世界の裏側で起こり、酷い爪痕を残した割にひっそりと終結した魔女戦争。立役者は、名もない――これから名の上がる――4人の傭兵と、1組の魔女と騎士。世界の表に暮らす名もなき人々は、誰も知らないのだ。年端も行かぬような子供達が、2度と戻れないかもしれない旅路を歩み、命からがら生還を遂げたことなど。

 ゆっくりとバラムへの帰還の途を辿るガーデンに、リノア・ハーティリーが逗留することになって、早数日が経過した。
 すでに身内の中では「生きた伝説」と化しつつあるスコール・レオンハートも、ベッドの住人でなくなっている。瀕死の状態――保険医のカドワキ先生先生曰く、「あと10分遅けりゃ死んでたところだよ」とのことだった――でガーデンに帰還した彼だったが、たった数日で指先ひとつ動かせなかった状態から回復したのを見て、リノアはさすが鍛えられたSeed筆頭! と内心舌を巻いていた。
 そんな、スコールが初めて経験する「穏やかな休日」といった感じのある日。
「ねーぇ、何してるの?」
 Seed寮が一室、スコール・レオンハートの部屋。
 リビングスペースのソファに腰を降ろして、リノアはテーブルでノートパソコンを弄っている彼氏へ声をかけた。
「日記」
 スコールはそっけなく答えを返し、やや乱暴にパソコンを閉じる。
 リノアはきょろりと目を丸くする。
「日記? スコール、日記つけてるの?」
「というか、行動録、だな。やったことや思ったことを書いて、整理する」
「へぇ、マメだね」
「単なる習慣だ」
 感心するリノア。スコールは肩を竦め、彼女を振り返った。
「ね、ね、いつから?」
 待ってましたとばかりに目を煌めかせ、リノアは身を乗り出す。怯むように僅かに目を見開き、スコールは頭を後ろに引いた。
「……そんなコト訊いてどうする」
「むぅ、いいじゃないこれくらい。あたしの好奇心が満足するの」
 あまり表情が動かず何の感情も表に出ないスコールと、挑むような眼差しで唇を尖らせるリノア。両者の睨み合いは、しばし続いた。
(……これは、ムリな類だったかな)
 スコールを見つめつつ、リノアは内心溜息を吐いた。つい意地を張ってしまったが、考えて みればスコールはあまり自分のことを話すのが好きでない、というか得意でないような所がある。
 リノアは、彼のことをもっと知りたい。だが無理に聞き出したところで、その言葉にはどれほどの価値があるのか。今日は引き下がろう――リノアがそう思ったとき、スコールが僅かに視線を外した。
「……いつだったかな。確か、年少クラスの頃だ」
 スコールが折れた。
 リノアの目が丸くなる。
「年少クラス? ってことは、10年とか?」
「それくらいかな。……あぁ、思い出した。年少クラスの頃の、課題だったんだ。1ヶ月、日記をつけろって」
「へぇ」
「報告書を書く訓練だったんだろうな。以来、ほぼ毎日書き殴ってる」
 妙に投げ遣りな表現に、リノアは思わず小さく笑う。そして思う――きっとスコールのことだから、何だかんだいって几帳面に細かく書いているのだろう、と。
「でも、意外だな。スコールと日記って、あんまりつながらない感じ」
「そうか」
 軽く肩を竦め、スコールはノートパソコンからCD−Rを取り出した。そしてすぐ傍に置いていたケースにそれをはめ込むとケースの表に日付を書き込み、クローゼット内の雑貨箱に放り込んでしまう。
「え……」
 リノアは唖然とした。扱いが、あまりに乱暴すぎる。
「ちょっと……良いの?」
「何が?」
 クローゼットをぱたりと閉めて、スコールは首を傾げる。
「もう満杯だから、必要ない。開かないし」
「え……でも、日記でしょ? 後から見返してみたりしない?」
「しない。殆ど嫌なことしか書いてないから」
「……」
 それは、本当に日記なのか。リノアは何だか不安になってきた。
『嫌なことしか書いてない』って、どういうことだろう?
「……ねぇ」
 自分のサイドに腰かけた彼氏に、リノアは思い切って尋ねてみた。
「それ……見たら、怒る?」
「……やめておいた方が良い、見たら嫌な思いするぞ」
 淡々と返ってきた返事。しかも、良いとも悪いとも言っていない。
 この日は、これで終わった。

