スコールは、中庭のベンチでのんびりとした気分を楽しんでいた。
司令官であるスコールは、普段酷く忙しい。だから、空き時間がたっぷりある時はこうやって中庭でひなたぼっこをしている。最初は皆に勧められても固辞していたものだったが、ここが気持ちの良い場所だと覚えてしまった今では、暖かな日はここで息抜きするようになった。
こんな時、リノアは必ず小さな籐製のバスケットを持ってスコールのところへ来る。
「お隣空いてますかー?」
スコールがひらりと手を振ると、リノアはくすくす笑いながらスコールの隣に座る。
眠気を誘う麗らかな午後。
陽の光は柔らかく彼を包み込み、暫しのまどろみを授けようとしていた。スコールはうとうとと目を閉じる。
リノアはバスケットの蓋を空けて、中から本日のおやつを取り上げた。一口サイズのシュークリームだ。それをそっと、キスするような優しさで彼の唇に触れさせる。
スコールは何事かと片目を開いた。触れたものが何なのか認識すると、スコールはお腹を空かせた雛鳥のように大きく口を開けた。リノアがシュークリームを放り込んでやると、スコールはゆっくりと口を動かして味わう。
リノアは首を傾げた。
「美味しい?」
スコールは満足げに頷くと、もうひとう貰おうと口を開いてみせた。
鎖、と言えば、リノアには華奢で繊細で軽やかな音が立つもの、というイメージがあった。けれどスコールの手にある鎖は、一体何のパーツだと聞きたくなるようながっちりとしたものだ。太く力強く、擦ればじゃらじゃらと大きな音が立つ。
スコールはその鎖を、丁寧に磨いていた。
布地にクリームを少し取り、鎖を擦る。鎖はすぐに力強い光を取り戻し、その代わりに磨き布は真っ黒になる。
「綺麗になった?」
「なったかな?」
スコールは鎖を光にかざし、具合を確認する。そして仕上げに古びたタオルでゆっくり擦った。クリームをすっかり拭い取ると、まるで新品同然だ。
すっかり綺麗になったペンダントにリノアが称賛の拍手を送る。
「グリーヴァさん大復活!」
「ははは」
リノアの言い方があまりにおかしくて、スコールは腹を抱えて大笑いした。
ある日、2人で見た映画の主人公がこんなことを言っていた。
『私達の出会いは、きっと神が定めた運命だったのだ。そうでなくて、貴女と出会えた筈がない』
それは大抵の女性なら蕩けてしまう台詞だ。現にリノアもそうである。
が。
「……運命なんて、くそくらえだ」
地を這うような低い声で、スコールはぼそっと呟いた。
平素のスコールは地味で穏やかな性格をしている。そのスコールがこんな悪態をつくのだ、よっぽど「運命」という言葉が嫌いに違いない。
「何が『運命』だ、神様とやらが定めてなきゃ出会えないなんて、腹立たしいにも程がある」
「スコール、どれだけこの言葉に恨み持ってるの……」
リノアは苦笑した。スコールは口をヘの字に曲げてみせる。
「『これは君の運命なのです』」
「?」
「魔女と戦えって学園長が言った時の追い撃ちの言葉。俺に選択権はないのかって、腹が立った」
「…………」
リノアはスコールの肩を撫でさする。
「あーちくしょう、腹立つなぁ」
「スコール」
「それでもリノアと逢えるのが『運命』だっていうんなら、きっと喜んで受け入れちゃうんだ、俺は」
「…………」
ぐいっと乱暴に引き寄せられたリノアは絶句する。
何という自己矛盾。だが嬉しい。とてつもなく嬉しい。
「……スコール」
「何」
「…………天然タラシだよね、スコールって」
「それ絶対褒めてないだろ……」
むっつりと押し黙るスコールに、リノアは思いを込めて口付けた。
事が片付き、依頼主からサインをもらえば、任務は終了する。そうすれば後は、ガーデンに帰るだけだ。
こうなると里心が付くのが道理だが、公共交通機関を利用するとなると、ちょっとした空白時間が出来ることがある。
スコールは地味にこの時間が好きだ。何故かというと、この時間ならお店を思う存分覗けるから。
