「今頃、スコール達はどうしてるんだろうね」
 愛用のライフルで肩を叩きながら、アーヴァインは傍らのゼルに話しかけた。
「さぁな〜。中は快適なんじゃねぇの? 少なくとも、汗だくになって哨戒続けてる俺達より!」
「あっはは」
 ゼルの妙に力が入った言い方に、SeeD達の間でぱっと笑いが弾ける。
「……にしても、今日は何となく暑いね〜」
 アーヴァインは帽子を被り直し、空を見上げる。ゼルも頷いた。
「だなぁ。……何か妙な感じしないか?」
「するする。準戦闘配備命令(コード・ヴァイオレット)出そうか?」
「うーん、一先ずは待機命令(ブルー)……あ、いややっぱ戦闘開始命令(コード・レッド)で!」
 瞬間、青い光が爆ぜた。アーヴァインが大きくのけ反り、たたらを踏む。やや遠くでゼルの放ったファイラが火を上げた。
「っ、オートプロテスセットしといて良かった〜!」
 そう軽口を叩くも、左肩を押さえるアーヴァインの顔は苦痛に歪んでいる。プロテスに阻まれ出血こそないものの、亜音速の銃弾は肩が外れんばかりの衝撃を与えたのだ。重い鈍痛が左半身を浸し、耐え切れずアーヴァインはがくりと膝を突く。
「隊長!」
 魔法の発動を察知したSeeDが、アーヴァイン達へ駆け寄った。アーヴァインは申し訳なさそうに手刀を切り、無線機を弄る。
「ごめんよ、発令が遅かった……アルファチーム総員へ、戦闘開始命令(コード・レッド)発令! 基本は3人組(スリーマンセル)で頼むよ、ガーディアンリングの同期とジャンクションを忘れずに。後、深追いはするな!」
「やべぇ、皆伏せろ!」
 程近くで、爆発音が響いた。


騎士の矜持

Act.4 コード・ヴァイオレット


 スコールは、はっと身体を強張らせた。
(…………何の、音だ?)
 それは、微かなざわめきにも似ていた。
 スコールは扉へ目を向ける。
(何の音だ?!)
 ぐるりと、見渡す。
 議場に窓はない。空調の為の通気孔以外で外から音を入れられるのは、真正面と左右に2つずつ設けられたドア、計5つ。それぞれにSeeDが2人ずつ配備されているが、誰も騒いではいない。
「一体何事だ、レオンハート」
「……いえ、何で、も」
 アイゼンの問いに、スコールは緩慢に頭を振る。意識が、何処かへ飛んでいた。
 何故だか、胸がずくずくと騒ぐ。騒乱の気配に興奮している。
(騒乱? 何を……ここは守られた場所だぞ?)
 だがどうしたものだろう? SeeDとして研ぎ続けてきた生存本能が、何かに衝き動かされている。
 その時。

   ふ り む け

 掠れた声が、彼を呼ぶ。そんな感じがして、スコールは今度こそ振り返りかけた。ぎくりと彼の身体が軋み、議員や来場者達が互いに顔を見合わせる。
 アイゼンが苦々しげに口を開いた。
「レオンハート」
「シッ!」
 スコールは鋭い呼気と指先でアイゼンを制し、落ち着かない様子で議場を見回していく。
(あぁ、早く、速く!)
 加速度的に、焦燥感が増していく。
(早くしなければ、速く行かなければ――が……! ……え?)
 誰の感情だ、これは? スコールははたと我に返る。ぴたりと、彼の動きが止まった。
(『――』? 『――』って、誰だ?)
