何を言われても眉一つ動かない自分は、さぞかし気味悪く映っているだろう、とスコールは思う。
思うが、どうにも出来ないのだ。
己の命と、彼女の自由と、世界の思惑――この三つが複雑に絡み合うこの場で、一体自分はどんな顔をしていれば満足されたのだろう?
会議という名の裁判は、形ばかりは厳かに始まった。
ドール執政議会が何としてもやり遂げたいのは、一連の戦争の責を「魔女」という存在になすりつけ、世界から追放すること。その対象が何であれ、そうするつもりで――叶うなら、その身をもって購わせるつもりで――「魔女の騎士」を名乗る男を召喚した。
だがここに、彼らの誤算があった。召喚に応じたのは、まだ成人まで間があるような少年だったのだ。
国によって違いはあれど、一般的に成人年齢は21歳となっている。だが「魔女の騎士」は、未だ18歳だという。大人ではなく子供でもない、話はわかるが話を聞かない、危うい年齢。
中央に座するドール執政議会員ヴィクトル・アイゼンは、スコールをじっくり観察した後、出し抜けに口を開いた。
「貴殿の名は、『スコール・レオンハート』で間違いないな?」
「はい」
「歳は?」
「18」
「出身は」
「……ガルバディア、のウィンヒル村」
「では現在も居住地はウィンヒルかね」
「いいえ。生活基盤はバラムにあります」
アイゼンは片眉を上げた。
「独りで? 親元を離れているのかね」
「半分、イエスです。孤児として、バラム・ガーデンで育ちましたので」
「孤児か……では後見人は? その後ろに座っている男性がそうかね」
「いいえ。彼は違います。彼はエスタの国立科学研究所に勤めているピエット・オーウェン氏です。今回は、特別に同行頂きました」
「ふむ。では誰が君の後見人となる?」
「……秘匿させていただきます」
淡々と拒否するスコールに、アイゼンは太く息をつく。
気味の悪い少年だった。訊かれたことにしか答えず、しかも何を考えているのか眉一つ動かさない。世間擦れしているのか、はたまた大事に育てられてきた為に己の意志がないのか。ともかくも、アイゼンにはやりにくい相手だ。これで動揺を見せるなり口を滑らせるなりしようものなら、幾らでも付け込みようがあるのに。
「……先程、バラムが居住地だと言っていたな。持ってきた召喚状はエスタに送ったもののようだが?」
「たまたまエスタにいたので、知人経由で入手しました」
「知人とは?」
「…………」
スコールは初めて、言葉を詰まらせ逡巡する様子を見せた。アイゼンはじっと少年を見つめ続ける。
「……官邸の職員と、懇意にしているので。その人から、手渡されました」
「それはどういう?」
「……親族です、自分の。そこに勤めているのでエスタに入国した際に連絡を入れておきました。だから、エスタ大統領府に届いた召喚状を、受け取れたんです」
話し方が下手だ、とアイゼンは思った。嘘をつくならつくで、もっとましにつけば良いものを。先程「孤児として育ってきた」と言ったことを、もう忘れたのか。
「エスタに一体何の用件で赴いたのか?」
「リノア……に、健康診断を受けさせる為です」
「ほぅ……魔女に、健康診断を?」
アイゼンが込めた侮蔑の感情に気付いたのか、スコールの眉間が一瞬ぎゅっと寄る。
「例えばどんなものを受けたのだ?」
「一般的な、病院や学校の検診で受けるようなものでした。健康時の基本データを取るのが目的だったので」
「見てきたようなことを言うのだな」
「一緒に受けましたので。終戦時より身長が伸びていたんです。どこまで伸びるでしょうね」
珍しく茶化したスコールの言葉に、周囲からひそかな笑い声が零れた。
アイゼンは大きく咳ばらいする。
「それはともかく……検査の詳細は」
「御望みでしたら、オーウェン氏から説明をいただきましょうか。ただ、一日掛かりの検査でしたので検査内容から結果までとなりますとかなり長くなると思いますが」
「……良い」
全く、何と言うマイペースさ加減だろう。アイゼンはひとつだけ深く深呼吸する。
「では質問を変えよう。魔女リノアの検査結果で、取り立てて異常だと言える数値は?」
スコールはピエットを振り返った。ピエットはひとつ頷くと、持参したファイルを手に立ち上がる。
「はっきり申し上げまして、そういったものは一切ありませんでした」
ピエットの簡潔な報告に、議場はざわめいた。ピエットは尚も続ける。
「確かに、一般的な17歳女子の平均値と比較して身体能力や魔法の扱いといった所謂『戦闘力』は高い値ではありましたが、それだってバラム・ガルバディア・トラビアの3ガーデン提供のガーデン生の平均に比較すれば低いと言わざるを得ません。つまりは、『魔女リノア』ことリノア・ハーティリーは、全くの一般人と言って間違いありません」
事実である。
アイゼンは顔をしかめ、手を振った。
「聞きたいことはそういうものではない」
「魔女としての彼女の能力を、我々は
「攻撃系魔法の威力が増加する、と言ったな? 具体的には」
「上級魔法では測定機材の都合上未確認ですが、下級魔法での測定結果から推測するに、おおよそ5倍に増加するものと思われます」
議員達は目を剥いた。ざわめきは一層大きくなり、スコールに対して詰る言葉を投げつける者も出始める。
「危険ではないのですか」
アイゼンの隣に座る女性が、眉をひそめて問う。
ピエットは頷いた。
「危険度はかなり低いです。驚異の度合いで言えば、
そう締め括り、ピエットは再び座する。
議場は暫しさざめいていた。――さて、次は何を問うべきか?
