――闇の中から、声がした。
 ぼんやりと、輪郭のない「響き」。
 甘い、女声。
 それは、少年の心を、ずくりと、刻んで――。


騎士の矜持

Act.1 悪夢



 ――……。

 闇の奥から、声が、する。

 ――し……き……よ……。

 それははっとする程柔らかく、懐かしい、声。

 ――騎士よ……。

 は、と目が開いた。
 辺りは真っ暗だ。ただそれだけで、不安を掻き立てられる。
(どこだ……?)
 周囲を見回しても何も見えない。
 ……いや。
(光!)
 遠くに、明かりが見えた。足元は最悪と言っていい程の状態だが、そこに向かいひたすらに駆ける。
 果たしてその光の正体はリノアだった。
「リノア」
 呼び掛けてから、あまりに子供っぽい甘えた声だったことに恥ずかしい気持ちを抱く。高々暗闇くらいで、どれだけ不安がっているんだか。
 だが、リノアは振り向かない。
「リノア?」
 ひょっとして、彼女も怖いのだろうか。怖くて怖くて、振り返ることが出来ないくらいなのだろうか。そう思い、その肩に手を伸ばす。
 その時、するりと、肩に首に何かが絡み付いた。
「だめよ、いっちゃ」
 耳元で、甘く掠れた声が囁いた。
「……リノア?」
「いっちゃだめ、あれは『ニセモノ』よ」
「偽、物?」
「そう、『ニセモノ』」
 甘い声が、目の前の振り返らない「リノア」を否定する。
 とろりと耳に流し込まれる蜜に、思考が、鈍る。
「ねぇ、わたしのきしさま? わたしの『ニセモノ』、どうにかして?」
「どうにか、って……どうしろと……」
 くすくすくす。声は笑う。嗤う。
「かんたんじゃないの。『ニセモノ』を――」

「     」

「っ!」
 がばりと、少年は身を起こした。寝間着にしているシャツの首から、肩の細いラインが垣間見える。彼はぜぇぜぇと、全力疾走したかの如く肩で息をしていた。
 ぽ、とベッドスタンドの明かりが点く。
「どうしたの? スコール」
 リノアは、驚かさないようにそっと声をかけた。繊手がスコールの肩に触れる。
「……いや、何でもない。夢見が悪くて、跳び起きたみたいだ」
「眠れそう?」
「あぁ……大丈夫だ、もう落ち着いてきた」
 スコールは汗を拭って微笑う。だが、その笑みの半分は嘘だった。
(眠るのが、怖い……)
 腑に落ちない様子のリノアを抱き込み、スコールはスタンドの明かりを落とした。

「スコール、朝だよっ!」
 強い光が、目蓋を貫いた。スコールは殆ど反射的にブランケットに潜り込む。
「……うー……」
「こらぁ、起きなさい! うだうだしてる内にルームサービスの人来たら、いくらなんでも恥ずかしいでしょ」
 リノアは容赦なくブランケットをはぎ取った。スコールは上半身をさらされ、なおも寝穢く丸くなる。
「ス・コ・ー・ル」
「うぅ」
 唸りながら、漸く目を開けたスコール。リノアは柔らかな笑みを見せ、「おはよう」と言った。スコールも辛うじて薄く笑みを見せる。
「……お、はよう」
「お水でも持ってこようか? 低血圧さん」
「あぁ、ありがとう」
 リノアはスコールの額に口付け、リビングへと向かう。
 スコールは、窓の外を見た。そこには、エスタの街並みが広がっている。空は雲ひとつない快晴だ。
(暑くなりそうだな)
 高い山に囲まれたエスタは乾燥性気候で、今の季節は昼は暑く夜は寒いほどの時がある。よくもまぁ皆長袖を着ていられるものだとスコールは思うが、そこは地元民の昔ながらの知恵なのだそうだ。陽射しがきついので、あまり肌を曝し続けていると火傷を負うこともあるのだとか。やはり、この地は基本的に砂漠に近いのだ。温暖湿潤気候のバラムで育ったスコールには、少しばかりしんどい。
「スコール?」
 目の前で手を振られ、スコールははっと瞬いた。振り返れば、水差しとグラスを持ってきたリノアが首を傾げている。
「あ……悪い」
「ううん」
 スコールがグラスを受け取ると、リノアは水を注いだ。エスタではミネラルウォーターはなかなかの高級品で、高ランクのホテルなどそれを無償提供しているのが売りなところもある。グアルグ山脈の恩恵をたっぷり受けているバラムっ子にはわからない感覚だ、とスコールは思う。
「ところで、スコール。今日の身体調査なんだけど……」
「『やっぱり俺が一緒に受けることないんじゃないか』って? リノアも大概しつこいな」
 神妙な顔のリノアに、スコールは苦笑いした。
「言ったって健康診断だろ? どうせバラムでもこの時期だ。手間が省けてちょうど良いし、リノアが受けるものを俺が先に受けて、何事もなければ俺も安心出来るしな」
「……過保護なんだから」
 リノアは嬉しそうに苦笑する。スコールは軽く肩を竦め、するりとベッドを出た。
「シャワー浴びてくる。ルームサービス来たら呼んで」
「はーい」
 リノアは可愛らしく手を挙げて、寝巻のズボンだけ纏った彼の背中を見送った。