「どうしたんだ、スコールくん」
「…………」
 妙な雰囲気のスコールに、ピエットが遠慮勝ちに声をかける。スコールは反応しない。
 アイゼンが、頭痛を抑えるようにこめかみを揉んだ。
「レオンハート」
「……………」
「スコール・レオンハート!」
「……ちょっと黙ってろ、気が散る!!」
 一瞬だけ、わぁん、と議場に反響音が響き渡る。各国の議員達は怯み、一様に怯えの表情を見せる。
 リノアが階段を駆け降り、スコールに飛び付いた。
「スコール、落ち着いて」
 殊更穏やかに声をかけ、肩を聳やかせたスコールの背を宥めるようにぽんぽん叩く。
「はい、深呼吸」
「っ、リ」
「し・ん・こ・きゅ・う。はい、吸ってー……吐いてー……もいっかい吸ってー……はい、吐いてー」
 言われるがままに深呼吸し、スコールはかくりと肩を落とす。そこで初めて、彼は自分が不必要な程がちがちになっていたことに気が付いた。リノアは微笑む。
「そうそう、うん、良い感じ。……何か聞こえたの?」
 スコールは説明に窮した。そして、ただ一言のみで返す。
「――ざわめき」
 リノアは首を傾げる。スコールは苦労して、その時のイメージに一番近い表現を探す。
「焦燥感を煽り立てるような、ざわめきだった。木々を擦るような、沢山の人が走っていくような、剣を何合も噛み合わせるような、銃を撃ち合うような……それと、」
 スコールは一旦言葉を切り、慎重にそれを口にした。
「『早く行かなければ「――」が』。誰のものかは、わからない。誰に関することなのか、も」
 リノアの顔に険が宿る。
 スコールは一度瞑目すると、意を決したように顔を上げる。そこには、糾弾を受ける少年ではなく、バラム・ガーデンが誇る司令官、SeeDスコール・レオンハートがいた。
「クリス、外の様子を見てきてくれ! 胸騒ぎがする……」
 指名されたのは、中央ドアに張り付いていた少年だった。少年はSeeD式の敬礼を見せ、ドアに手をかける。
 その時。
 ドォン!!
「きゃあぁっ!」
「っ!?」
 衝撃音と共に空間が揺れた。数々の悲鳴が上がる。振動は一度だけだったが、誰も彼もが突然のことで恐怖に戦いていた。SeeD達は持ち場を離れずしっかりと立っていたが、大半を締める新米達は顔を蒼褪めさせている。
「皆さん、落ち着いて下さい! クリス、早く!」
 いち早く自失状態から脱したキスティスが指示を出す。
 咄嗟にリノアを抱き寄せたスコールは、数拍遅れて鳴き出した無線機の電子音を聞いた。顔を上げてキスティスを見るが、彼女は気付いていないようだ。
 リノアがスコールの胸を突き、イヤホンマイクを差し出した。
「スコール、無線が」
「貸してくれ」
 スコールはイヤホンを耳に引っ掛け、通話状態にする。
「レオンハート」
『こちらアルファチーム、キニアス! ただ今交戦中……っあ、頭下げろマルス!!』
 寸後、連続した発砲音が届く。至近距離の割に音が軽い。ライフルの銃撃音が聞こえない。スコールは慌てた。
「アーヴァイン?!」
『ごめん、油断してて不意打ち喰らったんだ。左肩負傷、出血はないけどライフルを打てない。何人かダウンさせたけど、こっちも分が悪い。後何分も持ちこたえられるか……気を付けてくれ、奴ら軍用武器使ってる』
「無理するなよ、アーヴァイン。死人が出る前に離脱しろ、良いな?」
『了解。悪いけど中は任せたよ。余裕があれば合流する……以上、アウト』
 ぷつり、と通信は切れた。スコールは静かに呼吸を整える。
 そして。
「総員、準戦闘配備命令(コード・ヴァイオレット)発令!」
 堂々たる大音声でもって、スコールはSeeD達へ命じた。
「現在、建物外にてアルファチーム交戦中。ヴァイオレットとはいえいつこちらに敵勢が来るかわからない。気を引き締めておけ!」
