例えば、大きなケーキがあったとする。真っ白のホイップクリームと真っ赤なイチゴで飾り付けた丸いケーキだ。
　それを、ある子供達の為に分けるとしよう。そのままでは大きすぎるから、半分を６つに分けてはどうか。そうすると、どうしたって飾りが不等分になる。
　そして、さぁ好きなのを取りなさい、と子供達に促してみればどうなるだろうか。ある女の子は、大きなイチゴが載った一切れを取るだろう。ある男の子は、イチゴは少しだがクリームがたっぷりと載った一切れを取るかもしれない。また別の子は小さい代わりに多くのイチゴが載ったものを取っただろうし、ある子はイチゴやクリームが少ない代わりに砂糖で出来た人形をもらったかもしれない。あるいは単純に大きな一切れを持っていっただろうか。
　だがそんな中に、どうしても取りに行けない子供がいることには、あまり気を向ける者はいないだろう。最後の最後、母に促されやっと自身の分を手にする子供は、果たしてどんな風に育つのだろうか。

　目の前に差し出されたケーキに、スコールは戸惑う。
　甘そうなケーキだ。ふわふわのスポンジにたっぷりの生クリームとフルーツを挟み、更には淡い紅色のバラがふたつみっつと咲いている。これだけでお腹いっぱいになれそうな、そんなケーキ。
　しかしスコールにとって問題なのはそこではない。
　甘いものは好きだから、大きなケーキは大歓迎だ。だがこれを独り占めして良い、お腹いっぱい食べて良い、と言われた時、スコールはどうして良いのかわからなくなる。
　スコールは孤児だった。
　第二次魔女大戦が終わる間近に生まれ落ち、生後ひと月足らずで義姉と共にイデアに引き取られた、所謂戦災孤児だ。両親の愛というものを知らない彼は、自身の存在をうまく確立出来ていない。愛情は常に自身の物ではなく、分け与えられたとしてもそれは皆に等分されたものであり独占出来ない。唯一独占出来たものは甘いジャムという形で細々と手元に届いていたが、いつしかそれも途絶え、やがて諦めた彼は受け取る為に用意していた器を捨てた。
　そんな彼に、目の前の彼女は期待の目を向けていた。きらきらと目を煌めかせ、スコールがこのケーキを取ることを期待している。捨てた筈の器を取り、山を作って余りある彼の取り分を受け取れと言う。こんなものの見返りなんて、自分には払えない！
　スコールの葛藤など露知らず、リノアは指先でバラの蕾をひとつ掬い取った。少し歪んだ丸い蕾は、笑顔と共に差し出される。
「はい、あーん」
　スコールは戸惑う。
　指先とリノアの顔を見比べると、リノアの笑みは更に深まった。自然と、唇が緩む。舌先がバラに触れた。
　甘い。
　とろりと、スコールの目が潤んだ。リノアは淡い紅色のクリームを彼の舌になすりつけ、そっと唇を閉じさせる。
「美味しい？」
　リノアが首を傾げて問うと、スコールは小さく頷いた。リノアは嬉しそうに微笑み、またクリームを掬う。
　今度は、口付けと共に。
「……甘い」
「気に入ってもらえたかな？」
　スコールは目を伏せ、今度は自分から唇を寄せた。
　リノアはフォークを手にすると、ケーキを少し切り取りスコールの口許へ運んだ。スコールは口を緩めはしたが受け入れようとしない。代わりに、甘えを含んだ目付きでリノアを見た。
　リノアは彼の気持ちを理解してくれたようだ。切り取ったケーキのカケラはリノアの唇にくわえられ、スコールへと差し出される。スコールはそれを受け取り、満足そうに目を細めた。安堵した、と言っても良いだろう。スコールにとっては、賭けだった――甘えても大丈夫か、受け入れてもらえるかどうか。
　果たして、賭けには勝った。
「甘えん坊さん、もっと食べる？」
　スコールは小さく頷く。頷きながら、スコールはケーキに手を伸ばす。
　ぐちゃ。
　汚れることも厭わず、ケーキを手で直接掴んだ。スコールはそのまま、半分程を口に押し込む。
　リノアはそっとソファから立ち上がった。スコールはちらちらと様子を見、彼女の動きを追う。彼女はコーヒーを２人分入れ、布巾を濡らして戻ってきた。
「そんなに慌てなくても、ケーキは逃げないよ」
　リノアは楽しそうに笑うと、スコールの頬に舌を這わせる。掌や指先に付いたクリームを舐めていたスコールの肩がびくつく。
「クリーム付いてた」
　悪戯っぽく煌めく瞳。スコールはそれをじっと見つめる。リノアはちゅっと軽く唇を合わせ、くすくす笑う。
「あまーい、ね」

