光の帝国

〜大家族 La grande famille〜


 

ゴートランド侯爵、フューリー=カーウェイの執務室は、居城東側の一角にあった。
この季節、昼を過ぎると執務室から見える庭は明るい日陰だ。木々の根元では白い釣り鐘状の花が咲き乱れている。
茶色い野兎が1匹、鼻をうごめかせて気配を窺ってから、茂みの奥に飛び込んで姿を消した。
夕刻にはまだ少し早い。黒々と葉が茂る梢を秋風が穏やかに揺らし、雲雀たちが賑やかなさえずりを交わしていた。

カーウェイ侯爵は、手にしていた古い手紙を執務机に置いて立ち上がった。
つい読みふけってしまったようだ。同じ姿勢を取り続けていた背中が軋むようだ。顔をしかめて強張る肩を解した。
執務机の上には文箱が置かれている。黒地に金で象眼細工が施された豪華な箱には、縁までぎっしりと白い封筒が入っていた。
これらはすべて、バラム騎士団に保護されていたひとり娘、リノアからの手紙だった。
当時、侯爵家は試練の日々だったが、姫君からの手紙は侯爵の何よりの慰めになったものだ。

執務室の扉が素早くノックされた。侯爵付きの従僕を通さずに、部屋に直接やってくる人物は限られている。「入れ」、
扉を開けたのはスコール=レオンハートだ。侯爵とよく似た裾長の上着を身に着けているが、装飾は簡素だ。
どうやら黒や濃紺のような暗色が好みのようだ、とカーウェイは思った。

「あの者達はウィルバーン卿の領民だったか」
「はい。ウィルバーン大司教が書いた身元保証文を携えていました」
「身元が確かであれば、受け入れざるを得ないな」
「ひと月前にこちらに来た鍛冶職人の身内のようです」
「ああ、ウィルバーン卿の大砲を鋳造したという職人だな。なるほど。家と仕事を手に入れたから、家族を呼び寄せたのか」

会話はスコールが立ったままで交わされる。
彼の腰には今も愛用の剣があったが、跪く必要はない。姫君リノアとの結婚により騎士の身分を離れ、侯爵家の一員となっていた。


「ここ1年程で、急に領民が増えた。皆、各地の争乱から逃れて、縁故やつてを頼って我が領内に集まって来るようだ」
「先きの有事の際、侯爵が領民を城内で保護されたことが評判になったようです」
「あの時は領民もさほど多くなかったから出来た事だ。こうなってはもう無理だ。
変革の時が来たのだろう。いつまでも分厚い城壁頼みではいられないとは分かっていた。早急に体制を整えなければならない。
お前に直属の部隊を作るというのは、我ながら名案だ。お前なら本格的な訓練をして精鋭部隊に育てるだろう。
整列行進を披露した時は壮観だったな。部隊を率いるお前だけでなく、全員が黒の甲冑に黒の槍。
街の者が『レオンハートの黒備え』と騒いでいた。娘達は言うに及ばずだ。リノアが随分と妬いていたが、一晩で機嫌が直って何よりだ」

からかわれたと思ったのだろう。スコールは曖昧な表情で俯いた。

娘のリノアが騎士に恋する事は予想の範囲内だった。スコールは言葉少ないが見目が好く、非常に剣の腕が立つ。
そんな男がいざという時は身体を張って自分を守るのだ。心惹かれない方がおかしいだろう。
しかし、スコールがどう動くかは、侯爵にも確かな予想が出来なかった。
城にいた頃のスコールは、姫君との接触を避けているようだった。
侍女だったキスティスは『スコールは私の事も避けます』と笑っていた。シド=クレイマー騎士団長の推薦文には『自制心が強い』とあった。
資質は充分だ。自制心も結構。
しかし、リノアは政略結婚が常識の貴族の姫君であっても、娘らしい娘なのだ。リノアが求めているものを与えられる男だろうか。
カーウェイ侯爵は、夫婦となって戻って来た二人を見たときに、答えを得ることができた。

「引き留めてすまなかった。治水工事の見回りの前に、リノアのところに行くのだろう? 今日も肖像画家が来ているようだ」

頷いたスコールの目元が、本当に一瞬。柔らかく細められた。



リノアとスコールがガルバディアに戻ったのは、今から5ヶ月程前だ。
道中の安全を第一に考え、陸路ではなく海路での帰国を選んだのだが、気候と海流を考えると秋冬は避けねばならず。
いよいよというときにガルバディアではまた争乱が起きた。結局、姫君は丸2年をバラムで暮らすことになった。
出立の日、リノアは滂沱の涙を流してバラム騎士団との別れを惜しんだ。
道中も沈みがちでスコールや供の者たちを心配させたが、ガルバディアは彼女の母国だ。
うまれ育った城で父君や旧知の者達に囲まれれば、今度は再会の喜びに嬉し涙を流した。
そして、驚いた事に騎士団長夫人のイデアからの手紙が、先回りをしてリノアを待っていたのだ。
年長者の深い愛情が感じられる手紙に、リノアはイデアの人柄に改めて感銘を受け、侯爵家を継ぐ者としての自覚を新たにしたのだった。



