やっと、帰還出来た。サイファーは駐車場に車両を押し込め、漸く息をついた。
初の、単身派遣だった。今までは指導SeeDのスコールやキスティスがパートナーとして共に行動していたが、これからは「所用」と呼ばれるもの――3人一組のパーティーを組まない極小規模な任務を指す。大抵は荷物運びのような簡単なもので、本人達への報酬は駄賃程度――は単身で任される。誰にもサポートしてもらえない、フォローしてもらえないというのは……かなり、怖い。豪放磊落なサイファーをして怖いと感じるのだから、皆もきっとそうだろう。
司令室での報告を済ませたサイファーは、とにかく身体を休めようと自室へ向かう。風神を構うのはそれからで良いだろう……。
そこで、ふと鞄に押し込んでいたもののことを思い出した。
予定変更。サイファーは自室とは真逆の方向へ向かっていった。
「よぉ」
「…………」
襲撃を受けたスコールは、サイファーを見て何とも言えない顔をした。
「……アーヴァインといいお前といい、溜まり場か俺の部屋は……つぅか、お前荷物くらい置いてから来いよ……」
そうは言いながらも招き入れるスコール。サイファーは靴を揃えてからリビングスペースへ足を踏み入れた。ちなみに、今彼が丁寧に靴を揃えたのは、ある意味躾の賜物だ。少し前、男子学生の常として靴を揃えないまま上がったところ、スコールの容赦ない蹴りを臑に喰らったのだ。以来、スコールの目の届くタイミングくらいは靴を揃えるようにしている。廊下を突っ走る奴だが、こういうことには細かいのがスコールなのだ。
リビングスペースでは、アーヴァインとゼルがミニテーブルを囲んでいた。
「よ、お帰り〜。初の『1人でお使い』、どうだった〜?」
「どうもこうも、簡単過ぎて屁が出るぜ」
「品がない!」
どっかと座ったサイファーの後頭部に、スコールの膝蹴りが飛ぶ。
「いでぇっ!」
「それと手洗いうがいをやってこい! 帰って速攻来たんだろ、俺の部屋にバイキン持ち込むな!」
「オカンか、てめぇはよっ」
ぎゃあぎゃあ言い合う2人に、ゼルとアーヴァインは大爆笑。
「お、オカン……!」
「やべ笑い死ぬ……っ」
酒の入った10代は、普段に輪をかけて笑いのツボがでかい。これは見事クリーンヒットを決めたらしい。2人はぶすくれたサイファーが戻ってきても、暫くの間笑っていた。
「ち、何だよてめえら、せっかくレア物の土産買ってきてやったっつーのによぉ」
この一言には一同驚愕した。3人の視線が自分に突き刺さり、サイファーはじり、と尻で後退る。
「え、何。何々?」
「だあぁ、寄ってくんなナンパ野郎!」
にじにじと寄ってくるアーヴァインの頭を手で押さえながら、サイファーは鞄を掻き回して長細い包みを取り出す。その頃にはスコールもグラスと氷の追加を手に戻ってきていた。
「見て驚け」
サイファーは人の悪い笑みを浮かべ、包みをゆっくりと開く。
「ミメット? レア物かこれ?」
ゼルはあからさまにがっかりした顔を見せた。
「俺がただのミメットを土産にすると思うのかよ?」
そう言うと、サイファーはとんとんとラベルを叩いてみせる。仕込みの年が書いてあるのがお約束だが……。
「……あ〜っ! 僕らの生まれ年じゃないかこれ!」
「マジで!?」
がばっと身を乗り出す3人。
「な、レア物だろ?」
サイファーは胸を張った。
ミメットは果実から作る甘い酒で、原料となる果実がどれ程の出来だったかが最終的な味を決める、と言われている。
スコール達が生まれた年はちょうどその当たり年だったのだが、悲しいかな戦時下では酒などという嗜好品を作るよりはジャムを作るか蜜漬けかという風潮であったから、仕込んだ量が少なかったらしい。現在、熟成期間を終えてミメットとして世に出回った数は少なく、手の平に乗るような小瓶でも500ギルを下らないと聞く。
