「……あー」
 目を擦るスコール。
「眠そうだな」
 隣を歩くピエットが声をかけると、スコールは苦笑した。
「何せ、知らされてから3日間、てんてこ舞いでしたから」
「お疲れ様」
「いえ、これからです……」
 眠気覚ましに顔を擦る幼い仕種に、ピエットも苦笑せざるを得ない。
 だが、しっかりしてもらわなくては。これから彼にとって、地獄となるかもしれないのだから。


騎士の矜持

Act.2 「会議」


 3日前――。
 スコールとリノアは、大統領官邸に姿を現していた。
「ラグナさん、何の用だろうね」
「…………」
 2人は、表の応接室ではなく奥のプライベートスペースまでノーチェックで通された。プライベートスペースは、エスタらしからぬレトロなたたずまいをしていた。質の良い家具に囲まれ、リノアはともかくスコールは落ち着かない様子で縮こまっている。
「スコール、リラックスリラックス。っていうか、お父さんでしょうが」
「そうだけどな……」
 緊張のあまり溜息をつくスコールに、リノアは苦笑する。
「よぅ、悪ィな。ちっと遅くなっちまった」
 ノックもなくがちゃりと開いた扉に、スコールは肩を聳やかせた。驚かせた当の本人であるラグナは、リノアと顔を見合わせて噴き出す。
「あっはは、ごめんごめん。そんなにビビらせたか」
「……っ別に……」
 真っ赤になってそっぽを向く姿の何と可愛いこと。ラグナは息子の頭をすっとひと撫でし、2人が座るソファを回ってテーブルに白い箱を置いた。どう見ても、ケーキの箱だ。しかし幾つ入っているのやら、やけに大きい。
「悪いなぁ、こっちから呼び出しておいて何の用意もねぇんだ。何が好きなのかわかんねぇし、とりあえず適当に買ってきた」
 そう言うと、ラグナは長衣を脱いでL字ソファの短辺に放り投げる。ちょうど、スコールとは対面辺りにくる形だ。
「……何か話があって呼び出したんじゃないのか?」
 スコールが問い掛ける。ラグナは「あぁ」と軽く頷いた。
「お前達に関わる話だよ」
「じゃあ早く……」
「まぁ待て待て、焦るこたぁねぇだろ? とりあえず好きなの選びな。リノアちゃんも」
「いただきます♪」
 リノアは可愛らしく組み合わせた両手を頬に当ててみせ、箱を開く。
「あはっ、可愛い! ね、ね、スコール、どれが良い?」
「リノアが先に選んだら良い。此処では、リノアは客なんだから」
 仲の良い子供達の会話を聞きながら、ラグナは小皿とフォークをテーブルに置いた。そしてコーヒードリッパーを棚から取り出す。
 スコールが腰を浮かせた。
「俺がやるよ」
「良いって、座ってろ」
「でも」
「お前、ネルドリップの仕方わかるか?」
 からかうようなラグナの言葉に、スコールはぐっと詰まる。ラグナは鼻歌を歌いながら、コーヒーの粉を量り取ってドリッパーに入れる。
「お前、普段どこの豆とか考えて飲んでるか?」
 スコールは悔しそうに、無言で首を振った。ラグナはにかっと笑う。
「へへ、オレもねぇんだ。けどな、やっぱし故郷に近い場所で取れたやつは妙に旨い気がするんだよな〜」
 常にポットに用意されている湯を小さなケトルに移し、ドリッパーに注ぐ。それが不思議と様になっていて――所謂、「イイ男」の見本になっているように、スコールの目に映る。
「これはなぁ、オレがまだオヤジとオフクロと、弟といた頃住んでた辺りの特産品なんだ。最近になって、よーやくエスタにもトラビア回りで輸入されるようになってさ。懐かしいね……」
 独り言のようにラグナは言う。
「……あんた、弟いたのか」
「第二次大戦ではぐれたっきりだけどな。オレはその後、ガルバディア軍に入ったし」
「へぇ」
 続かない会話。リノアはいたたまれなくなる。だがラグナは気にしない様子で2人を振り向いた。
「リノアちゃん、ミルクかクリームか、どっちが良い?」
「あ、じゃあクリームで」
「オーケー」
 ラグナは出来立てのコーヒーを3つのマグカップに注ぎ、ひとつにだけクリームを入れて持ってくる。スコールはマグカップを受け取り……ラグナに突き出した。
「お?」
「俺にもクリーム。あと、砂糖」
 ラグナは目を丸くする。
「意外だな〜。お前、甘党か」
 小さく頷くスコール。ラグナは嬉しそうに微笑うと、カップへクリームをたっぷり注いでやる。そこへ少し砂糖を加え、スコールは漸く口を付けた。
 ラグナは自分のブラックコーヒーを一口啜り、スコールを見遣る。
「旨いか、ムスコさん」
 スコールは顎を引く。
「……クリーム入れたの、初めてだ」
「気に入ったか?」
「うん」
「そか」
 同性の親子というのは、こんなものだろうか? リノアは首を傾げつつ、ケーキを皿に取り上げた。
(まぁ、スコールが何となく幸福そうだから良いのかな〜)
 他愛ない会話を取り留めもなく続けながら、3人はコーヒーを飲み、ケーキをつつく。
 最近の生活の様子。
 昨日の検診の結果。
 ミネラルウォーターに関する東西の価値観の違い。
 ラグナがエスタの上着を普通に着ていて驚いたこと。
 スコールがリノアに買ったペンダント。
 一番新しいお気に入りのアクセサリー。
 ガーデン内でスコールが聞いた妙な陰口と、個々人に対して陰口の傾向。
 嫌いな食べ物。
 好きな色。
 スコールは何とかして、自分の考えをラグナに伝えようとしていた。時折言葉に詰まり口を噤むが、ラグナが上手く合いの手を入れてやるとまた話し出す。小さい子供がお喋りしているような具合だった。リノアは親子たろうとする2人を、じっと見守っていた。
 きっと、レインがいたのなら、夫と息子の間でにこやかに話を聞いていただろう。
 今、リノアがそうしているように。

