生垣で出来た、それは迷路だった。
　リノアが「入ってみようよ！」とあまりにせっつくものだから渋々入ったが、実を言えばスコールはこの手の物が得意でない。正直に言えば苦手だ。迷路はどうしても己の位置があやふやになってしまって、足元が不安になってくるような気がするからだ。実際にはそんなことはないのだとわかってはいても、どうも胸の奥がもやもやして落ち着かない。
　生垣は決して背が低くないスコールよりもずっと高く育て上げられていた。彼より小さなリノアなんてすっかり埋もれてしまう。
「わたし、こんなの大好きなんだよ。冒険してる気分になっちゃう」
　リノアは御満悦の様子でスコールの手を引いている。人の気も知らないで、とスコールは密かに嘆息するが、しかしこの屈託ない少女の笑顔が目に留まると、どんなに苛ついても腐っていても、どうでも良くなってくるのだから不思議なものだ。
　さて、生垣の迷路は随分なものだった。いや、外から見たときからえらく規模がでかいとは思っていたが、中に入ると尚更そう思わせた。というのも、迷路の中は、花が咲き乱れていたのである。あの緑一色の生垣は一体何だったのかと言いたくなるくらいに！
「あはっ、きれーい！」
　リノアははしゃいだ様子で小走りに突き進む。
「リノア、待ってくれ」
　スコールが慌ててその手を取ると、リノアははたと足を止めた。そしてにんまりと悪戯っぽく微笑うと、指を絡めてきゅっと握ってくる。
「おい……」
「良いじゃない。誰も見てないんだし」
　そういう問題じゃない、と言いかけたスコールは、成る程確かに人の目はないことに思い至った。ここは一組ずつしか入ることの出来ない迷路で、自分達がこの中にいる間は誰も入ってこないのだ。
　つまりは、文字通りの２人きり。
（……まぁ、いっか）
　たまの２人きりだ、とスコールはリノアのしたいようにさせておくことにした。
　２人は、いつも周囲の耳目に曝されている。それは彼らが、魔女とその騎士であるからだ。と同時にＳｅｅＤ司令官とその秘書となれば、日中のプライバシーなど殆どない。やっと他人の目がなくなる頃といえば、慌ただしく身繕いをして翌日のために休まなければいけない時間である。甘い一時などなどあったものではない。
　だが同時に、それがある種の安らぎになっていたのも事実である。
　仕事に埋もれてしまえば、魔女だの騎士だの、余計なことを考えなくて済む。あの恐ろしい「最悪の未来」を思い出さずに済む。スコールにとって、あの魔女戦争の結末はまだ思い出にしてしまうには生々しい傷痕だった。
「スコール、スコール」
　つんつんと手を引かれ、スコールはリノアを見遣る。リノアは、心配そうに眉根を寄せていた。
「どうしたの、スコール。眉間にシワ」
　はっとして眉間を撫でるスコール。
「仕事のこと？　皆に放っておいて良いって言われたじゃない？」
「あー、いや、仕事のことじゃない」
「じゃ、何？」
「……別、に」
　リノアはがっかりしたような顔になった。スコールは途方にくれる。
（……何て言ったら良かったのかな）
　スコールは言葉を発するのが苦手だ。おまけに表情も動かないものだから、何を考えているのかが見えづらい。「兄弟」達は実に見事に彼の思考や感情を読み出してみせるが、それは付き合いの深さがそうさせるのであって、そうでない者達は彼に対して「何を考えている」と憤ることもある。
「…………スコール」
「ん？」
「わたし、そんなに頼りないかな？ 　スコールの眉間のシワの原因、一緒に背負えそうにない？」
　反面、リノアは違った。
　リノアは、スコールが何を考えているのかわからなければ彼が話し出すまでじっと待ってくれた。スコールだって誰かと共にあれば黙ったままではいられない。ぐちゃぐちゃのまま話し出しても、リノアはじっと聞いてくれた。
「……時間が空くの、苦手だ」
「そうなの？」
　スコールは頷く。
「余計なこと、考えちゃうから。ぼぅっとしてると、『あの時』の感触とか、『時の最果て』のこととか、思い出して……」
　話し始めれば、言葉は止まらない。ぽろぽろと溢れてくる彼の言葉は、涙に似ている、とリノアは思う。溢れた感情を整理するのが上手くないスコールは、いつも頭の中に沢山の言葉を詰め込んだまま黙りこくってしまう。