『はいっ!』
 SeeD達の若い、元気の良い返事。場違いながら、大人達は少しだけ心を和ませる。 だがスコールは、盛大に溜息をついた。
「おい、気を引き締めろとは言ったが萎縮しろとは言ってないぞ。もうちょっと楽にしておけ、新米ども」
 肩を聳やかせる様子がどこか痛ましい彼らに、スコールは少し考える風を見せた。その少し離れた壁際で、キスティスは額に手を当てていた。
「……じゃあ、少し復習するか」
 リノアは不思議そうにスコールを見上げる。スコールはほんの微かに微笑み、議場を見回した。
「さて、現在発令中のコード・ヴァイオレットだが……まず、発令されたら何をするべきだ? ミシェル!」
「え、私?! えっと……その……」
 指名された女子はしどろもどろになる。
「SeeDに上げてすぐの授業でやったろうが。聞いてなかったのか?」
「いえっ、聞きました! た、退路確保……だったと思うんですが……」
「聞こえない」
「退路確保、ですっ!」
「よし」
 スコールは満足そうに頷いた。
「じゃあケーススタディだ。今回のように退路は前方にひとつ、でも敵はそちらにいると明らかに推測される場合。クライアント抱えて現場にいるときはどうしようか? シェルドン!」
 生真面目そうなSeeDが背筋を伸ばす。
「クライアントの安全を最優先に、突破を試みます」
「……80点だ、優等生」
 スコールは軽く肩を竦めてみせた。
「最優先、にまではしなくていい。最悪の時にはお前が逃げろ」
「……良いんですか? それって」
 シェルドンは不可解だと言いたげに片眉を上げた。スコールは微笑う。
「あくまでも最悪の場合、だ。信用問題だからなるべく控えるように。
 さぁ、最後の質問だ。キスティス!」
 キスティスは無言で顔を上げた。美しい面に緊張が走る。
「今回の場合なら、まず何をするべきだとあんたは思う?」
「そうね……」
 キスティスは考える。
「一先ずはクライアントの生命維持を。執政議会の方からドール歩兵隊か警察を要請して頂いて……到着まで持ち堪えられれば挟み撃ちに出来る。それまでは防衛戦ね。皆さんには下に集まって頂いた方が、防衛しやすいわ」
 凛とした返答に、スコールは高らかに手を打ち鳴らした。
「オーケィ、ではそうしよう。皆さん、お聞きになられましたね? 彼女の指示に従って下さい!」
 大人達はあからさまに戸惑いを見せる。現況を不安視する声、声、声。
 わかっている、わかっているとも。今回キスティスが連れてきたのは、新米を半数以上含めた中隊ふたつと救護隊A班。上はキスティスが最年長で、下は外の前線部隊にいる15歳。今回のスケジュールはあまりに唐突だったものだから、熟練者を引っ張り出せなかった。恐らく此処で一番の腕前である自分達6人ですら、軍隊なら新兵だという有様なのだから! 自分だって不安なのだ、皆の実力を知らない他人はいかばかりか。
 誰かが叫び声を上げた。死にたくない、と泣き言を言った。誰のせいだ、と詰った。
 普段なら、流せる。一般人なら当たり前の反応だとわかっている。だが今日のスコールは少々短気だった。
(……うるさいな)
「なぁ、リノア。拳銃持ってるか?」
「えっ? あ、あるけど。救護隊の標準装備だからね」
「空砲は?」
「威嚇射撃用に、最初の1発は……っちょ、ちょ、スコール!」
 スコールはリノアの上着に手を突っ込み、拳銃を取り出した。銀色のそれは、初心者でも比較的扱いやすいと評判のものだ。連射性能も良く、最大15連射出来る。尤も、今必要なのは最初に装填された1発だけだが。
 リノアが呆気に取られている内に、スコールは流れるような動きでセーフティを外し、銃口を真っ直ぐ上へと向けた。
 ガウン!
