リノアは、優しい目でスコールを見ていた。
スコールは少しだけ居心地が悪い。
そりゃあそうだろう。何せリノアは、スコールが物を食べている様子をじっと見守っているのだから。
最初は、復帰したスコールがあまりにも食べないのをリノアが見咎めたことだった。
「朝ご飯、それだけ?」
食堂で、ジャムを塗り付けたトースト二枚とサラダだけという簡素過ぎるトレイを見て、リノアはとても驚いた。
「……朝は食欲、ないんだ」
「え〜? ダメだよちゃんと食べなきゃ。ガーデンのご飯美味しいのに、勿体ない」
「リノアには関係ない」
間髪入れずに返ってきたスコールの一言に、不愉快そうに唇を尖らせるリノア。
「関係ありますー。付き合ってる彼氏がご飯食べないなんて心配でーす」
(……『付き合ってる』?)
スコールはふと、その言葉に違和感を覚えた。
普通、男女間の所謂「付き合い」は、どちらかの「付き合ってください」的な告白から始まるものではないだろうか、とスコールは思う。スコールは勿論言ってないし、リノアから聞いたこともない。
「ねぇスコール、フルーツも食べられない? このフルーツのヨーグルト和え、食べたことある?」
「な、い、けど」
「じゃあ食べてみて! 美味しいんだよ〜。わたし、これ気に入っちゃったな」
「え、でも、これリノアのじゃ……」
「もう一度もらってくるから大丈夫! あと、オススメはね〜……」
気圧されたスコールは、あれよあれよと言う間にフルーツのヨーグルト和えを食することとなった。
まぁ、概ねこんな調子で、朝のスコールのトレイにリノアのオススメの一品が増えるようになったのである。
それから、いくらか経って――。
所謂「オツキアイ」を始めた2人は、スコールの部屋でのんびりとしている時間が長い。スコールは彼女と過ごす時間の為、ソファの購入を検討していたりする。
「ね、ね、スコール」
「ん?」
ある時、リノアは目をきらきらさせてスコールに忍び寄ってきた。
「スコール、食べ物は何が好きですか?」
スコールはきょとんとした。何故急にそんなことを訊くのだろう? 疑問に思いながら、スコールは考える。
好きな食べ物? そう言われても、ぱっとは思い付かない。
実を言えば、スコールは食の喜びにはとんと疎い。味覚が鈍いらしく、前々から甘いもの以外は殆どわからなかった。故に、アレルギーでもない限り何だって口にしてしまう。サバイバルにはさっぱり向かないため――普通毒は苦味として、腐敗は酸味として表れるものだが、これが彼には殆ど分からない――、本人としてはどうにか対処したい「悪癖」だった。
「…………何でも食べるけど」
「そういうことじゃないのよ〜」
リノアはオーバーアクション気味にがっくり項垂れた。
「『好きなもの』を聞きたいの。『食べられるもの』を聞きたい訳じゃないの。オーケー?」
「?」
首を傾げるスコール。彼女がどうしてそんなことを訊きたがるのか、全くわからない。
「ええと、ね? スコール、あんまり食べないじゃない。だからスコールがもう少し食べてくれるように、スコールの好きなものを作ってあげたいな、って思ったの」
「……って、リノア料理なんて出来るのか?」
リノアの目が不機嫌そうな半眼になった。ということは、自分は今ものすごく嫌そうな顔をしたに違いない、とスコールは思う。
「…………わかった。もう訊かない」
地を這うような低い声。
どうも何か対処を間違えたらしい――そうスコールが認識したときには、リノアはびしっと彼の鼻先に指を突き付けていた。
「見てなさい、目に物言わせてやるから!」
あれよあれよという間に、宣戦布告されてしまったスコールであった。
その翌日から、リノアの攻撃が始まった。
「スコール、プリン食べなーい?」
「ピラフ、作ってみたんだけど。初めてだからどうかな……」
「今日は鮭のクリームソーススパゲッティでーす。ごめん、ソースちょっと焦げちゃった」
「オムライスだよん。中身は見てのお楽しみ〜♪」
スコールは唖然とした。
リノアは、思ったより料理が上手い。バターライスのオムライスを口に運びながら、スコールはじぃっと皿を見つめていた。
「どう? スコール。気に入ってくれた?」
リノアに声をかけられ、スコールは小さく頷く。
