本当は、もう何もかもわかってた。
 だけど、もう少しだけ……後少しだけ、甘えていたかったんだ。
 ……こんなこと、他の皆には絶対言えないけど、な。
 ――後々になって、彼は恋人にだけ、こんな風にそっと打ち明けた。


導きの光

Act.9 光が導く未来


 陽射しが眩しくて、スコールは目を醒ました。
 頭のすぐ上、窓にかかったブラインドが全開になっている。あぁ、そういえば昨日閉めなかったな……そう思いながら、彼はゆっくりと起き上がった。
 ブランケットがするりと肩を滑り落ちる。それを咄嗟に掴んだ手を、スコールは眺め見た。ふくふくした子供の手ではない、筋張った長い手指だ。
 せっかく掴んだブランケットだったが、スコールはそれを打ちやってベッドを出た。鍛えられた痩躯が、惜し気もなく白日に曝される。
(馴れた視界だ)
 部屋を見回し、足元を見る。目に映るはしっかりした脚に、引き締まった腹。額に手をやれば、掌に微かな違和感――傷痕だ。
 スコールはゆっくりと髪を掻き上げた。すっかり元通りらしい己の姿に、ふぅっと息をつく。それは、安堵から出たものだったのか、それとも寂寥感から出たものだったのか。 そして、不意にあることに気が付いた。
「……明るいな」
 確かに、今は朝と言うよりは昼に近く、夏の終わりと言っても陽射しは高くから強く降り注ぐ。だがそういう理由ではなく、スコールは「明るい」と思った。
 真っ白い壁、ブラインドの隙間から覗く青空、机に立てられた赤いペンスタンド、漆黒のSeeD服。今まで、これほど鮮やかな色彩を認識したことがあったろうか? スコールは暫し無言で、その色彩の洪水を愉しんでいた。
 そこに。
「スコール、おっはょ……」
 小さな排気音と共に飛び込んで来たリノア。スコールは反射的に振り返ってしまい……そして、己の現状を思い出して固まった。
「………………リノア。お前、寝室だけはノックしてから、ってぇえっ!」
 声がひっくり返ったのは、ベッドに背中から倒れ込んだから。その原因は、リノアが突進してきた為だった。
「スコール、元に戻ったんだ?!」
「あ、あぁ、みたいだ」
「わーん、スコールだっ! スコールぅ」
 甘えた声で裸の胸に擦り付くリノア。こうなると暫く離れてくれない。甘えたがりの本領発揮だ。派遣任務が明けて休暇に入る前の晩なんかに、甘えん坊リノアが発動する。今回も似たようなものか。
 ……だが今はちょっと都合が悪い。自分は今、素っ裸なのだ。ということは、……ごまかしようがないわけで。
 案の定、リノアはにんまりと人の悪い笑顔を見せた。
「元気だね、スコール」
「……お前今どこ見て言った?」
 にこにこするリノアに盛大な溜息をつき……離れたがらない彼女を苦労して退けて、スコールはベッドの下にある引き出しを開ける。タオルケット一枚分隙間のあるそこから下着と黒いジーンズを引っ張り出して身につけると、リノアは妙に残念そうな顔をした。
「服着ちゃうの?」
「朝っぱらから何言ってるんだ。しかも、リビングにあいつ寝てるのに」
「え? 『あいつ』?」
「……ラグナ」
 リノアはきょとんと数度瞬く。クローゼットを開けて服を物色するその背を眺めながら、彼女は首を傾げた。
「いなかったよ? タオルケットは置いてあったけど」
「は?!」
 スコールはぎょっと目を剥いて振り返る。その勢いにリノアは身を引き、後ろに倒れかけた。
「ほ、ほんと。ラグナさん、いるはずだったの? ……っちょ、スコール!」
 スコールは適当に上着を掴むと、リノアが止める間もなく部屋を飛び出した。
(もういない? ふざけんな! よりによって、今日この日に?!)