 スコールがケーキの最後の一欠けらを口に放り込んだ時、電話が鳴った。ラグナはちらと見るや否や、顔をしかめる。
「ンなときに誰だよ……もしもし?」
 不機嫌極まりない様子で、ラグナは内線を取り上げた。
『ご歓談中にすみません。ホットラインが入っています』
「発信元は?」
『F.H.経由、バラムです』
「ガーデンか? 繋いでくれ」
 スコールの背に、ぴくりと緊張が走る。
「こちらエスタ大統領府」
『ご多忙中に失礼いたします。こちらはバラム・ガーデン司令室、SeeDキスティス・トゥリープです』
「お? 何だ何だ、どうしたんだぁ?」
『あの……スコールを、今呼び出して頂くことは可能でしょうか。無躾なお願いとはわかっておりますが……』
 ラグナはちらと息子を見る。彼は平然を装い、ラグナを見ていた。
「待ってな。……スコール、ガーデンだ。お前にって」
 コードレスホンを差し出すと、その蒼眸にさっと緊張が走る。
「レオンハート」
『こちらSeeDトゥリープ。緊急の伝達事項よ』
 焦りながらも的確に手短に告げられた用件は、スコールの眉を跳ね上げるのに充分な威力があったようだ。がたりと立ち上がるスコールに、リノアとラグナは身を震わせた。
「……っちょ、待てよ、冗談も休み休み言え!」
『それが冗談じゃないからこうやって電話してるんでしょうが!』
 声を荒らげたキスティスは、ひと呼吸分だけ間を開け改めて口を開く。
『とにもかくにも、三日後に「世界会議」が開かれるわ。バラム・ガーデン(うち)も調停役として呼ばれているから、学園長は貴方を代表者として出す気でいらっしゃるんだけど……そこに、問題が在って……』
「……こんなぎりぎりに会議を言い出しやがるドール執政議会も充分問題だと思うが」
『もっと切実よ。あのね、バラム政府に、貴方宛ての封書が届いたの』
「俺宛ての封書が、政府に? それはまた豪快な誤配だな」
『……いえ、誤配ではないの。正確に言うなら「魔女の騎士」宛て、ね。主催のドール議会はうちの司令官イコール「魔女の騎士」だとは知らなかったみたい』
 漏れ聞こえたキスティスの言葉に、リノアが身を固くした。目の端でそれを捉えたスコールは、彼女の髪をそっと撫でる。
(不安、だろうな)
 スコールは無力感を感じた。
 俺は、彼女の心を護る魔女の騎士。
 だがどうだ、自分は少しも役目を果たせていない。どころか、不安要素を更に増やして心労を重ねさせている。
(何で、俺はいつもお前に迷惑かけてばかりなんだろう。俺はお前の、力になりたいのに)
 大事にしたいのに、どうしたら最善なのかわからない。どうしたら彼女が心安らかに暮らせるのかがわからない。
『スコール?』
 黙り込んだスコールに、キスティスが訝しげな声をあげる。
「あぁ、いや……その封書、こっちにファックスしてくれないか。番号は俺、の……」
 すっと、ラグナが一枚の紙を差し出した。スコールは驚き、ラグナを見る。ラグナは厳しい顔で頷いた。
「(その話をする為に、オレはお前を呼んだんだ)」
 唇の動きを読み、スコールは差し出された紙を受け取る。
「……やっぱり、良い。それって、『召喚状』ってでかいフォントで始まってるやつだろ」
『どうしてそれを?!』
「エスタにも届いてたらしい、今ラグナから貰った。この分だと、ガルバディアやトラビアにも届いてそうだな」
『ティンバーにも、よ。先刻、駐屯軍から入電ありとガルバディア内閣府から来たわ』
 スコールは静かに深呼吸する。
『まるで、裁判ね。「召喚状」だなんて』
「執政議会自身はそのつもりなんだろ。欠席裁判にされなかっただけ、善しとしないとな」




