには、ケツを蹴っ飛ばしてやるくらいでちょうど良いって知ってるからな」
 心なし、威張るスコール。女性はふっと笑うと、大きく深呼吸をひとつして、恐る恐る振り返った。
 彼女は、男の顔を確認をする前に、その胸に抱き込まれていた。
『フィリア……独りにしてすまなかった! あの時、わたしは手を離すべきではなかった……何が何でも共にいて、護ってやりたかったのに』
『……ゼファー、様……』
 細い繊手が逞しい背を這う。指先が何かに当たり、その目がはっと見開かれた。
『ゼファー様、この矢は』
『そなたを泉から引き上げた時、射られたもののようだ。弔いも出来ずに済まなかった』
『おいたわしや……私がお傍におりましたら、決してそのようなことにはさせませんでしたのに!』
『はは、勇ましい……その言葉を聞けただけで、充分だ』
 しっかと夫にしがみつく女性の瞳が、あっという間に飽和する。雫がぴちゃん、と泉に落ちると、それは瞬く間に世界を塗り替えた。
 緑豊かな、明るい森の姿が視界に満ちる。
(……終わり、か)
 散々遠回りをした末に漸く在るべき姿に戻った2人を見遣りながら、スコールは小さく息をついた。今一つ晴れやかな気持ちになれない。その理由は、嫌というほどわかっていた。やけに冷静だな、と自分で自分に苦笑する。傭兵としての思考の賜物だろうか。
 それにしても、仲睦まじい夫婦の図というのはどうしてこういたたまれない気分にしてくれるのだろう? 目の前のカップルしかり、クレイマー夫妻しかり……自分達のことはすっかり棚に上げ、スコールは大袈裟に咳払いをした。スコールの存在を思い出した2人はぱっと離れる。女性の方など、恥じ入った様子で夫の背後に隠れてしまった。騎士とスコールは目を合わせて苦笑する。
『ありがとう、当代の騎士よ』
 改まって頭を下げた男に、スコールは緩く頭を振った。
「別に、言われるようなことはしてない。ただ自分にかかってきた火の粉を払い落としたたけだ。それよりもう大丈夫そうか? いい加減、他人の色恋沙汰とか巻き込まれるのごめんだし、早く行けば」
 偽悪的なことを嘯くスコール。そっぽを向いて早口で言い募るその姿に、2人は小さく微笑む。
『何か、贈り物を差し上げたいのですけれど……生憎と、何もありませんの。私の「継承」はとっくに終わっていて、名残の魔力も底を突こうとしておりますから……』
 女性が俯くと、スコールは軽く肩を竦めてみせた。
「だから、さっき言っただろ? 自分の火の粉を払っただけだ、礼も何も必要ない。貰ったところで……使うときもないし」
 スコールの瞳に、寂しげな光が掠める。
 誰しも、己が生きてはいかれないなどと認めたくはない。まして、無邪気に明日を信じている子供達は。スコールとて、そうだ。だが彼は飄々と、ポーカーフェイスを崩さない。
(大丈夫、大丈夫だ。納得した振りは慣れてる。ただ……)
 ――ただ、遺していくことが気掛かりで。 昔と違って、今のスコールには沢山の大切なものがあった。それは家族だったり、仲間だったり、友人だったり、恋人だったり……取り分け愛おしく思うのは、いつも傍にあった、そしてこれからも当然あるのだと思っていた笑顔。それを自分の為に曇らせたくない、そう思えばこそ、遺していくことが気掛かりだった。
 女性は傍らの騎士を見上げた。騎士が小さく頷くと、女性は屈み込み、両手を器の代わりとして、泉の清水を少しばかり汲み上げた。
『どうぞ、お手を』
 スコールは自身の胸の高さまで差し上げられたそれに首を傾げた。女性は仕種で更に勧める。その動きが恋しい人を思い出させ、スコールは観念して両手を差し出した。冷たい水が移される。きらきらと光を弾くそれは、月夜に見るよりもずっと美味しそうに見えた。
 女性はスコールの手を下から包み込むと、ふうっ、と水に息を吹きかけた。水は清けさをいや増し、銀色の波紋を揺らめかせる。
『これが、私の精一杯。私の最後の力』
「……これは?」
『「時間」』
 スコールの思考が硬直した。女性は悲しげに微笑む。
『末期の水を飲む程もありません。ごめんなさい、これが限界なのです』
 スコールは手元に目を落とす。思考は空転したままだ。これが、「時間」? これを貰えば、ひょっとして――?
 大分長い間――或いは刹那の刻――経っても、スコールはじっと水を見つめていた。
『……或いは、黄泉路の道行を案内(あない)する方が、そなたには善いだろうか?』
 騎士が労るように、そっと声をかける。
 スコールは緩く頭を振って水の器をそっと捧げ上げた。
「貰うよ、ありがたく」
 スコールの瞳は、うっすらと水気の膜に覆われている。
「考えたけど……俺は、やっぱり、会いたいみたいだ。だから、貰うよ。ほんの短い時間でも、彼女に会いたい」
『愛を交わすには短いぞ』
「だけど想いを伝えるには充分だ」
 そういうと、スコールはあどけなく微笑って水を一気に飲み干した。
 それは喉には真に甘く、腹には酷く熱かった。急に意識が遠退いて、スコールは仰向けに倒れていく。
『……彼女は、どんな選択をするでしょうか』
『さぁ、な。当代が彼を生かすにせよ、逝かせるにせよ、黄泉路の扉を閉じるは我らの最期の役目よ』
『あぁ、どうか……』

『どうかその選択が、2人にとって善きものでありますように』

 その言葉を最後に、スコールの意識はぷっつりと途絶えた。




Next⇒「キセキ」