 轟音に驚いた人々が、反射的に身を屈めた。何事かと天井を覗く人もいる。SeeD達が目を向けると、スコールはリノアの耳をぴったりと塞ぐように頭を抱え込み、辺りを睥睨していた。
「いい加減に、静かにしろ! いい大人が情けない、みっともない!!」
 議場は、水を打ったように静かになった。
「何でガキが落ち着いてて大人がおろおろしてるんだ? あんた達国を背負ってるような人間だって言うんなら、こういうときこそしゃきっとしろよ! ったく……」
 ふん、と鼻を鳴らす少年――忘れがちだったが、彼はまだ18歳の「少年」だ――の一言に、大笑いした男がいた。
「あっはっははは!」
 エスタ大統領、ラグナ・レウァールだった。議員達はは唖然とする。
「レウァール大統領……?」
「確かに、情けねぇわな。うんうん、認めるよ。でも今回は、ちっとばっかし勘弁してやってくんねぇかな〜。武器も技術もないからよ、今回は、オレ達を守ってやってくんないか?」
 苦笑いで頼むラグナに、スコールは鼻を鳴らしてそっぽを向き、拳銃で肩を叩いた。あたかもそれが、いつもの己の相棒であるかのように。
「……当たり前だろう。第一、それが今回の任務だ。心配しなくても、死なせない。誰1人」
 スコールがちらりと視線を送ると、キスティスは心得顔で頷いた。そして、ぴしっとした敬礼をスコールへ向ける。
「指揮をお願いしますわ、司令官。ただ今を持って、私SeeDトゥリープがお預かりした全権を貴君へ返還いたします」
「了解」
 スコールはにやりと人の悪い笑みを形作った。
 そして。
「……スコール、何で溜息?」
「いや……我ながら、苦労症だと思って」
 リノアの問いに、これみよがしに頭を振るスコール。
「だってそうだろ? こんなところで任務に紛れても、俺には何のメリットもない。リノアは良いよな、危険手当つくんだから……俺なんて公式には休暇中だぞ? しかも明けて帰ったら即、書類と睨めっこの刑なんだ、きっと」
「そんな恨めしげに言わないで頂戴! 心配しなくても手当も休暇もつけるわよ」
 がっくりと首を落とすスコールにキスティスは慌てた。SeeD達の間で、ぱっと笑い声が上がる。
「んで司令官殿〜、オレ達はどうしたら良いワケ?」
 妙に長閑な雰囲気になってしまった場内で、ラグナは笑いながらほてほてと階段を降りてくる。スコールは気を取り直し、咳払いをひとつし、リノアへ目を向けた。
「リノア、プロテスを変化させることは出来るのか?」
 誰もが、首を傾げた。
 この少年は、一体何を言い出したのだ? 「プロテスを変化させる」? どういう意味だ、彼の隣に立つのはただの――と言い表すにはいささか特殊な人々だが――SeeDの少女だろう? SeeDとて人間なのだから、魔法を「変化」させるなんてことは出来ないはずだ。
 ――まさか。
 注目を集める中、リノアは少し考え、事もなげに頷いた。
「うん、出来るよ。『ヴァリー』だと相手にぶつけるような魔法しか変化出来ないみたいだけど、今の状態なら」
「効力の範囲とか、わかるか?」
「…………大体、あの辺り、までかな」
 リノアは慎重に指先を滑らせる。
「わたしが立ってるこの場所を基点とするなら、……この階段3段目、くらいまで。それ以上に広げることは出来ない。あくまでもわたしの能力は『質変化』(アルケミア)であって、『守護者』(ガーディアン)ではないから」
「充分だ。悪いけど、バトルになったときは」
「了解でっす」
 リノアはぴっと敬礼をしてみせる。どこかおどけた仕種は、どう見ても普通の少女だった。議員達の胸に、不思議な感覚が宿った。
 アイゼンは、リノアをじっと見つめる。
 どこにでもいる、当たり前の少女だった。SeeD服を着ていなければ、更にその印象は強まっただろう。「これ」に、世界が怯えているのか? やろうと思えば、学者肌のアイゼンですら簡単に縊り殺すことが出来そうな、こんな華奢な少女を?