そんな希少品が目の前にある。簡単に信じられるものではない。
「……まさかモグリ?」
「アホか、バラムでモグリが幅を効かせられると思ってんのかよ。正規店で買ったっつの」
「高かったろ……」
「でもよぉ、オツカイとはいえせっかくの『お一人様』記念をしみったれた安酒で祝杯とか嫌じゃねぇか?」
「あ、気持ちはわかる」
そんな会話をしながら、スコール達はいそいそと各自のグラスに注ぎ分けた。
SeeDなどという仕事にでも就いていなければ、こんな高級な酒は滅多に手に入らない。
だがそれは、自身の生命の対価だ。
第三次大戦が終わり、スコールがバラム・ガーデンの筆頭SeeDとしてその若い――幼い、とも言うべき――姿を依頼者に見せた時、暗殺などの極度に危険な依頼は寄せられなくなった。それでもスコール達SeeDは、一般人より危険なことには変わりない。高額な依頼料は彼らSeeDへの保険金代わりであり、そしてガーデンに住む子供達の養育費でもある。危険度が多少下がっても設定報酬が高額なままなのは、主にこの2点に因る。
だからこそ彼らは、仲間と共有する享楽の為には惜しみなく金を使った。傭兵の捨て鉢な諦観からではなく、幼く理解しがたい金銭感覚からではなく、ガーデンという家に住む家族に与える楽しみの為に。それは例えばより幼い子供達を遠足に連れていくことだったりするし、例えばこんなふうに、互いの無事を祝う祝杯だったりする。
「では」
「我らが『兄弟』の無事を祝して」
「そして独り立ちを祝して」
「乾杯!」
かぁん! と高らかな音が響く。
そして。
「…………っ!」
「――っんまぁ! 何だこれ!」
「これは美味しいね〜。僕にはちょっと甘いけど」
興奮する4人。
「おいスコール、どうだ? 甘党のお前にゃイイ酒だろ」
サイファーの問いにスコールは頷いた。彼は先刻から無言ではあるが、とても満足そうだ。
「正しく、幸福の味……」
「大袈裟な〜」
アーヴァインがスコールの肩を叩くと、皆が爆笑する。ひとしきり笑った後、サイファーは瓶を取り上げた。
「おいスコール、残りはお前、リノアと呑め! あいつ甘い酒大好きだから、酔わせて好きにやっちまえよ」
「うっわ、風紀委員にあるまじき台詞」
「いーんだよ、だってこいつらカップルだろー」
「だぁ、いてぇよ」
頭をがっちり捕らえられたスコールは、サイファーにこめかみをぐりぐり弄られて迷惑そうな顔をしていた。
「初任務、かぁ……」
グラスをゆらゆらとさせながら、スコールはぽつりと呟いた。
「祝杯挙げてないな、って思ってたら……俺の『初めて』は終わってないなぁ、そういえば」
その言葉にアーヴァインとサイファーはきょとんとしたが、ゼルは思い出したようにげんなりとした顔になった。
「……そういや、そうだよな……」
「出せば必ず仕上げて帰ってくるとまで謳われる筆頭SeeDが? 初回何だったの?」
興味津々のアーヴァインの問いに、スコールとゼルは目線を合わせた。
「……ティンバーのレジスタンス『森のフクロウ』の手伝い」
「そーいやお前ら、あれがお初なんだったっけか」
サイファーも思い出したあの一件は、何というか、全ての始まりだったような気がしなくもない。
「あれ、期限いつまで?」
「ティンバー独立まで……」
スコールがそう答えると、サイファーとアーヴァインはそっと涙を拭う仕種をした。
ゼルはツマミを口に放り込み、スコールへ振り向いた。
「あれ、目処ついてたっけ?」
「全く! ついてないな」
スコールはわざとらしく強調して言い、グラスを思いっ切り煽った。
「大体なぁ、あんなちまい、しかも未成年ばっかりのレジスタンスが大国に盾突くとか、無謀にも程があるだろ。逃げるのは上手いとか言ってたけど、あれは絶対、わざと逃がされてるぞ。ガ軍の奴らに」
「まぁ、『森のフクロウ』はな……」
