空には満点の星。
きん、と冷えた空気が胸を充たす。
「スコール、飲む?」
「あぁ」
リノアが渡してくれたボトルからは湯気が立っている。熱々のコーヒーに、スコールはほぅ、と息をついた。
2人は今、流星群を待っていた。
ある流星群の極大期が今日の夜半過ぎに当たる、と聞いたのは、食堂で流れていたニュース番組からであった。
「流星群だって」
「行っちゃう?」
「行こうか」
折しも、明日は休みだ。ささやかな企みに顔を見合わせて笑い合う2人。
夜を待ち、アルミの裏打ちが仕込まれたシートに、毛布を3枚――1枚は不測のキャンピングが発生した時の為に元から積んでいるものだ――、夜食を幾らか、大きな保温ボトルに熱々のカフェオレをたっぷりと注ぎ、2人は愛車でリナール海岸へ繰り出した。
海は寒いが、バラムタウンの明かりを避けるとなるとここまで来た方が良い。勿論、流星群待ちの観光客を山と抱えているバラムタウンは灯火制限をより厳しくしてはいたけれど、それでも望む程暗くはないのだ。
そして、今。
2人は砂浜にシートを敷き、毛布をぐるぐる巻きにして空を見上げている。
冬場の弱い太陽では、夜の砂浜に熱を残すことは出来なかったらしい。リノアが腰の冷たさにもぞもぞと身体を動かしていると、スコールは自分が包まっていた毛布を開いてリノアを膝へ招き上げた。頬がくっつきそうな程、2人が引き合う。
「悪い、気付かなかった」
「ううん、ありがと。あったかーい♪」
不思議なもので、1人では毛布を着ていても寒い所を、2人くっつくと汗ばむ程に温かくなる。リノアは満足そうな溜息をついた。
スコールは毛布の具合を直し、手元の星座早見盤と天頂とを見比べる。
「…………星が多過ぎて判別出来ない。狩人のベルトはどこだ?」
途方にくれて息をつくスコールに、リノアは苦笑した。
気持ちはわからなくもない。
普段、彼らはタウンの明かりを通して夜空を見上げている。必然、光の弱い星はその明かりで掻き消されてしまう。だが街灯のない海岸では、弱い光も明々と輝くのだ。
リノアは早見盤を手元に引き寄せ、共に空を見上げた。
「……あれじゃない?」
「どれ?」
「ほら、あの辺り……あの1番きらきらしてるの、あれが天狼でしょ? その斜め上の……」
「……あ、あぁ! じゃああの上のが、『冬の大三角』の赤星だな」
「だね」
発見出来れば後は早い。やれ大犬だ、一角獣だと次々に星座線を結んでいく。
「スコール、星読めるんだよね?」
「勿論。夜間演習では重要だからな」
「今日はなかなか読めなかったくせに?」
「……最近は演習なかったからな。感覚が掴めなかったんだ」
「あ、ごまかしてる〜」
けらけらと笑うリノアに対し、スコールは明らかに気分を害したという顔をした。リノアは首と笑い声を引っ込め、スコールの首許に擦り寄る。彼の表情がわざと作られた物であることは、彼女が1番良く知っていた。
「リノアは、星座沢山知ってるんだな」
「うん。すごい?」
「すごい」
リノアは天文が好きで、星座のことは割と勉強している。それに、星を読むのはティンバーでは当たり前の知識だった。スコールも天文は好きだが、彼は神話の類にはさほど詳しくない。
「スコールは、星座苦手?」
「星座が苦手というか、神話が苦手」
「数が多いもんね」
「それに、何かドロドロした話多くないか? 妊娠した旦那の浮気相手に酷いことするとか、裸見た男を鹿にして飼い犬に噛み殺させるとか……」
あぁ、とリノアは納得した顔で頷く。
要するに、彼は愛憎渦巻く話が苦手なのだろう。普段世の中のきついところばかり見ている彼の蔵書は、確かに明るい顛末の話が中心だ。救いのない話の本は、少し読んでも手元に置きたがらない。
「女神様は嫉妬深いのが常套なんだよ」
「あまり深過ぎるのもどうかと俺は思う」
「じゃあスコール、天后神の絡む話は苦手そうだね」
「あの女神は異常だろ」
「結婚を司る、貞操を重んじる女神だからね、それは仕方ない」
スコールが顔をしかめてみせると、リノアは低く笑った。
「じゃあ、海に捧げられた姫君の話は?」
「あれはまだ好き」
「半神に課せられた12の試練は?」
「割合すかっとするかな。最高神達の思考はいらいらするけど」
「愛の神の恋物語は?」
「あれは好きかな。あの終わり方だから」