暫くは放っておかれそうだ。スコールは居心地悪そうに俯き、椅子に腰掛けた。その横顔に、不安が見て取れる。
「水でもどうだ? 案外、落ち着くものだよ」
ピエットにグラスを勧められ、スコールは微かに微笑み頷いた。残念ながら、温くなった水は胸の不快感をいや増させただけだったが、深呼吸でもしてみようかという気分にはなれた。
議場は、未だざわついている。糾弾すべきとの声、擁護論、中立を貫こうとして失敗している者、収まりがつかなくなりつつある言い合いを何とか収めようと苦心するキスティスの声。
流れを断ち切ったのは、トラビアからの代表団の声だった。
「私などは、彼がどうして魔女と係わり合いを持とうと思ったのか、その辺りを聞かせてもらいたいがね」
そのトラビア共同体と呼ばれる政治集団の代表者は、興味深げにスコールの方へ身を乗り出して笑む。
「トラビアでは、聖なる魔女の伝説がある。だから、君が魔女の騎士となった所以に、他の国の方々より興味があるんだ」
「……興味、ですか」
「あぁいや、悪気がある訳ではないんだよ。ただ、下世話だとは知りつつも、君達の間にどんなロマンチックなことがあったんだろうと思うとねぇ」
「ロ……っ?!」
大声を上げかけたスコールは慌てて口許を押さえる。が、流石に感情は抑え切れなかった様子で、白い頬が真っ赤に染まる。珍しい歳相応の反応が、妙に初々しい。
「そ、そんなもの、何もありません!」
「おやおや、魔女の騎士とは魔女の恋人ではないのかね?」
「それと、これとは、話が別です……!」
それはプライベートな話であって、あんた達に言うようなもんじゃない! スコールは激昂しそうになるのを何とか抑える。努めて深呼吸をし、相手を睨み付けないように殊更ゆっくりと瞬いた。
「それに関しましても、秘匿させていただきます。それは、自分のプライベートです」
トラビアの代表者は、酷く残念そうな顔をした。それすらも彼を刺激する。
何故。
何故だ。
何故、俺達を踏みにじる?
俺達は、そんな些細な優しい時間すら持ってはいけないというのか?
ぎしり、と握り締められた手の骨が軋む。ぎりり、と密かに食いしばった歯が軋む。
(俺達は、そんなに悪いことをしたのか? ただ、ただ静かに暮らすことすら赦されないのか?!)
泣いてはいけない。そんなこと、赦されない。
人ならぬ身に、赦されやしない。
(そうだ、俺達は常に迫害される)
(人とは違う力を持っているから)
(だからって、何をした? 何かしたか? いや、何もしていない)
(いつも、いつも、いつもいつもいつも、お前達はいつも俺達を踏みにじる! 何故俺達をそっとしておいてくれないんだ?)
(そう、いつだって、尽くしてきたじゃないか! 何故お前達は、私達をないがしろにするのだ?)
(――あ?)
何処からか湧き出てくる憤りの感情が、ふと、止まる。そして、スコールは気が付いた。これは、自分の思考ではない。
これは、誰の感情だ?
