こつこつ、こつ、と小さなノック。
本当に遠慮がちに開く扉。
……しかし、なかなかその人が入ってこない。
「……、いいかげんに入ってこい」
いつまで経っても見えてこない書記長に、手塚はため息混じりに声をかけた。
「す、すいません……」
おどおどと、扉の裏から姿を現す少女。黒ぶちの眼鏡が、やけに目に付く。
手にしているのは書類の束だ。
そのせいで、現在真正面にあたる手塚から見ると、眼鏡と目しか見えない。
「遅れまして……」
「良いから、座って」
「はい」
慌てては自分にあてがわれた席についた。
「さて、全員揃ったところで会議を始めさせてもらう」
一体、何が問題だと言うのだろうか。
別段手際が悪いわけではないし、そんなに失敗もしない……人の話では。
だが俺が見ている彼女は、やたらに失敗を繰り替えしているように思う。
何度教えても、身についていないような……。
「……そこ、違うぞ」
「はぁっ!すっ、すみません……」
俺は、本日何度目になるかも解らない溜息をついた。
(要領は悪くないはずなんだがなぁ……)
一度だけ、彼女がしっかりと仕事を終わらせたところを見たことがある。
友人と話しながらだったはずなのに、よどみなく動くその手は見事に手元を片付けた。
しかし、今のこの状態は一体何なのだろう。
字を間違える、鉛筆を落とす、挙句の果てには書類を滑らせ、その度に謝る……。
一緒に拾いながら、俺は何故こうなるのかを考えていた。
「本当にごめんなさい、会長……」
「『手塚』で良い。あと、もう少し落ち着け」
「はい……」
しゅん、と、はうなだれてしまった。
……うなだれたいのは、俺も同じだ。
数日後。
「よっし、これでおーしまいっ」
トントン、と1人の少女が書類を揃えた。
一緒に残ってその様子を見ていた友人が、ははっと笑い声を零す。
「さぁ、本当にこう、オトコがいないと本当に仕事速いよね」
はそれを聞くと、不満そうに唇を尖らせた。
「その言い方、ひどいっ」
「事実その通りじゃない」
また笑う友人。
「まったくさぁ、それどうにかならない?生徒会三役の1人がそこまで恥ずかしがり屋って普通ないよ?」
「しっ……仕方ないじゃない!信任投票で当たっちゃったんだから!」
そうなのだ。
この超がつくほど恥ずかしがり屋のこの少女、目の前の友人の推薦によって生徒会書記長に当選してしまったのだ。
……最も、彼女と彼女の友人の演説が効いたわけではなく、生徒会長に上がるだろう手塚に対して当り障りのない人選で当選してしまっただけなのだが。
「原因作った当人が言わないで欲しいわ、まったく」
くるくると丸めて、は書類を輪ゴムで止める。
流石の友人も、この言葉には苦笑いを零す。
「こりゃ失礼いたしました、……っと」
教室のドアが開く。
一瞬で、中の空気がさわりと変わった。
「」
「は、はいっ」
「頼んでおいた書類は? 出来たか?」
半ば事務的に手塚は言った。
案の定、手塚の訪問理由は生徒会関係であり、の声はぱっと跳ね上がる。
驚いて肩をびくつかせた時にずれた眼鏡を直しながら、は輪ゴム止めの書類を差し上げた。
「ありがとう」
「と、当然の仕事ですから……」
それだけを言うと、は俯いてしまった。
手塚はその様子に、人知れず嘆息する。
「……放課後、生徒会室に来てくれないか? ちょっと用事があるので」
その言葉に、はきょとんとした表情を見せた。
「え?」
「生徒会室。良いな?」
少女の承諾も待たず、手塚は背を向けてその場を後にした。
「………………はい」
後には、呼ばれた意味すらわからないと、その友人が残された。
その放課後。
は億劫そうに生徒会室へと向かっていた。
彼の言う「用事」が終わったらそのまま帰るつもりでいるので、鞄もしっかりと持参している。
「っはぁ〜……」
何度目かの溜息。
また何か失敗をしでかしてしまっただろうか。しかし、辞めようにも辞められない。
友人は他人事だと思って、思いっきり含みを込めてを送り出した。
『良いじゃん良いじゃん。良い機会だと思って、言っちゃいなよ』
何を言うと言うのか?