 1時間程後、軽いミールを腹に納めた2人は、オダイン研究所へ出向く為にホテルを出た。腹ごなしついでに、リフターではなく徒歩で向かう。
「何だか久々にお日様浴びた気がするよ」
「俺も。分業が進んで楽になったとはいえ、デスクワークばかりだからな」
 半透明の素材で出来たビルや案内板を眺めやりながら、2人は歩く。殆どの建造物がそういう素材なのに、踏み締める足元はしっかりした実体のある――というと妙な感じだが、要するにあまり透けていない――色をしているのが何だか不思議な感じもする。
 緩いカーブをゆっくり歩き過ぎていけば、研究所に着く筈だ。その最後の曲がり角に、1人の男性が立っていた。
「やぁ、久しぶりだな」
 エスタ人にしてはこざっぱりとした服装の、短い金髪の男だった。その男は、スコールを視界に納めると気さくに手を挙げる。
「……確か、ルナサイドベースの」
「主任だったピエット・オーウェンだ。覚えていてくれて嬉しいよ、SeeDくん」
 無造作に握手を求められ、スコールはピエットの手を握る。ピエットは片眉を上げた。
「おいおい、君の年頃で、しかも鍛えてるとなればもっとがっちりしてるもんじゃないか? 細すぎるぞ」
 スコールはばつの悪い顔になった。成程、医療クルーであっただけある。
「検診で何も出ないことを切に祈るよ……さて、お嬢さんは私のこと覚えていないだろうね。何しろあの時はSeeDくんにおんぶされてぐっすり寝ていたものな」
 ぽかんとしていたリノアは、「あの時」が何時なのかを思い付くやはっと身を固めた。
「参ったな……そんな怖がらなくても」
 ピエットは苦笑する。
「あの時は、悪かったね。せっかく頼ってきてくれたのに何も出来ず、おまけにはやとちりした奴らのせいで怖い目にも合わせた。エスタを代表して、というわけではないが、研究所の一職員として心よりお詫び申し上げる」
「いえ、そんな!」
 深々と頭を下げたピエットに、リノアは慌てて両手を目の前で振った。
「わたしこそ、皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。結局のところ、わたしがアルティミシアに抵抗しきれなかったのが何よりの原因なんですから」
「そういう訳でもないと思うぞ。リノアはよくやってた」
「スコール……」
 スコールの茶々に、ピエットも重々しく頷く。
「あぁ、本当によくやってたと私も思う。いや、実際今でもよくやってるんだな。そうでなくて、どうして今此処にいる? 『あの』オダインだ、検診と称して何をされるかわかったものじゃないのに」
「これくらいしか、わたしには出来ませんから」
 スコールは苦笑した。リノアはいつでも、人の頼みに笑顔で応じる。それは偏に彼女の無垢な優しさからくるものだ。
 ピエットは目許を和ませ、「そうか」と小さく頷き、踵を返した。
「それでは行こうか、SeeDくん達」
「……あの、すみませんがその『SeeDくん』ってどうにかなりませんか? 俺達、どちらもSeeDなんですが」
 スコールがピエットに問う。ピエットは悪戯っぽい笑みを浮かべてスコールを見返した。
「君が『ドクター』も『ミスタ』も付けず、ただ『ピエット』と呼ぶなら、君を『スコール』と呼んでも良いが? 私は君達とさほど歳が離れているわけでもないしね」
「…………」
 スコールは黙り込んでしまった。無理もない、とリノアは思う。
 スコールは自分の考えを説明するのが不得手な為に、ちょっと見無知で傍若無人という判断を下されがちだ。だが少し時間を共にすれば、彼が丁寧できちんとした教育を受けてきた人間だとわかる。目上の人間を呼び捨てに出来ないところにもそれが表れている。
 ピエットは困り果てた彼の顔に小さく笑う。
「まぁそれはともかく、オダ研もといエスタ国立第一研究所へようこそ。私はこれから君達の健康や身体データの管理をすることになる。ま、早い話がエスタにおける掛かり付け医だな。調子が悪いなら先に教えておいてくれよ」
 2人は思わず揃って頷いた。ピエットは満足げに口の端を引き、研究エリアへ向かう廊下のドアロックを外した。
「殆どは世間一般の健康診断だ。これで引っ掛かっちゃったら、次の段階に行く前にその原因究明をすり羽目になるぞ」
「わたしは大丈夫です! スコールは?」
「俺、肝機能検査また引っ掛かるかも」
 けろっと不穏なことを言うスコールを、リノアは呆れた顔で見上げる。
「まさかと思うけど……お酒のせい?」
「いや、何だっけ……総ビ……ビリ? そういうのが上限値辺りをふらふらしてて」
「……君のは血液検査を重点的にしておくよ」
 ピエットは苦笑いし、2人を更衣室へ案内した。
「じゃあ、検査着に着替えてきてくれ。2人共準備出来たら説明するよ」