 翌日。
 リノアは、悩んでいた。
「あれ〜? 何してるんだい」
 授業帰りで通りすがったアーヴァイン・キニアスが、不思議そうにリノアへ声をかけた。
 リノアはぎくりと肩を震わせる。
「な、何でアーヴァインがここにいるのよ?」
「何でって、その隣の部屋はぼくの部屋なんだけど」
 そこ、と指差す先には、確かに「Kenneas」とプレートが掲げてあった。
「ここ、SeeD寮よねぇ?」
 今度はリノアが不思議そうに首を傾げる。
 アーヴァインは肩を竦めた。
「学園長に放り込まれたのさ。どうせすぐにSeeDになるんだろうし、ってね。で、ぼくは晴れてスコールの隣人、というワケさ」
 アーヴァインの指先が動いて、隣――つまり、リノアの目前――のプレートを示す。
「Leonhart」。
 そう、そこはスコールの部屋だった。
「……で、愛しのコイビトの部屋の前で何やってんだい? 君は」
「…………部屋に入るか、入らないか…………」
 非常に言いにくそうに零したリノアの言葉に、アーヴァインは暫し沈黙する。
「……カードキーは?」
「1枚、預かってる」
「じゃ、入っても良いんじゃない? 預けてるって、そういうことだろ?」
「うーん……」
 まだ悩むリノア。
 アーヴァインは困り顔で頭を掻く。
「てゆーか、何で部屋に入るか、入らないかが問題なんだい? 家探しでもするの?」
「や、家探しって……!」
「心配しなくても、あの超が付くほどいろんな意味でクソ真面目な奴、ホコリのカケラも出てこないと思うけど」
 一瞬意味を図りかねたリノアだが、瞬時に理解すると真っ赤になった。
「だ、誰がそんなこと心配してるのよ!」
「じゃあ何」
「う゛」
 言える訳がない。
 自分は今、恋人を疑って家探しするより非道いことをしようと画策しているのだから。
(どうする? リノア。ここで素直に白状して、アーヴァインに止めてもらうべきかしら?)
「……アーヴァイン」
「ん?」
「ちょっぴり、相談に乗ってもらっても良い?」
「良いけど? ちょっと待ってね、テキスト置いてくる。その後食堂にでも行こうか」
「んーん、ここで良い。っていうか、ヒトコト欲しいだけだし」
「?」
 アーヴァインの片眉が上がり、首が傾げられる。
 リノアはひとつ大きく深呼吸すると、真面目な顔で切り出した。
「すごくぞんざいな扱いをされてる日記らしいモノがあるの。見たら怒るか、って問いに対して、『嫌な思いするから』見ない方が良い、って言われてる。これ、どうしたらいいと思う?」

 そして。
 リノアは、あのノートパソコンの前に座っていた。
 膝には、十数枚のCD−ROMがある。その全てには日付が書かれており、最も古いと思われる1枚には、10年ほども昔の日付が書かれていた。
『人の日記を見るというのは誉められたことじゃないね。むしろそういうコトをする人間を、僕はあまり好きになれない』
 アーヴァインはそう言った。リノア自身も、そう思う。だが、彼はその後こう続けた。
『でも、怒るかという問いに対して、嫌なものだからやめておけって言い方も気になるねー。誰かに見られる前提みたいだ。あぁ、ひょっとしてあれかな? 年少クラスのときの課題。だったら見ても問題ないよねー。だって宿題だもん、見ちゃえ見ちゃえ☆』
 限りなくノリが軽くなった彼の言葉に、リノアは苦笑を禁じ得なかった。
 その後、彼は「何か面白いコト書いてあったら教えてくれよ〜」と無責任な科白を残して、自室に入って行ったのだった。
「……よし」
 何となく気合いを入れて、リノアは最も古いCD−ROMをノートパソコンに飲み込ませた。
 クリック数回でフォルダを開く。中に入っていたのは、当然のことながら日付順に並ぶテキストファイルだった。数日分が一つのファイルになっているらしい。
 ファイルを、開く。

