「ワリーな、リノア。後頼んじまって」
「ううん、気にしないで。いってらっしゃい、ゼル」
「おぅ、行ってくるぜ!」
ちゃっと手刀を切るゼル。リノアはひらひらと手を振って見送った。
「……さて」
玄関のドアを閉めて錠を下ろし、くるりと踵を返す。そこに放り出された小さめのボストンバッグを取り上げれば、腕になかなかずっしりとした重みが響く。中身の大半は衣服だ。これからそれを全て篩にかけ、必要あらば洗濯してやらないといけない。
リノアはちらと奥を見遣る。微動だにしないベッドの膨らみに、彼女は憐憫の溜息をついた。
バラムでも「寒い!」と悲鳴が上がるここ数日の間、哀れなSeeD達は司令官と共にトラビアへ渡っていた。理由は珍しくもトラビアとしては割とよくある、豪雪への対抗というか無駄な抵抗というか……。ともかくも今年は雪が多いらしいトラビアは、人手が足りない助けて! とトラビア・ガーデンを通じて泣きついてきた。それに応じたのが、スコール以外10数名のSeeDである。時折山岳救助隊に混ざって遭難者を助けにいくこともあるのだ、雪山くらい――。
それが甘かった。
勿論、彼らに慢心があった訳ではない。だが雪山の恐ろしさを知らない彼らは、あまりに無防備だった。ふわふわの美しいパウダースノーが、どれ程崩れやすく、また見た目にそぐわず重いのかを知らなかった。幸い巻き込まれたパーティーには炎魔法が得意な者がいたために最悪の事態は免れたが、しかし命と引き換えの代償に、上から下までずぶ濡れになってしまったらしい。スコールも、その1人だったのだ。
そして今、彼はリノアのマンションで布団に包まっている。なんというかまぁ、割と予想出来た結果である。
「おかしい、同じ条件だったはずのゼルが一切風邪引かないなんて」
すんすん鼻を鳴らしながら――いっそ泣いているかのような哀れっぽい声だった――、ブランケットに包まり恨み節のスコールは、現在高熱に悩まされながら夢の中。ひょっとしたら悪夢かも知れないが、寝ている人間を相手に出来ることなんてない。むしろ、今のうちに出来ることは全てやっておかないといけない。甘えん坊の彼が起きたら、間違いなく付きっ切りだ!
「アンジェロ、暫くスコールのことお願いね」
アンジェロはぴすぴすと鼻を鳴らし、スコールがうずくまっているベッドの足元に伏せてみせた。
ふうふうという自分の息遣いが耳について、スコールは目を覚ました。
辺りは真っ暗だ。そして狭く、じっとりしている。スコールはぎくりと全身を強張らせ、焦って両手足をばたつかせた。
嫌だ、怖い、死にたくない!
「ウォン!」
何かが一声吠えた。と同時に、ばさりと大袈裟な音を立ててスコールを覆っていたものが取り払われる。
「どうしたのスコール!?」
そこにいたのは、リノアだった。面食らったスコールは、ぽかんとした顔で周囲を見回す。
「ここ……?」
熱で掠れた声は小さい。リノアは傍らに伏せてあったストールへ手を伸ばし、スコールの肩へそれを着せかけてやる。
「スコール、帰ってきた時のこと覚えてる?」
「…………」
リノアに問われ、スコールはふらふらと視線を彷徨わせる。
そして。
「お?」
立ったまま腰を屈めていたリノアにしがみつくスコール。リノアは意外そうに目を丸くしたが、すぐにそれは慈愛の眼差しへと変化する。
「どうしたの、怖い夢でも見た?」
柔らかく抱き留めてやると、スコールは微かに身じろいだ――いや、これは。
(震えてる……)
いやーうっかり雪崩に巻き込まれちまってさー、なんてゼルは笑いながら軽く言い放ってはいたが、いくらなんでも突発的な事故が怖くなかった訳がない。リノアは暫し、ストール越しにスコールの背を撫でてやった。手に伝わる体温は、ひどく高い。どうも帰ってきたときよりも熱が上がってきているらしい。
「……寒い」
やっと出した言葉に、リノアは内心盛大な溜息をついた。わたしの心からの同情を返せ、このやろう。
「さ、これ飲んで」
怠そうにしている癖に眠りたがらないスコールに、リノアは湯気の立つマグカップを差し出した。
「…………?」
枯れた声を聞かれるのが嫌なのか喉が痛いのか、スコールはまじまじとカップを見つめて首を傾げる。ただの問い掛けだとはわかっているがその仕種は健忘や白痴を思い起こさせ、リノアは僅かに不安を覚えた。
スコールはすん、と鼻を鳴らし、そっとカップに口を付けた。途端、スコールの目が煌めく。予想外に美味しいものを口にしたときの表情に、リノアは可笑しそうに口許を歪めた。