流石に自分のことだったから、言われずとも解る。
それは、彼が『好きだ』ということ。
……とはいえ、相手はあの手塚国光。
こんな恥ずかしがり屋のおっちょこちょいなど、メにないに違いない。
「はぁ……」
もう1つ溜息をこぼした頃、彼女の足は生徒会室の前で止まった。
(一体、何言われるんだろうねぇ……)
今更ながらに、心臓が暴れだす。
胸を押さえながら深呼吸を一つして、はドアノブに手をかけた。
そして、遠慮がちにノックする。いくら呼ばれた身だと言っても、先客がいれば失礼になるだろう、と思ったからだ。
「……?」
返事がない。
もう一度ノック。
「…………??」
やはり、返事がない。
何時の間にか、彼女の胸は落ち着いていた。
は思い切って、ノブを回した。
「失礼……します」
おっかなびっくり入り込む。
少し傾いた日差しが眩しい。
は思わず息を呑んだ。
自分を呼び出したはずの手塚は、目を閉じたまま日差しに抱かれていた。
「う、わぁ……」
まるで一枚の絵のようで、は少しの間そこに立ち尽くしていた。
やがて、おずおずと一足、二足と歩き始め……終に、後もう一歩でどうにでも出来そうなほどに近づいた。
いまだ、手塚は目を開く様子はない。
は鞄をしっかりと胸に抱きしめながら、そぉっと覗き込んだ。
普段の彼女からは考えつかないほどの大胆さだ。
(……お、起きない……よね?)
どきどきしながら目許の辺りを観察する。
眼鏡がずれてまともに見えるそこには、睫で影が出来ていた。
見とれて、口元を押さえる。吐息で起こしてしまわないように。
は、酔っていた。
この眠ったような時間に。この黄昏時の光に。
そのうちに、触れてみたい、という欲望にかられた。
そぉっと、は手塚の前髪に手を伸ばす。
……しかし、触れた瞬間、は思いっきり後悔することになった。
「……いい加減、目を開けてもいいか? 」
ドサッ!
「あ、あ……!!」
片目を開けて言った手塚の言葉に驚いて、は抱きしめていた鞄を落っことし、小さくうめいて硬直してしまった。
「…………?」
その反応に自身も驚きつつ、首を傾げる手塚の前で、の顔はみるみる紅く染まっていく。
ふぅ、と小さく溜息をついて、手塚は眼鏡のずれを直した。
「そんなに、俺が怖いか」
その声は、心なしか寂しそうに響いた。
の目が、だんだんと丸くなった。
「俺の前では仕事も満足に出来ないほど、嫌いか」
「そ、そんなことないっ!!」
とっさにその言葉が、の口をついて出た。
その剣幕に、手塚が面食らう。
「そんなことないっていうか、むしろその逆で、いや確かに怖いけどっ……」
支離滅裂になりながらも弁明し始めるの姿に、手塚の口許はだんだんと緩んできた。
「…………っく……」
「何で笑ってるんですか」
「いや、その……」
まだ目元を紅く染めて、手塚を睨む。
「……やっぱり怖いんだな、俺の存在は」
手塚はそう言うと、席を立っての鞄を拾い上げた。
がふと俯きがちになる。
「そんなに怖がらなくてもいい。さっきのことも、怒ったりしない」
手塚が鞄を差し出すと、はそのまま受け取って、顔を隠すように抱きしめた。
こうなると長身の手塚からは彼女の髪と眼鏡しか見えなくなる。
「……ちょっと訊きたいことがあるんだが」
「え……?」
「どうして、さっきあんなことを? いつもは寄り付きすらしないのに」
は居心地悪そうに後退りした。
「…………から」
「え?」
「……手塚くんのこと、すき、だから……」
それだけを何とか発すると、は「はずかし……」と顔を隠してしまった。
思わぬ言葉に、手塚は彼女から視線をそらすと口許を手で覆う。
「……それは、こういう意味か?」
「……?」
手塚の言葉の意味がわからず、は少しだけ顔を上げた。
その時、額に何かが掠めた。
「こういう、意味か?」
至近距離で手塚が微笑う。
瞬間、崩れ落ちるようにはその場に座り込んでしまった。
顔を真っ赤にして目を見開くその様子に、手塚がまた笑い出した。
「なるほど、正解な訳だな」
「……手塚くん、ひどいっ!!」
暫く腰が立たないだろうは、真っ赤な顔で力いっぱい叫んでいた。
Fine.
リンク記念として「KGP」様にささげさせて頂きました。
リクエストをお聞きしたんですが……取りこぼしてスミマセヌ。
ちりちり様、これからもよろしくお願いしますねvv