候爵の執務室を出たスコールは、城の南側に向かって回廊を歩いていく。
途中、召し使いの女と何度かすれ違う。彼女達が軽く膝を曲げて挨拶するたびに、スコールは頷いて返した。

城の東南の角にある部屋に着くと、スコールは軽いノックをして扉を開けた。ここは、かつてはリノアの母の居間だった。現在はリノアが使っている。
部屋の装飾は城内で一番手がかけられた美しいものだ。青く塗られた天井は金メッキの鋲がちりばめられて星空のよう。
壁面は神話の一場面を描いた絵画がずらりと掛けられ、柱は彫刻と金箔で飾られている。
部屋の隅に据え付けられた大きな暖炉は陶製で、表面には花や鳥、楽器を奏でる女性達が極彩色で描かれていた。
リノアは、窓際の長椅子に腰を下ろしていた。やってきたスコールに気付いて、満面の笑みを浮かべる。
大きなカンバスの前に立っていた画家もスコールを振り返り、姿勢を正して一礼をした。
画家はひょろりと背の高い、大きな手の男だ。頭髪が一切ないのは生まれつきだと言う。
トラビア北方の手工芸が盛んな民族出身で、ガルバディアでは名の通った肖像画家だった。
カンバスには、リノアの顔だけが詳細に描かれている。体は大まかな線画だ。後で別の者が衣装を着て、リノアの代わりを務める。

「よく描けているな」
「奥方様には御辛抱頂き、心から感謝を申し上げます」
「ううん。お話、とても楽しかった。ありがとう。絵は工房に運ばせておきます。休んでください」

続けてリノアは控えていた侍女にも退室を命じる。
居間が二人きりになると、リノアは待ちかねたように立ち上がり、スコールも彼女を引き寄せて、軽く口付けた。

「トラビアの話をいろいろ聞かせてもらったの。ね、セルフィってトラビア生まれだったよね?」
「ああ、そうらしい」
「元気にしてるかな。会いたいなあ。やっぱり一緒にガルバディアに来て欲しかったな」
「あの時、セルフィが侍女を務めたのは特別だった。本来はあいつが雑用をすることは無いんだ」
「うん、イデア様に聞いた。キスティスみたいに護衛や家庭教師をするんでしょう?」

リノアは彼の胸に頬を寄せ、心地良さそうに目を細めた。

「でもキスティスはスコールと交換みたいに、バラム騎士団に行ってしまったもの。
もうわたしに家庭教師は必要無いのかもしれないけど、セルフィに来てもらいたいなあ。セルフィがいてくれたら楽しいのに。
でもね? そんな我が侭を理由に呼べないって思ってるんだ」

スコールはご褒美のように彼女の黒髪を撫でた。

「そうだな。子を授かったら呼ぶことにしないか。
セルフィは今、カドワキ先生のもとで医術の修行をしているそうだ。きっと喜んで来てくれる」

リノアは笑顔で頷いた。スコールは髪を撫でていた手を滑らせて唇に触れる。
リノアは、前触れに頬を染めて目を閉じた。彼の指は柔らかく顎をとらえて上向かせ、唇が重ねられた。
−−−−−突然、扉が開く音がした。スコールは肩をびくりと、リノアは文字通り飛び上がって驚く。

「…、よく描けているじゃないか」

居間に入って来たカーウェイ侯爵は、さりげなくカンバスに視線を向けた。リノアは真っ赤な顔で抗議した。

「お父様、ノックをしてください」

と言っても、侯爵が入室の伺いを立てなければならない場所など、城内どころか領内にだって存在しない。仕方がないかもしれない。
カーウェイは若い二人に申し訳無さそうな笑顔を向ける。侯爵がこんな風に感情を表すのは珍しい。よほど気まずいのだろう。

「レオンハート、構わない。そのままでいい」

スコールは姫君からさりげなく身を離そうとしていたのだが、侯爵の言葉を受けて、戸惑いがちに動きを止めた。
リノアは改めて彼に抱きつき、溜息をついた。
確かにリノアは侯爵家の姫君だが、二人は夫婦なのだ。侯爵も認めている。城の者や街の者だって知っている。
あの婚礼の日、大聖堂広場に集まった人々の前で口付けたように、堂々と自分を引き寄せて、愛情を示しても何の問題もないはずだ。
なのに、ガルバディアに戻ってきてからは、こんな風に距離を取ろうとする。