スコールはやおらカップを傾けると、勢い良く中身を飲み干していく。玉の汗が額に浮かび、こめかみをつうっと流れていく。その勢いにリノアが呆気に取られている内に、ぷは、とスコールは大きく息をついた。
「……辛くなかった?」
「?」
きょとんとするスコール。マグカップに残る僅かな淡黄色を覗き込み、首を傾げた。
「……カラシでも入ってた?」
「誰がカラシなんぞ入れますか! じゃなくて、生姜。生姜は大丈夫なのね、あなた」
「あぁ、これ生姜湯だったのか……どうりで喉がじんじんすると思った」
スコールは口許に流れてきた汗をペろりと舐めた。それに気付いたリノアは慌ててタオルを取りに走る。
(別にそんなに慌てることないのに)
無造作に袖口で額を擦ると、ふわふわのタオルがそっと押し付けられた。
「駄目よ、スコール。そんな風にしちゃ」
リノアの白い指先がスコールの額を顕わにし、丁寧に汗を拭ってくれる。肌触りの良い生地とひんやりした指先が気持ち良い。
「……何かえっちい気分」
「こら」
ぺちん、と額を叩かれた。
「本当は着替えて欲しいんだけど……」
「……しんどい」
「だよね」
知ってた、と真顔で頷くリノアに、スコールは苦笑する。当然に彼女はわかっていたのだ――思考をまとめて言葉を発する、そのタイミングが遅れるほど彼が弱っていることを。
「上着だけ替えちゃおうか。背中拭いたげる」
言う端からボタンを外していくリノア。随分と手際よいなぁ、とスコールは他人事のように眺めていた。
「……なぁに?」
リノアが片目を眇めて首を傾げる。スコールはくすぐったそうに微笑って肩を竦めた。
背中を滑るタオルが擽ったい。
「……あのさぁ、リノア」
「なぁに?」
「あの……ごめんな」
「ん?」
「誕生日。明日なのに……」
突然の謝罪にきょとんとしていたリノアの顔に、慈しむような笑みが浮かぶ。真新しい、少しだけ糊の効いたパジャマを着せ付けながら、そっと鼻先を寄せる。
「ちゃんと帰ってきてくれたじゃない。充分よ」
「……あ、お土産は買ってきた」
「律儀ねぇ」
ありがとう、と頬へキスをすると、リノアは優しく彼の肩を押した。
「さぁ、もう寝ましょ」
「……リノアどこで寝るの」
大人しく押されるままに横たわりながら、スコールはリノアへ問う。リノアはわたし? と床を指し示した。
「ここにお布団敷くよ。そしたらスコールのこと見てられるし」
スコールは不満そうに眉根を寄せる。
「…………一緒じゃ駄目なのか?」
「一緒でも良いけど……我慢出来る?」
ちら、と彼を見る恋人の流し目に、スコールの背筋はぞくぞくと粟立つ。熱で渇きがちなはずの咥内に唾液が湧く。スコールは慌ててブランケットを頭まで被った。
「……どこで覚えてきたんだそんなもん……」
「やーね、これだけ長いこと一緒にいればそりゃあ誘惑のひとつも覚えるわよ」
あなた限定のね、と囁く声は如何にも婀娜っぽい。唇をぎゅっと引き結んだスコールが、目元だけブランケットから出してリノアを睨んだ。リノアはくすくす笑う。
「という訳なんで、今日はお互いお一人様ね。明日熱下がってたら、ちょこーっとだけお買い物デートしよっか?」
「……ちょこっとじゃなくて、たくさんが良い」
「こぉら、無理いわないの。そのかわり、お部屋でたーっくさんいちゃいちゃしよう。それじゃダメ?」
「……約束な」
「うふふ、約束ね。さぁ、今度こそおやすみ!」
リノアは優しい手付きでブランケットを整えてやり、額にそっと唇を寄せる。
「善い夢を」
スコールは嬉しそうに微笑み、目を閉じた。
翌朝目を覚ましたのは、随分と明るくなった頃のこと。スコールは所謂「大自然からの呼び声」に抗い切れなかったのだ。
リノアの部屋は学生用のマンションの一室だが、よくあるワンルームタイプではない。寝室にあたるスペースはリビングスペースやそこに直結する玄関から隠せるように間仕切りされている。だからスコールが現在いる寝室には、その喧騒は随分と輪郭を失っていた。ただ、言い争っているということはわかる。
スコールはまだ眠気の残る目元を擦り、間仕切りとなっている引き戸――ガルバディア風のアコーディオンカーテンも選べたというのに、リノアが入居時に選んだのは、このバラム風の紙張りの引き戸だった――をそろそろと開いた。
「リノア、テレビの音下げ……」
「だーから今日は都合悪いって言ってるでしょっ!」