「スコール」
　リノアはスコールの名を呼ぶと、何を言うでもなくただ擦り寄った。スコールも何も言わない。ただ、彼女の手を強く握り返した。
　２人はそのまま、花の迷路を進む。
「……この迷路さ」
「うん？」
「外から、閉じ込められてるみたいに感じないか？」
「そう？　わたし、温室で守られてるような感じするけど」
　何となく話を始めたスコールは、リノアの返しにきょとんと目を瞬いた。そうか、そういう考えもあるのか。押し迫ってくるような壁の高さに彼は圧倒されていたが、リノアは咲き乱れる花の見事さに庭師の慈しみを見出だしたらしい。
「…………感性の違いかな」
「多分ねぇ」
　ほら、わたし楽天家だから。そう言って笑うリノアは、清々しい笑顔だった。
「迷うのも、楽しいよ。２人でなら」
「…………ん」
　スコールははにかんで、おずおずと頷いた。

　スコールは、導かれたかのようにふっと目を開けた。厚手のカーテンで外界と隔てられている寝室はまだ少し暗い。
「んー……」
　小さく唸りながら枕元のサイドボードをまさぐり、懐中時計を取る。ぱちん、と小さな音を立てて開かれたそれは、少しばかり早い時間を示していた。スコールは満足げに目を細めると、己の傍らに眠る女性を眺める。彼女は、何の心配もなさそうな寝顔をしている。
「リノア……」
　スコールは心の底から愛おしげな声で妻の名を呼ぶと、その米神にそっと唇を寄せた。
「Happy birthday, my sweet」
　リノアはもぞりと身動ぎし、陽を嫌がるように丸くなる。スコールはくつくつと笑い出した。
「耳赤いぞ」
「誰のせいよ……！」
　ブランケットを顎先まで引き上げたリノアは、スコールを横目できっと睨み付ける。スコールはますます笑い、紅を刷いたようなその目元に口付けた。
「おはよう、リノア」
「おはよ」
　そうして２人はバード・キスを交わす。 ブランケットが肌を滑り、滑らかな白磁を空気に曝した。スコールの悪戯な指先が肩を滑ると、リノアはぺち、と軽く叩き落とした。
「朝よ」
「休日の朝だぞ？」
「それでも朝！」
　噛み付かんばかりの勢いで起き上がったリノアは、床に放り出していたガウンを手に取る。
「今日はフラワーメイズに行くんだから」
「またあれかよ、お前好きだな」
　スコールは不満げに鼻を鳴らすと、リノアはべぇっと下を出す。
「本当は会期中毎日だって行きたいのー」
　フラワーメイズは、春期限定のアトラクションだ。アトラクションといっても、ドールの好事家がバラムに所有している別荘があって、その庭園を一般開放してくれているものである。その為花の季節が終わると終了となるのだ。リノアはバラム・タウンに暮らすようになってから、彼女の誕生日の頃に重なる会期を楽しみにしていた。
　リノアはガウンを翻し、シャワールームへ急ぐ。スコールはゆったりとベッドを抜け出すと、寝室のカーテンを勢い良く開け放した。まだ少し寒いからか、大きな吐き出し窓は結露で曇っている。きゅっと拳で一部分を拭うと、青空が目に飛び込んできた。スコールの口角が、少しだけ上がる。
「２人なら、迷うのも楽しい、か」
　こんな青空の下なら、あの花が咲き乱れる迷路で迷うのも楽しいだろうか。
　ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら、リノアが戻ってきた。ガウンがしっとりと肌に沿い、妙な媚態を醸し出す。ドアに半分隠れながらのにまにまとした表情は、どちらかと言えば子供っぽいというのに。
「スコールぅ、わたし今日の朝御飯はホットケーキが良いな！」
　濡れた髪もそのままに、リノアは頬を薔薇色にしてスコールに催促する。
「はいはい、了解」
「やったー♪」
　諸手を上げて喜ぶその姿は、出逢った頃から変わらない愛らしいもの。スコールは苦笑し、彼女の肩にかかったタオルを取るとその黒髪を覆った。
「作ってる間に髪乾かして着替えろよ。まだ寒いんだから」
「はぁい」
　くすくす笑いながらまとわりつくリノアに、スコールは愛情込めて口付ける。
　リノアはとろんとした笑みを浮かべた。