導きの光

〜A few days later〜


 リノアがソファに寛ぐ背後で、スコールがごそごそと棚の中身を弄っている。
「何やってるの?」
「……掃除?」
 何故疑問形。
 リノアは眉をひそめ、改めて背後を振り向いた。
 スコールは本棚の下にある観音扉を開き、小さな瓶をひとつひとつ取り出していた。
「……あれ、捨てちゃうの?」
「もう必要ないしな」
 見覚えのある小瓶。それは、あのジャムポットだった。
「何でこんなもの、後生大事にしてたんだろうな。空になってしまえば、必要なんてない筈なのに」
 手の中でくるりと小瓶を回し、スコールは苦笑する。
 リノアはその瓶をじっと眺めた。彼にとってそれがどういう意味を持つものだったのかは、リノアにはやっぱりわからない。だが恐らく、今までの彼を支える重要なものだったのだろう。そう思うと、何だか……。
「……捨てちゃうの?」
 昔の彼を無下にしてしまうような気がして、リノアはもう一度問うた。
「……ゴミだぞ?」
「だって……何か、可哀相。ちっちゃいスコールの思い出が捨てられちゃうみたいで」
 しょんぼりしているリノアに、スコールはきょとんと瞬いた。少し考え、彼は小瓶のひとつをリノアの眼前に差し出した。
「これは、単なる『器』だ」
 リノアは頷いた。見ればわかる。
「今や何の意味もないこの『器』に関して、敢えて考察してみようか」
「考察?」
 スコールが頷く。
「元々は何が入ってたか知ってるだろ?」
「うん。ジャムだよね」
「あぁ、甘い甘いジャムだ。そしてこれは、ある人物から定期的に送られてくる贈り物だった」
「百合に弾丸の印章が捺してあったんだっけ」
「そう。俺にとっては、何より楽しみなものだったんだ。何故だかわかるか?」
 リノアは首を傾げて考えた。
「たまの……プレゼントだったから、とか?」
「定期的に、って言ったろ? ここにある瓶で全てじゃないぞ。カドワキ先生、掃除するときは割と容赦ないからさ……ここにあるのは、必死で隠したやつなんだ」
 因みに包装は全部捨てられた。そのスコールの言葉に、リノアが泣きそうな顔をする。スコールは苦笑し、リノアの髪を撫でた。
「あのな、このジャムは、俺が唯一独占しても怒られない贈り物だったんだ。大体、ガーデンに贈り物って言ったら不特定多数へのもので、独占出来ない。でもこれは俺宛てで、だから独占出来た。
 ……うん、多分、俺にとっては見も知らない親の、愛情の証、みたいな感じで。だから、食べてる間は気分も安らい、で……あれ?」
 視界が歪む。瞬いても、すぐにリノアの顔が歪んでしまう。
 リノアはそっと手を伸ばした。
「……泣いてるの、俺?」
「そうだよ」
 ほろりと零れた涙。リノアが親指で拭ってやると、スコールは甘えるようにその手へ擦り寄った。
 ソファの背越しに、リノアはスコールを抱き寄せる。
「……寂しかった?」
 スコールは、べつに、といつものように言おうとした。だが、言葉という塊としてはさっぱり出てこなかった。
 代わりに。
「……うん。寂しかった」
 目を伏せて答えると、また新たな涙が溢れる。それは頬を伝う間もなく、リノアの唇に吸い取られていった。

 ややあって、2人はそっと互いを抱いていた腕を解いた。
「……馬鹿みたいに涙腺弱いな、俺」
「きっと、溜まりに溜まってた今までの分もあるんだよ」
「そっか」
 少し頼りなげに微笑むスコール。リノアが彼の頭を撫でていると、ちりーん♪ と内線が鳴った。見れば、「インターホン」のボタンが点滅している。
 スコールはひょいと電話を取り上げた。
「はい」
『ゆーびんちょこぼでーっす!』
 元気な子供達の声が漏れ聞こえてきて、リノアは思わずぷっと吹き出した。
「あぁ、はいはい」
 スコールも苦笑しながらドアへを示した。リノアは心得顔でぱたぱたと向かう。
「はーい」