 ふつふつと怒りが込み上げてくる。その勢いのまま、廊下の向こうまでスコールは突っ走ろうとした。そこまで行けば、渡り廊下が見られるのだ。
「あっ、おいこらてめぇ! 廊下は……」
「邪魔だ、退けっ」
 廊下を走る不心得者を捕まえようとした風紀委員長(サイファー)を押し退け、スコールは中庭に面した窓から顔を出した。
(いた!)
 エスタ風の旅装束を着た後ろ姿。スコールはひゅっと喉を鳴らして大きく息を吸う。
 そして。
「ラグナあぁーっ!!」
 絶叫。
「は、はいぃっ?」
 怒号と言っても間違いではないそれに、ラグナはそらもう驚いた。
 ラグナを引き留めるという目的を達し、スコールは窓枠に足をかけた。そこを支点に身体を持ち上げ、強引なショートカットを図る。
「あぁっ、何してやがんだガキどもが真似するだろ! お前らは絶対やるんじゃないぞ! ありゃヤツだから怪我無しに出来るんだからな!!」
 背後でサイファーが散々に怒鳴っていたが、スコールには関係ない。
「お、おぉ、おはようスコール」
「おはよう、じゃないっ」
 何事かとびくついているラグナに声を荒らげ、スコールは足早にラグナに詰め寄った。
「どこ行くつもりだ?」
「どこって、エスタだよ。オレ、帰らなきゃだろ。仕事があるからさぁ」
「だからって、今なのか? よりにもよって今日なの、かよ? た、誕生日、くら、ぃ……」
 スコールの声が急に消え入っていく。頭が冷えてきて、周囲の耳目が自分に向けられていることに気付いたのだろう、恥じて背けた顔が紅い。だが、手だけは雄弁に彼の気持ちを語っている。
 左手が、ラグナの服を掴んでいた。
 ――いかないで、ここにいて。
 声なき声で語られるそれは、何とささやかな我が儘だろう。甘えてきているのだと悟ったラグナは、その頬を柔らかく和ませる。
「……そうだよな、誕生日くらいは家族でいなきゃだよなぁ〜」
 わざと軽い口調で言い、ラグナは馴れ馴れしくスコールの肩を抱く。スコールは振り払わず、大人しくしていた。
 そこへ。
「はぁー、やっと追い付いたぁ〜。もぅ、スコールってば足速い!」
 漸く到着したリノアは、膝に手を置き大きく息をついた。
「……悪かったな」
「はいはい」
 恥ずかしさ隠しに呟かれたスコールの常套句に、リノアはくすくす笑う。そして、ラグナに向かってぺこりと頭を下げた。
「おはようございます、ラグナさん」
「おはよーさん、リノア」
 ラグナは荷物を足元に置き、軽く手を挙げて応じる。
「あれ? ラグナさん、帰るんですか?」
「いや、もうちょいいるよ。今日はこいつの誕生日だからな、バラムで遊ぼうかと思って。キロスにゃまだ連絡してねぇし……ま、夕方くらいにコールすりゃ良いだろ」
 なっ、と同意を求められ、スコールは俯いた。その様子にリノアは柔らかく目許を和ませ、スコールの剥き出しの腕を摩る。
「良かったね、スコール」
「……ん」
 スコールはふいっとそっぽを向き、上体を屈めた。何をするのかと思いきや、ラグナが置いた旅行鞄をひょいと取り上げる。
「俺の部屋に置いてくる」
「おいおい、オレのカバンは人質かぁ?」
「うるさい、信用ないのがいけないんだろ」
 眉をひそめて指摘されては、ラグナも苦笑するしかない。
「先に食堂行ってるね、スコール」
 リノアの呼びかけに、スコールはひらりと手を振って返した。

 傭兵を育てているガーデンでも、学校法人である以上、夏休みは存在する。SeeDにならない一般クラスは勿論のこと、候補生クラスも中盤の臨海学校を除いて長期休暇に入る。つまり、親元に帰って羽を伸ばすのだ。例外は、仕事に備えるSeeD達と、このガーデンこそが家の孤児達のみ。
 スコールも、今までずっとそうだった。 普段以上に閑散とする食堂で、味気ない食事を採る。それが毎年だった。
 だが今年はどうだろう? 例年通り人は疎らだが、うるさいくらいに賑やかだ。