リノアと正式にオツキアイをするようになってからというもの、スコールはリノアへの土産に頭を悩ませるようになった。あれでもないこれでもない、と探す時間は、結構楽しい。
前回はその地方特産の菓子を購入して帰った。リノアは勿論喜んでくれたが、しかしその後、「最近太ってきちゃって……」と悲壮な顔をしているところを見てしまってから、菓子類は買い控えるようにしている。もっと太れば良いとスコールは思うのだが――リノアの身体は軽すぎる、とスコールは思っている――、太るという単語は女子の大敵らしいことはいくら朴念仁の彼でも理解し始めている。
という訳で、今回のターゲットはスカーフだ。この地方特有の色鮮やかな織物は、バラムでは見られない華やかさがある。
さて、リノアにはどれが似合うだろう? バラム行きの列車が来るまで後1時間と少し。スコールはリノアの喜ぶ顔を思い浮かべながら、その笑顔に似合う色を探していた。
ジャンクションシステム、とは、世界で唯一SeeDのみが使用する、ガーディアン・フォースを使った戦闘補助システムを指す。そこには当然、ガーディアン・フォース、略称G.F.が必要不可欠である。
バラム・ガーデンではG.F.をいくつか保有している。それはイフリートのようにG.F.が存在する力場ごとである場合もあれば、シヴァやケツァクウァトルのようにその存在に写し身の提供を請うてガーデンに招いている場合もある。
また、こんな場合もある――。
ガーデンの最上階には屋上デッキに出られる扉があるが、そこを初めて訪れた者は例外なく驚きに目を丸くする。
「スコール、ここ何!?」
蜂蜜の入った瓶をしっかと抱き締め、リノアは背後のスコールを振り返った。彼女も勿論、この緑溢れるデッキの様子に目を丸くしている。
「エレメントの空中庭園」
端的に答えたスコールは、リノアの肩を抱いて中央の水盆へ向かう。
「ここで、エレメントを育ててるんだ」
「エレメント?」
「エレメントっていうのは、ある森の奥に存在してるG.F.の幼生体……つまり、子供」
「G.F.の子供? そんな、すっごく貴重なんじゃないの!?」
「あぁ、そうだな」
「それが何でここに?」
「ずっと昔、先達がシヴァ達みたいに写し身を招きに行ったんだけど、その辺りの自然を守る為に広げてる力場だから写し身も送ることは出来ないって言われたんだそうだ。その代わりに、エレメントを送ってくれたんだって。『大事に育てる』って条件で」
「へぇ……」
水盆は2段構えになっており、水の噴き出していない噴水のような形をしている。1段目には綺麗な水が流れているが、その中心に突き立っている2段目には何も無い。
スコールはポケットに入れていた小瓶を取り出した。きらきらと虹色に煌くそれを覗き込むリノア。
「それ、なぁに?」
「魔石のかけら。使えない程砕けたやつは、集めてここに持ってくるんだ。これが、エレメントの食事」
スコールはちらと彼女を見ると、小瓶を開けて中身をそっと盆に注いだ。不揃いのガラスのかけらのようなそれは、日の光を浴びてよりいっそう輝く。
途端。
辺りの木々にひとつ、ふたつ……ガス灯が灯っていくかのように、ぽぽぽっ、と小さな淡い光が灯る。よくよく見れば、それは葉陰から顔を覗かせた小さな妖精達の姿だ。
「わぁっ……!」
リノアの顔が、驚き混じりの笑顔になった。
妖精――エレメント達は水盆に集まり、かけらを取り上げては両手で抱えてかじる。大きなかけらを独り占めしようとおろおろしているものもあれば、殆んど砂のような小さなかけらを口いっぱいに頬張るものもある。スコールの持つ小瓶に頭を突っ込んでいるものもあるし、蜂蜜を抱えるリノアに期待交じりの視線を送るものもある。かと思えば、水を飲もうとして頭から突っ込んでしまい、慌ててスコールの肩に避難するものもあった。スコールはそれを優しい手つきで撫でてやる。
「リノア、その蜂蜜をお盆に入れてやって。少しだけな」
「あ、はーい」
蜂蜜の瓶を傾けて垂らしてやると、エレメント達はぴかぴか光って手を浸して口へ運び始めた。黄金色のそれをさも美味しそうに口にする彼らは……何というか、可愛い。