 ドアを開けると、子供達を従えた同僚のカティアが、リノアに封書を差し出した。
「やほー、リノ☆ スコールさんに郵便だよん」
「ありがとう、カティ。子チョコボ隊諸君もご苦労様」
 リノアに笑顔で労われ、嬉しそうに顔を輝かせる子供達。リノアはくすくす笑いながら、封書を改めた。
「スコール、バラムの役所からだよ」
「役所……あ!!」
 何かを思い出したらしいスコールは、引ったくるように封書を受け取ると乱暴に封を切った。
「あ、あ……やばい、すっかり忘れてた!!」
 スコールは慌てて中身を改め、机の棚から黒いファイルを引っ張り出す。急いた仕草でばらばらとめくり、椅子に引っ掛けていた鞄にファイルを押し込んだ。
「悪い、出てくる」
「どこ行くの」
「役所! あ、しまった外出届を……」
「とりあえずスコール、落ち着いて。今日が終わるまではまだ時間あるから」
 そのまま飛び出して行きそうなスコールを、リノアは優しく肩を叩いて宥める。
「どうせだから、ついでにお買い物行こうよ。外出届の用紙はあるの?」
「いや、あー……ない、な」
「じゃあ司令室で書いていこう。ついでだし、旅行のお土産持っていこうね〜」
「あ……あぁ、うん」
 のんびりしたリノアの台詞に、スコールは毒気を抜かれてしまった。
 端から眺めていたカティアがくっくっと面白そうに笑う。
「すごいね、流石副官殿。あっという間だ」
「カーティーア」
「はいはい、お邪魔様☆ さぁ皆、配達再開だよー」
 子チョコボ隊ははぁーい、と元気良く声を上げ、親チョコボについて廊下を進んでいく。2人はそれを見送ってから、部屋のキーをロックした。

「あら、リノアにスコール。お帰りなさい」
 司令室に姿を現したスコールとリノアに、キスティスはにっこり微笑んだ。
「ただいま! あ、これお土産」
「ありがとう。幸せのおすそ分け、ってところかしら?」
「やぁだ、もう」
 リノアは頬を赤らめて照れ笑いを零す。端で見ていたスコールは苦笑いで外出届の書式を引っ張り出し、自席へ向かった。
「…………?」
 机の上に、瀟洒な紋様の入った封書が置かれている。
「キスティス?」
「あぁ、それ? 今朝方届いたの。司令室宛てになっているけど個人郵便みたいだったから、後で届けようと思ってたのよ」
 スコールは首を傾げる。
 消印はガルバディア。封筒はなかなか見ない程の上質紙。裏を返せば、封蝋に捺されているのは政府高官が使うような印章。
「…………」
 スコールは暫し固まった。さて、開けるべきか開けないべきか。封蝋を使うなど、「いかにも重要な何かが入っています」と宣言しているようなものではないか。まさか中身は依頼状ではないか、と勘繰ってしまう。
 リノアが彼の手元を覗き込む。
「あれっ、これうちの印章だ」
「『うちの』?」
「うん、カーウェイの家の。お父さん、個人的なものは家紋を捺すの」
「…………」
 スコールは指を差し入れ、封を切った。
「……何だこれ。書類?」
 訳がわからない、と片眉を上げ、中身を改めるスコール。ぱらぱらとぞんざいにめくっていき……ぴたりと、止まる。
「スコール?」
 不審げにリノアが腕を引くと、手が外れてぱらりと書類が閉じてしまった。
「?」
 不審感がいや増す。
 スコールは何も言わずに書類を机に置き、電話を手に取った。

「はい、官邸です」
 夜やや遅く、受付嬢はいつもの通りに電話に出た。交換手に国際電話だと告げられ、珍しいことだと思いながらつないでもらう。
「もしもし、こちらエスタ大統領官邸です」
『あ……すみません、大統領は今……?』
 電話の向こうにいるのは、どうやらひどく若い男性、というか少年のようだった。声変わりは済んでいるようだが、張りのある声は幼い程瑞々しい。
「失礼ですが」
『スコール、と言ってもらえれば』
 受付嬢は眉をひそめた。
「お名前だけではおつなぎ出来ません」
『…………』