 結論、検査は本当に平穏無事に終わった。何か特筆すべきはあったかと問われれば、スコールがやたらに欠伸をしていて、「緊張感がなさすぎる」とリノアに怒られた程度のことだ。ピエットや研究所の職員には、微笑ましい光景と映ったようだったが。
「退屈だったろう? 夕方には結果が出るから、それまでデートでもしてきたらどうだ?」
 若者達に気を利かせたピエットの言葉に、リノアは期待に満ち満ちた目をスコールへ向ける。勿論スコールが否やを言うはずもなくて、2人は街へと繰り出した。
 町の上層部は整然としているが、本来の地上に近付くにつれ町並みは雑然としてくる。
「やっぱりエスタも、ひとの住む街なんだね〜」
 廉価ながら精巧な細工物を扱う露店を覗きながら、リノアが感心の溜息をついた。
「あっはは、おかしなこと言うね、お嬢さん。それどう? 安くしとくよ」
 売り子の女がにこにことリノアに問う。恐らく、今手にしている銀のペンダントは彼女の手に因るものだろう。
「えー、うーん、どうしよう? いくら?」
「材料費結構かかってるから、ホントは500ギルくらい欲しいんだけど……大マケにマケて300でどーよ?」
「むー」
 リノアは傍目から見て気の毒な程悩んでいた。買えない訳ではない、だが買うと手持ちが心細くなる。今回は観光で来た訳でなし、財布の中にはせいぜい1000ギルしか入っていなかったりする。
 どうしよう、どうしようと悩んでいるうちに、筋張った大きな手が500ギル紙幣を売り子に差し出した。
「細かいのがないんだが、大丈夫か?」
「大丈夫よ〜。毎度ありっ、釣りの200ね」
 スコールの手に、金貨2枚とペンダントが載せられる。スコールはありがとう、と礼を言うと、金貨は尻ポケットに捩込み、ペンダントはリノアへ差し出した。
「ほら……行くぞ」
「え……あ、ありがとう!」
 思わぬ贈り物に、リノアは本当に嬉しそうにペンダントを握り締めた。

 ピエットは、渋い顔でプリントアウトを睨み付けていた。
「主任?」
「……ふむ」
 鼻を鳴らすピエットに、医療クルーは苦笑する。
「検体やデータは間違っていませんよ。何だか、女の子みたいな数値ですよね」
「正直、ひどいな。もうちょっと健康に気を使ってもらわないと」
「でも成長期でしょう? それを考えたら誤差の範囲だと思いますけど」
 2人が言っているのは、スコールの血液検査の結果のことである。何とまぁ、血圧も比重も低いこと。ビリルビンの数値が上限を突き破っているのばかり目立って、10代後半の男子としては微妙な数字だった。
「後は平均的か、それよりちょっと良い方に上回ってるくらいですから、そんなに問題でもないと思いますよ」
「若いからって食事をないがしろにしているだけかもな、この貧血状態は」
 生活指導が必要だな、とピエットは心に刻む。病気の芽は、若いうちに摘み取れるだけ摘み取ってしまうのが良い。まして彼は、まだ幼い程なのだから。
 内線が鳴った。
「はい、第3検査室」
『ロビーです。レオンハート氏とハーティリー嬢が戻ってきましたよ。解錠許可を』
「許可します。そのままBルートで睡眠測定室まで通してください。主任が待機しています」
『わかりました』
 医療クルーに頷いて、ピエットはテーブルに置かれたアタッシュケースを取り上げた。
 これから、今日の最終検査を行うのだ。

 睡眠検査室は、スタンダードなホテルの一室のようだった。座る場所が1人掛けのソファしかないため、2人をベッドに腰掛けさせたピエットは窓枠に寄り掛かっている。
「お帰り。楽しかったかい?」
「はい、とっても! ピエットさんが教えてくれた下町、すごく良かったです」
「それは良かった」
 嬉しそうに笑顔で話すリノアに、ピエットは頷いた。
 自分の好みではないが、笑顔の魅力的な娘だと思う。きっと、彼もそれが可愛くて仕方ないんだろうな――行きにはなかったペンダントを認め、からかいの意を込めてピエットがスコールを見遣ると、何と当の本人はそっぽを向いて大欠伸。
「まーた欠伸してる。もぅ」
 リノアが唇を尖らせた。スコールはばつが悪そうに頭を掻く。
「ははは、寝不足か。ならこの検査はちょうど良いかもな」
「……何の検査ですか?」
「脳波測定だよ」
「?」
 スコールは訳がわからない、とでも言いたげな顔で首を傾げた。
「取りませんでしたか?」
「活動時のものはね。今から取りたいのは、睡眠中のものだ。……こら、面倒って顔に出てるぞ」
 それが容易に想像出来たリノアは慌てて俯いた。だが肩の震えは止まらず、拗ねたスコールに軽く拳固を食らう。
 ピエットは微笑ましげに目を細め、ぱんっと手を叩いた。
「さ、ではスコールくんから取らせてもらうぞ。寝付くまでは、この部屋で好きにしてくれて構わない」