       召喚状

       魔女の騎士 スコール・レオンハート

 ドール執政議会の名において、貴殿を下記会議に召喚する。


               ドール執政議会 議長 ヴィクトル・アイゼン
                                              』


 それからが大変だった。キスティスに全権を委任すると言っても、やはり彼はガーデンの司令官なのだ。期限はたった3日、その間にガーデンとの打ち合わせを済ませてしまわなければならなかった。ガーデンに戻って打ち合わせをすれば事は簡単だったろう。だが、「魔女の騎士」である彼がガーデンの司令官としておおっぴらに移動することはガーデンの中立性を損なうと判断し、スコールはエスタから時差に悩まされつつ指示を飛ばしていた。
 そして彼は今、ドールの地に立っている。
「スコール」
 待ち合わせ場所に指定した会場ホテルのラウンジで、キスティスが軽く手を振ってスコールを呼んだ。SeeD服をきっちりと着込んだ彼女の隣には、同じくSeeD服のリノアがいる。今日の彼女は、スコールの恋人でも司令副官でもなければ、魔女でもない。SeeDハーティリーは、司令官代理であるSeeDトゥリープの補佐としてこの場にいた。
 ピエットに目配せし、スコールは足早に2人の座るテーブルへ向かう。
「アーヴァインは?」
「今回は警備隊長になってもらったわ。現在周辺区域の哨戒中。事前に、テロ組織が狙ってるらしい、なんて情報もあったけど……ま、この分だと杞憂で済みそうね」
 スコールは軽く頷き、無造作に手を出した。キスティスは心得た様子でその手にボードファイルと印章を載せる。
 ソファに斜に腰掛け、スコールはボードファイルを開いた。中には一枚のプリントアウトが入っている。それにさっと目を通し、印章を改めたスコールは、プリントアウトへサインを書き込み捺印する。「奮い立つ獅子」が紫紺の偉容をあらわにした。
「杞憂に済んでくれなきゃ困る。何かあったら、それこそSeeDの名折れだ」
 パン! と威勢の良い音を立ててボードファイルを閉じられる。スコールがそれをキスティスへ差し出すと、キスティスは引き換えに金色のバングルと魔法カートリッジを数個手渡した。
「念の為、ね」
「……使わない事を祈るよ」
 予め開かれていたそれを左手に嵌める。元々付けていたシルバーブレスレット――リノアが魔力を込め、彼を護るアミュレットと化したアレだ――と並べると、少々異様な雰囲気になっていた。そもそも今日は私服ではなくスーツ姿だ、アクセサリーが似合う代物ではない。
 リノアがバングルへそっと触れ、キーを引き抜いた。代わりにスコールへと己のバングルを差し出す。スコールは当然のようにそれをリノアの左手に嵌め、キーを取って懐に入れた。
 流れるような一連の動きを見ていたキスティスは、わざとらしい呆れ顔で首を振った。
「私、最終打ち合わせがあるから行くわね。SeeDハーティリーは、ピエット氏とレオンハート氏の護衛をお願い」
「了解です」
 リノアは敬礼し、キスティスを見送る。
「……妙な気分だな。護衛される側、って」
「ふふ」
 リノアが小さく笑う。対してスコールは、どこかぼうっとした様子で僅かしか表情を動かさない。
「調子はどう?」
「寝不足な以外は、割と良いかな。感覚は、ちょっと狂ってるけど」
 スコールがそう言うと、リノアはそっと彼の頬を撫でた。スコールは微苦笑を見せる。
「もしもの時には、役に立ちそうもないな」
「仕方ないわ、あなたを護る為だもの」
 リノアはスコールの額に口付けた。スコールはそれを、平静な顔で受け止めた。
 スコールは今、リノアの魔力に因って感情の一部を麻痺させられている。スコールを欲しがる仮称「森の魔女」が彼の恐怖や情を利用しているのなら、それを出来るだけ封じることで対抗してはどうか、というスコールの発案に因るものだった。