(これが、『魔女』? 『現代の魔女』リノアか?)
 SeeDが手分けして議員達を階段下の小さな半円へ誘導していく。その中には当然、リノアやスコールの姿もある。
「きゃあっ」
 ドールの女性議員が階段で転びかかった。リノアがさっと手を出し、彼女を支える。
「大丈夫ですか」
「え、えぇ……」
 僅かではあるが身を縮めたのに気付いたリノアは、議員の姿勢が整うやそっと手を引いた。落ち着かせる為に浮かべた微笑みに、苦いものが混じる。
「えぇと、その……リノア、さん? ミス・リノア・ハーティリー?」
「はい」
「貴女は……魔女、なの?」
「……はい」
 リノアは、躊躇いがちに、だがしっかりと頷いてみせた。
「貴女が、『現代の魔女』?」
「絶対数がわかっていないので、わたし1人と限られることではありませんが」
 リノアは曖昧に答える。オダイン博士などはよく「現代の魔女」と自分を呼ぶが、それは彼がリノアしか関知していないからであり、自分1人だけが魔女という訳ではないのだ。
「……貴女は、SeeDなのよね?」
「はい」
「SeeDは魔女を倒す為にいるのだと、どこかで聞いたことがあるのだけれど」
 リノアはにっこりと笑顔を作った。
「矛盾しませんよ。わたしは魔女ですが、SeeDです。先の大戦では、わたしはスコール達と共に魔女を倒しました。悲しみと怒りに溺れた――『悪しき魔女』を」
 リノアは女性議員の肩を押し、柔らかく階下へと促す。
「では貴女は『善き魔女』なのね」
 あからさまにほっとした様子を見せた議員に、リノアは苦笑した。
「一概にそうとは言えませんよ?」
 そこに、魔女の悲哀がある。
 善人に魔がさす瞬間があるように、悪人に子への慈愛があるように、非情な軍人が父親の手を持つように、娼婦に聖母の愛があるように――魔女とて、善悪のみで全て量れようか?
「わたしは、誰かの役に立ちたい。スコールやキスティスの支えになりたい。1人でも多くの人を助けたい。その為に、この力が役に立つなら、わたしは喜んで力を奮います。……でも、逆に」
 リノアはふと、スコールに目を向けた。
「彼らに何かあれば、わたしは怒りに突き動かされて破壊の限りを尽くすかもしれない。悲しみに負けて、手を差し延べることを忘れてしまうかもしれない。そういうことにならないように、わたしは約束を、してるんです」
「約束……? 彼と? どんな?」
「それは、内緒です」
 興味津々の議員に人差し指を立ててみせ、リノアは円陣の中へ入るようにと背を押した。
「カティアーっ、プロテスの入ってるカートリッジちょうだい!」
「はいはーい、受け取れぃっ」
 呼び声に応じ、魔法カートリッジが宙を舞う。瞬間、「カートリッジを投げるな!」とスコールから叱声が飛んできた。カティアもリノアも首を引っ込める。こんなときに悪ノリはするものじゃないな、とリノアは思った。
 ――そんな風に騒いでいたのが、災いしたのかもしれない。誰も彼も、異変にかけらも気付いていなかったのだ。
 暫し経った後、セルフィが顎先を手の甲で拭いながらスコールへ問うた。
「ねー、いいんちょ。この部屋、何か暑くない〜?」
「……セルフィも、そう思ったの?」
 言葉を拾ったキスティスが、やや疲れた顔で返した。
 スコールは2人の、そして皆の様子を確かめるべく視線を巡らせる。精彩を欠く顔、顔、顔。それを認知して初めて、スコールは己が汗をかいていることに気が付いた。
(空調を、止められた? いつからだ……?)