不思議と、「もっと食べたい」と感じた。
実を言えば、見目は悪い。バターライスも玉葱が焦げ、卵の衣も破れがちだ。でも、美味しい。
殆どを食べ尽くしてちらと目線を上げると、リノアは優しい目でスコールを見守っていた。
目が合うと、微笑んで。
思わずどきっとしたスコールは、慌てて俯くと最後のひと匙を掻き込んだ。
「ご、ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
そそくさとリビングの方へ逃げるスコール。リノアはくすくす笑いながらも好きにさせた。これからもうひとつ作戦があるのだ。
一方、スコールは心なし膨れた腹を撫で摩り、ソファに寝転がって考えていた。
(どうして、『もっと食べたい』と思ったんだろう)
リノアはキッチンを片付け、何やら悪戦苦闘している。その微かな音はスコールには聞き慣れない音で、何だか妙にどきどきした。何をしている音なんだろう? 自分の生活空間に誰かがいるときって、皆こんな感じなんだろうか。
そこで、スコールはふと思い至った。
(そういえば俺、『ご馳走』って初めて食べたかも)
自分の為だけに走り回って作られた料理を、初めて見た気がする。
料理は見た目が命、とか、味付けが重要、とかいろいろと聞く。だがリノアのそれは、焦げていたりだとか、味付けがぼんやりしていたりだとか、あまりよろしくない。
それでも、スコールにとっては滋味だった。
「す・こ・ぉ・る・さん♪」
トレイを捧げ持ち、リノアが満面の笑みを湛えてリビングスペースへやってきた。
「お待たせ、デザートタイムだよん」
至れり尽くせりである。のそりとスコールが起き上がるのに合わせ、リノアはミニテーブルにトレイを置いた。
「イチゴショートとガトーショコラ、どっちか好きなの選んで」
「リノアは?」
「ん? んー、イチゴかな。ふふ……正直、どっちも食べたい」
スコールは小さく笑うと、ガトーショコラを取り上げた。リノアは一緒に持ってきたポットを傾け、紅茶を注ぐ。スコールは内心、怯んだ。
「はい、お待たせ」
リノアはカップをスコールへ渡す。
紅茶だ。桃の香りがするが、間違いなく紅茶だ。
「スコール? どした?」
「あ……いや……」
スコールはそれを覗き込み、途方に暮れた。彼女をがっかりさせたくない。だけど、紅茶は大の苦手なのだ。あぁ、でも……。
スコールは申し訳なさそうに眉根を寄せ、リノアを見た。
「……ごめん、あの……紅茶、得意じゃないんだ」
「え、あ、ホント?! うわー、先に聞いとけば良かった!」
リノアの慌てること、慌てること。やっぱり言うんじゃなかった、とスコールはひどく後悔した。
「ごめんね、すぐに容れ直すよ」
「いや、良いよ。せっかく容れてもらったんだから、頂くよ」
リノアが取り返そうと手を伸ばしてくるのを断って、カップに口をつけるスコール。リノアは不安そうに見つめていた。
「……味、しないな。桃の香りはするのに」
「あ、それフレーバーティーって言って、茶葉に香り付けがしてあるだけなの」
「そっか。残念だな、何か味するかと思ったんだけど」
「…………?」
スコールの物言いがひっかかる。
「……スコール、紅茶が苦手な理由は何?」
「…………」
「スコール」
スコールは小さく肩を竦め、カップを膝に抱いた。
「味が、しないから。だから、紅茶苦手なんだ。……苦いだけで、つまらない」
「……スコール、甘党?」
「すごく」
スコールは俯き、恥ずかしそうに苦笑いしてみせた。
リノアは考えた。さて、どうしたものだろう?
別に、甘いものが好きな男の子がいても良いと思う。だが彼は、紅茶を嫌いな理由に「甘くないから」とは言わなかった。彼は「味がしないから」苦手だと言ったのだ。紅茶が「苦い」と言ったのは、後から取って付けたようにだった。
それを踏まえて彼の食生活を見ていると、何と妙なことか。
スコールは、朝食にトーストを食べていることが多い。ジャムを塗り付けているのは良く見る。勿論、バランスを考えてかサイドディッシュも口にしてはいるが、サラダなんて殆ど機械的に無表情で口に押し込んでいた。新鮮な生野菜なのに、あれ程美味しくなさそうに見えたことはない。それとも、バラムでは当たり前の光景なのだろうか?