 果たしてそれは、確かに有効ではあるらしい。しかしその為に意識にも霞がかかったような状態になっており、バトルになった際動ける自信はまるでなかった。
「カッコイイねぇ、スコール?」
 ぼんやりしていたスコールに、リノアが唐突な言葉を投げかける。
「?」
「スーツ。持ってたんだね」
「…………あぁ、いや、これはエスタで買った」
「そうなの?」
「俺が持ってるのは、クローゼットに押し込んでるダークスーツだけさ。これは昨日、ラグナが持ってきた」
 スコールはストライプの入ったスーツの襟を引っ張ってみせた。
「あいつ、可笑しいんだ。レディメイドの安いので良いって言ったのに……むしろ、体格殆ど一緒なんだから貸してくれれば、って言ったのに、持ってきたのがこれ。親バカも大概にしろって……」
 呆れたような口ぶりながら、擽ったそうに微かに微笑うスコール。ラグナは可愛いスコールに、せめて良いものをと用意してくれたらしい。何だかんだ言っていても、げに有り難きは親の愛。
「多分ラグナさん、時間があったらオーダーメイドにしたんだろうねぇ」
 スコールは肩を竦めた。
「スコール」
 不意に、リノアは真面目な顔でスコールの肩に手をかけた。
「辛くなったら、いつでもわたし達に頼ってね。あなたは独りじゃない。ガーデンはいつでも、あなたの味方よ。あなたが助けを求めるなら、ガーデンは世界を敵に回してもあなたを護るわ。……最後まで」
「……中立、ってことで調停役に選ばれたんだろ? 良いのかよ」
「良いんだよ。だって、学園長からの伝言だもの」
 リノアはもの優しく微笑う。
「そして、学生大会で決が採られたバラム・ガーデンの総意です。わたし達は、何があろうともあなたを援護するわ」
 スコールの目に、じわりと涙が浮かぶ。何と心強いことだろうか。感情を鈍らせていても、胸が熱くなる程だった。
 ――これだけで、俺は頑張れる。リノアの為に……ミシュアの、為に。
「……ありがとう」
 リノアはにっこりとする。 「お礼は、帰ってから皆にも言ってあげてね。……あ」
 リノアが、ラウンジに入って来た人物に気が付き、顔を上げた。
「ラグナさん」
「よぅ、2人とも」
 どっしりとしたダブルのスーツを着たラグナは、ゆっくり歩み寄ってリノアを抱き寄せ、両頬を触れ合わせた。エスタ風の挨拶だ。スコールは僅かに不満げな表情を浮かべ、静かに立ち上がる。ラグナはそんな彼も無造作に抱き寄せ、両頬を合わせる。そして、そっと頭を引き寄せ額に口付けた。
「…………」
「エスタじゃ、親族間ではこうして目下に祝福を贈るモンなんだ」
 ラグナはそのままスコールの頭を肩に寄せ、あやすように軽く撫でる。
「大丈夫、お前は独りじゃないからな」
「……ラグナ」
「そりゃさ、オレは大統領なんてやってっからな、表立ってはお前を支持できない。けどな、オレはお前の父親だ。いざとなりゃあ地位なんて捨ててやる。辛くなったら言ってこい、全力で守ってやる」
 スコールは、長い間黙り込んでいた。
 どうして、どうしてこの「親」という者達は自分が欲しいものをすっかり見抜いてしまうのだろう? 無性に悔しい思いを抱きつつ、努めて心を平静にし、ただ小さく頷いた。あまり感情を動かして、せっかくリノアが苦心してくれた術を壊す訳にはいかないからだ。
「ところでお前、何か顔色悪いけどちゃんとメシ食ったのか?」
「え……あ、いや……その……」
 唐突な問いを誤魔化そうと思った矢先、胃がきゅっと引き攣れた。思わずそこを押さえたスコールの頭を、ラグナは軽く叩く。
「お前、メシだけはちゃんと食えって言ってるだろーが。ほれ、いくぞ。カフェで軽く食ってから議場に行こう」
 ラグナに肩をがっちり捕まえられて渋々連れられるスコール。リノアはくすくす笑いながら、ピエットと共に付いて行った。

