仕事の都合で、下宿先ではなくバラム・ガーデンに宿泊したある日のこと。
目を醒ますと、リノアは部屋にいなかった。
別に昨日喧嘩したとか、そういうことはない。なのに置いてけぼり。訳がわからない。スコールは頭を掻き掻き、ゲストルームの寝室を出た。
「?」
朝食は用意してあった。そこには1枚のカードが添えてある。
『おはよう、スコール。
ちょっと用事があるので先に出ます。朝御飯食べてくださいね。 リノア』
「…………?」
スコールは首を傾げた。そりゃあ、こうやって用意してテーブルに置いてあれば食べるだろう。何故カードなど用意してあったのか。不可解に思いながらも、テーブルについてまだ温かいビスケットをかじる。
そこで、気付いた。
「何だ?」
皿の下にもカードがある。スコールはそっと皿を退け、俯せにされたカードをひっくり返す。
『御飯、美味しかった?
お皿を片付けたら、図書室へ行ってくださいね。 リノア』
「??」
何故図書室なのだろう。カードにこれ以上のヒントはなく、理解はさっぱり出来ない。だけど、宝探しのようで何だか楽しい。
スコールはいそいそと片付けをし、身支度を整えてガーデン探検に繰り出した。
「あ、こんにちは、スコールさん」
「こんにちは」
子供の頃からの癖で、挨拶を受けると反射的に挨拶を返す。リノアと仲の良い三つ編みの図書委員はくすりと微笑うと、カウンターの下の棚から何かを取り出した。
「来ると思ってました。リノアさんから聞いてましたよ。あの、よかったらこれ……」
それは、青いリボンがかけられたひらべったい直方体。文庫本らしい。
「お誕生日、おめでとうございます。これ、図書委員一同からです。ごめんなさい、気の利いた物用意できなくて……」
「あ、うん。……ありがとう。その、嬉しい」
言われて初めて今日が自分の誕生日だと気付き、スコールははにかむ。図書委員はにっこりと微笑んだ。
プレゼントにかけられたリボンには、カードが挟まっていた。スコールは小さく口許を緩め、カードをひっくり返す。リノアからの手紙だ。
『プレゼントは貰えたかな?
それでは、次は正門へ向かってください。 リノア』
読んだスコールは図書委員にひらひらと手を振り、正門へ向かっていった。
「あら、スコール」
「こんにちは、マンマ」
正門の花壇を手入れしていたのは、学園長夫人たるイデアだった。
「綺麗に咲きそろいましたね」
スコールは中腰で花壇を眺める。イデアはにっこりと微笑んだ。
「ありがとう、スコール。そう言ってもらえると、頑張って育てた甲斐があるわ」
「ひょっとして、ひまわりですか? 小さいですけど……」
「えぇ、園芸種なのよ。小さくて可愛いでしょう?」
黄色の小さな太陽達は、意外にも馥郁たる香を辺りに漂わせている。イデアは花が終わる前に幾らか摘み、ポプリにするつもりだ、と話した。
「良かったら、少し持って行かない?」
「良いんですか?」
「えぇ、勿論。気に入ってくれる人に貰ってもらえたら、花もきっと喜ぶわ。司令室にでも飾ってちょうだい」
イデアはそう言うと、見事に咲いた幾本かを見繕い、スコールに渡した。
「ありがとうございます」
「いいえ」
スコールは頭を下げると、イデアはにっこりと優しい笑みを更に深める。
「それと、これを」
「?」
イデアがエプロンのポケットから取り出したのは、鮮やかなシルバーのリボンが巻き付けられた平たいもの。
「お誕生日、おめでとう。また一歩、大人に近付いたわね」
「ありがとうございます。これは?」
「カードケースよ。シドの色違いでごめんなさいね、若い子のバースデープレゼントに、何を選んだら良いのかわからなくて……良かったら、使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
スコールははにかむように微笑む。イデアは感慨深げに青年を見回した。
ひまわりを抱いて笑む青年は、随分と背が高くなっていた。体付きも随分しっかりとして、大人の男性になりつつある。その姿が、イデアに眩しく見えた。
「いつまでも、可愛い小さな子だと思っていたのにねぇ……私も歳を取るはずだわ」
「何言ってるんですか。いつまでも若い綺麗なマンマでいてください」
「嫌だわ、上手になって! あぁ、そうだわ。リノアから伝言よ。司令室に来て、と言っていたわ」
「ありがとうございます。……あいつは一体どこにいるんだ?」
そのふて腐れた言い方がやっぱり子供で、イデアは思わず噴き出しそうになった。
それから、3時間ばかり。
スコールはティンバーの港に降り立っていた。
司令室でリノアを捕まえられると期待したのも束の間の話で、待ち受けていたのはキスティスとアーヴァインだった。キスティスは花と引き換えにティンバー行きの乗船チケットを、アーヴァインからはスーツケースを渡されて――中身は2泊分の衣服だった――、流石のスコールも不審を覚えた。しかし2人に問うたところで、返ってきたのはニヤニヤ笑いだけだ。
「ティンバーに行けばわかるからさ〜」
バラム港に向かう道すがら、アーヴァインは楽しそうにそうとだけ言う。こうなったらもうどうしようもない、後はなるようになるだけである。
いつもなら2人での道のりを、今日は一人きり。スコールは仕方なしに、図書委員からもらった文庫本を開いた。中身は自分では買わない作家のサスペンスだった。これがなかなか新鮮で、面白い。思わずのめり込んでしまい、さぁこれから本番だ、というところで船を降りなければいけなかったのが残念だと思うほどに!