「スコール、お城に来てから全然やさしくない」

スコールは眉を寄せ、低く反論した。

「そんなことはないだろ」
「あるもん。バラムにいた時はもっとやさしかったし、1日に何度も逢いに来てくれた。今、わたしと会うのは夕食の時だけでしょ」
「それは…」
「お前がもう少し早く起きれば、朝食も一緒に取れるだろう」

スコールが敢えて言わなかった事を、カーウェイが指摘した。
リノアはきっと父君を睨んだが、スコールが彼女の背を宥めるように撫でたから、ぐっと堪えた。
侯爵は口元に品のいい笑みを浮かべた。

「仲睦まじい夫婦だとイデア殿から聞いていた。てっきり3人になって帰って来るかと思っていた」

言わんとしている事に気付いたリノアは、赤くなった顔を彼の胸に押し付けて隠した。スコールが軽い咳払いをして、申し開きをする。

「…身重や子連れでの旅は危険が増します」
「なるほど。ならば早めに頼むぞ」
「お、お父様がスコールをもっとわたしのところに来させてくれれば…っ」

リノアは声を震わせ、真っ赤な顔で父親と夫を交互に見た。

「スコールは、城に来てからいつもお父様の御用をして過ごしてる。最初に城に来た時からずっとよ。
今はわたしの夫なのに、やっぱりお父様の事や自分の兵隊に掛かり切りになってる。
わたし、寂しい。寂しくて不安なの。もっとスコールと一緒に過ごしたい」

スコールは、ぎゅっとしがみついたリノアを抱き返し、カーウェイ侯爵にぎこちない笑みを向ける。
侯爵もまた苦く笑い返して、包むような眼差しを娘に向けた。

「この部屋に来た、当初の目的を忘れていた。レオンハート、これを」

侯爵は白い封筒を差し出した。スコールはリノアを抱いていた手の片方を伸ばして、受け取る。

「午後は休め。久しぶりに、私が灌漑用水の工事の見回りに行く。ゼル=ディンを供にしよう。留守を頼む」

カーウェイ侯爵は早足で居間を出て行った。

また二人きりになった。スコールはリノアを促して、窓際の長椅子に並んで腰を下ろした。
リノアは我が侭を言ったという後ろめたさと、当然の事という思いと、彼と一緒にいられるという嬉しさがないまぜになっているようだ。
スコールにぴったりと身体を寄せ、肩に顔を擦り寄せる。
黒髪を撫でられ、額に押し当てるだけの口付けを受けると徐々に気持ちは落ち着いた。目を細めて、スコールの手元を見た。

「手紙?」
「ああ。侯爵宛だな。最近届いたものではないようだ」
「ん?この封筒、見た事あるかも」

スコールは中身を取り出し、リノアは彼の手から空の封筒を取ってしばし眺め、「あ!」
声を上げて、彼の手元の便箋を奪おうとした。しかしスコールの反応は素早く、手紙を頭上に掲げて立ち上がった。

「返して返して!」
「駄目だ。俺が侯爵から渡された。俺に『読め』ってことだろ?」

スコールは腕をいっぱいに伸ばして手紙を頭上に掲げ、目を細めて文面を読み始める。
リノアは やだあ、と悲鳴を上げながら、彼の動きを追ってぐるぐる回り、時折飛び上がっては手紙を取り返そうとした。

リノアが父君に送った手紙だ。バラム滞在が2ヶ月過ぎた頃の日付だった。
ガルバディアの様子を案じる言葉の後は、あの東館の部屋から見える景色や、街歩きで見た市場の様子などが細かく書かれていた。
スコールも見た光景だ。自然と笑みが浮かんだ。

「夕顔の花の事が書いてある。懐かしいな」
「やだやだ、もう返して。お願い!」

どうやらリノアは内容を覚えているようだ。恥ずかしさに身悶えせんばかりだ。

「別にいいだろ。いい手紙だ」

そう言ったところで、スコールはぎょっとした。中程に書かれていたのは、リノアが勝者の騎士に手を与えた剣術試合の事だった。
今までの話題と同様、詳細に経緯が書かれている。
後輩の騎士達に交じって参加したスコールは、最後に3対1の勝負を申し出て、容赦なく相手を打ちのめした。
姫君から見れば称賛に値する圧勝でも、カーウェイ侯爵から見れば大人げない振る舞いではないだろうか。
いや、どう見ても仕付けのなってない番犬のようだ。なにやってんだ、俺は。スコールは思わず呟く。
あの頃は自分の想いしか見えていなかったが、今は違った。