　例えばここに、ケーキがあったとしよう。それは目の前の少年が好むように仕立て上げられた、少年の為のケーキだ。
　だが少年は、そのケーキを口にすることを躊躇っていた。彼が食べなければ捨てるしかないケーキだが、それでも彼は気安く手を伸ばすことが出来ない。再三促されて手に取れば、今度は無惨に潰してしまう。食べ方は粗雑で、言ってしまえば汚く、作法も何もあったものではない。幼子のような振る舞いは、少年の哀れさを引き立たせるようでもあった。
　それでも少女は、根気強く彼に付き合った。汚したのなら洗えば良い。悪くなったのなら取り替えれば良い。駄目にしたのならやり直せば良い。何度も。何度でも。


　そして。

　どん、とテーブルに鎮座ましますのは、リノアお得意のガトー・ショコラだ。ふわふわに立てたメレンゲは良い仕事をしたようで、たっぷりのガナッシュクリームを挟んで美味しそうに主張している。
　節制に慣れているスコールだが、恋人に甘やかされて悪い気はしない。そぅっとクリームに指先を伸ばすと、ぺちんっと手を叩かれた。
「こら、お行儀悪いぞ！」
　リノアは飾り付け用のガナッシュクリームを詰めた絞り袋を手に、スコールを睨む。スコールは不満そうに唇を僅か尖らせた。
「……まだか」
「クリームくらい飾らせてよぅ」
　これ舐めて大人しくしてて。そう言ってスコールの指先へちょっぴりクリームを絞り出すリノアは、やはりスコールに甘い。彼女がとびっきりの笑顔で首を傾げてみせれば、スコールは言われた通り大人しく手を引っ込めてちびちびと舐め始めた。それを横目に、リノアはくるくると絞り袋を操って薔薇の花を作り出す。こんなときばかりは、リノアの手際が良い。手先が絶望的に無器用なのだと彼女は白状するが、スコールからしてみれば奇跡の器用さだ。何であんなもの作れるんだ。というか男に食べさせるケーキにそんな飾り付けいらないだろう。スコールが思わずそう零すと、リノアは「あら、でもこんな飾り付けしたらクリーム沢山載ってお得感ない？」と返されてしまった。 完敗だ。甘い物好きのスコールにはぐうの音も出ない。仕方ないので、傍らのグリッシーニをつまみ上げた。さくさくと歯触りの良いそれは、今までのスコールの世界にはなかった食べ物だった。
「それにしても、ホントよく食べるね」
　物欲しそうにグリッシーニを差し出してくるスコールに、リノアは笑いながら絞り袋を向ける。少し柔らかくなったクリームが細い焼き菓子の上にのたくると、スコールは満足そうにそれを大きく開けた口に放り込んだ。
「程々にね。あともう３０分もしたら８月のお誕生日パーティーなんだから！」
「日付大分過ぎてるけどな」
「しょうがないじゃない。ＳｅｅＤの皆、都合つかなかったんだし」
　そうなのだ、本日は司令室主催の８月バースパーティーである。とはいえ今は既に９月。月が変わってからやるはめになったのは、主役になる８月生まれのＳｅｅＤ達の都合が悉く合わなかったためだ。祝う他の者達の都合が悪いのはともかく、祝われる当の主役達が集まらないのはいただけない。
「さ、出来上がり！」
　ぴくっ、とスコールの肩が跳ねた。
「やっとか！」
　さも待ちくたびれた、と言わんばかりに立ち上がるスコール。リノアはくすくすと笑いながら、完成したばかりのケーキに箱を被せる。
「マンマ・イデアは何持ってくるって言ってたっけ」
「呆れた！　まだ食べるつもり？」
　わざとらしく咎めるようにリノアが声を上げると、スコールは首を引っ込めてあどけなく微笑う。
「あんなもの、序の口だ」
「お腹壊さないでちょうだいよ、スコール」
　肘で恋人を突っつくリノア。スコールは降参、と両手を挙げ、部屋のドアを開ける。
「行こう、皆待ちかねてるぞ」
　早く早く。そう言うような彼の目は、子供のようにきらきら光る。リノアはケーキの箱を胸に抱くと、擦り抜けざまに彼の頬へ口付けた。
「Happy Birthday, Squall♪」