「少年」は溜息をつく。溜息をつきたいのはこっちだ。
『……では、スコール・レウァールからだと言って下さい。大統領ラグナ・レウァールに』
「……少々、お待ちいただけますか」
 保留ボタンを押し、受付嬢はますます妙な顔になる。これはヤバイかもしれない。電話ではあるが、警備を呼ぶべきか。
 そこへ、当の大統領が帰ってきた。彼は仕事を終えてから夕食に出る為、妙な時間に戻ってくる事が多い。
「よう、ナタリー。変な顔してっけど、何かあったか?」
「あ、大統領」
 受付嬢は今のことを話すべきかどうか迷った。逡巡している内に、キロス・シーゲル補佐官がカウンター内の電話を指し示す。
「電話かね?」
「あ……はい。あの、大統領宛てに妙な電話が……」
「ふーん、どんな?」
「最初は、『スコールと言えばわかる』と。名前だけでは繋げないと言いましたら、『スコール・レウァールと伝えてくれれば』、と言うんです。全く、ふざけるにも程が……あ、」
 彼女が全て言う前に、ラグナは受話器を取り上げた。
「もっしもーし、パパでちゅよ〜♪」
「ラグナくん……」
 頭を抱えるキロスの前で、満面の笑みでふざけるラグナ。勿論、本人も冗談のつもりだ。ただ遊んでみただけである。
『……………』
 だが返ってきたのは溜息ではなく、無言。
(あ、ヤベ、怒らせたか?)
 ラグナは少し焦った。
 もう少し考えれば良かった。環境のせいで自律心旺盛なあの子が、突然電話などかけてきたのだ――しかも、己の姓を名乗って。何か重要なことがあるに違いないのだ、茶化すのではなかった。だがもう遅い。
 些か長すぎる沈黙の後、冷や汗を流し始めたラグナの耳が何かを捉えた。ひ、と喉が引き攣れる音。
「……スコール? 泣いてるのかお前?」
 不意に真面目な顔になり、ラグナは慎重に声をかける。
「どうした、何があった?」
『……め、ぃ』
「え、ワリィ、何て?」
『しょ、めぃが……っく』
「『署名』?」
『っ、がう』
「違う? ……あ、ひょっとして、『証明』か」
 涙声は聞き取りづらい。ましてや音質の悪い国際電話なら尚更だ。だがラグナは、急かすことなくスコールの一言一言を聞き取っていく。
「何か提出するものでもあるのか。でもそれだったらオレ、何もしてやれねぇよ? オレは、法的にはお前の親父でも、ほーこーにん……じゃねぇや、後見人でもないからなぁ」
 寂しいことではあるが、仕方がないことだった。ラグナはスコールの父親である。それは厳然たる事実ではあるものの、証明するものは互いの血の中にしかない。2人が親子であるという法的な根拠は、何処にもないのだ。
『ちが……っじゃ、なくて』
「ん?」
 さっぱり話が見えず、ラグナの頭が疑問譜だらけになる。
『しゅっせ、証明が……』
「『出世』? 『出生』?」
『い』
「『出生証明』? って、まさかお前の子供の?」
『そんなわけ、あるかっ!』
「だよなぁ……つーことは、お前、の?」
 ごそごそ物音はするが、スコールは言葉を返さない。無言は果たして肯定か否定か。
『スコール、電話口で頷いてもわからないよ。もしもし、ラグナさん。リノアです』
 ややあって、明るい少女の声が耳に届いた。
「よぅ、元気そうだな」
『って、あの騒動から1週間も経ってないんだから、元気に決まってますよ』
 ころころ笑うリノアの声は、確かに元気そうだ。ラグナはほんの少し緊張を解いた。リノアが笑っているのだから、スコールのこともそれ程大事ではなさそうだ。
『スコール、ちょっと今話せるような状態じゃないんで電話代わりました。……スコール、ほら、ちょっと座ろう』
 スコールはどうやら、立ったまま泣いて話していたらしい。その様子を想像したラグナは思わず小さく笑ってしまった。
「んで、リノア。出生証明がどうしたんだ?」
『あぁ、はい。わたしも書類見ただけで把握はしてないんですけど、多分、戸籍作製の相談したかったんじゃないかと』