 耐えかねたリノアが、スコールの上着を軽く引っ張った。
「スコール、ごめん。お水飲んで良い?」
「少しだぞ。下手すれば長期戦だからな」
「うん」
 リノアは手近な机に備え付けられた水をコップに取り、唇を湿す。それを見たセルフィが自分も飲みたいと言い始め、結局この場にいる全員で少しづつ飲むこととなった。
 ただ1人水を口にせず、スコールはジャケットを脱ぎながら議場を見渡す。
(クリスが戻らないな……)
 偵察には充分な時間が過ぎたはずだ。だが、ドアは開かれなければ無線も鳴らない。
 ――そういえば、アルファチームからの入電もない。
 スコールは無線を操作し、アーヴァインを呼び出そうと試みた。
「…………?」
「スコール、どうしたの?」
 イヤホンを押さえたまま固まってしまったスコールに、キスティスが首を傾げる。
「…………繋がらない」
「え?」
「アイゼン議長」
 キスティスが問い質す前に、スコールは背後を振り返った。
「軍か警察の要請はしていただけましたか?」
「………」
 アイゼンは無言で己が座していた席を指し示した。スコールはジェスチャーで至近のSeeDに指示を出し、確認させる。
「エマージェンシーコールが押されてます」
「そういうことだ。恐らく、通信妨害を受けているか、電気系統を破壊されたかだろう」
 淡々としたアイゼンに、スコールは苛立たしげに頭を掻いた。
(袋のネズミかよ……!)
 リノアが、そっとスコールの袖を引いた。その些細なことが、やけにスコールの気に障る。
(こんなときに何だ?!)
 だがリノアが触れたかったのは彼ではない。無線のイヤホンだ。耳に当て、暫し無言で聴き入る。
「スコール、おかしくない?」
「何が」
「通信妨害って、要するにちっちゃな電波障害だよね? あれって、無線機こんなに静かになるのかな? ノイズが入りまくるんじゃないの?」
「…………そう、いえば」
 背中が、ざぁっと冷えた。
「え……じゃあ、何だ……?」
「わからない」
 悔しそうに頭を振るリノア。
「わからないけど……わかること、あるよね?」
「あぁ……どちらにせよ、外部の状況はわからない……」
 予想もしていなかった事態に、スコールは一瞬よろめいた。が、すぐに立ち直ると顔を上げる。
「総員、戦闘準備! アタッカー2・救護員1の3人組(スリーマンセル)だ。ガーディアンリングの同期とジャンクションを確認しておけ。あと、救護員はサポート魔法のストック確認を。各自数が足らないなら融通しあうように!」
『了解!』
「リノアは俺と組んで。同期取るぞ」
「はいっ」
 剥き出しにしたガーディアンリングをぶつけ合う。りん、とどこか可愛らしい音がした。戯れのように見えるが、班行動をとる際には、これが重要となる。同期を取り合ったリングは互いに干渉波を出す為、班隊員への攻撃魔法誤爆防止になるからだ。
 ジャンクションを確認したスコールは、ジャケットを放り出すと、額に手をやり髪を掻き上げた。
(考えろ。考えるんだ!)