「あぁ、わかる。わたしもあれ好き」
2人はくすくす笑う。口付けを交わすと、甘いコーヒーの味がした。
「……ティンバーではね、星を読めれば、生者の世界に帰ってこられる、って言われているの」
不意に話し出したリノアに、スコールは首を傾げる。
「ティンバーの森は深くて暗いの。だから死者の国に繋がってるって言われてる」
「あぁ、だから『星を読めれば』、か。星が見えさえすれば方角ががわかる。方角がどちらかわかれば、
リノアは満足げに大きく頷いた。しかしスコールの方は渋い顔をする。
「ぞっとしないな。疎いやつは帰ってこれなさそうだ」
「スコールったら……」
気落ちしたように溜息をつくリノア。どうしてこう、もっとロマンチックに考えてくれないのだろう。
「森は死者の国、か……本当に、ぞっとしない。サイファーが同じ班になったときの演習を思い出すよ」
「演習?」
「そう、夜間行軍演習」
「へぇ……その演習では、どんなことしたの?」
「殆どが行軍かな」
「森の中とか?」
「そうだな、森とか山とか。方位磁針なしで放り込まれて、地図と星と月とでチェックポイント探し」
「うわー、大変そう」
「大変だった。ゼルやキスティスだったら楽に済むんだよ。キスティスは優等生だし、ゼルは地元っ子だし。最悪なのはサイファーと同じ班にされた時だな……」
「最悪なんだ?」
「最悪だよ、地図独占して引っ張り回しやがるからな。だから奴と同じ班だってわかった時点で地図のコピーを取るか、徹底的に覚え込む。じゃないとしんどい思いするのはこっちだから」
サイファーならば、さもありなん。リノアは毛布の隙間から手を伸ばし、宥めるようにスコールの頭を撫で叩く。
「他には何かしたの?」
「後は、キャンプかな。山の中、独りで」
「独り!?」
驚きの声を上げるリノアに、スコールは頷いた。
「文字通り、サバイバルだな。山の中で、食べ物探して水探して、チェックポイントまで」
「おおぅ……あ、でもスコールは優秀だったんだろうね」
「いいや、俺はいつも赤点ぎりぎり」
「えぇ〜、うっそでしょう?」
「本当だよ。味覚が鈍かったから、毒物の判別が出来ないんだ」
「そこまでするの? 演習なのに?」
「演習だからこそ、だよ」
くくく、とスコールの胸元が震えた。
「チェックポイントには時間制限がある。その時点でチェックが入らなければ、先生達が探しに来てくれるだろ? だから演習の間に出来る失敗はしまくって経験しておかないと。いざ本番となったら、一度失敗するとリカバリーは利かないからな」
想像すると、ぞっとした。リノアが肩を聳やかすと、スコールは宥めるようにその肩を叩く。
「まぁ、流石に今はそんな奴もいないだろ。心配するな」
「し、心配するよ……そんな話聞かされたら……」
もそもそと膝の上で縮こまるリノア。
「……スコールが無事で、良かった」
スコールは頬を掻く。あぁ、今が夜で良かった! リノアにはきっとばれているだろうが、この暗さなら真っ赤になった頬をはっきりと見られることはないから。
「あー……来ないな、流れ星」
「そうだねぇ……」
食べる? と差し出されたクラッカーに噛み付くスコール。リノアはくふ、と小さく口許を綻ばせ、空を見上げた。
今晩観測出来る流星群は、極大期には1分に15個は見られるだろうという予報だ。しかし海岸に来てからこちら、悲しいかな微かな欠片たりとて流れてこない。そろそろ寒さも限界だ。
「流れ星、落ちてこーいっ」
癇癪を起こしたリノアが両手を振り上げた。スコールがぷはっと噴き出すと、リノアはぷっと頬を膨らませる。
「何よぅ、怒鳴るだけならタダじゃない」
「怒鳴ったって落ちてこないだろ……」
顔を抑え、くくくくく……とスコールは咽喉を鳴らす。その胸をリノアに叩かれ、けほけほと咳き込んだ。それでもまだ笑いが止まらないスコールは、小さなこぶしで叩き続けるリノアを抑えるべく、ぎゅうぎゅうと彼女を抱き締めた。
「早く落ちてくると良いのになぁ」
「絶対馬鹿にしてるでしょ、あなた」
「馬鹿にはしてないさ。早く落ちてきて欲しいのは俺も同じだ」
リノアの耳元で囁いて、スコールは握り締めた手の中の感触を確かめる。タイムリミットは後もう少し、さぁ早く落ちて来い、幸福運ぶ綺羅星よ!