「オレに?」
『だってラグナさん、スコールのお父さんでしょう? 今まで離れ離れだったっていっても、出生証明書に署名があるし』
 ラグナはきょとんとした。息子が生まれる時に立ち会わなかった彼は、署名をした覚えがない。
「……リノア、その書類、ファックスしてくれ。ナンバーは……」
 ラグナは、見たかった。スコールが生まれたという最初の証を、自分の目で見たかった。
「……あと、スコールに代わってくれ」
 ラグナが頼むと、向こうで物音がした。
『……はい』
「スコール、このままちょっとだけ待ってられるか? オレな、今帰って来たばかりで官邸受付の電話使ってんだ。これからプライベートスペースに戻るよ。話はそれからしよう」
『ん……』
「よしよし、いい子だ。じゃ、またすぐ後で。切るなよ!」
 ラグナは再度保留を押し、いそいそと廊下を走り出……そうとして、キロス達を振り向いた。
「つーわけだから、誰か呼ぶまでクローズドにしといてくれな。んじゃ!」
 いそいそと駆け去っていくラグナに、往年の親友達は大袈裟な溜息をついて肩を竦めた。
「(全く、息子のこととなると本当に落ち着きがないな)」
「まぁ、それがラグナくんだろう。そういうわけでナタリー、大統領が入ったあとで、プライベートスペースのキーロックをかけておいてくれ」
「……承知しました」
 ナタリーは少し苦い顔をしつつも、大統領らの意に沿うようにコンピューターを操作した。

 官邸の奥まった部分には、ラグナ達レウァール家のプライベートスペースがある。ラグナはガルバディア風に整えられたリビングて、ソファに陣取りコードレスホンを取り上げた。
「ワリィワリィ、待ったか?」
『……少し』
 わざと意地悪くスコールは答える。素直な悪態は、(ラグナ)への甘えの印だ。
「へへ、ごめんな〜。あんま足速くねぇからよ」
『……俺こそ、ごめん。考えてみたら、送り主に何のつもりで寄越してきたのか、確認してから連絡すべきだった』
 スコールは、先程より大分落ち着いたらしい。まだ鼻声ではあるものの、言葉は淀みない。先刻は本当にコンフュ状態だったのだろう。珍しいことだ。
「いや、構わないぜ。目を通してびっくりしたんだろ? しゃーねぇしゃーねぇ」
 からからと笑うラグナに、スコールも小さく笑いを零した。
「……で、よ。今、もらったファックス見たんだけど……最後のこれ、何だ? バラム政府が使う国章捺してあるやつ」
『あぁ、それは参考資料。……俺の、今の全証明』
 ラグナはその紙から目を離せなくなっていた。戦災難民特別居住許可証、と題されているたった1枚の紙切れ。よくよく考えればラグナとて見たことがある。これは、戦火を逃れてパスポートなしに出国した者達への、慈悲の手だ。
 厳しい目付きの少年が、ラグナを睨み付けている。その横に、名前が表記されていた。そして、性別が、誕生日が、推定出身地が、身元引受人が書かれている――この、ちっぽけな紙切れに! これが自分の犯した罪か、最愛の息子への扱いか。
「スコール……本当、すまん」
『何だよ、急に?』
「オレがちゃらんぽらんやったせいで、お前には親も存在証明も持たせてやれなかったんだな……あの時、オレ自身がエルを連れ帰っていたら、お前もこんな目に遇わずに済んだろうに」
『そういう巡り合わせだったんだろ、気にしてたらキリがない』
「けどよ」
『良いよ、別に気にしてない。それより書類』
「……あぁ」
 本当に事もなげなスコールの声に、ラグナは深く息をついて書類を見た。
 さて今ラグナの手元にあるのは、ガルバディアの戸籍創出届と、スコールの出生証明書。スコールが「レウァール」と名乗りをあげたのは、恐らくこれに則った為だろうと思われた。