「おはようございます、司令官!」
「お疲れ様です」
「お帰りなさーい、エスタどうでした?」
 すれ違う同僚が、口々に声――それも、表向き派遣されていたことになっている任務を労うものだ――をかけてくれる。
 スコールは、初めてそれを「嬉しい」と感じていた。人と話すのに慣れていなくて、あぁ、とか、うん、とか短いものしか返せないのがもどかしい。ありがとう、と言うのはちょっと違う気がするし。
「お……よぅっ、スコール!」
「あぁ〜っ! おっはよ〜、いいんちょ☆」
 食堂のテーブルを二つばかり占領したゼルとセルフィが、目敏くスコールを見付けて手を振り上げた。
「おはよう、ゼル、セルフィ」
「お前〜っ、散々心配かけやがって!」
「戻ったんだ? うわ〜、良かった!」
 2人共、やけに嬉しそうだ。スコールは何だか気恥ずかしくなって、思わず視線を逸らしてしまう。
 でも、今思っていることを言わなきゃいけない。
(違うな、俺が今『言いたい』んだ)
 自分なりに身構え、スコールは息を吸った。
「……悪かったな、いろいろ。あと、……ありがとう」
 スコールが小さくそう言うと、2人は顔を見合わせた。あぁ、やっぱり慣れないことはするもんじゃない――スコールが後悔した矢先、セルフィは満面の笑みでスコールに抱き着き、背を叩いた。
「良いって良いってそんなこと〜! 仲間なら、あったり前じゃん?」
 ゼルも肩を叩き、ニッと笑ってみせる。
「そうそう、迷惑なんてかけあってナンボなんだからさぁ!」
 スコールは、自然と口許を緩ませた。
「あら、スコール」
「やぁ、おはよう。無事戻ったね」
 先に朝食を取りに行っていたらしいキスティスとアーヴァインが、トレイを手にしてスコールに声をかけた。
 スコールが振り返ると、アーヴァインは「お?」と片眉を上げる。
「……何か、変わったね? スコール」
「そうか?」
「うん。何が、って言われても説明出来ないけど、何か」
 そう、何かが変わった。強いて例えて言うなら、雰囲気、とかそんなもの。
「それにしても貴方、そんな服も持ってたのね」
 キスティスが示したのは、スコールの着ている上着だった。袖無しのハイネックで、フルジップアップの白いサマーニット。黒いジーンズも良い具合に色が褪せていて、細身の彼を更にすらりと見せている。足元はサンダルで、その若者らしいルーズさに、キスティスは笑みを深めた。
「さ、早く朝ご飯取りに行ってらっしゃい。リノア達も戻ってきたわ」
 キスティスはぽんぽんぽん、とリズム良くスコール、ゼル、セルフィの肩を叩いて促した。彼女が手を振る方向へ目を転じれば、リノアとエルオーネが賑やかに笑いさざめきながらこちらに向かっていた。
 スコールと目が合ったリノアの表情が一瞬固まる。そして間髪入れず、嬉しそうに相好が崩れた。スコールも微かな笑みを返し、トレイで手が塞がっている彼女の肩を撫でてすれ違う。
 エルオーネは僅かに目を瞠った。
(何て、優しい目)
 レインと同じ、美しい蒼銀の瞳。それが優しく細められ、リノアを見ていた。その一瞬を、エルオーネは見たのだ。
「……ねぇ、スコール!」
 思わず、エルオーネはスコールを呼び止めた。
「あの、……いろいろ、ごめんなさいね?」
「?」
 スコールは訳がわからない、と首を傾げる。
「謝られるようなことをされた覚えはないけど」
「良いの。とにかく、ごめんなさい」
 急にぺこりと頭を下げられても、スコールには意味がわからなかった。
(何のことだか……『接続』のことか? それにしたって、今更)
「もう時効だろ? 気にするな」
 その言葉を聞いて顔を上げたエルオーネは、何やらすっきりしている様子だった。何を引きずっていたのかは知らないが、多分、かけた言葉はこれで合っているのだろう。スコールはひら、と手を振り、今度こそカウンターへ向かった。
 カウンターには、腕を組んで悩んでいる後ろ姿がある。