「寝る気配がないな」
 ピエットと医療クルー、それと暇を持て余しているリノアは、スコールの様子を第三検査室から観察していた。小さな4面モニターの中で、スコールはぼうっとベッドに腰掛け続けている。
「あ、また欠伸」
「昨日は『仲良く』してたの?」
 医療クルーがリノアに問う。リノアは一瞬きょとんとしたが、すぐに意味を理解して頭を振った。
「いいえ。一応、健康診断なんだしということで、有無を言わさず寝かし付けられました」
「え、寝かし付けた、じゃなくて?」
「あはっ」
 可愛らしくごまかすリノア。ピエットはまるっきり女子高生のような会話にやや呆れ顔で頭を振った。
「仕方ないな、先に魔力抵抗値の測定をしよう」
「はい、主任」
 クルーは待ってましたとばかりに立ち上がり、てきぱきと用意をし始める。
 リノアは首を傾げた。
「魔力抵抗値?」
「あぁ、文字通り魔力に対する抵抗力を表す数値だな。一般人でも4ケタはあるものだから、対魔女訓練を受けていた筈の彼はどれだけ抵抗値があるのか、皆興味津々なんだよ」
「じゃあ、今回スコールも受けるって言い出したのは、ひょっとして皆さんにとっては……」
 ピエットは頷いた。
「正しく『渡りに船』、だね。彼は君の受ける検査を先に試すことで安心できる、我々は好奇心を満たすことが出来る。お互いに利害も一致しているし」
 ピエットは嬉しそうに言うが、聞いているリノアは面白くない。スコールがこんな検査を受けることは、彼女は聞いていなかったのだ。
「それ、スコールは……?」
「話してあるよ。というか、むしろ彼から打診があったんだ。そういう検査はないのかと」
「えっ?」
「何か、不安を持つようなことがあったのかもしれないな。その辺りはメンタルスタッフにでも話してくれたら、と思うんだが……プライドが高そうな子だからな、難しいかな」
 その言葉に、ふぅっとリノアの意識が過去に飛んだ。

『熱いよ、リノア……』

「作戦」決行の前夜。最後の休息をと竜機を降ろしたその森で、スコールは「魔」に魅入られた。経緯は彼の名誉の為端折るが、あられもなく乱れた姿をリノアの眼前に曝した彼にとっては、非常に恥ずかしい一夜だったろうと思う(ちなみにリノアの感想としては、護れなくて申し訳ないと思うと同時、『美味しかった』)。
「セッティング完了。マジックボックスのロック解除許可を願います」
「解除許可する。当時点より実験開始」
「タイムスタンプ、4時23分PM」
 ピエットの合図で、リノアは端と現実に戻ってきた。慌ててモニターを見遣るが、しかし何か発生した様子は、ない。スコールは相変わらず、うろうろしたりソファに座り込んだりしていた。
「カレンさん、マジックボックスって何ですか?」
 リノアは観察係の医療クルーに声をかけた。
「んー、ガーデンが使ってる魔法カートリッジの、上位規格版、かな? この……テーブルの下に置いてるアタッシュケースに入ってるの」
「あの中には、貴重な魔導石を液状化し濃縮したものが入っている。疑似とはいえ魔法の材料になるのだからそれなりに魔力があるけれど、魔女に協力を仰ぐよりは安全な実験材料だよ」
「…………」
 ピエットの何気ない一言に、リノアは胸を氷で刺されたような気分を味わう。
「魔女よりは、安全……ですか」
「と、仕様書には書いてある」
「仕様書?」
「実はこれ、アデルがこの国を支配していた時分に造られた器材でね。対アデル戦の突破口を見つける、が存在理由だったものだから、仕様書にもあちこち皮肉が雑じってたりするんだ。これは、騎士殿が読んだら本気で怒るだろうなぁ」
 勿論、命が惜しいから絶対見せないがね、と付け足したピエットは、くくっ、と喉の奥で笑った。リノアは腑に落ちない。それが皮肉だとわかっていて、何故自分に何も言わないのだろう?
「でも、じゃあわたしが実験に協力すべきだったんじゃ?」
 鼻先を指してリノアが問うと、カレンはくすっと笑って肩を竦めた。
「それがね、彼ったら貴女の魔力には全然抵抗反応を見せないの」
「そうなんですか?」
 カレン曰く、データを取るべくあれやこれやと計器を作動させてはいたそうなのだ。だが、リノアが魔導関連の検査――勿論、スコールも安全を確かめる為に意味もなく受けている。そして機材を反応させてしまい皆が苦笑していた――をしている最中にも、スコールは全く反応を示さなかったそうだ。ピエットは、SeeDは魔女に拮抗しうる戦力として育てられる為に魔力に馴らしてあるのでは、という仮説を立てていたが、カレンとしてはただ恋人同士の気安さだろう、と睨んでいると言う。リノアはカレンの仮説に顔を赤らめた。
「あは、リノアちゃんカーワイイっ」
「やだもぅ、カレンさんったら」
 こっそり話を聴いていたクルー達が笑う中、ピエットだけが小さく溜息をついて頭を振り、計器を眺めた。
 スコールのバイタルサインは安定している。その割に、彼は落ち着きなく部屋の中をうろついていた。だんだん動きが緩やかになり、眠気を振り飛ばそうとするかの如く頭を振ってベッドに座り直す。
(妙な反応だな)
 スコールは、手首のブレスレットを弄ってみたり、鼻先を触ったりしていた。心理学的には、男性がこのように身体の末端を頻りに気にするという反応は「性的興奮」を意味する。現状では、あまりにも場違いな反応だろう。目の前に対象物がいてこそ意味があるものなのに。
「眠いんなら素直に寝たら良いのに。意地っ張りねぇ」
 カレンは暢気に不思議がる。逆に、リノアは不安げな顔になった。彼女も気付いたのだ、スコールの反応の異質さに。
 リノアは何となく、昼間スコールに買ってもらったペンダントに触れた。どくり、と胸が騒ぎ……妙に濁った紫の光が、彼女の脳裏に閃く。
 モニターの向こうでは、スコールがとうとうベッドに仰向けに倒れ込んだところだった。
(今の……)
 不安? 緊張? その濁った寒色はあまり良くない感じがする。
 突如、けたたましいビープ音が検査室に響き渡った。
「実験中止! 被験者保護を優先、急いで彼を連れ出せ!!」
 クルー達がばたばたと走り出す。カレンとピエットも続いて部屋を出る。リノアも続こうとし……ふと、脳波モニターを見た。
「っ!!」
 フラットライン、だった。