サイファーは苦笑した。時折ティンバーに赴く身としては、あのレジスタンスがどんな扱いを受けているのかは大体知っている。
本人達は至極大真面目に反政府活動をしているつもりなのだが……如何せん子供の立てる計画だ、穴の突きようはいくらでもある。だが致命的な事態を奇跡的に避けている、というのは、彼らだけの力で到底出来ることではないだろう。
アーヴァイン曰く「人材に恵まれない」ガルバディア軍とて、率いる人物が明晰ならばそれなりに人道を行く。話の口振りから考えて、ティンバーを直轄しているのはカーウェイ大佐――現在はガルバディア軍臨時元帥となっている――と見て間違いない。彼のことだ、軍の手前娘の躾の手前厳しいことを言ってはいるが、孤児達で構成された「森のフクロウ」には多分に目をかけているだろう。まして娘が転がり込んでいるなら尚更だ。
(そういや、夏の頃だったな……)
サイファーがリノアと出遇ったのは、17歳の夏休みだった。明らかに人気のない路地の入口で、彼女がティンバーでも札付きの不良共に絡まれているところに行き会った。
事が治まってへたり込んだリノアは、成程構いたくなるような少女だった。濡れ羽色の髪にぬばたまの瞳、肌は肌目細やかで真っ白な、薔薇色の唇が艶やかなのがやけに目立つ、美少女だった。今よりも幼い大きな瞳が、サイファーの姿を映して輝いていた。
彼女と数度、町を散策した。当初サイファーの方はそんなつもりなどなかったのだが、リノアは可愛らしい笑顔で「デート、楽しいね」と言っていた。そんな風にされれば誰だってほだされるものだろう。
だがリノアは恋に恋するお姫様だった。「付き合うか」とサイファーが問うた時、リノアは微妙な顔をしたのだ。彼女の基準には、自分は至っていなかったらしい。それきり、デートをするようなことはなくなった。
それが何とまぁ、目の前の幼馴染が見事射止めてしまったらしい。周りの奴らに言わせれば射止められたのはむしろスコールらしいが。
「……ティンバーって、どうなっちまうだろうな」
サイファーはぼそりと呟いた。それを聞き付けた「兄弟」達は、ちらりとサイファーへ視線を寄越す。
「何とかなるんじゃねぇの? 責任者、カーウェイ氏だろ?」
「甘いねぇ、ゼル。簡単には手放さないでしょ。ティンバーで出るアルカイックガスは貴重な資源だよ?」
「でもカーウェイ氏は、責任取ってくれるつもりらしいけどな……」
「根拠は?」
「まだオフレコ。解禁まで黙ってられるか?」
スコールは両手を広げてみせた。3人はそれぞれに彼の手を叩き、承知の意を示す。
「2月末に国際会議開くってことになっただろ? ほら、この間ミーティングで話した……」
「あれか、センセイがB班引っ張ってくってなった奴か」
「そうそう。つかお前、いつまでキスティスのこと先生呼び?」
「今更『キスティス』なんて呼べるかっつーの! んで?」
サイファーがせっつくと、スコールは身を屈めた。自然皆も頭を寄せ、密談の様相を呈する。
「ガルバディア内閣府は、ティンバーを手放す準備を始めてるらしい」
「マジで!?」
ゼルが歓喜の声を上げると、サイファーが「うるせぇチキン野郎!」とその後ろ頭を殴った。アーヴァインは驚いて少しだけ身を引く。
「いってぇ! サイファーてめぇっ」
「ちょ、2人共抑えて抑えて! 今夜中!」
そのまま喧嘩を始めそうになる2人を宥めながら、アーヴァインは「で?」と続きを促す。
「とりあえず、国際会議で各国との国交正常化する代わりの交換条件、ということで自治を認めて、で、独立までの道筋を決めるんだとさ」
「ったくよー、まだるっこしいな!」
サイファーが不満げに鼻を鳴らした。アーヴァインは苦笑する。
「それが政治ってもんでしょ〜」
気持ちはわかるけどね、と呟きながら、アーヴァインは空になったグラスにペリエを注いだ。それを見たゼルが、頭をさすりながら首を傾げる。