 議場は、まだ定刻ではないというのにざわめきがあった。
 リノアは入口で立ち竦む。
「リノア、俺はあっちだから」
「あ、うん」
「また後でな」
 スコールはするりと議場の階段を降りていく。最奥近く――被告人席、へ。
 リノアが立ち竦んだ理由は、それだった。
「……まるっきり、裁判じゃない」
 叫びたかった。
 これが、仕打ちか。戦火のただ中に生まれ落ち親の愛を知らずに育ち、愛してもいない世界の為に命をかけた英雄への仕打ちか。ただ、人と違う力を持った者を恋人にしただけで、世界から断罪されなければいけないのか。わたしは、たまたま力を継承しただけで、指を差されて非難されなければいけないのか。
 ――ふと、思う。歴代の「悪しき」魔女達は、ひょっとしてこの仕打ちに憤り、力を奮ったのではあるまいか。己の騎士を手放してでも、()の真心に酬いる為に。
 リノアの目線の先で、スコールは、静かに席に就いた。ピエットは付添人の席に座る。少年は背筋をぴんと伸ばし、真っ直ぐと前を見据える。先程見せていた不安そうな様子はない。
 空気が僅かに変わったのがわかる。皆、彼を見極めようとしている。
 話し合いが通じる相手か、否か。
 リノアは唇を噛む。
「リノア」
 そっと包み込むように、深い声が彼女を呼んだ。リノアははっと振り向く。
「元気そうだな」
「お父さん」
 フューリー・カーウェイ現ガルバディア首相は、久しぶりに会う娘をそっと抱き締め頬に口付ける仕草をした。リノアも慣れた仕草で返礼する。
「お父さん、ちょっと太った?」
「デスクワークが多くて運動不足でな」
 娘のからかいに冗談めかして肩を竦めるカーウェイ。彼はその傍らにある筈の姿を捜し、視線を彷徨わせた。
「……スコールくんは」
「あっち」
 リノアが指し示す。スコールは相変わらず行儀良く座っていた。時折ピエットと何か話しているようだが、会話が弾んでいる風もなく。
 カーウェイは痛ましげに目を眇めた。
「酷い話だ。皆お前達がまだ子供で、必死に生きていることを知らない」
「…………」
 リノアは俯いた。
「……こんなんじゃ、わたし、すぐに悪い魔女になっちゃいそうだね」
「リノア……」
「わたし、思ったんだ。ひょっとして……ひょっとしたらさ、『悪しき魔女』って呼ばれた人達は、本当は騎士の為に力を振るったんじゃないか、って、今ふっと思った」
「…………」
「大切な人を、騎士を傷付けられて、我慢出来なくなって復讐、した、ん、じゃ……?」
 不意にリノアが顔を上げた。
「リノア?」
「何……か、いる?」
 カーウェイはさっと娘の視線を追う。が、そこには何もない。
「お前の目線の先には、照明以外何もないぞ」
「ううん、居る。居るわ、此処に……でも、違う人? 男の人? 『森の魔女』では、ない?」
 おかしい――カーウェイが訝しげに見つめる中、リノアは首を傾げた。