 そこには、ラグナのよく見知った懐かしい字体で、息子の名前が大きく書き込まれている。母親の名前は、苗字が二重線で消されて修正されていた。父親欄の字は当然に己のものではない。だがレインの字でもない。恐らく、レインとスコールを診ていた医者が、気を利かせてくれたのだろう。
(……戸籍、か)
 ラグナは、どうも肉親の縁が薄い。幼い頃に両親を亡くし、唯一の兄弟とも戦乱の中ではぐれた。18で軍に入ったのは、そうでもしなければ寒空の下野垂れ死にするしかなかったからだ。ガルバディア軍は、自国出身者ならば宣誓さえすれば迎え入れてくれた。自分の戸籍謄本など、その時に見て以来だと思う。現在は、養女として、エルオーネの名が書き加えられている筈だ。
 だがそこに、スコールの名はない。
「うん、書類は理解したよ。それで……どうしよう?」
『どうしよう、って』
「お前は、どうしたい?」
 ガルバディアでは、戦乱期に生まれ戸籍を創ることが出来なかった子供達の為に、「出生証明書の提出をもって、その出生時まで遡り戸籍を創出することが出来る」という特例補則がある。学がないラグナとて、一国の大統領としてそういうものがあることは知っていた。
『…………』
「スコール」
 ラグナは、息子の背をどう押せば善い方向に行かせることが出来るのか考えていた。
 どうしてやれば良い? どうしてやれば、この子にとって最良の方向を示してやれる?
「ガルバディアの戸籍法、知ってるよな」
『……知らない』
 ラグナは拍子抜けした。
「ありゃ、そうなの?」
『法律までは覚えてない』
「何だ……」
『……ひょっとして、知ってると思ってどうするのかって聞いたのか?』
「あー……うん、そう」
 考えてみれば当然すぎる間抜けた話だ。スコールは生まれてすぐにセントラへ向かい、5歳からはバラムで育っている。いくらガルバディア出身でも、感覚的に「自国」でない国の法律を覚えておけなどとは無理な相談というものだ。
「あのな、スコール。ガルバディアの戸籍法には戸籍を持ってない人の為の特例があるんだ。出生証明書を提出すりゃ戸籍を手に入れることが出来る。未成年なら、未成年後見人か、親が提出すれば生まれた時に遡って戸籍が創られる」
『それは、あんたがそれを提出すれば俺の戸籍が出来るってことか』
「ま、そゆこと。あるいは未成年後見人……お前なら、クレイマー学園長かね」
『どういう差がある?』
「親が提出すれば、当然親の戸籍に入る。後見人が提出すれば、個人の戸籍になる。後見人は、親が子供の面倒見られないからって付けられるモンだからな。だから、お前にはふたつの選択肢があるワケだ。スコール・レウァールになるか、今まで通りスコール・レオンハートとして生きていくか。何ならバラムに申し立てて、オレがお前の後見人として提出、もアリだと思うけど」
 スコールは黙り込んだ。ラグナも何も言わない。スコールがどちらを選んでも、ラグナは受け入れなければならない。ならこの時間は慈悲の内だろう。
『…………』
 スコールが、何かを呟いた。
「ん?」
『今更、俺を1人にするのか……と、うさん?』
「…………」
 ラグナの胸に、熱い何かが込み上げる。あぁ、この子は今どんな顔をしているんだろう? 顔が見たい。抱き締めて愛撫してやりたい。
「……今ここにお前がいなくて良かったぁ……絶対、ぎゅ〜ってしてたぜ、オレ」
『…………』
 多分、嫌がられただろう。ラグナはそう思って苦笑する。
 しかし。
『書類持って殴り込みかけたら良かったかな』
「えぇっ?!」
 ラグナは飛び上がらんばかりに驚いた。そこに、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
『……冗談』
「あーびびった」
 本気で胸を撫で下ろすラグナ。当たり前だ、この子は人とくっつくことに慣れていない。言うにしても冗談がせいぜいだろうに。
「……あー、おほん。それはともかくスコール、ちっと待てるか? ガルバディアに手続きとか確認して、それからまた連絡したいんだけど」