「可愛いねぇ」
何気なく零した言葉に、エレメントのひとつがリノアを見る。エレメントは真っ黒の瞳で彼女を捉え、にっこりと嬉しそうに微笑んだ。
『♪』
何か言ったようだった。残念ながらリノアには言葉として聞くことが出来ないのだが、それは綺麗な音として鼓膜を震わせる。
「リノアが気に入ったみたいだな」
「そうなのかな」
「今度の試験には、そいつをジャンクションしたら良い」
スコールがそう言うと、そのエレメントは嬉しそうに明滅し、リノアの頬にキスを贈った。
「お願い出来る?」
『♪♪♪』
エレメントはこくこくと、可愛らしく頷いてくれた。
籠の中でもぞもぞしている黄色いものに、スコールは思わず首を傾げた。
「…………何この毛玉?」
背後でセルフィとリノアが噴き出した。
「チョコボの雛だよ。見たことない?」
「…………」
スコールは更に首を傾げて籠を覗き込む。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、皆ぴよぴよ鳴いている。
リノアがその内の1羽を抱き上げた。
「生まれたばかりなんだって。ちっちゃくて、可愛いねぇ」
ぴよぴよ、ぴよぴよ。餌をくれると思ったのか、雛は大きく嘴を開いて鳴く、鳴く、鳴く。
「いいんちょ、餌あげてみる〜?」
セルフィが給餌用のスプーンを差し出した。スコールはまじまじとそれを見つめる。
「ギザールの野菜、じゃないのか?」
「野菜は野菜なんだけど、まだ赤ちゃんだから、お湯でふやかしたペーストをあげるんだよ」
セルフィは手本を見せるように雛へスプーンを向ける。雛はますます嘴を開き。
ぐいっ。
「!?」
有り得ない(とスコールが思う)程、セルフィはスプーンを突っ込んだ。雛はうぐうぐと喉を震わせ、満足げに嘴を噛み合わせる。
「だ……大丈夫なのか?」
「これくらいしないと飲んでくれないんだよ」
ペーストを再度すくい、セルフィは再びスコールへスプーンを差し出した。
「いいんちょもやったら良いよ。ほら、将来的な予行演習に!」
「……………………」
どうやら、やってみせるまで解放してくれないらしい。
リノアが別の雛を抱き上げるのを待つ間、スコールはそっと肩を落として溜息をついた。
「そりゃあそうですよ。スコールはわたしが育てたわたしの男ですから」
第三者からスコールを褒められた時、リノアは決まってこんな言葉を返す。
大抵の人間は、何言ってるんだこの女、とでも言いたそうな顔で黙り込む。事情を知っている友人達は、いつものことだと笑って流す。後輩の少女達は、どうやって好みに仕立て上げたんですか、と目をぎらつかせて身を乗り出す。
そんな話を当の本人にしたところ、彼はくすくすと笑い出した。
「それは皆面食らうだろ。確かに間違いじゃないけど」
そう言ってスコールは、小さなキスをリノアに贈る。
「……もぅ、そういう風には育つとは思ってもみなかったわ」
「お気に召さない? もっと朴念仁な方が良かったか?」
「……いいえ?」
とんでもない風になったなぁ、とは思うけれど、しかし魅力的になったものだ、ともリノアは思う。 SeeD司令官としての貫禄も付いてきたし、男の色気も片鱗を見せてきた。何より、漸く育ってきた人間性が素晴らしい。それが絶妙に相まって、彼は皆に愛される青年になりつつある。 リノアにはそれが少し不満でもある。
勿論今でも充分に魅力的な彼だが、その果てはまだまだ未知数だ。今でも沢山の人が彼を狙っているというのに、彼はまだ果てを知らない。彼を狙う人は、更に増えるに決まってる。
(……まぁ、誰にも渡しませんけどね)
事が終わって満足そうに寝そべるスコールの頬に、リノアは決意を込めてキスをした。
最近のスコールは、目が合うとほわっと微笑む。それがもう可愛い。とにかく可愛い。愛し愛される喜びを知ると、人はこんなにも変わるものなのか。
その微笑みを受けられるのは目下リノアだけの特権なのだが、その時の彼女の心中といったら穏やかではいられない。