「スコールくん、スコール!」
 リノアが現場に辿り着いた時、スコールは廊下に横たわっていた。ピエットがその頬を叩き、彼の覚醒を促そうとしている。
 リノアはスコールの肩近くに座り込み、肩を揺さ振った。
「スコール!」
 スコールは全く反応を見せない。
「主任、マジックボックスの緊急ロック作動を確認しました」
「了解、マジックボックスは通常の手順の元所定の保管場所へ」
 アタッシュケースの中身を確認したカレンが声を張り上げると、ピエットは軽く頷いてスコールの片腕を取り上げた。別の医療クルーが持ってきた簡易測定器をその腕に巻き付ける。じゃら、とスコールのブレスレットが音を立てた。
「血圧は低いが……検診結果を見る限りでは正常、か。脈も呼吸も体温も正常範囲内……どういうことだ?」
「スコール……」
 リノアは眉根を寄せてスコールの頬へ触れる。
「……ん……」
 微かに反応した。
「スコールっ?」
 リノアが急いて声をかけると、その唇が緩んで僅かに舌先が見える。
 ――既視感。
「まさか……」
 リノアはスコールの頭を自身の膝に載せた。
 そして……。
「ちょっ、リノアちゃんっ?!」
 カレンが素っ頓狂な声を上げた。勿論、彼女が何をしたのか、は彼女の髪に隠されて見えてはいない。だが想像して余りある「それ」に、その場にいて目を向けてしまった者達は揃いも揃って硬直してしまう。
 びくり、と少年の四肢が跳ねた。リノアが顔を遠ざけると、スコールの目蓋がふわりと折り畳まれる。
「……ぁ……リノア?」
 とろんとした目に、どこか甘さを宿す声。リノアはそっとスコールの髪を梳き、おかえり、と言った。スコールは数度瞬き、意識をはっきりさせた。
「な、何かあったか……?」
 おっかなびっくり起き上がるスコール。状況を把握出来ない彼には、間近に見えるリノアの顔を凝視するしかない。
 そしてリノアも、まじまじとスコールを見つめていた。
「……『何かあったか』、じゃないよ。何があったの? 何を見たの?」
「え……」
 スコールはぽかんとする。何のことだ? リノアは心配そうに眉根を寄せてスコールの顔を覗き込んだ。
「ずっと、様子おかしいよね。眠ってる……というか、意識のない内に何かを見てるの?」
「…………」
 瞬間、怒涛の様にあの悪夢が脳裏へ甦ってきた。急激に気分が悪くなり、スコールは口許を押さえる。
「スコール」
「さ、触るな……っ」
 背を摩ろうとしたリノアの手を、スコールは反射的に押し退けた。はっと顔を強張らせ、少年はそっぽを向く。
「……ごめん。でもちょっと、そっとしておいてくれ。頼む」
 リノアは少しの間スコールを見つめ……やがて、ふわりと微笑んでみせた。
「わかった。話せるようになったら話してね」
 スコールは小さく頷いた。

『また何かごちゃごちゃと自分だけで悩んでる訳、スコールは?!』
 カメラチャットでキスティスは吠えた。ダイレクトにそれを受け止めたリノアは、肩を聳やかせてヘッドフォンを取った。
「ちょ、キスティ、耳が痛いよ……」
『あぁごめんなさい、何だか腹が立っちゃって。もう、何時になったらこちらを信頼してくれる気になるのあの子はっ』
 忿懣やる方なし、とキスティスはテーブルを叩いた。マグカップが振動で跳ねる。
 リノアは苦笑した。
「信頼してない訳ではないと思うけどね」
 キスティスは綺麗な顔を不満に歪める。それでも尚美しいのは、美女の特権だろう。
『じゃあ、何だって言うの?』
「寝不足で、ちょっと鬱入ってるみたい。だからじゃないかな、話さないのは」
 キスティスは意外そうに目を丸くする。
『やだ、珍しいわね。普段は人が部屋に入ってもつつくまで起きないのに』
「だよねぇ。枕変わったからかな?」
『送りましょうか? ……あ、でもリノアがいるんだし、余計かしらね』
「オープン回線でそういうこと言わないの」
 僅かに顔を赤らめたリノアに、キスティスはくすくす笑う。
「とりあえずは、現状そんな感じ」
『わかったわ、報告ありがとう。スコールをよろしくね』
「はーい」
 リノアが小さく敬礼すると、キスティスも返礼する。そしてすぐに、「log out」の表示に切り替わった。
 ちょうど、スコールが戻ってきたところだった。
「リノア」
「あ、おかえりー、スコール」
「緊急?」
「ううん、オープン」
 いつもの笑顔で頭を振るリノア。何事もないと知り、スコールは息をつく。
「お風呂、どうだった?」
「ここは本当に研究施設なのか一瞬疑ったよ」
「え、本当? そんなに綺麗なの?」
 目を丸くするリノアに、スコールは苦笑して頷いた。
「あれぐらいしないと、オダインの下で働く奴を引き留めて置けないのかもな」
「身も蓋も無いなぁ。でも、納得かも」
 くすくす笑いながら、リノアはシャワールームヘ行く準備を整える。
「じゃあ、わたしも行ってきます。……あ、スコール。先に寝てくれても良いけど、ちゃんと髪乾かしてね?」
「了解、『お母さん』」
 その戯れた言い方に、2人は同時に吹き出した。