『わかった。ただ俺、出来たら今日中に許可証の更新行きたいんだけど』
「先行ってこいや。もしこちらの手続きが手間取って、期限切れたら大事だしな。それに、今から連絡しても、ガルバディア多分出ねぇよ。朝早くて」
『……了解。じゃあ、とりあえず更新してくる』
「おぅ、行ってこい。……あ、そうだ。スコール」
『何だ?』
「今度、プライベートでこっちに来いよ。先に連絡くれたら、御馳走たっくさん用意して待ってるからよ!」
 小さく笑った気配がして、ラグナは満足そうに電話を置いた。

 かちゃん、と受話器を置き、スコールはリノアに渡されたハンドタオルに目許を埋めた。
「スコール、大丈夫?」
 肩を摩るリノアに、スコールは小さく頷いてみせる。
「……全く、何で泣いてるんだか」
 声自体はほぼ元通りになっているが、その蒼眸からはまだぽろぽろと涙が溢れている。
「貯蓄涙じゃないの?」
「何だそれ」
 いつものことながら妙な例えの出るリノアにスコールが瞬くと、キスティスが小さく吹き出した。
「良いじゃないの、どちらでも。それより、外出届を先に書いてしまったら? スコールが泣き止んだら、許可証の更新に行くんでしょう?」
「……それもそうだな」
「はーい、了解です先生」
 外出届自体は別に何等苦労するようなものではない。誰が誰とどこに行くのか、それだけだ。万が一災害等が発生した際に居場所を把握する為のものであり、何事もなければ提出者が帰寮した時点で廃棄される。
 リノアが、不意に顔を上げた。
「……そういえば、こういうのって通称名で良いのかなぁ?」
「何を今更」
 本当に今更な問いである。キスティスが苦笑した。
「別に構わないわ。要は誰の外出届かがわかれば良いんだもの」
「そういうものなの?」
「お前、今まで何枚『ハーティリー』で書いてきたんだよ?」
「あ、そっか」
「お前なぁ……」
 のんびりしているリノアに、スコールも苦笑する。それを言い出したら公的な書面すら通称名でしかなかった自分はどうなるのだか。
「それにしても、マメね。役所に行くんだから、黙って出ても特に何も言われないと思うけど」
「一応、皆の模範になるべき立場だからな」
「あら、この間廊下を全力疾走したって人が言う台詞?」
「…………」
 今度はリノアが笑う番だった。
 スコールは唇を引き結んで顔を拭くと、引き出しに置いていた目薬を()す。泣いていたことなどちょっと見ればすぐわかることなのに、カッコつけようとする辺りが「らしく」て、リノアは益々笑みを深めた。
「いってきます」
 苦虫をかみつぶした顔でがたりと席を立つスコール。リノアも慌てて立ち上がり、スコールの後に続く。
 キスティスは微笑ましげに目を細め、2人を見送った。

「たっだいま〜、アンジェロ! 遅くなってごめんね」
 スコールの部屋で寝そべっていたアンジェロは、主人の声を聞くや否やばっと身を起こして駆け寄ってきた。
「留守番ご苦労様。チョコレート買ってきたからね」
 アンジェロは嬉しそうに一声吠えると、急かすようにリノアとスコールの足元にまとわりつく。スコールは擽ったさに小さく笑いながら、たっぷりと中身の詰まった紙袋をテーブルに置いた。
「それにしても、こんなに買う必要あったか?」
「ご飯とお菓子の材料いっぺんに買ったらこうなるって」
「ふぅん?」
 甘いものは別として、「食べられれば何でも」なスコールは、食事の材料は嵩むものだということをあまりよくわかっていない。首を傾げる彼の目前で、リノアは次々に食材を冷蔵庫へ入れていく。贅沢をしなければ一週間くらいもちそうだな、とスコールは思った。
「さーて、最初に何作ろっか?」
 エプロンをかけて、リノアは笑顔で振り返る。
