花待つ君に贈る

〜Happy Birthday, Rinoa!!〜


 リノアの誕生日というのは、母の亡くなった日と大体重なる。だからリノアは2月の末から3月の頭頃までは、スコールを伴いガルバディアへ赴くのがここ数年の慣わしとなっていた。
 しかし今年は折悪しくSeeD達の手が足りず、司令官たるスコールも出ることになったらしい。

『ごめん、リノア。ちょっと手が放せない用事があって……ガルバディア、先に行っててくれないか?』

 それ自体は別に問題はない。スコールが母の為のセレモニーに付き合ってくれているのはあくまでも好意からだ。父も快く頷いてくれた(彼は元々、スコールに『付き合わせる』のは申し訳ないと思っている様子だから、渡りに船だったようだ。ハーティリー家の古風な御祖母様は、今時の若者であるスコールと相性が悪いのだ)。
 リノアはセレモニーの後、スコールが予約を入れてくれていたレストランへ向かった。フロントで名前を言うと、丁重に夜景の美しい窓際のテーブルへと案内された。
 春まだ浅き、弥生の夜。
 晴れの日が滅多にないガルバディアでは、つい昨日まで名残雪がちらちらと降っていた。
(スコール、大丈夫かな……)
 暖かなバラムで育った彼には、このガルバディアの寒さは辛いだろう。年に何度も来ると言ったって、馴れるものではないはずだ。
「お待たせ致しました、レディ」
 外の景色に見入っていたリノアは、慌てて姿勢を正した。ウェイターらしき年嵩の男は微笑み、カクテルグラスをサーブした。
「食前酒をお持ちしました」
「あ……ごめんなさい、連れがまだ……」
「レオンハート様から、予定の時間から30分を過ぎても到着しなければ、奥様へ先に食前酒を、と伺っておりますので」
「あ、す、すみません本当に!」
 頬を赤らめ頭を下げるリノアに、男は微笑ましげに笑みを深めた。
 不思議な印象を持つ女性だった。先程、窓の外を眺める姿は、姿勢の良さも相まって何れかの――例えば、ドール辺りの――貴婦人かと思った。だが今の様子はどうだ? 社交界に出る前の少女と言っても通りそうな初々しさだ。少し濃く引かれた紅が、やけに映える。
「レディ・レオンハート。つかぬ事をお伺い致しますが……」
「『レオンハート』? ……あ、やだ、スコールったら」
「『スコール』?」
 男の片眉が上がった。
「レディ、ご主人は『スコール・レオンハート』とおっしゃるのですか。ひょっとして、バラム・ガーデンにいらっしゃる?」
「え……主人をご存知で?」
 リノアは目を丸くする。男は嬉しそうにゆっくりと頷いてみせた。
「私もね、かつてはバラムに暮らしていたのですよ。13年程前の話でしょうか……ひと夏の間、私の家に居たんですよ」

 バラム・ガーデンでは、親や親戚のいない子供達の為に、「サマーステイ」という制度を設けている。要するに、バラムタウンの人々と協力しての擬似的な里帰り制度だ。
 ジュニアクラスのスコールは、とある小さなレストランを経営している夫婦の元に来た。一人娘が大学に進学する為家を出たところだそうで、娘がいない夏休みがどうにも寂しかったのだという。
「ですけれどね、私達は彼に何を求めた訳ではなく、ただ違う環境でゆっくりとして欲しかっただけなんですよ」
 だがスコールの方は落ち着きなく、宿題を済ませると庭を探索してみたり、虫を探してクヌギの木を見回してみたり、店の前でアサガオの花を覗き込んでみたり、と毎日何かをしていた。恐らく、普段から緊張を強いられていたはずだから、何かをしていないといけない、と思っていたのだろう。男の目に、その姿はあまりにも哀れに映った。
「そんな時ね、ふと店のキッチンから外を見たんです」
 陽光がふと陰ったような気がして、たまたま、窓の外を見た。そこには、まだ幼い、好奇心たっぷりの蒼い瞳があって、すぐ側の妻の手元を覗き込んでいたのだ。クリームをたっぷりと使った、イチゴのショートケーキを作っているところだった。
『ケーキは好きかい?』
 声をかけられたスコールは見咎められたと思ったのだろう。慌てて頭を引っ込めようとして、後ろに転んでしまった。男が慌てて向かうと、スコールは座り込んだまま――多分、ばつが悪くて動けなくなっていたのだろう――、肩をすぼめて男を睨むように見ていた。男は手を差し出しスコールを立たせると、服の埃を払い、手を洗わせてからキッチンに入れた。妻もギャラリーが出来たことが楽しかったのだろう、ケーキを作る手も弾み、果物を冷蔵庫から出してきてくれたお駄賃に、と、スコールの小さい口に大きな赤いイチゴを入れたのだった。