「……あんた、何時からその状態だ?」
「おわっ!」
 盛大に驚くラグナ。
「おぉ、スコール。いや〜、どれもこれも美味そうだからよ、メオトリしちまってさぁ〜」
「……それ、『目移り』じゃないのか?」
「ん、そうとも言う」
「そうとしか言わないぞ」
 スコールがわざと辛辣に突っ込むと、ラグナは「おー恐」と首を竦めて笑った。
「なぁ、お前は何食うんだ?」
「俺、ファストプレート」
「じゃ、オレも。プレートふたつな、おばちゃん!」
 Vサインを示すラグナ。カウンター内に立つ恰幅の良い調理師は、にかっと笑って頷いた。
「はいよ、すぐ出来るからね!」
 普段は年少クラスの子供達に注意をしているのだろう、まるで子供に対するような言い方だ。スコールはくす、と小さく苦笑する。
 調理師は手慣れたもので、瞬く間に熱々のオムレツが載ったプレートとサラダがが出てきた。勢い良く置かれていくディッシュは、しかしひとつ多い。
「お待たせ! しっかりお食べ」
 スコールは瞬いた。
「おばさん。このショートケーキ、何なんだ?」
「それはSeeD連中からだよ。あんたに、って」
 もう1人の調理師が物静かに答えた。スコールはきょとんとしている。
「SeeD連中から?」
「そうさ。今日、『特別な日』なんだろ? 皆に感謝しとくんだよ」
 話は終わり、と調理師はくるりと後ろを向く。
(……あ、そうか)
 急に気恥ずかしさが込み上げて来て、スコールは頬を掻いた。気付けば何の事はない、今日は彼の誕生日だ。それはSeeD全員が知っている。
 ラグナは「良かったな」と言うと、ケーキの皿をスコールのトレイに載せた。そして、軽く背を叩いて戻ろうと促す。皆腹を空かせて待っている――そう考えて初めて、スコールは自分が空腹なのだと認識した。空っぽの胃袋が、早く何かを寄越せと静かに責っ付いている。
 2人が急いでテーブルに戻ると、既に臨戦体勢に入っていた仲間達は軽い調子で文句を言い、思い思いに食事を開始した。
 スコールも小さくいただきます、と呟いて、ケチャップのかかったオムレツをひと匙口にする。
 そして、固まった。
「…………?」
 いつも通り対面に座っているリノアが、スコールの異変に気付いた。
 スコールは、何やら落ち着かない様子で唇を擦り合わせている。戸惑うその仕種は、何かを名残惜しんでいるようにも見えた。
「スコール?」
「…………な」
「え?」
「……皆、ずるいな。こんな美味しいもの、毎日食ってたのか」
 羨ましげな目と共に発された一言に、皆言葉を失った。事情を知らないラグナとエルオーネは不思議そうに顔を見合わせたが、意味がわからずとも何かが好転したらしいことは朧げながら理解出来た。
 キスティスが涙目で身を乗り出した。
「そうよ、羨ましいでしょ」
「お前絶対損してたぜ〜? 人生の半分くらい!」
 ゼルはそう言うと、これ見よがしにパンを一口頬張る。スコールは笑って肩を竦めた。
「かもな」
 何の変哲もないオムレツが、舌先に載ると強烈な主張をする。今まで感じられなかったそれに、スコールはスプーンを置こうかと一瞬考えた。
「どうしたんだい、スコール」
 スプーンの先がふらついたのを認め、アーヴァインが首を傾げた。
「あぁ、いや……味が濃いような、感じがして」
「大丈夫、すぐに慣れるって。あ、そうだこれあげる〜! このポテトサラダ、あたしのオススメメニューなんだよ」
 嬉しそうなセルフィが、スコールのディッシュにポテトサラダをひとすくい置いた。それに乗じて、皆がいろいろとスコールへとお節介を焼く。彼自身が止めても耳を貸すものはなく、あっという間に目の前のトレイは満杯になった。
「へへ、ご馳走だな。良かったなぁ」
 ラグナが仕上げにカットオレンジを載せて、やたら豪華になったプレートを前に、スコールは途方に暮れたような顔で皆を見回した。
 ――何なんだ、その期待に満ち満ちた目は!