その時。
「あっ!」
リノアが声を上げた。
一瞬遅れて振り仰いだ空に、すっと光の軌跡が刻まれる。それを皮切りに、音も無くラインが駆け巡った。
スコールの指先が、リノアの肩を離れてゆらりと宙を掻く。
「スコール、すごいね! 流れぼ……」
流れ星が沢山、と言おうとしたリノアの眼前で、ぱふ、とスコールが両手を合わせた。そのままスコールは硬直する。当然、リノアも固まったままだ。
「……スコール?」
「…………な、がれ星、捕まえた」
ポカンとするリノア。
待て、待て、待て。今彼は何をした? 何と言った? 思い返そうとすればするほど、笑いがこみ上げてきて仕方が無い。一体何をしているのだ、この可愛くて愛しい恋人は!
「だ、誰の入れ知恵よそれ……っ!」
「…………笑いたいならちゃんと笑え」
「いや、ううん、ふふ、ごめん。えぇと……特大の流れ星、捕まえてくれた?」
肩を震わせながらリノアが問うと、スコールはおずおずと両手を広げて見せる。
そこにあったのは、星明かりを頼りに微かに煌く星の欠片。
一瞬、リノアは本当に彼が流れ星を手に入れたのかと錯覚した。しかしよくよく見れば、幾つかの星の形をしたチャームが、緩やかな弧を描いて鏤められているネックレスだ。
「可愛いっ! ねぇライト貸して」
スコールはペンライトにかけていた赤いセロファンを外し、リノアへ差し出す。
掌の上で光を当てると、きらきら、きらきら。ぴかぴかに磨かれた金色の星に、鈍く光るように加工された銀色の星。しゃらしゃらとさざめくような煌きの中、大振りなひと粒だけ、蒼く透き通った星が絡まっている。リノアの目利きが正しければ、上質のアクアマリンだろう。リノアの、誕生石だ。
「これ、本当に可愛いな。スコールが作ってくれたの?」
「……下手で、ごめん」
「そんなの、気にならないよ。指輪貰ったときと同じくらい、嬉しい」
リノアはぎゅっとネックレスを握り締め、胸に押し当てて恋人を見上げる。目を潤ませた彼女に、ととっ、とスコールの胸が駆けた。それが何だか気恥ずかしくて、スコールは微笑もうとして失敗し、頭を掻く。リノアがくすくす笑った。
恥ずかし紛れにちら、と見た腕時計は、そろそろ真夜中だと告げている。
「もうすぐだな、3月3日」
「カウントダウン、いっちゃう?」
「はいはい」
リノアはうきうきしながら、スコールはやれやれと頭を振りながら、2人で1秒ずつ数えていく。
どきどきする。わくわくする。
明日は他人にとっては何てことも無い普通の日だ。だがスコールとリノアには、1年のうちで1、2を争う大切な日。
かちりと日付が変わるその瞬間、2人の影がぴったりと合わさった。優しく触れた唇は、温かな幸福の味がする。
「リノア……誕生日、おめでとう」
「ありがとう、スコール」
きらきら、きらきら、星屑が降り注ぐ。
祝福のごとき光のシャワーの中で、2人は長いこと、離れることはなかった。