先週末の週間予報では、この日は晴れだった。だが日が近付くにつれて、予報が思わしくないものになっていく。
 それでも、昨日までは曇りの予報だった。曇りだったのだ。
 でも、今日は。


春の雨。

〜HappyBirthday, Rinoa!〜


「雨かぁ……」
 リノアはがっくりと肩を落とした。
 さらさらと音もなく降る雨。柔らかな春雨が、世界をしっとりと濡らしていく。
「……雨、かぁ……」
 今日は、リノアの誕生日だ。
 先週の天気予報では、この日は晴れだと言っていた。だからリノアはスコールが休みを取ったと知るや否や、散々おねだりして彼の愛車に乗せてもらう約束を取り付けたのだ。スコールの背中にくっついて受ける潮風はどんなにか気持ち良いだろう――そんなことを思いながら、この日をとても心待ちにしていたに!
 窓に張り付き空を見上げつづけるリノアを、スコールはリビングスペースから覗いた。
「リノア、そんなところで寒くないか?」
「んー……」
 背中が煤けてる、というのはこんな状態だろうか?
 リノアがバイクに乗りたがったのは、これが初めてではない。彼女はスコールが休みを取る度、そのタンデムシートを狙っている風があった。
 そんなにバイクに乗りたいなら、免許を取ってはどうか、と提案したことがある。だが彼女曰く、「スコールの後ろに乗ることに意義があるの!」……だそうで。彼女に中型免許でも取らせて一緒にツーリング、というのは夢のまた夢らしい。
 それに、スコールとしてはリノアを後ろに乗せるのは吝かではない。スコールが所有しているのは、黒とメタリックブルーが交錯するクールなデザインの大型車だ。リノアはいつの間にかそれに良く似合うヘルメットを入手していたので、安全面は二重丸だ。……唯一の問題として、スコールの運転歴が短すぎることが挙げられるが。バラムの道路交通法上、二輪免許取得者がタンデムシートに同乗者を乗せて良いのは、免許を取ってから3年以上経過してからである。
 スコールは息をつき、リノアの傍らに向かった。
「リノア」
 とんとん、と肩を叩く。リノアはのそりとした動きでスコールを見上げた。
「見てても仕方ないだろ? そんなすぐに雨は止まないさ」
「だってぇ……」
 ぐずぐずと身体を揺らすリノア。スコールは苦笑して彼女の手を取った。
「リノア、いい加減こっち来いよ」
「ん〜……」
 リノアは手を引かれるままにスコールの後をついていく。
 そして。
「!?」
 強引に引っ張られ、リノアはソファに座ったスコールの膝に着地した。呆気に取られた彼女の背を、スコールはゆっくり撫でてやる。
「よしよし、良い子良い子」
「…………」
「今日ぐらいはゆっくりしたって良いだろう? 雨なんだから、バイクに乗るのはまた今度だ」
「でも今日はわたしの誕生日だったのに……」
「たまにはそんな年もあるさ。ほら、良い子だから笑え」
 リノアはどうして良いのかわからなくなってしまった。ふて腐れた気持ちがまだ残っている。でもこんな風に甘やかされては笑顔になってしまうのは時間の問題だ。
 それでもまだ意地を張って唇を尖らせているリノアの顎を、スコールの指先が捉えた。
「たまには、俺に付き合ってゆっくりしてくれよ……。リノアは内勤で退屈なのかもしれないけど、方々飛び回ってるこっちとしては、休日はベッドでだらけたいもんなんだ」
 そう言うと、スコールはリノアのふっくりとした唇を舌先で擽る。
「あ、ン、スコール……」
「良いだろ?」
「ん……」
 リノア、遂に陥落。スコールはしてやったりと淡く微笑み、唇を柔らかく合わせた。温かな感触に、自然リノアの心は緩やかに解けていく。
「ふぁ」
 零れた吐息が妙に淫靡で――。
 スコールの目に、暗い輝きが宿る。
「可愛い」
「やん……」
 恥じらって目を伏せたリノアの顎先に吸い付き、スコールはのけ反らせた喉へ舌を這わせ……ようとしたのだが。
 きゅうぅ。
『…………』
 妙に可愛らしい音が、2人の間の空気を吹っ飛ばした。寸後、リノアの顔が真っ赤に染まる。
「ふっ……あっ、あっははははっ!」
「スコール笑いすぎ!!」
「!!」
 リノアは慌てて腹部を隠すと、頬を膨らませてスコールを睨んだ。
「スコール、笑いすぎ!」
「だっ、だって……ふっ、くくく……」
 スコールは何とか笑いを抑えようとはするものの、抑え切れていない。涙を流して笑い続ける恋人に、リノアはますます頬を膨らませた。
「もぅ、知らないっ」
 ぷいっとそっぽを向くリノア。そんな彼女の肩を、スコールが楽しそうに抱き寄せた。
「何か食べよう。腹減ったんだろ?」