「あぁ、えぇと……じゃあ、いただきます」
 観念したスコールは、両手を合わせて頭を下げた。「おあがりなさい」とか「召し上がれ」が様々な声で同時に聞こえ、何だか泣きたくなったことは、口を噤んでおこうと思いながら。

「そうそう、スコール。貴方、今日から月末までお休みね?」
「は?」
 皆が食事を終える頃。突如投げられたキスティスの言葉に、スコールはきょとんと目を瞬かせた。
「今日から、夏休み、ね?」
 キスティスはもう一度、はっきりと口を開いて復唱してみせる。まるで年少クラスの子供達へ噛んで含めるときの様に。
 スコールはあからさまに戸惑いを見せた。というか、はっきり拒絶した。
「……いや、俺、今日まで充分休んだから要らないよ。仕事溜まってるだろうし、俺もやらないと皆大変だろ」
 ご丁寧にも盛大な溜息付きで、隣に座るゼルが肩を叩く。
「あのなぁ、お前が休み取ることは前から決まってたんだから、俺達のことは気にすんなって!」
「そうそう! お人好しなのはアンタの美点だけどさ、根詰めるとまたぱたっといっちゃうよ〜?」
 アーヴァインがそう言うと、スコールは顔をしかめた。
「別にお人好しって訳じゃない。誰かがしなきゃ片付かないってそれだけだ」
「それがお人好しだって言ってんだろ?!」
「ってぇっ!」
 パァン! と派手な音を立ててゼルが背中を叩いた。流石のスコールも前につんのめり、苦労して背中をさする。
「加減しろよ……」
「わりーわりー」
 わざとらしく顔をしかめたスコールに、ゼルは軽い調子で謝った。10代らしい、普通の風景だ。
 そう、「いつもの風景」だった。ガーデンにはよくある、ちょっと荒っぽいスキンシップ。まぁ、ラグナやエルオーネのように、初めて目にするとたいてい驚くが。
「ん〜まぁ、ここまでは予想通りなんだよね〜。とゆわけで、セルフィちゃんは一計を案じてみました!」
 がたんと席を立ち、じゃじゃーん! とセルフィが取り出したるは何かのチケット。これはリノアにあげる〜、と言うセルフィに、スコールは何故一計を案じてリノアに渡すのかと首を傾げた。彼女が喜びそうな映画のチケットか何かだろうか。
 チケットを凝視するリノア。隣に座るエルオーネもその手元を覗き込む。
「あら。これ、この間おねだりされたドールのホテルのじゃない。てっきり私、セルフィとアーヴァインで行くんだと思ってたけど」
「お、お姉ちゃん、ならわざわざスコールの誕生日にぶち当てる意味ないよ……」
「あ、そうね」
 脱力気味のセルフィに、ぺろりと舌を出すエルオーネ。
「それね、取るの大変だったのよ? セルフィったら結構ぎりぎりに言ってきたものだから、手頃なお部屋が全然空いてなくてね……だからちょっと値が張っちゃったの。その分、良いお部屋だと思うわ」
「残念ながら予算の関係で二泊三日なんだけど、今日からふた晩、2人で楽しんできてね〜!」
「…………はぁ?」
 スコールは耳を疑った。
「だからぁ、これがあたし達からスコールへのプ・レ・ゼ・ン・ト!」
 セルフィは「プレゼント」を殊更に強調してみせる。スコールが他の面々を見回すと、皆やけににまにましていた。
 恐る恐る、リノアを見てみる。
 彼女は、瞳を期待にきらきらさせて、彼をじっと見つめていた。
(……あぁ、もう!)