「桃のコンポートを先に作った方が良いかな? それともチョコレートケーキ? ゼリーやムースは冷やすのに一時間はかかるから、夜にしかけて食べるのは明日以降かな……スコールはどれを1番に食べたい?」
 スコールはきょとんと瞬いた。妙に唐突な問いだ。
「……チョコレートケーキ?」
「お、やっぱりそこに来ましたか〜。バースデーとしては王道だよね。よしっ、では始めますか!」
 腕まくりをし、喜々としてキッチンへ向かうリノア。
 スコールは大分考えて、漸くそれらがバースデープレゼントとしてリノアに強請ったものだと思い出した。気恥ずかしそうに密かに微笑い、スコールはアンジェロを呼び寄せてリビングスペースのラグマットに落ち着く。
 アンジェロの柔らかい毛並みをゆっくり梳いてやっていると、やがて鼻歌と共に美味しそうな匂いが漂ってきた。胸いっぱいににそれを吸い込むスコールの膝上で、チョコレートの好きなアンジェロは鼻を鳴らす。
「もう少し、かな」
 スコールが問うと、アンジェロは「どうだか?」とでも言うように首を傾げる。
 そこに、内線電話が鳴り響いた。
 心得顔のアンジェロが身を起こすと、スコールは立ち上がり電話を取った。
「レオンハート」
『こちら司令室、ガルバディアから外線よ。1番でお願い』
「ありがとう、キスティス」
 ゴムベラを手にリノアが振り向く。スコールは「来なくて良い」、と手で制した。
「……お電話代わりました、レオンハートです」
『カーウェイだ。休暇中にすまないね』
「いえ……」
 スコールの背中が緊張した。アンジェロは気遣わしげに彼の足元へ寄り添い、その顔を見上げる。
「何か、あったんですか」
『……君の中で、私はそれほど仕事人間なのかな?』
 堅苦しい仕事用の声を発したスコールに苦笑いするカーウェイ。スコールはきょとんとする。
 カーウェイは笑ったようだった。
『今日はガーデンではなく、君個人にコールしたんだ。プライベートだよ』
「はぁ……?」
 こんなこともあるものなのか、とスコールは思う。この自分と負けず劣らず堅物な恋人の父親が、司令室直通のホットラインを使ってプライベートな話を?
『意外かね、ホットラインを私用に使うのは?』
「………………はい」
 スコールが素直に返答すると、カーウェイは今度こそ笑い声を立てた。
『素直だな、君は』
「……すいません」
 憮然とするスコール。その視界の端に入ったリノアが人差し指を振るのに、指文字で「カーウェイ」とだけ綴って返す。
『私が送った封書は届いたかね?』
「今朝方届いたそうです。中身は、2時間ほど前に見ました」
『そうか、それは重畳』
 カーウェイは満足そうだ。
『ところで君は、我がガルバディアの戸籍に関する法規というものを知っているかね?』
「あ、えぇと……つい先刻、知りました」
『うむ、そうか。ならば話は早いな』
「では、話と言うのは……」
『君の戸籍の話だ』
 スコールは視界の歪みに気付き、慌てて瞬く。
『聞いての通り、我が国では出生の証明があればいつでも戸籍を作成することができる。出生証明書でも、当時の手記や手紙でもその証明は何でも構わない。その当人が生まれたのだと証明できるのなら、どんなものでも』
「はい」
『まぁ、普通はこういうものを提出するのは当人の親だな。さもなくばそれに連なる親族、後見役……君の場合は、誰だったのだろうな。お母上だろうか』
「……はい、多分」
『実際は、役所に届けられたとしても法の不整備で受理されなかったのか、その前に紛失していたのかは定かではないが……ともかく今、君の戸籍はなく、偶然に発見された君の出生証明書は私の手元にある。送ったのは、その謄本だ。実物でなくて申し訳ない』
「……いえ……」
『そこで、提案なのだがね。君は未成年だから法的な書類は自分では提出できまい。良ければ、私が君の後見人として書類を調えようと思うのだが。どうだろうか?』
「…………っ」
