かたかたかた……、がこんっ。
そんな間抜けな音を立てて、とうとう車はエンストした。
苦虫を噛み潰したような顔で、スコールはキーを回す。車は微かにモーター音を響かせるが、エンジン自体はうんともすんとも言わない。
「セルモーターは動くみたいだけど……駄目だ」
「ギア動かしてもダメ?」
「ギアチェンジで動いてくれたら嬉しいなぁ……あぁ、もう!」
スコールはがんっ! とハンドルを殴った。あのレンタカー屋め、金返せ!
「……どうする?」
ぷすぷすと煙でも吹き出しそうなスコールに、リノアはおっかなびっくりお伺いを立てる。スコールはがりがりと頭をかき、懐を探る。
「どうするもこうするも、レッカー呼ぶしか、ない……」
ラジオがざりざりと不快なノイズを吐き出し始める。それに眉をひそめたスコールは、ふと遠くの空が陰ってきているのに気が付いた。
「……あれじゃあ歩いて最寄の町に、も出来そうにないしな」
「え?」
どうやら、雷を伴う雨雲のようだ。じわじわと寄って来るに従って、ごごん、と低い音が届く。ノイズが不快指数を突破する前にラジオを切ったスコールは、自身の頭を乱暴にヘッドレストへ押し付けた。
「暫く篭城だな。直に携帯電話の電波も届かなくなるぞ」
「天然の電波障害だね?」
リノアも長期戦を覚悟したのか、ふぅ、と溜息をついて背もたれをリクライニングさせた。
足の速い雨雲は、意気揚々とこちらへやってくる。そういえばここは川底ではなかったろうな、とスコールは危惧したが、今更もうどうしようもない。車は動かないのだ。最悪、任務再開までに戻れればそれで良い。
ばた、ばた、ばたばたばたっ。
派手な音は、ほんの2、3回を数えたと思ったらすぐに2人を包み込んだ。リノアは心なし身を縮める。
「すごい雨……スコールだね」
「俺?」
「違う違う」
リノアがフロントガラスをちょいちょいと指差してみせると、スコールは苦笑いした。
「……ややこしい」
「ふふ」
雨は素晴らしい勢いで砂地を潤す。とはいえ一過性だ、ここには大きな木は殆ど育たない。やたらと大きな木は毒があったり、葉がとても少なかったり。かと思えば、文字通りの根無し草が視界を通り過ぎていく。このままではからからの草木だって、溺れてしまうのではないか。
「俺さぁ、これなんだって」
「これ?」
「そう、
のろり、とフロントガラスを指差すスコール。――否、指したのは雨。
「お母様の名前、『レイン』だっけ。ラグナさんはきっとそこから名付けたのね」
「安直だ、ひど過ぎる」
「あら」
リノアは眉を上げ、目をきょろりと丸くした。
「スコール、名前嫌い?」
スコールは軽く肩を竦める。それが彼の答えだった。
スコールは自身の名前にあまり思い入れがない。孤児として生きてきた彼にとって、名前は個人識別の為の記号でしかなかった。
それを意味あるものにしたのは、他でもない隣に座る可愛い恋人だ。
「素敵な名前だと思うんだけど」
「……そうか?」
「うん」
リノアは何の屈託もなく頷いた。
「ガルバディアでは、スコールは待ちわびるもの。枯れた渓谷に生命を還す、恵みの雨だよ」
「…………」
リノアの目には、掛け値のない情と慈愛が瞬いている。
車の外は雨だ。ばたばたとスチールを強く叩く音は未だ止むことはない。風はそれを煽り、雷は時折強く光ると轟音でもって大気を震わせる。
スコールは助手席側に身を乗り出すと、愛しい人とそっと唇を重ねた。
「…………っ、ふーっ……」
リノアの上にのしかかっていたスコールは、詰めていた息を大袈裟に吐き出した。息も絶え絶えなリノアの方は、恋人の肩にすがり付いていた手をぱたりと落とす。
「ん、もぅ……堪え性のない人」
「時間がなかったからな」
スコールはさんざに乱したリノアの衣服を整えてやりながら、ぽってりと赤く腫れた唇に口付けた。
「……お前戻ったら作戦用スーツ着とけ」
「やっだ、どこにキスマーク付けてくれちゃったの?
」
リノアはくすくすと苦笑しながら首筋を撫でる。その声は甘い時間の余韻がまだ残っていて、スコールは内心胸を騒がせた。彼女は無意識なのだろうが誘われているようで、背筋がそわそわする。
リノアは運転席に戻って服装を直すスコールの髪を撫で付けてやりながら、ふと窓の外を見た。風は随分と落ち着きを取り戻し、雨足も弱くなっている。
「雨、そろそろ止みそうね」
「そうだな、助かるよ」
「助けが呼べるから?」
「いや、整備できるから」
「あぁ……何だ、心配する必要なんてなかったのね」
そういえば彼はSeeDだった。己の上司でもある彼が如何に有能多才な人物かを思い出し、リノアは苦笑する。
「レッカー呼ぶしかないって言ってた癖に」
「考えてみたら、オーバーヒートの可能性もなきにしもあらずだろ? この暑さだ。むしろ雨で充分冷えたかも」
ボンネット開けてみて、無理ならレッカー呼ぶよ。スコールはそう言って両手を組み、後頭部に当ててヘッドレストに懐く。リノアもそれに倣い、シートに深く座り直した。
「スコール」
「?」
「お誕生日、おめでとう」
然り気無く放たれた祝福に、スコールは数度瞬く。
そして、柔らかい、幸せそうな笑顔を返した。
「ありがとう、リノア」
生命を還す為に降る雨は、特大の虹を渓谷にかけて去っていった。