 スコールは額に手を当て、頭を振る。だがそれは、本当の気持ちを隠すためのフェイク。さぁほら、にやけるな。皆に大事にされて嬉しいからって――。
「勘弁してくれ、たかだか1人をハメる為にここまでするか? こんな用意周到にされたら断れないじゃないか!」
 その頬が紅くなっていたのに気が付いた一同は、本当に愉しそうに笑い声を上げた。

 結局、スコール達もラグナも夕方にバラムを発つことになった。それまではゆっくりしようというリノアの提案で、皆はバラムの街をのんびりと散策している。
 女子らがウインドウショッピングに興じる後ろで、スコールはラグナの横を歩いていた。ラグナがふと見たその横顔は、初めて見る穏やかなものだった。少年と青年の狭間にある、歪で魅惑的な頃合いの。
「なぁ、スコール?」
「ん……?」
 呼びかけに軽く首を傾げるスコール。
「聞きたいことが、あるんだ」
「何」
「……お前の目に、世界は、美しいものか……?」
 ラグナが口にしたそれは、ひどく観念的な問いだった。
 スコールは、考える。彼はどういう意味を含めて問うたのか、自分はその問いにどう答えるつもりなのか……。
(……正直、わからない)
 戦いばかりを見てきた自分には、美しいかと問われてYESとは言えない。だが、だからといって醜いかといえば、答えはNO。
 それは恐らく、今の自分の在り様で変わるものなのだ。
 今までならば、迷うことなく「世界は冷たく、そして醜い」と答えただろう。
 だが、世界が美しく変貌する様を見てしまった。
 モノクロームの世界にリノアが淡い色を付けた。兄弟とも信頼する仲間達が輪郭を整えた。そして――。
(あんたが、俺にも誰かを愛せると教えてくれた)
「……多分」
 だから、スコールは微笑って答えた。
「世界は、鮮やかできらきらしてる」
 痛いくらいに世界は煌めく。戦いの痛手を負いながら、尚も芽吹く生命に絶やす事なく光を注ぐ。その光の名は、誰もが教えられずとも知っている。そして自分は確かに、それを目の前の男から受け取った。光に照らされた世界は、何と明るく鮮やかで、愛おしいことか!
「そうか」
 男は、とても安心した様子だった。
「……良かった」
 愛しい息子の頭を、ラグナは抱き寄せる。
「止せよ、恥ずかしい」
「良いじゃねぇか、ちっとくらい」
 スコールは苦笑いで、仕方ない奴、と好きにさせた。
「スコール、ラグナ様!」
「お?」
 唐突なセルフィの声に2人は目を向ける。と同時に強烈な光が目に入り、2人は驚いて瞬きを繰り返した。
「えっへへへ、写真げっと♪」
「おい、セルフィ!」
「大丈夫、ちゃんと後であげるから〜!」
 パタパタと足取り軽く逃げていくセルフィを、スコールはタッチの差で取り逃がす。全く、と溜息をついて髪を掻き上げる様子は、呆れている風でどこか楽しそうだ。
「行こう、……えぇと」
 呼びかけようとしてスコールは戸惑う。彼を「父さん」と呼べない、それがもどかしい。
 ラグナはにっこりと微笑んだ。
「いーよ。別に今まで通り、『ラグナ』で」
「……ごめん」
 申し訳なさそうに俯くスコール。ラグナは彼の背中を優しく叩いてやる。
「スコールーっ、ラグナさーん、写真撮ろーっ! ここ、すっごい景色良いよー!」
 少し離れた坂道から、リノアが大手を振って2人を呼ぶ。
「おぅ、今行く!」
 ラグナはノリ良く駆け出した。スコールは後からゆっくり歩いていく。逆に、待ち切れなかったらしいリノアが、潮風にスカートをはためかせて走ってきた。
「おそーい」
 くるりとスコールの腕に纏わり付くリノア。スコールは肩を竦め、口許を微かに綻ばせる。
「悪かったな」
 お決まりの言葉。リノアはふわっと微笑み、彼の肩に頭を寄せる。
「すっかり、元通りかぁ」
「残念そうだな」
「残念といえば、残念かな。結局、わたしはスコールに何もしてあげられなかったし」
 スコールは器用に片眉を上げた。
「何言ってる。充分、してくれたじゃないか」
 リノアは瞬く。
「わたし、何かしたっけ?」
「……リノアがずっと一緒にいてくれたから、俺は寂しくなかった。怖くなかった」
 スコールはそう言い、行くぞ、とリノアの手を引いた。
 思いがけない言葉に呆然としてしまったリノアは、引かれるまま歩く。
(覚えてる、の?)