リノアはスコールの感情がわかる。以前は恐怖や不安のような強烈な感情ばかりだったのが、最近は温かくて柔らかな感情も流れ込んでくる。
(ぱちぱち、きらきら、まるでキャンディ・ボックスみたい)
薔薇色、桜色、橙色、若草色、空色。ころころと転がり込む幻の色の洪水に、リノアは少しくらくらした。幸せなお酒の酔い方ってこんなものかしら、と彼女は思う。
心の枷から解き放たれた彼は、毎日が幸せそうだ。きっとどこにでも行ける。
でもこうやって隣にいてくれて、あらゆる物事を分け合ってくれる間は、彼と一緒に過ごしていきたい。リノアは極上の笑みを返しながら、スコールの大好きなケーキとコーヒーを差し出すのであった。
スコールは、左の耳にひとつだけピアスを開けている。
「ねぇ、スコール」
雑誌を読む振りをしてスコールを観察していたリノアが、おもむろに声をかけた。
シルバーアクセサリーをミニテーブルに並べ、丁寧に磨きをかけているスコールは「ん?」とリノアを振り返る。
「スコール、何でピアス片方だけ?」
「金なかったから……」
「…………」
切実過ぎる理由だった。
手元に目線を戻したスコールに、リノアはそっと身を乗り出した。
「……因みに、そのピアスはおいくら?」
「ペアで30ギル」
「結構安いじゃない?」
「万年欠食候補生にはアクセサリーより食い物の方が大事だ。30ギルなら、あと2ギルで食堂のバーガーがふたつ買える」
スコールは綿棒で細かいところを擦りながらそう返す。
リノアは黙り込んだ。何だかんだ言って、自分は本当に恵まれているのだな、と痛感する。リノアにとって、30ギルといえば言い方は悪いが「端金」だ。お安いカフェでコーヒーを飲むのが、せいぜい。だがそれは、スコールにとっては……。
「……何か深刻に考えてるだろ」
スコールは淡く苦笑し、手を休めて振り返る。
「腹一杯食べたつもりでも、1時間も経ちゃ腹が鳴る程減るんだよ」
「……そういうモノ?」
「あぁ。一般クラスならいざ知らず、候補生クラスは毎日訓練漬けだからな」
それで「万年欠食候補生」か。聞いてみれば何でもない当たり前の学生の姿に、リノアはくすりと笑った。
「それにさ、その時のSeeDの間で流行ってたんだよ、片耳だけピアス付けるの。男は左で、女は右」
ついでのように紡がれたスコールの言葉は、意外とちゃらちゃらしたミーハーなもの。リノアはきょろりと目を丸くする。
「スコール、流行物を付けてたのね。意外〜」
「本当はふたつくらい開けたかったんだけど、穴開けキットが高かったんだ。以来このまんま。今度はカフスでも買おうかなぁ」
リノアはとうとうお腹を抱えて笑い出した。
「あ、スコール待って!」
任務に出ようとするスコールを、リノアがぐいっと引き止めた。
「わ・す・れ・も・の!」
(……今回もやるのかよ)
スコールはあからさまに嫌そうな顔をした。しかしそれで怯むようなリノアではない。
「スコール?」
「…………」
極上の笑顔に脅迫されること数秒、スコールは溜息をついて左手のグローブを外した。
「……ほら」
きしっ、と微かな金属音を立て、スコールは自身の指輪を外してリノアへ寄越す。リノアは幸福そうに笑みを浮かべ、彼女には大きすぎるそれを右の人差し指に嵌めた。代わりに自身の指輪――スコールから貰った、「右向きの獅子」だ――を、スコールの小指に嵌める。
そして。
「……っ!」
リノアの唇が、スコールの小指に触れていた。正確には、小指に嵌まった指輪に。
毎度毎度この時ばかりは、スコールは恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。あぁほら、通りすがりの生徒がこちらを見ているじゃないか!
「ん、おまじない完了!」
リノアはぱっと手を離すと、またもやスコールを力ずくで引き寄せ、頬に口付けた。
「気を付けていってらっしゃい」
「……行ってきます」
スコールは微かに苦笑いし、手をひらめかせて踵を返した。