 リノアが仮眠室へ戻って来た頃には、スコールはすっかり夢の中だった。くたんと寝ている様子は、幼子の様に無防備でどこか愛らしい。
 が、よく見ると顔色が悪い。全体的に肌がくすんでおり、目の下は微かにだが黒ずんでいる。
「今度はどうしたのかしらねぇ、スコールくん?」
 髪を撫で付けてやりながらおどけた調子で囁くも、スコールに反応はない。疲れているのだろうか。
 無理もないな、とリノアは苦笑した。ガーデンの運営組織が見直され、分業化が進んでいると言っても、司令官の仕事が大幅に減る訳じゃない。おまけに、筆頭SeeDである彼は全世界から引っ張り蛸でやはり皆より忙しいのだ。今日の為に、時間をどれ程やり繰りしたのか。リノアも手伝ったのだが、基本的に内勤の身ではあまり足しにもなれなかった。
「……役立たずだよね。副官なのに」
 リノアが呟く。
「……ぅ、ん……」
「あ、このやろ、今夢の中で肯定したわね? 否定するところでしょ、そこは〜」
 先程までのしんみりした気分はどこへやら、リノアは何だか可笑しくなってスコールの頬を突いた。これで起きたら、からかってやろう。
 ――と、思ったのに。
「……スコール?」
 まるで苦しむ様に唸り出したスコール。急に息が荒くなる。四肢は投げ出されたまま、指先だけがひくひくと動いている。
「スコール……スコール!」
 肩を揺さぶる。
 すぅ、とスコールの目蓋が持ち上がる。
「スコール……?」
 スコールの両手が、リノアの頬を包み込んだ。その指先は、愛おしむように頬のまろみを撫で下ろし……。
「……ぐ……っ!」
 リノアの細い首を、ぎゅうっと締め上げた。
 目が眩む。視界が急速に狭まっていく。
 リノアは手当たり次第にスコールを叩く。が、仰向けという力が入りにくい体勢の筈なのにびくともしない。
「…………っ」
(スコールっ!)
 声も出ない程指を食い込ませながら、スコールはリノアを引き倒して馬乗りになる。
(あ、やばい)
 意識が落ちるぎりぎりのラインを、リノアは彷徨っていた。いや、違う。指先が緩むタイミングがあるのだ。その度意識が一瞬澄む。僅かだが気道が確保され、か細い空気の糸が通る。イデアが抵抗しているのだろうか?
(ううん、違う! これは……)
 スコール本人だ。
 リノアを殺すまいと、必死で抵抗している彼自身だ!
 リノアは抵抗をやめ、ぐったりと手を落とした。
「……ぁ…………」
 スコールの喉から、喘鳴が零れる。指先が、緩んだ。
 今だ。リノアは全身に力を込め、光の球を思い描く。
(爆ぜろっ!!)
「ぐあぁっ!」
 リノアの額辺りに生まれた強い光はスコールに雷撃を浴びせ掛けた。そのまま彼は、壁に叩き付けられる。空気の零れる音を吐き出し、ずるずると床にへたり込む。
 リノアは強く咳き込んだ。あまりの喉の痛みに、後から後から涙が出て来る。
「……あ、ぁ……り、のあ?」
 スコールはぶるりと頭を振って、リノアの様子に目を瞬いた。リノアは何でもない、と言う風に手を振ってみせる。
「…………あ……」
 聡い彼のことだ、一瞬にして事態を理解したに違いない。見る間に表情が凍り付いていく。
「どうしたんだ?!」
 物音を聞き付けたピエットが駆け込んで来た。
 その時、スコールの中で何かがぷつんと切れた。
「うわぁあぁあぁ!!」
 スコールは絶叫し、ピエットを押し退け仮眠室を飛び出した。ピエットは驚き肩を聳やかす。
「きゃあっ!」
「何だ?!」
 廊下から騒ぎに集まってきた医療クルー達の声が聞こえる。中には無線か何かで、警備班を呼び寄せる者もいるようだ。
 リノアは最大限息を整えると、ベッドを降りてスコールを追おうとする。が、足元が頼りなくふらついて、慌てたピエットが彼女を支えた。
「一体何があったんだ? 喧嘩か?」
「いえ……ごほっ」
「首を締められたのか! 何てことを」
 ピエットの目に怒りが宿る。
「彼は君の騎士だろう?! それが、こんな……」
「…………」
 リノアはぎり、と歯を食いしばり、ピエットの手を押し退けた。
「ナメた真似、してくれるじゃないの。この現代の魔女を怒らせたからには、無事で済むなんて思うんじゃないわよ」
 リノアの纏う空気が、一瞬にして冷える。
 ピエットは脂汗を流す。あぁ、何ということをしでかしてくれたのだ。騎士のいない魔女が何をしてきたのか、君が一番わかっていたんじゃないのか、スコール――!
 リノアは上着だけ羽織り、スコールを追った。

