麗かな、ある晴れの日。
今日はガーデンの公休日であり、生徒もSeeDも先を争って外出する手はずを整えていた。もちろん、リノアとスコールも同じくバラムへと外出――。
……その筈、なのだが。
「遅い」
リノアは、食堂で待ちぼうけを喰っていた。片肘を突いて飲んでいるカフェオレは、既に冷め切っている上に2杯目だ。時間はと言えば、約束の時間から長針が逆側に来るくらい、経っている。
いくらなんでも、遅い。遅過ぎる。あの神経質なほど予定が狂うことを嫌うスコールが、30分待っても来ないなんて。
まさか、寝坊? いやいやそんな、スコールに限って。
(こういう時、すぐに連絡が取れるようなモノがあれば良いのになぁ……)
電波障害がなくなった今、世界では電波で通信する手段をあれやこれやと模索していた。今までも近距離なら通信は出来ていたというが、最近それを発展させた移動電話なるものが開発されたらしい。が、悲しいかな、未だ試作段階である上この上もなくお高い代物だということで、ガーデンでも配備案はあるものの手が出ない状態らしい、とキスティスから聞いたことがある。
ともあれ、ないものねだりをしていても仕方ない。リノアはカフェオレを飲み干すと立ち上がり、スコールの部屋を目指した。
コンコン、とドアをノックする。反応、なし。
キーロックはグリーン――解錠状態。つまり、在室中。
(おっかしいなぁ、晩寝るときはかけてるらしいのに)
ということは、一旦部屋を出て――あるいは出ようとして――いたことになる。
リノアは思い切ってドアを開けた。
「おハロー、スコール……?」
部屋は暗い。リビングから寝室へのドアは開いているものの、唯一ともいえる窓はブラインドが下がっていて、光が入ってきていない。
テーブルには、革製のヒップバッグが置かれていた。その隣に、何か小瓶が置いてある。
「?」
出かける用意はしていたらしい。
リノアは、寝室を覗き込んだ。ベッドに人影がある。
「……あぁ、リノアか……」
腕をだらりと放り出し、うつ伏せになっていた部屋の主が枯れた声を出した。
「ス、スコール?! どうしたの、何かあった?」
スコールの尋常でない様子に、慌てて駆け寄るリノア。
スコールはリノアの高い声に少しだけ顔をしかめ、小さな声で答えた。
「頭が、痛くてさ……内線かけたんだけど、もう出てたみたいで……」
「そうだったの……ごめんなさい、お寝坊じゃなかったんだ……」
ひどく申し訳なさそうなリノア。スコールはふと微笑んだ。どことなく力ないのは、やはり頭痛のせいだろうか。
「ごめんな、大分待っただろ? 薬は飲んだから、昼前には引くと思うんだ。そうしたら出かけよう」
「な、何言ってるの! デートなんて何時でも出来るから、今日はのんびりしよう。ね?」
リノアは慌ててそう言うと、スコールの額へおっかなびっくり手を伸ばした。
「熱はないね。風邪とかではないんだ?」
「あぁ。……単に、疲れだろ。全く、この程度で情けない」
「何言ってるの! いつも頑張り過ぎなんだよ。朝早いし夜遅いし……」
リノアが怒ったポーズで窘めると、スコールの目が少しだけ細くなった。
「そんなこと、ないと思うけどな」
「あるよ! きっと身体が休めーっ! って抗議してるんだよ、スコールに」
「抗議、ね」
抗議される程酷使しているつもりはないスコールにとっては、頭痛など理不尽極まりない。
ベッドサイドに膝をついて、リノアが優しく彼の頭を撫でる。
温かな気配に、スコールの瞼がとろとろと落ちてくる。頭痛はまだ引かないが、ここ数日満足に感じられなかった眠気がひたひたと押し寄せてくる。
「今日は、ゆっくりしよう」
「リノア……」
「お部屋デートも、たまには良いよ。いつも一緒って言っても、仕事ばっかりだもん、わたし達」
スコールはくふ、と微笑う。
「……そうだな……」
何か良い匂いで、ふ、と目が開いた。
それが何とも心地良く、ゆっくりと覚醒していく中で、スコールは大きく伸びをした。しなやかな筋肉が、複雑かつ滑らかな動きを見せる。
頭痛はすっかり無くなっていて、視界がクリアだ。
そこで、はたと気が付いた。
(俺、寝てたのか?!)
ガバッとブランケットを跳ね退けて、スコールは慌てて起き上がる。
リノアはいない。
彼女がこの部屋へ来たのは夢か? ――いや、被った覚えのないブランケットが自分の身に掛けてあった。間違いなく部屋には来たのだ。
では、どこに行った?