 そのまま身を起こしてキッチンへ向かうスコールに、リノアは首を傾げる。
「冷蔵庫、空っぽじゃない?」
「大丈夫、大丈夫」
 造り付けのカウンターにリノアを座らせ、スコールは電熱調理機を引っ張り出した。リノアにはますます訳がわからない。
 この調理機は、SeeD寮のキッチンにリノアが立つようになって痛感したある問題点を解消する為に購入したものである。
 SeeD寮のキッチンは、食堂が開いていない時に簡単なものを作れる、という程度の設備しかなく、コンロもあるにはあるが一口しかない。煮込み料理をしようと思えば、他は冷たいもので我慢せざるを得ない。それでは食事を部屋でする意味がないと考えたリノアは、部屋主と相談の上でこの小さな電熱調理機を買ったのだ。シチューやカレーでの活躍は勿論のこと、付属のプレートのお陰でクレープも焼けるし、たまにセルフィがお得意の郷土料理であるタコ焼きを振る舞う為に使われたりもする。
 さて何をするつもりやら。卵やらミルクやらを取り出して、真っ白のボウルで混ぜ合わせるスコールの背中を、リノアはほんのり笑顔で見つめていた。
 いつの間にやら、しょんぼりしていた気分がすっきりしていた。やっぱりスコールは、わたしを元気にする天才だ。
「ねぇスコール、何食べさせてくれるの?」
「ケーキ」
 即答。リノアが目を丸くすると、レードルを手にしたスコールが振り返った。
「そりゃあ、リノアが先月作ってくれたガトー・ショコラに比べたらしょぼいけど、な」
 そう言って肩を竦めたスコールは、レードルで少しだけ掬った生地を温まったプレートに流した。
 流れに従い丸くなる玉子色。
「ホットケーキね?」
「正解」
 小さな満月はほんの少しの時間でふつふつと泡が立ち始める。スコールが素早くひっくり返すと、綺麗な焼き色のついたホットケーキが出来上がった。
「わ、美味しそう!」
「まだ食うなよ」
 身を乗り出したリノアを制し、スコールは2枚目を焼き始める。それが泡立つまでの間に、用意しておいたクリーム状の何かをホットケーキの表面に塗りたくった。
「?」
 甘い香り。メイプルシロップの香りだが、見た目は似ても似つかない。スコールは、その上に2枚目のケーキを重ねた。だがそこまでならただのホットケーキだ。お店でも普通にありそうなケーキ。だがそこからが違っていた。
 何とスコールは、更にその上へケーキを重ねていったのだ!
「まだだからな」
 そう言われては待つしかない。
 スコールは同じ工程で5枚ほどホットケーキを重ねると、その上に緩めに泡立てたホイップクリームをとろりと流しかけた。更に沢山のベリーで飾り付け、仕上げにちょんとミントを置いて……。
「ハッピー・バースディ、マイフェアレディ」
 気取った口上で差し出されれば、リノアは手を叩いて喜んだ。
「素敵! スコールありがとう!」
 素直すぎる賞賛に、スコールは照れたように肩を竦めて鼻先を掻く。
「こんなのでごめんな。レストランのケーキなんかには勝てないけどさ……」
「ううん、そんなことないよ。わたしにとっては最高だわ!」
 リノアはうっとりとケーキを眺めた。
 何て可愛いプレゼントだろう。あぁ、テーブルを挟んでなければ今すぐにでも彼を抱き締めたいのに!
 沈黙に耐えかねたスコールが、口をへの字に曲げた。
「……早く食え。恥ずかしい」
「えー、やだ。もうちょっと見てる」
「何言ってるんだ。ったく……」
 スコールは苦笑すると、残った生地をプレートに流して焼き始める。それに火が通るまでにコーヒーメイカーをセットし、ささやかなランチの準備をする。
「あ、言ってくれたらわたしがやったのに」
「良いんだよ、誕生日の主役は座ってろ。後早く食え」
「えー?」
 足りなきゃ使え、と差し出したメイプル風味のバタークリームを受け取りながら、リノアはくすくす笑う。
「それじゃあ、いただきます」
 両手を合わせて頭を下げて、リノアはフォークとナイフを手に取る。それを確認したスコールは、2人分のカフェオレをテーブルに置き……ちら、と窓の外を見た。
「そろそろ、雲が切れてきたな。これなら午後は出れるか?」
「本当!?」
「あぁ……でもそんなに遠くには行けないから、向かうのはバラムタウンで良いか?」
「良いよ良いよ。スコールとならどこだって!」
 ゆっくりとカフェオレを含みながら、スコールは柔らかく微笑んだ。

 雨上がりの世界は、さぞかし眩く映るだろう。
 それもこれも、目の前の大切な彼女が生まれてきてくれたからこそ。

 Happy Birthday, Rinoa!!




End.