誰かの特別な一日は、別の誰かには特別でも何でもない一日。
でも、わたしにとっては、彼の特別な一日は一年で最も特別な日。
だから、その日は一日中、彼を甘やかしてあげるのです。
朝7時、SeeD的に言うと0700。わたしは大好きな人の部屋で、せっせと朝ご飯の準備をしていた。
今日のメニューは、オムレツとサラダ。何でもないメニューに見えるけど、実はちょっと、いやかなり違う。オムレツの中は挽き肉と人参と玉葱を炒めたフィリングがぱんぱんに詰まってて、サラダにはスコールの好きなチェリートマトを沢山ちりばめて。
準備はオーケィ。さぁ、スコールを起こさなくちゃ!
「おはよ、スコール」
ブラインドを開けて、夜を祓う。スコールは一瞬顔をしかめ、ふっと目を開いた。その夢現の時の顔が本当に可愛いの。昨日の夜、わたしに潜り込んできた彼とは違う、幼いあどけない顔。それが、ふわっと微笑う。
胸がいっぱいになって、わたしはスコールへ口付けた。
「おはよ」
「……おはよう」
あふ、と小さく欠伸をするのは、気を許してくれている証。わざと完全な目覚めを逃がし続けるのは、わたしの前でだけ。それに気付いたのは、大戦が終わって正式に「オツキアイ」というものを始めてからだーいぶ経ってからだった。
「今朝は……?」
「オムレツとトマトサラダ。それと……」
わたしはスコールの問いに、指を立ててみせる。
「クロワッサンと、ワッフルと、ビスケット。どれが良い?」
スコールはくす、と笑った。
「ビスケット、が良いな」
「オーケィ、すぐに焼くからね! あ、クロテッドクリームとミルクジャム、どっちが良い?」
「……どっちも食べたい」
「もぅっ、食いしん坊ね」
漸く起き上がったスコールがくすぐったそうに笑う。わたしも嬉しくて、にっこりした。
「さ、シャワー浴びるなり何なりしといて。焼き上がったら呼ぶわ」
「わかった、待ってる」
キッチンへとんぼ返りするわたしの視界の端で、スコールは大きな伸びをしていた。
遠くでの水音を聞きながら、わたしはテーブルのセッティングをする。爽やかな色のマットを引いて、スープカップとスプーンを用意しておく。オーブンに入れたビスケットもぷっくりと膨らんで、美味しそうな色になってきた。
「うんうん、良い感じ♪」
「何が?」
のし、とスコールがわたしの肩に懐く。
「おやスコールくん、もう上がって来たのですか」
その頭を撫でてあげると、スコールは擽ったそうに頬を緩めて頷いた。
「良い匂いだな。焼けたか?」
「ん、あともう5分」
「そうか」
スコールは軽く頷くとするりとわたしから離れ、クローゼットに頭を突っ込む。暫く悩んでから、彼は肌に気持ち良さそうなサマーニットを引っ張り出した。裾をたくり、頭から被って両腕を出す。その些細ながらしなやかな動き。
そして、その蒼い瞳がわたしを見た。口許が、苦笑いを形作る。
「何だよ」
……見惚れていたのがバレました。
「何でもな〜い」
わたしは首を竦めて笑う。スコールは意地悪げな顔で、わたしの方に歩み寄ってくる。わたしはきゃあきゃあと逃げ回り、ついにスコールに捕まった。そんな他愛のない行為に、2人でくすくす笑う。
ちーん♪ いい加減にしろとでも言いたそうに、オーブンが出来上がりを告げた。
「お、出来上がり!」
スコールは素直に手を離してくれたので、わたしはいそいそとオーブンからビスケットを引き出した。うん、良い色!