スコールには、迫害され心を踏みにじられたという実質的経験はない。嫌悪の感情を向けられたことはあるが、それだって踏みにじられたという程のものではない、社会生活においてはよくある些細な話だ。だからこそ、これ程までに強く嘆いたこともない。嘆きの日には、いつだって誰かが傍にいて彼を抱き締めてくれたから。
そしてだからこそ、異変に気が付いたのだ。
誰かが、彼の耳許で囁いた。
(ひどいひとたちでしょう? いまもむかしも、かわりはしない)
(どこまでも、どこまでも、ひとのこういをむげにして、わたしたちをおいやろうとする)
(あのひだって、そうだった)
(あのひまでは、なかよくしていたのに。わたしはみなにつくしていたのに)
(それがあのひ、もろくくずれた。あのひとたちのせいで、わたしは、ころされた)
(だから、あのひとたちはだいきらい。ぎぜんしゃづらで、わたしのいのちをふみつぶした)
(わたしがなにをしたというの)
(ねぇ、わたしのきしさま。わたしをたすけてよ)
(たすけてよ)
あぁ、どうしよう。どうして気が付かなかったのだろう? リノアのかけてくれたはずの護りの術は、とっくに効果を失っていたのだ。
幼く甘い声が、スコールの心を蝕む。幻の腕が、肩に喉に絡みつく。心が怯えて震え始め、しかしSeeDとしての自制心がそれを表に出させない。
(助けて、くれ)
いつもなら、スコールが不安になるとリノアが気付いてくれた。理由はよく知らない、だけどスコールが想えばリノアは大丈夫と微笑んでくれた。
でも今は、気付かない。スコールは独りぼっちで、この存在と対峙しなければならないのだ。それが、どれ程恐ろしいことか!!
スコールの身体が、僅かに揺らぐ。
「アイゼン議長!」
見咎めたキスティスが、声を張って手を挙げた。
「私、SeeDトゥリープは、議会の一時中断を求めます」
「理由は?」
「レオンハート氏はお体の具合がよろしくないご様子ですから、少し休ませて差し上げたいのです。よろしいでしょうか」
「…………」
アイゼンは厳しい顔を更に歪めて黙考する。ちら、と少年を見ると、今更緊張が過ぎたのか彼の顔は真っ白になっていた。この状態では何を訊いてもろくなものは出なさそうだ、そう判断したアイゼンは重々しく頷いた。
「認めよう。但し、中断は30分のみだ。良いな?」
キスティスはほっとした顔で頭を下げた。
「ありがとうございます。SeeDティルミット、ハーティリー、レオンハート氏を控室へお連れして」
指名された2人はキスティスへ敬礼し、スコールの元へ向かう。
「大丈夫ですか」
「…………」
リノアの問いにも反応しないスコールは、手を引かれた瞬間くずおれた。2人は慌ててその身を支え、引きずっていった。
今更のように震え出した自身の身体を、スコールは他人事のように認識していた。
セルフィが控室の扉を閉め、その前に陣取る。リノアはスコールをスツールに座らせ、備え付けの水差しからグラスへ水を注いで差し出した。
「少し、飲んで」
上手く掴める自信はなかったが、スコールはグラスへ手を伸ばした。振動がグラスを通ってリノアへも伝わる。リノアは手を離すことなく、スコールが冷たい水を含むまで見届けた。
「……何なん、あの体たらく」
セルフィが、珍しい厳しい目付きでスコールを睨む。
「あんた、リノアの騎士やろ? リノアを守る魔女の騎士やろ? それが、あんなでええと思てんの?」
「セルフィ」
リノアがセルフィを遮り、頭を振る。そして、未だ震えの収まらないスコールの肩に触れた。
「『封』が、切れてたんだね。いつぐらいからか、わかる?」
「……わからない。さっき、気が付いた……っ、ごめ……」
「良いの。怖いね」
スコールは両腕を己の身体に巻き付け、歯を食いしばる。だが恐怖感はいや増すばかりで、ちっとも収まらない。子供を宥める時の様に、リノアはスコールの頭を抱き寄せた。
「……夢、の」
「ぅん?」
「夢で聞いたのと、同じ声だった……」
「夢……って、研究所で話してくれた、わたしを殺すって悪夢の?」
スコールは俯いたまま小さく頷く。そして、堰を切ったように話し始めた。
最初は、首を絞めた。
次は、拳銃を突きつけた。
その次は、ナイフで首を掻き切った。