リノアは手紙を取り返すのを諦めた。
長椅子に戻って腰を下ろし、ドレスの膝に両手で頬杖をついて、スコールが光に透かすような格好で手紙を読む様子を眺めていた。
父の城に赴任する事になったゼルに預けた手紙だ。ちょうど二人の仲が騎士団長に知られ、スコールの訪問が途絶えていた頃に書いた。
あの華々しい勝ち抜き戦は、リノアにとって甘い思い出だった。あの日、感じた切なさと痛みを思い返して、泣きながら書いた。
スコールに逢えない事が寂しく、悲しかった。
手紙の最後に、書くつもりの無かった言葉を記したのは、想いのやり場が無かったせいだ。
いつもの自分らしく、さりげなく。そうやって隠したつもりだったが、父親のカーウェイ侯爵は気付いたという。
もしかしたらスコールも気付いてしまうかもしれない。−−−−−気付くだろうか。

手紙を読み終えたスコールは、静かに手紙を下ろす。そして長椅子に座るリノアに歩み寄ると、膝元に跪いた。

「すまなかった」
「え…?」
「結婚のため、やむを得ず騎士の身分を離れたが、俺はこれからもリノアの騎士だ。誓いは変わらない」

スコールはリノアの手を取り、甲に恭しく口付けた。

「今日からはもっと近くにいるようにしよう。お前を安心させてやりたい」

リノアの目が見開かれ、次の一瞬で瞳は涙でいっぱいになった。溢れ出した涙は次から次へと両の頬を濡らして流れる。
スコールはリノアが、いや、女がこんなに大量の涙を流すのを見た事が無かった。
はじめは戸惑ったが、リノアが無言で縋り付いてきた時、彼の胸はあたたかい感情に満たされた。

手紙の最後のくだり、リノアは『実は、』と前置きして綴っていた言葉は−−−−−、
『スコールは今、わたしに一番安心をくれるひとです。』だった。

スコールは今、わたしに一番安心をくれるひとです。
安心させてくれたり、喜ばせてくれたり、いろいろくれる人。
がっかりも、腹立ったりも、ジリジリさせられるのも多いんだけど。

なんだか、婚礼の誓詞に似ている。順境にあっても逆境にあっても。健やかな時も、病める時も。
そう思ったスコールの口からは、自然と言葉が湧き上がった。

「ずっと傍にいる。…愛してる」

黒い瞳には新たな涙が溢れ出したようだ。リノアは震える唇を噛んで、嗚咽を堪えようとする。
スコールは両手で彼女の顔を挟み、顔を寄せた。

「離れるつもりも、離すつもりもない。覚悟しておけ」

脅すような口調に、ついリノアの口元に淡い微笑みが浮かんだ。
その瞬間、スコールは彼女の唇の輪郭をなぞるように舌を這わせた。
驚きに息を飲んだリノアが発しようとした言葉は、直後重ねられた唇の奥に吸い込まれていった。
甘く食らいつくようなそれは、口付けと呼ぶには激しい求愛。しかしリノアはいつの間にか夢中になって応えていた。
カーウェイ侯爵や仲間の騎士達からは、沈着冷静と評されているスコールだが、彼女の前では違った一面を見せる。
真意がつかめず翻弄されることも多かったが、自分にだけは心を許してくれているのだと嬉しかった。

スコールが護ってくれる。強く抱き締められると、心に影を落としていた不安がたちまち薄れていく。
いつだって、わたしに一番安心をくれるひと。

深い口付けから解放された時、滲んだ視界の隅に手紙の白が過った。

「わたしは、スコールにとって、どんなひとなのかな」

問いかけにスコールは拗ねるような、甘えるような、どちらともつかない声で応えた。

「リノアはリノアだろ」

ずるい、と不満げな彼女を抱き締めて、スコールは楽しげに笑う。
彼が笑ったのが嬉しくて、リノアも笑った。





その後まもなくして、リノアの懐妊が判明した。翌年の夏至、彼女は男子を産む。
スコールとリノアは二男二女に恵まれ、賑やかで穏やかな月日が流れていった。

--
The End




相互リンク先の「Regress or Progress?」さくら様から頂きました。
さくら様のサイトに素晴しいパラレル作品がいくつか展示されておりまして、その中のひとつに「光の帝国」という中世テイストのお話があるのです。私はその話が大のお気に入りでして、ついつい「『光の帝国』の後日談を読みたい」と無理を申し上げてしまいまして……A^^;
そうしましたら、何と! こんな素敵な作品を頂いてしまいました!! こちらからの献上品など足元にも及ばない……orz

さくら様、素敵なお品をありがとうございましたvvv これからもよろしくお願いいたしますね。