 全員が助かる方法を、考えろ。どうすれば無事に――特に、議員連中なんて戦闘力皆無の人々を――逃がせるか。
 イヤホンは相変わらず沈黙している。ホワイトノイズだけが耳を充たし、不愉快なことこの上ない。
「……キスティス、セルフィ、ちょっと」
 スコールは深呼吸をひとつして、2人を呼び寄せた。
「……悪い、読み違えた」
 意気消沈のスコールに、キスティスは微笑って頭を振る。
「このくらいいつものことよ。だから『臨機応変』って言葉があるんじゃない?」
「そうそ、いいんちょはもうちょっと気楽に構えようよ」
 セルフィが軽く肩を叩くと、リノアも小さく頷く。
「今は落ち込むより、リカバリー考えよ。……って、わたしバカだから何か思い付くワケでもないんだけどさ……」
 セルフィはこめかみを捏ねくり回した。
「うーん、あれだよね。議員さん達がネックだよね。あたし達だけなら突破なんて簡単だからさぁ。何かこう、ぱぱっと全員エスケープ出来そうな突破口的なのないかなぁ〜」
「あれば苦労しないでしょ……」
 キスティスはぐったりと頭を振る。黙りこくって顎を撫でていたスコールは、不意に顔を上げてキスティスを見遣った。
「なぁ、ドール国民?」
「……なぁに? エスタ人さん」
 妙な呼び方をしたスコールに、やけくそのおふざけで応じるキスティス。
「あんた、このホテルの構造は頭に入ってるか?」
「一応……」
「非常時の脱出用シュートは在るはずよな? 最も近いのはどこにある?」
「! ちょっと待って頂戴」
 キスティスは頭に無理矢理叩き込んだ構造図を思い返す。
 万が一に備えて、逃げ道だけはいくつもシミュレートしてきたのだ。スタンダードな脱出ルート、裏口抜け道、勝手口。その中で現地点に至近なルートの入り口は……。
「……この議場の、何処かにあるはずよ。ごめんなさい、ちょっと具体的な場所を覚えていないんだけれど……」
 申し訳なさそうに眉根を寄せるキスティス。スコールはくるりと振り返り、口を開いた。
「執政議会の皆さん……」
「話は聞いていた。脱出口のことだろう」
 出し抜けに応じたのはアイゼンだ。
「易々と教えると思うかね?」
「あんた、人命と情報とどっちが大事だ」
 激昂しかけたスコールは、一度目を閉じて気を落ち着けるべく深呼吸した。
「教えてください。面倒な手間が省ければそれだけ生存確率が上がります」
「…………」
 先程までとは違いはっきりと口を開いて話すスコールを、アイゼンはじっと見つめていた。
 読めない男だと思っていた。食えないやつだと思っていた。だが、案外素直な、誠実な少年なのかもしれない。
 スコールはアイゼンの沈黙を拒否と捉えたらしい。焦れた様子で踵を返し、壁を剥がせと言い出した。
(短気だな。沸点は高いようだが、いかんせん堪えがない)
 やはり、子供だ。アイゼンはふと頬に笑みを刻んだ。
「どきなさい」
 アイゼンはスコール達を緩く押し退け、ひたりと壁に手を這わせる。
「これは本来、使用しないつもりで作られた仕掛けだ。だから私のような執政議会の者か、軍の将校以上の者しか知らない」
 壁を探っていたアイゼンの指先が止まり、力がこもる。すると、その辺りの壁が少しだけ後退した。アイゼンはそれをスライドさせ、武骨な金庫を思わせる扉をさらけ出させる。
 スコールは片膝を突いて扉を検分した。ハンドルを回すと、がちり、と音がして扉が開く。中はやはり、シュートになっていた。
「これはどこに繋がりますか」
「港だ。民間のものではなく軍港だが」
「最高です。到達時間はご存知ですか」
「ダミーを使った実験では、4分強で着くと」
「4分か……」
 スコールは思案する。頃合いを見計らい、リノアが肩に触れた。
「スコール、決まった?」
「……1班、来い」
 スコールが手を閃かせると、3人組になったSeeD達が一組参じた。
「話は聞いたな?」
 3人が頷く。
「先行してくれ。何かあれば照明弾を撃てよ。お前達から合図なく5分経ったらもうひと班降ろす。更に3分経ったら、非戦闘員を3人ずつ降ろす。その後は3分間隔だ、介助頼むぞ。あと、」