「スコール、お待たせ。朝御飯だよ!」
わたし、きっと満面の笑み、ってやつだったんだろう。スコールもつられたみたいに、笑顔になった。
温めたスープを器に注ぎ分け、あつあつのビスケットをサーブする。2人で手を合わせて「いただきます」と言うや否や、スコールはビスケットに手を伸ばした。
かちゃかちゃとささやかな食器の音が鳴る。その隙に、今日はどこへ行こうか、なんて相談したりして。
「そういえば」
「ん?」
「これ、リノアは『ビスケット』っていうけど……スコーンじゃないのか?」
言いながら、スコールはビスケットを上手く割り、クロテッドクリームを乗せて口に運ぶ。
「ガルバディアでは、そういうちっちゃなパンを『ビスケット』って言うんだよ」
「パン? これが?」
「小麦粉を捏ねた生地が膨らんだら、皆パンだよ。バラムでは違う?」
「あぁ、違うな。大体、イースト入れて醗酵させてるとパンで、それ以外はケーキやクッキーだ。パンケーキっていうのもあるけど」
「ふんふん。地域によって違うんだねぇ」
他愛ない会話。
ミルクをたっぷり注いだカフェオレやチェリートマトを口に運び、その度にほんのりと嬉しそうな顔をするスコール。
「美味しい? スコール」
わたしがそう訊くと、スコールは微かに笑って頷いてくれた。
食事が終わって支度が出来たら、バラムの街へと繰り出すの。バスに乗って20分、わたし達は中心部の繁華街にいた。
「暑いな」
帽子のつばを弄りながら、スコールは空を見上げる。わたしは首を傾げた。
「そう? わたしには気持ち良いくらいだけどなぁ」
避暑地であるバラムの街には爽やかな潮風が吹き渡り、本当に気持ち良い。あ、でもこれはガルバディア出身のわたしだからそう思うんであって、このバラムに住んでいるスコールには今日も結構暑いんだろう。
バラムは素敵な場所だと、わたしは思う。年柄年中曇ってるガルバディアのシティや、比較的高温帯に属するティンバーとは違う。春夏秋冬がはっきりしていて、それでも一年を通して過ごしやすい。
「ちょっと涼もっか。どこかのお店入って」
「そうだな。……あそこ入って良いか?」
少し先の店を指差すスコールに、わたしは頷く。
バラムの街並みには少し不似合いなそのお店は、スコールが好きな「FAITH」というシルバーアクセサリーのお店。わたしはスコールの手を引いて、お店に入った。一瞬だけ寒い程冷たい風が吹き付ける。
スコールが贔屓してる「FAITH」は、大好きな「Sleepin' Lion」(いつも付けてる、グリーヴァのリングやペンダントね)を出しているブランド。
「新しいの入ったかな?」
「先月革ブレス出してたから、今月はどうだろ?」
そうは言いながらも、スコールは新作アクセサリーの棚に目をやった。
「……あ」
「何々? ……あ」
スコールが何を見たのかはすぐにわかった。
「新作のピアス!」
「ブルージルコンか……」
スコールが呟いた。彼はそのピアスを矯めつ眇めつ、光に翳してみたりと色々検分している。
(これは、気に入ったな?)
だけどスコールは、台の裏に書かれた値段を見て顔をしかめた。
「……高いな。これ買ったら、次の給料日まで断食になりそうだ」
わたしは吹き出しそうになったのをじっとこらえた。どうして彼は、高級取りの癖して候補生時代のかつかつの生活をし続けようとするんだろう?
「ちょっとくらい贅沢したら?」
「いや、でも……」
眉間にしわを寄せるスコール。わたしは、そんな彼の手からひょいっとピアスを奪い取った。
「あ、」
「わたしが買ってあげる。ちょっと待っててね〜」
「あ……」
何が起こったのかわかっていないらしいスコールは、わたしがレジから帰ってくるまでぽかんとしていた。だから目を覚まさせるという意味も込めて、わたしは元気にスコールへと手渡した。
「はい、プレゼント!」
「あ、うん、ありがとう?」
何でこうなったんだろう、そう言いたそうな顔をしているスコールの背を押して、わたし達は店を出た。
帰りも帰りで、バスに揺られて。紙袋に詰まった沢山の荷物を膝に抱いたスコールは、今は夢の中。バスの振動って気持ち良いもんね。
帰ったら何作ってあげようかな。クッキー? プリン? 夏だし、ババロアも良いかなぁ。あ、グレープフルーツとマンゴーのゼリーは絶対作らなきゃ!
――でもね、今日はその前にサプライズ。
今頃、皆がお部屋であれこれ準備してるはず。実はスコールに内緒で、パーティーを開く予定なの! スコールはどんな顔をするかしら?
楽しい空想は尽きないけれど、その前にバスが到着した。わたしは、もたれかかってきていたスコールの肩を揺すってやる。
「スコール、着いたよ」
「んー……」
スコールは気だるげに目を擦る。真新しいピアスが、きらりと夕陽を弾いて煌めいた。
わたしはスコールの手を引いてバスを降りる。わたし達が最後の乗客だったそのバスは、軽快なエンジン音を響かせてきた道を戻って行った。
ゆっくりゆっくり歩いていく。2人っきりで。もうすぐたくさんの仲間達と騒がしくなるのはわかってるから、今だけは、穏やかに。
「不思議だね。昼間はあれだけ暑かったのに……」
「そうだな」
バスに乗っている間に降った夕立が、澱む空気を洗い流していた。ひと雨毎に涼しくなっていく。夏がもうすぐ終わるのだ――そう思うと、少しだけ寂しい。
「リノア」
「なぁに?」
「今日は、ありがとう。楽しかった」
あどけない笑顔。大切な人の、笑顔。
一瞬で魅了されたわたしの心臓が、どくりと鳴り響いた。
(どうして、こんなに好きなんだろう。この人だけ、こんなに――)
「リノア?」
首を傾げるスコールに、はっとした。
いけないいけない、見惚れてる場合じゃないのよ。わたしはこの人をパーティー会場まで護送するという任務があるんだから!!
「な……何でもないっ。早く行こ」
真っ赤になった顔を隠すようにそっぽを向いて、ずんずん進むわたし。
知ってか知らずかスコールは、くすくす笑いながら手を引かれていた。
さぁ、扉を開こう。パーティーの始まりだよ!
Happy Birthday, Squall!!