 きっと、元に戻ってしまえば全て忘れてしまうのだろうと思っていたのに。
 リノアは思い切って問いかけた。
「……ねぇ、スコール?」
「うん?」
「誕生日プレゼント、何が良い?」
「そうだな……」
 スコールは考え込む風を見せた。重大な問題を考えるときのように、眉間にシワを寄せて。
「桃のシャーベット、シロップで煮付けたコンポートに、タルト。ティンバーのオレンジで作ったフレッシュジュースやゼリーも良いな。でも甘いものばかりじゃいけないだろうから、パプリカのムースに、ごぼうのグリッシーニ……。
 あぁ、ケーキも忘れてくれるなよ。ガナッシュクリームたっぷりの、チョコレートケーキが良い」
 悪戯っぽく笑うスコールに、リノアは目を潤ませ何度も頷いた。
 皆の笑い声と呼び声が、風に乗って2人を迎えにくる。
「……あのな、俺……今までずっと、早くいなくなれたら、って思ってたんだ」
 唐突に、スコールが口を開いた。
「この生命は母親から奪い取ったもので自分のものじゃない……だから自殺を考えたことなんかはなかったけど、演習とかではいつも無茶しちゃ怒られてた」
「うん」
「未来を考えるときは、いつもどこかの戦場で独り野垂れ死に、みたいな感じのしか、出てこなくて。自分を大事にしようなんて、思ったことなかったんだ」
「……うん」
「でも、今朝気付いた」
「何に?」
「俺には、皆がいる、ってこと」
 リノアはぱっとスコールの顔を見上げた。
 スコールは、照れたように微笑う。
「ゼル、キスティス、セルフィ、アーヴァイン、ニーダにシュウ、カドワキ先生にサイファー、ラグナとエル、それに……リノア。気付くの、遅いよな。皆、ずっと一緒にいてくれてたのに。独りになんか、なりっこないのに。俺は何を、怖がってたんだろう?」
 リノアはじっとスコールを見つめていた。油断すると、涙が零れ落ちてしまいそうだ。
「俺、多分もう大丈夫だと思う。1人になっても、きっと生きていける。自分のこと、大事にして」
「……この、気持ちがあるから?」
「そう。リノア達に教えてもらったこれがあるから。
 ……でも」
 スコールの手が、リノアの手を握り締める。
「一緒に……リノアと一緒に、生きたい。リノアが、……好きだよ」
 スコールはそう言うと、ふいっとそっぽを向いた。
「スコール……」
 口許が、きゅっと引き締められている。
「……照れてる?」
「わ・る・か・っ・た・な」
「悪くない、全然悪くない!」
 噛み付くスコールに、リノアは嬉しそうな笑顔を見せる。そして、強く彼の腕を抱き締め、片手を空へと翳した。
「ねぇ、スコール。綺麗な青空だね!」
 スコールは顔を上げる。彼を育んできた地は、まばゆい程の蒼で満たされていた。
「スコールが生まれた日も、こんな空だったのかな?」
「……だったら、嬉しいな」


『なぁ、スコール? お前の目に、世界は、美しいものか?』

『多分、世界は、鮮やかできらきらしてる』


fine.