「わかっています」
 シェルドンが頷く。スコールは彼の肩を叩き、「頼んだぞ」と囁いた。
 3人の姿が暗い穴に消える。キスティスが腕時計のストップウォッチを作動させ、「計測開始」と呟いた。
 スコールはゆっくり立ち上がる。
「皆さん、よく聞いてください。ドール執政議会のアイゼン議長が非常用シュートを開いて下さったので、これから皆さんを順に降ろします。混乱を避ける為、皆さんを3人一組とし、一定間隔を保っていきたいと思いますのでご協力をお願いします」
 そう言うと、スコールは片手を軽く上げた。示し合わせていたかのように、SeeD達が互いに目配せしあい、3列縦隊を整えていく。
「5分よ。ランディ、ジュード、カティア、降りて」
 キスティスの号令で、次のひと班が降下した。ここからは、3分間隔だ。上手くすれば、30分程で全員降下出来る。
 スコールは何を思ったのか、列の中から数人の腕を引き列から外した。
 ドール執政議会議長、ヴィクトル・アイゼン。
 ガルバディア首相、フューリー・カーウェイ。
 トラビア共同体代表、ダレン・テュルキス。
 エスタ大統領、ラグナ・レウァール。
「申し訳ありませんが、あなた方4名には最後に降りていただきます」
 スコールは4人の顔を見渡し、そう告げた。
「先行して港に降ろすのは新米ばかりです。なので、危険ではありますが自分達上級生がぎりぎりまでここで護衛いたします」
 ラグナとテュルキスは「わかった」と素直に頷いた。カーウェイも微かに笑み、了承を示す。アイゼンはこれみよがしに溜息をついてみせたが、特に文句は言わなかった。
「降下の際は、テュルキス代表、アイゼン議長、カーウェイ首相のお三方が組になってください。ラグ……レウァール大統領は、自分とハーティリーと組んで頂きますが、よろしいですね?」
「ま、妥当だわな。お前の判断に従うよ。身内でも贔屓なし、置き去りにされたくなきゃ子供に従え、ってな!」
「…………馬鹿、『老いては子に従え』だ。そして身内ってばらすなよ……」
 相変わらずのラグナのリズムに、スコールは額に手を当てがっくりと頭を落とす。今までの苦労は何だったんだ。一応気を使って伏せるようにしていたのに。事情を知っているカーウェイは思わず漏れた笑い声を咳払いで誤魔化した。
 スコールはがりがりと頭を掻き、面倒そうな顔を見せる。アイゼンがとても何か言いたそうな顔をしていたからだ。……大方、「身内とはどういうことだ」とでも聞きたいんだろう。そう言われたらどう答えようか。何とかして誤魔化そうか、それとも小細工なしに素直に言ってしまった方が良いだろうか。
 しかしその前に、テュルキスが面白そうに口を開いた。
「それにしても、不思議な子だね。普通なら、我々のような『長』の方から先に行かせるだろうに」
 予想外の質問だった。いや、テュルキスは質問とは思っていないのだろう。スコールは逡巡したが、ちらりと視界に入ったリノアの姿に、誤魔化そうなどという気持ちは霧散した。
「……嫌だったので」
「『嫌』?」
「あなた方を先に降ろせば、肝心なことを俺達抜きで決められてしまいそうで嫌だったから、です。……事情も知らない誰かに勝手に運命決められるなんて真っ平ごめんだ」
「はは、確かにそれは嫌なものだ」
「だか……」
 戦慄が、走った。
 真っ赤に燃えた鉄を脊髄に流し込まれたかのような、ぞっとするほど冷たい憎しみを直接胸に打ち込まれたかのような――そんなどぎつい衝撃に、スコールの身体がびくりと跳ねる。
 リノアが動いたのと、スコールが動いたのでは、一体どちらが速かったのか。
「プロテス!」
 リノアの軽やかな叫びと同時、目を見開いたスコールが、真正面の扉に向けて――拳銃の引鉄を引いた!
 ガゥン!!
戦闘開始命令(コード・レッド)発令! 総員、構え!!」
 スコールの号令と人々の悲鳴が、ドアを蹴破り傾れ込む蹂躙の予感と共に不協和音を奏でた。




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