「もう終わりかよ? アーヴァイン」
「流石に飲み過ぎたー」
へらっと笑うアーヴァインは、あまり普段と変わっているようには見えない。だが本人がそう言うのだから、多分そうなのだろう。
突如、スコールが無言でのそりと立ち上がった。
「な、何だよお前急に」
「明日の準備忘れてた」
言うなりスコールはクローゼットを開ける。
「って、何。あんた明日
後ろ向きに身を乗り出すアーヴァイン。スコールは頷きながら何かを引っ張り出した。サイファーは目を剥いて腰を浮かせる。
「……って待ておいこら、『準備』ってリノアの準備かっ!?」
クローゼットから出てきたのは、可愛らしいワンピースだった。ゼルはそっと視線を外す。見たことのあるワンピースだ。バラムタウンの街角で、マネキンが着ていた。この間キスティスと見た。
アーヴァインはけらけら笑う。
「可愛い服だね〜。いつ買ったのそれ?」
「この間の仕事の帰り。リノアのやつ、服買わないからさ……」
アーヴァインはますます笑う。
先日、女の子達がこんな話をしていたのを聞いたのだ。
『リノア、その服可愛いね〜。どこで買ったの?』
『うーん、どこだろ?』
『貴女、自分が着てる服の出所知らないの?』
『だって、スコールがお土産に買ってきたんだもの』
『スコールが?』
『うん。最近ね、任務行った先で色々買ってきてくれるの。素敵なものばかり! ただ、量がね……』
『量?』
『うん。買ってきてもらったものばかりであっという間にクローゼット埋まっちゃって、スコールのところに間借りしてるくらいなの。前はお菓子を大量に買ってきてた』
『あー、何か光景が浮かぶ……いいんちょ、そういうのの量の加減下手っぽい』
『スコールは、何やらせても全力だからね……きっと貴女を喜ばせたい一心なんでしょうねぇ』
『だから最近は、下着くらいしか買うものがないんだよね』
『あら、そうなの? あ、ねぇリノア、貴女が利用してるお店で、オススメのランジェリーショップないかしら?』
『リノアあたしにも〜』
『んー、そうだねぇ……』
その辺りでアーヴァインは気配を消して退散した(ランジェリー関係の話を聞かれたなんて知れたら、彼女達にぶっ飛ばされそうだ)。テイクアウトを中庭で食しながらアーヴァインはしみじみと思ったのだ――あぁ、何と微笑ましいカップル! 出先でいつも悩んでいるなと思っていたら、愛する恋人へのプレゼントを考えていたとは。
スコールがアーヴァインの頭を爪先で小突いた。
「何するんだよ〜」
「お前らいい加減帰れ。ゴミは持ち帰れよ」
「はーいはいはい、退散しますよ〜」
くつくつ笑いながら、アーヴァインは腰を上げる。未だに固まっているサイファーを責っ付き、もう1缶開けようとしていたゼルから酎ハイを取り上げ、てきぱき片付けた。後は恋人達の時間だ。これ以上お邪魔しては馬に蹴られるというものだ。
野郎3人はそそくさと退散した。
翌日。
「昨日はまた随分長く呑んでたみたいだねぇ」
朝食の席に着いて大欠伸をしたスコールに、スープを差し出してリノアが苦笑した。スコールは目を擦りながら恥ずかしげに口元を緩ませる。
「だってあいつら、急に来るから……準備万端じゃ断れないし……」
「もぅ、お人好し」
背中を叩きたいところだが、生憎とリノアの手にはオムレツの載ったディッシュで塞がれている。代わりに肩でぐいと押すと、スコールはよろりとよろめいてからディッシュを受け取った。
「あんまり深酒はしないのよ?」
「出来るだけ控える努力はします」
敬礼するスコール。リノアは「努力ねぇ」と疑わしげな視線を向ける。
程なく、2人は同時に噴き出した。
「さぁ、食べよう」
「うん。あ、そうだ。選んでもらった服、可愛いね。ありがとう」
「気に入ってもらえて何より」
幸せな1日が、今日も始まる。