「結局、サマーステイ制度に参加したのはその時きりでしたが……あの夏は、楽しかったですねぇ。そうか、あの小さかった子が、こんなにも美しいご婦人と結婚したのですね」
 裏表のない賞賛を含んだ言葉に、リノアはますます顔を赤らめて小さくなる。
 その時、ちりりん、とドアベルが鳴った。男はそちらをちらと見遣り、笑みを深めた。
「どうやら、ご主人がご到着になられたようですね。では、私はこれで」
「あ、はい。……お話、ありがとうございました」
 リノアが頭を下げると、男も折り目正しく一礼してその場を去っていった。
 程なく、背の高い青年が姿を現す。ほんの少しだが息が上がっていて、さも「急いで来ました」といった風だ。ウェイターに案内される彼は、スーツ姿が何とも似合っていた。
「……ごめん、遅くなった」
「ホントにね。……なんて。お疲れ様、そんなに急いでくれなくても良かったのに」
 わざとらしく頬を膨らませた後、悪戯っぽく微笑むリノア。
 スコールは肩を竦めると、リノアのサイドに用意された席に着いた。これはこの店のこだわりらしく、未婚のカップルは対面に、夫婦は隣同士に席を据えるそうだ。予約を取る時にわざわざ断りを入れた上で確認され、気恥ずかしい思いをした。
 絶妙のタイミングでメニューと、スコールの分の食前酒が届く。スコールはメニューを取ると、1冊をリノアへ差し出した。
「どうする?」
「どうしよっかな」
 宵はまだ浅い。2人は適当なコース料理を選択し、ゆっくりと時を楽しむことにした。時間なんて、いくらかかっても構わない。今は2人だけの時間だ。
 前菜に添えられた果実酒は、少しの刺激と柔らかな幸福感をもたらした。他の客から見えないことを良いことに、スコールはリノアの口へチーズキューブを放り込み、彼女のフォークに刺さっている真っ赤に熟したトマトを奪う。リノアが笑いながら軽く小突き、スコールはおどける様に身を捩って逃げた。
 かつてなら、食事中にこんな戯れはしなかっただろう。幼い頃、スコールにとって食事とは栄養を摂る為の「儀式」であった。それを楽しもうなどとは思ったことはなかったのだ。そんな自分ををこれ程までに変化させてしまったのだから、つくづくリノアはすごいと思う。
 あぁ、幸福だ。
 そう思うと同時、時折見る夢の情景がふと浮かんできた。手にしたナイフと、ある物の姿が重なる。
「スコール?」
 表情の変化を見咎めたリノアが首を傾げた。スコールはさりげなく目を閉じ頭を振るが、何でもお見通しの愛妻には通じない。リノアは真面目な顔で更に首を傾け、スコールに白状を促した。
「……昔、から、時々見る夢があるんだ」
 白い世界、薄曇りの夜空から雪が降る。その世界の中で、ガンブレードを胸に突き立てられた自分はゆっくりと冷えていくのを待っている――。
「その夢から醒める時は、いつも思う。あれは夢か、それともこちらこそが夢か……と」
「…………っ」
 リノアは息を呑み、唇を噛んだ。スコールは眉をひそめて苦笑する。
「別に、この現実を信じてない訳じゃない。そうじゃなくて……何て言ったら良いのかな。『どちらでも構わない』、かな?」
「どちらでも……」
「あぁ、いや、変な意味じゃなくて。ほら、夢って日常生活の記憶から出来上がるって言うじゃないか。だから、もしこれが夢だったとしても、最期の最期にそんな夢を見れるなら、少なくともその少し前まではこんなふうに幸福だったはずだから……」
 スコールは柔らかく微笑むと、妻の肩を抱き寄せた。リノアが涙を堪えながら夫の首筋に額を寄せると、スコールはそっと彼女の肩を叩く。
「……ごめん。誕生日にするような話じゃなかったな」
「ううん……」
 リノアは小さく頭を降ると、スコールの手を自らの手を重ねた。
「もしそうであったとしても、スコール……わたしは最期まで、あなたと一緒よ」
「あぁ、知ってる」
 静かながら自信たっぷりの彼の言葉に、一瞬の間を置いてリノアは小さく噴き出した。「もぅ、あなたってば」
 相変わらず、最後まではシリアスにさせてはくれない人だ。スコールはにやりと微笑うと、スーツの胸元に手を差し入れた。リノアは期待を込めた目でその手の動きを追う。
 取り出されたのは、リボンがかけられた細身の箱だった。
「遅ればせながら……Happy birthday, My sweetheart.」
 差し出されたそれを、リノアは笑顔で受け取る。開けて良いかと目で問うと、スコールは小さく頷いた。いそいそと箱を開けてみると、リノアの目が、驚きに丸くなる。
 そこには、甘く光る宝珠が真白き華を象り、銀の糸でもってベルベットのリボンに飾り付けられたチョーカーが、青いサテンに包まれて鎮座ましましていた。高級そうな見た目だが、箱は簡素で店の銘はない。間違いない、これは一点物だ。
 リノアの唇が、甘い弧を描く。
「『仕事』だなんて嘘ばっかり。本当は、これにかかりきりで一緒に来れなかったんでしょ」
「いや、『用事』とは言ったけど『仕事』とは言ってないぞ」
「まーた屁理屈を」
 そっぽを向く夫の姿に、くすくすと零れる幸福な笑み。
 あぁ、何て愛しい人だろう。忙しい日常の中で、自分に隠れてこんな素敵な贈り物を用意してくれるなんて。きっと随分前から計画していたに違いない。
「ありがとう、スコール。とても素敵よ。大変だったでしょう?」
 リノアが目を潤ませてスコールを見つめると、スコールは気恥ずかしげに唇を引き結んだ。
「1人でやったんじゃない。皆、いろいろ手伝ってくれたんだ。俺だけじゃ作れなかった」
「でもわたしの為に作ってくれたのはあなたでしょう? 他でもない、あなたが」
 リノアはそれまで付けていたネックレスを外し、早速とチョーカーを首に巻き付けた。「似合う?」と彼女が問うと、スコールはほんのりと目元を染めて俯く。
「何か……恥ずかしいな。こう、自分が作ったものを身に着けてもらって、それについて『似合う』って言うの……」
「生涯2度目の癖に何を今更」
 リノアは愉快そうに笑うと、夫の方へ手をかけうんと伸び上がってキスをした。
 こうして幸せは増えていくのだろう、そう実感しながら。