 とうとう、スコールは言葉に詰まってしまった。リノアの手が口許を押さえるスコールの背に触れる。アンジェロも彼の脛に体を擦り付ける。
『無論、恩に着せようとかそういうことではない。ただ私は、君のことが可愛いのだよ。確かに娘のこともある。だがそうでなく、君を息子として可愛がってやりたい。……わかってくれるかね?』
 優しい、深い声。大戦時には、どんな時であっても決してこんな声を聞いたことはなかった。少しだけひょうきんな面を見せはしても、これ程優しい声を聞いたことは、スコールには覚えがなかった。
 あぁひょっとして、この人は自分の父親になってくれるつもりでいたのだろうか。天涯孤独だと思って育ってきた自分の、家族になってくれるつもりでいたのだろうか――。
 かなり長い間、スコールは黙っていた。背を摩ってくれるリノアの肩に顔を埋め、今にも声を出してしまいそうな程の激情が治まってくれるのを待つ。
 カーウェイは、辛抱強く待っていてくれた。
 スコールは決心し、大きく息を吸う――答えなければいけない。俺は、この人に、「応えられない」と。
「お気持ちは、有り難いです。でも、俺、は……レウァールの、父の戸籍に、入ります」
『……そうか』
 あまりにもあっさりとカーウェイが引いた。呆れられたかな、とスコールは思う。
「すみません」
『はは、別に気に病むようなことではない。ただ、君は実の親と再会できた、それだけのことだろう? お父上に、カーウェイがよろしくと言っていたと伝えてくれ』
「すみません……ありがとうございます」
 見えないとわかっていながら頭を下げるスコール。カーウェイは満足げに「あぁ」と答え、2人は簡単な別れの挨拶を交わした。
『……そうだ、肝心なことを言うのを忘れていたよ』
「はい?」
『遅くなったがね……誕生日、おめでとう。次にこちらへ来る時には連絡してくれ。美味いものと美味い酒を用意して待っているよ』
「……わかりました。その時には楽しみにしておきます」
 電話は、それを最後にぷつりと切れた。ずるずるとくずおれるスコールの口許に、甘い笑みが宿る。リノアは受話器を元に戻し、膝立ちでスコールを抱き寄せた。
「……なぁ、リノア。自慢しても良いか?」
「ん、なぁに……?」
「俺、父さんが3人もいるんだ。1人は、本当の父親だろ。1人は、ちょっと厳しいけどいつも俺のこと考えてくれた。もう1人は……これから、家族になろうって言ってくれる……っ」
 大切な宝物の在りかを打ち明けるを子供のように、スコールはリノア達へ囁く。胸の内のむず痒さに泣き笑いする彼を、リノアは穏やかな愛情でもって包み込む。
「嬉しいことだねぇ」
「俺、良いのかな。こんな……」
「良いんだよ」
 リノアは彼の詰まらせた言葉を汲み取り、はっきりと断言した。
「良いんだよ。幸福になるのが、あなたの義務なんだから」
「……義務?」
「そう、義務。子供は皆、その為に生まれてくるんだよ。あなたも、そう。幸福になる義務を負って、望まれて生まれてきたのよ」
 その甘ったるく優しい理論に、一拍遅れて真っ赤になるスコール。リノアとアンジェロは顔を見合わせ、その愛おしい反応に声を立てて笑う。
 そこに、レンジオーブンが軽やかに出来上がりを告げ知らせた。
 リノアはぱっと立ち上がり、スコールに手を差し出す。
「さぁ、ケーキが出来上がったよ! クリームをたっぷりつけるから、テーブルでちょっと待っててね」
 スコールはふわりと微笑うと、その手を取って立ち上がった。

 数日後、彼の手元に「スコール・レウァール」宛ての最初の封書が届いた。
 その時の彼の笑顔は、リノアにとって生涯忘れえぬものだったという。




Fine.


「導きの光」後日談。おまけのくせに、どの章よりも長いという……(苦笑)
これで、このお話は本当に最後です。
皆様、読んでいただいてありがとうございました!

20100606 ‘Sassy-talkeR’氷月 晶