 感覚が、矛盾する。

 一方は焦燥感を抱きリノアを引きとめようとする。一方は高揚感を抱きリノアを押し出そうとする。相反していながら、残る感覚はとてもよく似ていてリノアにはわからない――今、此処にいるのは誰だ? 今、自分の感情と共鳴したのは、一体誰だ?
 視界の端で、スコールがリノアを振り返った。期せずして、ぱちりと目が合う。リノアが首を傾げると、スコールはピエットへ一言何かを告げ立ち上がった。
 静かに段を昇ってきたスコールに、リノアはきょとんとする。スコールはカーウェイに向かって深く一礼すると、リノアに寄り添った。
「スコール? 何かあった?」
「いや……何か、聞こえた気がして、振り返ったらリノアがきょろきょろしてるみたいだったから」
「『何か聞こえた』? どんなの?」
「……何だろう、『振り向け』って言われた気がしたんだ」
「それは、男性? 女性?」
「わからない。男のような、女のような……」
 そこで、スコールははっと言葉を切った。此処は、魔女や「見えないもの」への理解のある者の方が少ない場所だ。もし今話している内容を聞いた誰かが、「魔女の騎士は狂気の人物だ」と断じたら……? 現に今、カーウェイは奇妙な顔をしているではないか!
 スコールは殊更ゆっくりと頭を振った。
「……いや、俺の気のせいだと思う。最近寝不足だし、それで誰かの言葉を勘違いしたのかもな。悪かったな、変な話しにきて……変なところをお見せして申し訳ありません、首相」
「いや……」
 頭を下げるスコールに、カーウェイは戸惑う様子を見せていた。彼の目には、少年があまりにも憔悴しているように見える。声をかけようにも、どこか必死すぎるその表情をほぐせるような言葉を、見つけ出すことが出来なかった。
「スコール、待って」
「そろそろ定刻だ。お前も持ち場へ行けよ。失礼いたします、首相」
 一方的に話題を打ち切ると、リノアが止めるのも聞かずスコールは足早に段を降りていった。
 まるで、逃げるように。




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