そんなこんなでティンバー港に降り立ち、さてこれからどうしようと思ったら。
「おー、ホントに来たッス」
「よぅ、スコール」
出迎えた男2人に、スコールは思わず眉をひそめた。
黄色くペイントされた列車を背景に仁王立ちするのは、我らが「森のフクロウ」リーダー、ゾーンとその補佐のワッツだ。
(リノアじゃない……)
「アンタ思ってる以上に顔に出てるぞわかってるのか」
あからさまに落胆するスコールに、ゾーンは頬をひくつかせた。ワッツは苦笑いし、スコールのスーツケースを取り上げる。
「姫さまじゃなくて悪いッスね〜。オレ達、姫さまからスコールの連行を頼まれてるッス」
「だからさっさと乗ってくれ! すぐ発車だぞ」
あれよあれよと言う間に元アジト列車に乗せられ、今度は一体どこへ。全く、今日はとんでもない日だ。
それでも、贅沢な程のんびりとした時間は、ここ数日張り詰めきっていたスコールの心身を解してくれるようだった。
元々はリノアのものになっていた部屋は、こざっぱりとリフォームされて、なかなか心地好い空間になっていた。一人暮らしを始めるリノアにあれこれ運び出されて格好が付かなくなったからリフォームしたのだ、とゾーンは言っていたが、片隅に子供のおもちゃが置いてある辺り、この元アジト列車は観光用になりつつある様子が見て取れる。ティンバーの独立計画が、順調に進んでいる証だった。
いつしかうとうとしていたスコールがオーベール湖に到着したのは、正午を幾らか回った頃だった。ゾーン達はスコールに誕生日を祝う言葉と、リノアへ渡す荷物を持たせ、列車を降ろした。
列車を見送り、スコールは散策コースをあてどなく歩き出す。
湖にはすぐに辿り着いた。じんわりと暑いティンバーと比べ、オーベール湖周辺はやや涼しい。緑の匂いを思いっ切りに吸い込むと、胸の辺りがすぅっとした。
(気持ち良い……)
これでリノアがいてくれたら、言うことないのに。そう思うと、少し寂しい。
そこに。
「ウォン!」
犬の鳴き声に振り返るスコール。が、時既に遅し。声の主はふわふわの毛並みをなびかせ、スコールに飛び掛かってきた。
「おわっ!」
前足で腹を押され、スコールは見事に尻餅を突く。リノアへと言付かった荷物は頭の上に持ち上げて死守しただけ、僥倖と言えよう。
犬はスコールの腹を押さえて、得意げに吠えた。これだけ興奮していれば尻尾をぶんぶん振っていそうなものだが、しかしそれはない。それも当然、この犬――アンジェロには、尻尾がないからだ。
呆気に取られたスコールの口許を舐めに舐めるアンジェロ。その背のラインを辿ると……。
「あーもー、最後のサプライズ崩してくれちゃって〜……」
苦笑いするのは、朝から捜し求めていた最愛の人だった。
「リノア」
今日初めて見たリノアは、優しい笑みを浮かべてスコールに手を差し伸べている。
「ごめんねぇ、スコール。怪我してない?」
「怪我は……ないけど……あ、これゾーンから預かった……」
「あぁ、良かった。無事に出来上がったんだ? ありがとう」
差し出された荷物を受け取るリノア。スコールは逆の手に引っ張り起こされながら、その荷物を指差す。
「それ、揺らすなとか横にするなとか散々言われたけど、一体何だ?」
「それはお昼ご飯を食べてからのお・た・の・し・み♪」
きょとんとするスコールの唇をちょんと突付き、リノアは顔を寄せた。
一瞬、風が止まる。
ゼロ距離からそっと離れると、青年の口許がきゅっと結ばれる。リノアはいとおしげに頬を撫で、嬉しそうに微笑んだ。
「お誕生日、おめでとう」
スコールの口許が曖昧に緩む。笑みを象ろうとした唇は、不意にわざとらしい拗ねた形になった。
「それ、今日一番最初に聞きたかった」
「休暇終わるまで何度でも言ってあげるから、それで許してちょうだいよ」
「どうしようかな……というか、休暇? いつまでだ?」
「やだ、キスティに聞いてないの? 明後日までこっちにお泊りよ」
「聞いてないし……」
憮然とするスコールの手を、くすくす笑いながらリノアが引く。
「じゃあ、これから2人っきりのお誕生日会をしよう。美味しいもの食べて、楽しいこといっぱいしようね」
あどけなく飾り気の無いリノアの言葉に、スコールは今度こそ甘い笑みを浮かべる。
贅沢な、贅沢すぎる時間の、始まりだった。