スコールはおいてきぼりにされた子供の心地で、所在無げに部屋を見回した。
と、そこに。
「あ、起きた?」
リノアはリビングスペースから顔を覗かせた。
「リノア」
「ん、大分顔色良いね〜。良かった良かった」
リノアはスコールの頬を両手で包み、優しく撫でる。
「気付いてなかった? 今朝、かなり顔色悪かったんだよ?」
「そうだったのか?」
「うん。多分、寝不足だったんだね。これでご飯食べたらきっとつやつやのバラ色になるよ〜」
「止せよ……」
苦笑するスコール。
「ところで、何の匂いだこれ?」
さっきからふんわりと漂っている良い匂いに耐え切れず――腹具合は何とも正直だ――、スコールはリノアへ問い掛けた。
リノアはにっこり笑う。
「スコール、秋の食べ物って何だと思う?」
スコールはきょとんとした。
「何で?」
「良いから良いから」
リノアの態度を不思議に思いながら、スコールは考える。
(秋、か……)
秋。収穫の季節。
スコールにとって秋とは、喫茶店やケーキ屋に、焼き菓子のラインナップが増える時期。どれも黄金色をしていて美味しそうだが、4、50ギルもするそれは子供にはなかなか高く、今まで買いに行ったことはついぞない。
あぁ、そういえばそろそろ奥路地の店に、ガルバディア産のスイートポテトを使ったパイが出る頃だ。ティンバーの栗がたっぷり入っているというモンブランは、リノアもきっと喜ぶだろう。他にも、何が置いてあるだろうか?
「……ねぇ、わたしそんなに難しいこと言ったかな」
大分長いこと無言でいたらしい。スコールは声をかけられてはたと我に返った。リノアは少し申し訳なさそうに眉尻を下げて彼を見ている。
スコールは慌てて口を開いた。
「いや、えぇと……秋って言ったら、俺は『スイートポテト』(作者注:サツマイモ)かな。……あのさ、リノア。バラムの奥路地に、小さいケーキ屋あるの知ってるか? あそこ、毎年スイートポテトのお菓子出してるみたいなんだけど、これから行ってみないか?」
「スイートポテト? うーん、魅力的だけど、今日は違う気分なんだよね」
リノアは含みを持たせて笑うと、スコールの手を引っ張った。
「あのね、わたしは、秋といえば栗だと思うわけ」
「うん?」
引っ張られたスコールは自然立ち上がり、首を傾げる。
「スコールは、ティンバー産の栗って食べたことある?」
「……明確にはない、な」
「そっか。じゃあ、今日がほとんど初めて、だね」
「今日?」
「うん」
リノアに連れられてリビングのソファに腰を下ろしたスコールは、ますます訳がわからない。何で急に秋の味覚の話になったのか。リノアは彼の疑問を余所に、トレイにカップ2つと「何か」を載せて運んで来た。
「では、お披露目〜!」
じゃじゃーん、などと言いながら、「何か」に掛けられていたふきんを取り去るリノア。
「今年初、栗のクリームタルトでーっす!」
成程、さっきからの良い匂いはこれか。スコールはその黄金色のきらきらした円盤にまじまじと見入った。
「美味しそうだな」
「でしょ」
スコールが褒めると、リノアは嬉しそうに肩を竦め、ケーキナイフを手に切り分け始める。
リノアは、お菓子を作るのは上手だ。これだけは不思議なことに失敗がない。普段あれだけ不器用な風なのに、と皆首を傾げるが、スコールとしては大歓迎だ。
口に入れると、クリーミィで素朴な甘さが広がる。スコールの頬が綻んだ。
「……でも、何で急に?」
粗方食べたところで、スコールは些細な問いを口にした。
リノアは待ってました! という顔で両手を叩く。
「うん、あのね? 森のフクロウのメンバーの子に、ティンバーの郊外で農場やってるおばさんがいるの。その人が栗を沢山送ってくれたからって、おすそ分けしてくれたんだ。
これがまた、はじけ栗なんだけど身が詰まってて美味しくてね。もうパティシエリノアちゃんがうずうずしちゃうくらい! ……で、材料揃えてスコールくんに作る機会を虎視眈々と狙ってた訳ですよ〜」
嬉々と話すリノアの声が、耳に心地良い。
スコールは最近、こんな時間が愉しくて仕方ない。勿論、仲間達と気兼ねなくお喋りしたり遊んだりする時間も好きだが、何よりリノアと共にゆっくりした時間を共有するのが好きなのだ。
気が付けば、いつも彼女が傍で笑ってくれている。最初こそその状況に戸惑っていたものの、いつの間にか慣れた気配はスコールの警戒心を解き、穏やかで温かなものでくるんでくれる。
「……ありがとう、リノア」
とても自然に発されたスコールの言葉に、リノアは極上の笑顔を見せてくれた。
「どういたしまして! ……あ、ねぇねぇ。さっき言ってたお店、いつ行こっか?」
「え? あぁ、バラムの奥路地の? ……何なら、今から行くか?」
「今から?」
「だって勿体ないだろ? 外出届出してるし」
スコールは簡単に食器を片づけると、リノアに向かって手を差し伸べる。
「行こう。デート、しよう」
End.