 スコールは、廊下の終着点にいた。重要な機材を保管している区域と一般研究区域との隔壁に身を寄せ、小さくうずくまっている。
「俺はそんなこと出来ない……したくない……リノアはリノアだ、本物も偽物もある訳無いんだ……」
 頭を抱えて呟き続けるスコール。気味悪がる警備員が、辺りを取り囲む。不可思議なことに、彼の周囲には冷たく湿った突風が吹き荒れていた。
 リノアは人垣を縫い、最前線に出る。
「来るな!!」
 スコールが叫んだ。
「頼む、来ないでくれ、お前を傷付けたくないんだ」
「スコール」
「……がう、違う違う違うっ! 俺はそんなこと望んでない! 誰だ、お前は一体誰なんだぁっ!!」
 びゅうっと風が勢いを増した。リノアは咄嗟にエアロを唱え、ピエットらを護る。
「警備! 麻酔弾を!」
 ピエットは周囲に配置された警備員へ指示する。リノアはびくりと肩を震わせ、ピエットを見た。
(――っ?)
 視界の端に、何かが見えた。例えるならばそれは、緑の梢か碧の袖か。
「だめっ!」
「リノアちゃん、下がって」
 カレンが腕を引き、リノアを下がらせようとする。
「だめ、止めて! そんなことしたら、今度こそスコールが連れていかれちゃう!!」
 リノアは必死でカレンを振りほどき、再びスコールの元へ転び出た。
「スコール、手を伸ばして!」
「駄目だ、お前を……」
「傷付く訳ないじゃない、だってあなただもの! 先刻だって、必死でわたしのこと守ろうとしてくれたじゃない!」
 スコールは頭を振る。リノアは手を延ばし、更に懇願した。
「スコール、お願いよ。独りで解決出来る段階はもう過ぎてるの。それは、わたしの領分なのよ」
「リノアの、領、分……?」
「そうよ、ごめんね今まで気付かなくて。ずっと苦しかったよね、怖かったよね。悪夢を見てた筈なのに……大丈夫よ、これも悪い夢! あなたがただ一言わたしにくれたなら、すっかり覚ましてあげるから!」
 努めて笑顔で、リノアは手を差し延べる。
「リノア……」
「うん」
 スコールの怯え切った瞳から、ぽろり、と雫が零れた。
「たすけて……!」
 スコールの手が、リノアとしっかり繋がれる。リノアは優しく微笑むと、その手を引き寄せた。
「えぇ、必ず助けるわ」
 リノアの身体が、淡い真珠色の光を纏う。
「だから、今は」
 唇が、合わさる。
 突如、清浄な気が辺りを席巻した。それは風という形を取り、今までスコールを取り巻いていた突風を吹き払う。
 咄嗟に両腕で顔を庇ったピエットが次に目にしたのは、ぐったりと魔女にもたれ掛かる少年の寝顔だった。