更には、ガンブレードで五体をばらばらにした。
夢の内容らしいことはすぐに気付いたが、
そして。
「阿呆」
意を決したセルフィは、震えるスコールの頭上からそう言った。
「独りで何でもかんでも抱えな! 何の為にあたしら一緒なん?!」
セルフィは遠慮なく拳を振り落とした。リノアは驚いて肩を聳やかす。
「あんたがあたしらのこと大事に思てくれてんのは知ってる。でもあたしらかて、あんたのこと大事なんやで? しんどいんなら相談してぇや、まして魔女絡みなら尚更やろ!! あんたいつもあたしらに
スコールは、ふと目が覚めたような心地を味わった。
「助け合い……か」
思えば、「自分だけが耐えれば良い」なんて思っていなかったか。ただの夢だと高を括って、誰にも言わなかったから大事になったのではなかったか。男だから、騎士だから、「ただの夢」で弱音を吐いたり誰かを頼ってはいけないなどと、誰が決めたのだ。
ただ、言えば良かったのかもしれない。「夢見が悪くて調子が悪い。助けてくれ」と、ただ一言。
そう思ったら、スコールの肩からくたんと力が抜けた。震えが止まり、リノアの胸にもたれかかる具合になる。微かな鼓動が聞こえる。温かく全身を巡る命の音が。
「……助けて、くれないか? リノア、セルフィ」
小さな声で願うスコールに、2人は目を合わせて頷いた。
「勿論」
「あったりまえ〜」
いつもながらの笑顔に、スコールも微かに微笑む。
しかしリノアはすぐに難しい顔になった。
「でも、具体的にどうしようか。破られた以上、同じ手は使えないし」
「っていうか、リノアがさっき言った『封』ってなぁに?」
セルフィが首を傾げると、リノアは少し困った顔を見せる。
「ん〜、どう説明すればわかりやすいかなぁ……あ、スコールとわたしが感情面でリンクしてるっていうのは話したっけ?」
「うん、エスタから届いた実験報告書読んだから。あれだよね、スコールの強い感情をリノアが感じ取るってやつだよね?」
「そうそう。でね、そのリンクが今切れちゃってて、全然別の方向に繋がっちゃってるの。それがまた、別の魔女でねぇ」
「うわ、いいんちょってばモッテモテ!」
セルフィがからかうと、スコールはとても嫌そうに顔をしかめる。
「笑い事じゃないんだぞ。俺、取り殺されそうになってるんだから」
「相手に実体がないっていうのが厄介だよねぇ。と、いう訳で、スコールの感情を抑えたら『森の魔女』からの干渉も抑えられるかも、ということで、やってみたんだけど……」
「あっという間に解けちゃった、ってこと?」
スコールとリノアは悔しそうに頷いてみせた。
「ちょっと強めの暗示みたいなものだったから……でももう少し保つと思ったんだけどな」
「揺さぶりをかければ簡単に解けるってわかってたんだろう。畜生」
忌ま忌ましげに舌打ちするスコール。セルフィはふと、あることに気付いて口を開いた。
「……その、『森の魔女』? ってのには実体ないんだよね? まさかと思うけど、人の悪意を煽ったり、とかしちゃったりして……?」
『…………』
溜息が3人分、零れた。
「有り得なく、ないよねぇ……」
「ないな……あの嫌味ったらしいおっさんなんて、特に有り得そうだ」
スコールはがりがりと乱暴に頭を掻く。そして、そのまま腕を返して時計を覗いた。
「……そろそろ時間だな。その……ありがとう、2人とも。ちょっと、気が楽になった」
ゆらりとスツールから立ち上がり、申し訳程度に髪を整える。リノアが横から手を伸ばして撫で付けると、セルフィは「熱い熱い」とジェスチャーをしてみせた。それにスコールはわざとらしく顔をしかめ、軽く叩く真似をする。セルフィは笑いながら身を竦め、控室から逃げ出した。室内は一瞬、2人きりになる。
「スコール」
「ん」
リノアに呼び止められて振り返ったスコールは、クエスチョンマークを飛ばす前に思考が吹っ飛んだ。目の前にあるのは、リノアの黒くて長い睫毛。遅れて、柔らかな温かい感触を知覚した。
「…………おい」
ちゅ、と小さな音を立てた相手を、スコールは半眼で責める。リノアはしれっと微笑んだ。
「おまじない」
そして彼女は、ぎゅうっと恋人を抱き締めた。
「大丈夫よ。あなたは、独りじゃない」
スコールは彼女に気付かれないように、影でこっそり口許を和らげた。