それはともかく。
「どうしたら人並みに食べてくれるかなぁ……?」
まずそこである。
男心を掴むには胃袋を掴むのが良い、と聞いたことがある。だがそれは普通の男性に対するものであって、しかも物量がものを言う。大概の、特に身体が資本になるような職や趣味の男性は、とかく良く食べるからだ。身近な例なら、格闘家のゼルや大柄なアーヴァイン、サイファー辺りか。彼らはスコールの倍以上食べている様子だから、料理人はさぞかし作り甲斐があるだろう。
では菓子類で攻めるか。いやいや、それでは本末転倒だ。お菓子でお腹がふくれてしまってはますます食事をしてくれなくなる。
「んもー、悩む〜っ」
図書室から借りてきたレシピブックを投げ出し、リノアは盛大な溜息をついた。
とにもかくにも、まずは量を食べてくれるようにしないといけないのだ。
「自分で選ばせるとほんの少ししか食べないんだから、まったくもう! それでお腹が空いたらチョコレート、なんてなってないっ! ねぇアンジェロ?」
突如同意を求められたアンジェロは、部屋の片隅に敷かれた古タオルの上で、面倒そうに耳を振るわせた。
「…………そうよね、お前はスコールの味方よね」
ドッグフード嫌いのチョコレート好き、筋金入りの偏食家である彼女の愛犬は、大欠伸をひとつしてから頭を振るとリノアの膝元へ寄ってきた。リノアはその頭を撫でてやりながら、リノアはまた小さく溜息をつく。
あぁもう本当にどうしよう。甘えてのしかかってくるアンジェロの首を掻き回しながら、リノアは本を次々にめくる。
「ン……?」
突如、その手がぴたりと止まった。
「そうか……これよ! これだよアンジェロ!!」
訳のわかっていないアンジェロは、不思議そうに竦めて首を傾げた。
そして、ある日の朝。
「はーい、お待たせ♪」
ことり、と置かれたお皿には、見たことのない物が鎮座ましましていた。
スコールはきょとんと目を丸くする。
「何だこれ?」
「食べてみて?」
リノアはジャムやクリームを差し出して、何も言わずスコールへ勧める。
スコールは暫しそれを見つめた。
さてこれはパンだろうかケーキだろうか。見た感じはスコーンのようだ。リノアはディップを共に出してきたから、スコーンと同じように食べれば良いのだろう。
スコールはクロテッドクリームを少しだけ載せて、恐る恐るそれをかじる。
「…………!」
その目がきらん、と光った。
「美味しい?」
リノアが小さく首を傾げると、スコールはこくりと頷いてまたかじる。今度の一口は大きい。そうしてひとつ目はあっという間にスコールの胃袋へ納まり、その手にふたつ目が掴まれた。
よし、作戦通り! リノアはにっこり微笑んだ。
リノアの作戦はこうだ。甘いものを好むなら、雑誌で見たアフタヌーンティーセットよろしく食事として支障のない程度に甘いものを出せば良い。果たしてそれは大成功、スコールはそのスコーンのようなもの――ビスケットを美味しそうに頬張っている。
よっつ目に手を出したところで、スコールは伺うようにリノアを見た。
「……食べない、のか?」
「食べますよ〜。ふふ、スコールの食べっぷりが良いんで見とれてました☆」
そう言うと、リノアは小さめのひとつにアプリコットのジャムを付けて口へ運ぶ。さく、と良い音がして、リノアは目を細めた。
「これね、お母さんとよく作ったの。お休みの日の朝ご飯は必ずビスケットでね。いつもはキッチンって入れてもらえないんだけど、これならオーブン以外は危なくないからって、お手伝いさせてもらってたんだ」
リノアは懐かしそうに言う。
リノアにとって、母といえばピアノと歌と、これだった。ガルバディアではポピュラーな食事パンであるビスケットは、リノアの覚えている数少ない「母の味」だ。実を言えばレシピをはっきりと覚えている訳ではなかったのだが、父に連絡を取ったところスクラップブックごと母のレシピを届けてくれた。「これを見てちゃんと練習するように」とのお小言付きで。
ややあって、スコールが口を開いた。
「…………これ、美味しいよ」
リノアは目を丸くし、身を乗り出す。
「……ホ、ホント?」
「うん、本当に美味しい」
淡く微笑うスコール。
リノアの顔が、見る間に笑顔になる。
「やった! スコールが『美味しい』って言った!!」
諸手を上げて喜びを表すリノア。スコールは不思議そうに首を傾げた。
「そんな驚くことか?」
「うん! だってスコール、今まで最上級の褒め言葉は『もっと食べたい』だったでしょ? その次が『もうちょっと食べたい』」
「え、マジで……?」
スコールはぱっと口許を覆う。その顔は見る間に真っ赤になっていった。
「気付かなかった……俺どんだけバカなんだよ……」
「あはは」
リノアは楽しげに、軽やかに笑う。スコールは悔しそうに唇をきゅっと絞ったが、やがてそれははにかんだ笑みに変わった。
「……ありがとう、リノア」
「え、なぁに急に?」
「いろいろ、考えてくれたんだろ。俺があんまり食べないからって」
少し俯き勝ちなスコールの言葉に、リノアは緩く頭を振る。
「好きでやったことだもん。ほら、気にしないで食べて食べて。もし足らなかったらもっと焼くよ?」
「ん」
スコールは頷くと、最後のひとつににかじりついた。
「……な、リノア」
「ん〜?」
「これ、もっと食べたい。昼にも焼いて?」
「……食いしん坊なんだから」