用を足すついでにリノアにテレビの音量を下げてもらおうと思っていたスコールは、大いに面食らった。玄関に、リノア以外の人間がいる。
「………………」
瞬きしても変わらないということは、どうやら本当に実在している人間のようだ。スコールは念の為に目をもう二度ばかり擦り、来客が何者なのか見極めようとした。
振り返ったリノアが肩を聳やかせる。
「きゃあ、スコール!」
「……おはよう」
おはよう、という時間ではないとは思うが、目が覚めた本人からすれば、朝だ。リノアはよくある寝坊への揶揄はせず、小走りに駆け寄ってスコールの頬を撫でる。
「おはよ、ごめんうるさかったでしょ」
「いや、大丈夫」
熱を測ろうと伸びてきたリノアの手を、スコールは僅かばかり背を屈めて触れさせた。リノアの目が、ほっと緩む。
「バスルーム借りる」
「はぁい」
つるりとリノアの横を擦り抜けていくスコール。彼は途中、ぽかんとした顔の客へ軽く頭を下げてバスルームへと消えた。
客――リノアの大学の友人は、扉に阻まれて見えもしないスコールを見物しようと首を伸ばす。
「えらいもっさい男ねぇ?」
「夏の彼氏とは違う感じー」
「……言っとくけど、同一人物だからね?」
あからさまに驚きを顔に出す友人達に、リノアは深々と溜息をついた。
「え、ってあの『年上の彼氏』?」
「何回も言うけど同い年だってば。一昨日の夜帰ってきたのよ」
「「えぇ〜っ!」」
落胆の声が一斉に上がる。リノアはうるさい、としかめ面をして両手を上下にひらめかせた。
「え、じゃ何? わたしらはお邪魔ってか?」
「ぷー、せっかくパーティーの用意してきたのに……」
「いっそ彼氏さん巻き込む?」
「勘弁してよ、スコール疲れてるし、調子だって悪いんだか、ら……」
何かを聞き咎め、リノアはゆっくりと背後を振り返った。そこにあるのは、バスルームのドアだ。
友人達が顔を見合わせ首を傾げる前で、リノアは慌ててバスルームを開けた。
「スコール!」
「うひぁっ」
リノアの剣幕に、素っ頓狂な声を上げて何故か胸を隠すスコール。普段なら吹き出すようなその光景も、リノアのカンに障った。
「何でシャワー使ってるのっ」
「髪が洗いたかったんだよ、べたべたして気持ち悪かったんだ」
それで頭からずぶ濡れか。リノアのこめかみがひくりと動く。
「そ、それに向こうでも風呂ダメだったんだよ寒いから! 流石に風呂なし4日目とかもう勘弁してくれ!」
あわてふためきまくし立てるスコール。そんな彼を暫し睨み付けていたリノアだったが、やがてがっくりと頭を落とすと、湯沸かし機の操作盤に触れた。
「……ほら、入って。お風呂沸かし直すから」
大人しく湯舟に入るスコール。その頭に、リノアは手近にあったタオルを被せて掻き混ぜた。
「ちゃーんとあったまってから出てくるのよ。熱振り返したりしたら、デートはナシですからね」
「……あったまってきます」
「はーい、よろしくぅ」
リノアは極上の笑顔で、軽やかに手を振ってやった。
「ちょっとーぉ、随分と長風呂だったわねぇ?」
皮肉っぽく眉をひそめながらも優しく微笑むリノアに、スコールは「少し寝てた」とペろりと舌を見せた。
「あのお客さんは?」
「あぁ、うん、大分前にプレゼントとケーキ置いて帰ったけど」
「ケーキ?」
リノアが指し示したキッチンを振り返り、スコールはしまったなぁ、と頭を掻いた。リノアはそんな彼を手招きしてラグに座らせると、首にかかるタオルを頭にかけて柔らかく拭いてやる。
「ひょっとして、予約とか入れちゃってたり?」
「……うん」
躊躇いがちな肯定。
「帰還がぎりっぎりになるってわかってたからさ、せめてケーキくらいはと思って、張り込んじゃったんだけどなぁ……」
スコールは残念そうに零す。
リノアは数度瞬きすると、タオルを放り出して恋人の首筋に飛び付いた。あぁ、何て可愛い人!
「あら、問題ないんじゃない? いくらか食べて、ガーデンに持って行きましょうよ。別に全部食べなくても良いじゃない」
「えー……」
「食べ切る前に悪くするよりは良いでしょ。ね?」
「…………まぁ、リノアがそれで良いんなら」
スコールは暫し渋い顔をしていた。そんなスコールのこめかみに、リノアは愛情込めて口付ける。
「勿論、スコールのケーキはわたしが独り占めさせていただきますよ?」
だって皆に分けるなんて、勿体ないもの。
さも当然のように囁く彼女に、スコールはくすぐったそうに肩を竦めて笑った。
Happy birthday, Rinoa!!
End.