 ゆったりとした幸福な晩餐を終え、2人は夜更けのシティを寄り添って歩いていた。
 ショーウィンドゥの余計な明かりは全て消え、しん、と静まり返った世界。たった2人だけのような、そんな錯覚を覚える。
「そういえば、スコール」
「ん?」
「あそこが元々バラムのお店だって、知ってた?」
「あぁ」
 スコールにあっさりと頷かれ、リノアは拍子抜けする。
「何だ、知ってたの?」
「予約を入れるときにサイトを見たからな。そこで沿革読んだ」
「ちぇ、素敵な話をしてあげようと思ったのに」
 リノアが唇を尖らせると、スコールは愉快そうに喉を鳴らした。
「素敵な話? どんな?」
「だめでーす。教えませーん」
「けち」
 そんな他愛も無い言い合いが、どこまでも愛おしい。
 ふわり、と何かが視界を掠めた。
「?」
 足を止めて目を上げると、街灯の暖かな光の中に、ふわりふわりと白いものが舞っている。リノアは自然と手を上げ、それを受け止める。針でつつかれたような儚い冷たさに、リノアははっと目を丸くする。
「雪だ……」
「今年最後の雪だな」
 スコールはリノアの手をそっと包んで温めながら、自身のマフラーを彼女にかけてやる。
「もう行こう。お義父さんが首を長くして待ってるぞ」
「そうね、帰りましょ」
 2人は微笑みあい、歩き出した。

 何度、こんな風に春を迎えただろう。
 何度、こんな風に春を迎えるのだろう。
 貴女に贈る花が咲く季節まで、あと少し。

 Happy Birthday, Rinoa!!




End.