 実験室のひとつにスコールを運んだのはピエットだったが、彼はリノアが何をしているのかさっぱりわからなかった。
 出来るだけ外部からの影響――例えば、エルオーネの「接続」のような――を受けない場所に運んで欲しいと言われ、ピエットは簡易ジャマーを配備している実験室を提案した。リノアはピエットにジャマーを発動してくれるように頼むと、ストレッチャーに載せられたままのスコールを部屋の中央に置き、目を閉じた。ただ、それだけ。
「何をしようとしているのかしら……」
「……さぁな」
 この2、3日で、リノアが独特の思考回路を持っていることは皆よーくわかっている。ガルバディアのお嬢様育ちに加えて魔女となれば、エスタ人のカレンやピエットにはもう理解不能だった。
『……こんなもん、かなぁ』
 何かを終わらせたらしいリノアは、実験室を見回して息をつく。
「リノアちゃん、何したの?」
 強化ガラスを隔てた観察室から、リノアの動向を見守っていたカレンが問い掛ける。
『わたしの魔力を部屋に拡散させて、簡単な結界を創ったんです。これで少しは、干渉を抑えられる筈』
「干渉?」
『幽霊、魔力、高エネルギー体……言い方は何でも良いですけど、とにかくそういうものが今、スコールに取り憑いてる。多分、魔力系の測定機器を反応させちゃったのは、そういう理由だと思うんです』
「……成程な、彼の中に魔力と同等の強いエネルギーを持つ『何か』がいて、それが隠し切れなかった力を機器が感知したのか……」
 ピエットが頭を振る。全く、この世には想像もつかないようなことが嫌と言うほど起こるものだ。
 リノアはそっとスコールの髪を撫でた。
『……ごめんね、スコール。わたし、全然気付かなかった』
 スコールは昏々と眠る。
 恐らく、久々の安眠なのだろう。夢を見ずに深く眠る、ただそんな他愛ないことが、今のスコールには最も難しかったのだ。毎夜毎夜悪夢を見れば、神経も参ってしまっていたのだろうなと、ピエットは思った。
「主任、再分析の結果出ました」
 検査結果のプリントアウトを閃かせ、医療クルーが観察室へ入って来る。ピエットは思案を切り上げ、振り返った。
「どうだった」
「結論から言いますと、機器の閾値を高くし過ぎたのが反応しない原因だったみたいです。彼、魔力抵抗値が300少ししかないんですよ」
「何だって?」
 クルーからの報告に、ピエットは耳を疑った。
「確かだろうな? 一般人でも2、3000はあるのが普通なんだぞ」
「でも、それが事実なんです。他のデータを片っ端から使って結論を出しましたから、間違いないです」
 ピエットはカレンと顔を見合わせる。そんなことがあるのか、2人には疑わしかった。
 その時、スコールが身揺いだ。
『ん……』
 スコールがごろりと寝返りを打ち、リノアが慌ててストレッチャーの縁に手を添える。シングルベッドより狭い台の上だ、注意してやらないと落ちてしまう。
 その手に身体が触れたスコールは、ふと目を醒まして彼女を見上げた。
『……リノア……?』
『気分はどう? スコール』
『久々によく寝た……』
 とろんとした微笑みを見せるスコール。気分は悪くないようだ。
 リノアはほっと胸を撫で下ろし、わざとらしい怒りのポーズを取ってみせた。
『もぅ、スコールったら! 寝不足の原因、わかってたんでしょ。どうして今まで黙ってたの?』
 スコールはしょんぼりと目線を落とす。
『……だって……』
『だって?』
『…………ひとごろし、の夢を、毎日見るだなんて言えるか…………?』
 誰もが、戦慄いた。
『スコール、カドワキ先生には?』
 リノアが問うと、スコールは力無く首を横に振る。
『ガーデンの規定で決まってるでしょう、そんな夢を見るようなら診察を受けるように、って』
『言えるかよ、こんなこと! 大事な女を殺す夢を目を閉じる度に見るなんてっ!』
 スコールはがばりと身を起こし、身を縮めて膝に肘を突いた。
『夢を見て、夜中に目を醒ます。その度にまた夢を見る。この、繰り返しだ! 何度も、何度も、何度も……酒を呑んでも薬を飲んでも同じだった。夢は何度も見て、手口はどんどんエスカレートしていって……俺は何度、お前を殺したんだ……? 首を絞めて、銃弾を撃ち込んで、喉を掻き切って、腕を、脚を、あた、まを……』
 リノアはスコールの頭を抱き寄せ、彼の言葉を封じ込める。
 スコールはもぞもぞと動く。リノアが腕を緩めてやると、スコールは彼女の胸の中心に耳を当てるようにして収まった。
『怖かったんだ。悪い夢は口にして逆夢にすれば良い、なんて言うけど、口にしたら現実になってしまいそうで。夢だった筈なのに、感触をすっかり覚えてしま、って』
『大丈夫、夢よ。ただ、あなたにはあまりにもリアルに見えただけ。ほら、聞こえるでしょ? わたしの心臓、動いてるの』
 ――いつから、繋がりが切れていたんだろう?
 リノアは、スコールの夢の内容を全く知らなかった。そんな強烈なイメージなら、自分が感知出来た筈なのに。いつから、干渉を受けていた? 繋がりが切られたのはいつ? あぁ、今から思えばあの濁った紫色のパルスは、彼の最後の声だったのだ。夢に怯える彼が必死で寄越してくれた、自分へのヘルプコール。それを、自分は見逃した。
 リノアは意を決し、スコールの腕を取った。
『スコール、ブレスレット貸してね。おまじない、してあげる』
 銀のブレスレットを手首ごと両手で包み、目を閉じる。
 イメージする。
 暗闇に眠るスコールを、真珠色の光で包み込む。それは何よりも強い「護り」であって欲しい。念押しに二重、三重と包んで――そこで、不意にイメージが止まった。
『……これが、限界か。純銀じゃないからかなぁ』
『?』
 何をされているのかわからないスコールは、不思議そうに首を傾げる。リノアは微笑み、包み込む手をスコールの眼前に掲げてみせた。
『これにね、わたしの魔力を吹き込んだの。あんまり強くないんだけど、一度くらいは、スコールを護ってくれる筈』
 スコールは俯く。
『……ごめん、な。頼りにならない騎士で』
 情けないと、スコールは心底思った。何が、騎士だ。彼女に助けられっぱなしで、自分は何一つ出来ていないじゃないか。ちっとも、護れていないじゃないか――。
『そんなことないよ』
 リノアは頭を振る。
『あのね、わたし、思うの。魔女と騎士の関係って、護る護られるっていうのとは違うんじゃないかな。もしかしたら昔はそうだったのかも知れないけど、ほら、今は男女同権の時代だよ? 古いって、そんな関係』
 あまりにもあっけらかんと言うリノアに、スコールは呆気に取られてしまった。ぱちぱちと目瞬きするスコールの手を握り直し、リノアは腰をかがめて目線を合わせる。
『それに、わたしだってSeeDだよ? それとも、やっぱり頼りない? わたしだって一応スコールの生徒だけど……あんまり出来の良くない生徒だったかなぁ……』
『……そんなことは、ない』
『だったら、頼ってよ。』
 ね? 首を傾げてお願いされては、スコールは頷くしかない。
『……ありがとう、リノア』
『どういたしまして☆』
 リノアはちゅっと音を立ててスコールの頬に口付けた。
「…………」
「多分あの2人、我々の存在を忘れているな……」
 一部始終を見守るはめになってしまったピエットとカレンは、顔を赤らめて視線を外す。
 ピエットはがりがりと頭を掻く。
「あー……今晩はここで寝かせるか。話を聞くにつけても、スコール君にはジャマーがある分仮眠室よりは安らげるだろう」
「近場の仮眠室からマットレスと毛布剥いできますねー」
 苦笑して観察室を出ていくカレンを見送りながら、ピエットはこれから起こりうる状況を良いもの悪いもの100通り程思い浮かべ、深く深く溜息をついた。




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