『4がつ7にち
  1にちめ。きょうはしぎょうしきだった。ほごしのおにいさんにおこされて、じょうきゅうせいのおねえさんとてをつないでしぎょうしきにでた。サイファーがうるさかった。』
『4がつ8にち
  2にちめ。1じかんめ、さんすう。2じかんめ、こくご。3じかんめ、しゃかいか。4じかんめ、たいく。サイファーになぐられて、せんせいにふたりともおこられた』

「サイファーばっかりだねぇ」
 どうも同じクラスで喧嘩ばかりしていたらしい2人の様子がありありと思い浮かび、リノアは思わず微笑みを浮かべた。
 こんなことばかり書かれた日記――というより、些細な覚書――は、あっという間に1ヶ月分、2か月分と過ぎていく。
 やがて、その次の年の日記へ移った。漢字が増え、やや読みやすく感じる。
 ……が。
「……何、コレ……」
 その2つ目のテキストファイルからは、様相が全く違ってしまっていた。
 何度も現れる真っ赤な文字。それは、何となく一定の周期で現われているように思われた。その色で書き留められた心情は全て彼自身に向けられた刃となっていた。そして、後の方へ行くほどその刃は鋭く苛烈になっていく。
 それは――嘆きだった。
 ガーデンが出来た当初、スコールは5歳だった。つまり、自分1人では何も出来ない幼子。寮生活を営むには、あまりにも幼すぎる子。となると、ガーデンには少なくとも1人以上は保育士かそれに準ずる人間がいた筈である。当然、スコールを世話する人間もいた筈だ。
 だが、彼の書き留めたソレには、その描写が出てこない。その代わりのように、あの赤い文字が出てくるのだ。自分なんかいなければよかった、そんな嘆きの言葉が。
「こんなのって、ないよ……スコール……!」
 手を焼いて他の誰かに押し付けたのか、それとも懐かないのに業を煮やしたのか、そこまではこの文面ではわからない。それでも間違いなく、彼のそばに誰もいない、いようとしなかったことがわかる。きっとスコールは、幼い頃の轍を踏まないために彼らを注意深く観察していたのだろう。だが願い叶わず、この人なら、と気を許しかけたその頃に酷い言葉あるいは無言を彼に投げつけて去っていく彼らに、リノアは憤りを覚えてしまう。
 日記に書かれた心情は、次第に硬化していった。時折書き込まれる誰かからの贈り物のこと以外は、嘆きすらも書かれなくなっていく。
 それが何となく和らいだように見えたのは、スコール10歳前後の日記であった。ゼルとキスティスが入園した、その頃。
 うるさい奴、うっとうしい奴と書いていながら、彼はゼルを邪険にはしていない。
 しつこい奴、面倒な奴と書いていながら、彼はキスティスを遠ざけようとはしていない。
 だがそれでも根底に流れる寂寥感に、リノアの瞳から透明な雫が零れ落ちた。
 ぱたり、とノートパソコンが閉じられた。
「っ!」
 その手を追って振り返ると、スコールと目が合った。寂しい冬空のような、青灰色の瞳。
 スコールは指先で、そっとリノアの頬を拭う。
「だから、見ない方が良いと言ったんだ。リノアが、そんな顔するってわかってたから」
「スコー、ル……」
 涙が止まらない。
 スコールは少し困った顔でリノアを眺めていたが、やがてその視線が広げられたCD−ROMへ向いた。
「どこまで見たんだ? 8、9、10……あぁ、わかった。一番嫌な所、見ただろ。可愛げの欠片もない、人の所為にしてばっかりの最低な子供の」
「最低、って……っ!」
 自嘲し、苦い笑みを浮かべる彼氏に、リノアは喉を詰まらせ思わず抱き付いた。
「リっ……」
 固まるスコール。リノアは構わず、その胸に頬を擦り付ける。
「いたかった。この頃のスコールの傍にいてあげたかった……っ!」
 ぶつけられた純粋な好意に、スコールの瞳が微かに温む。
 そして、ぎこちなくではあるが、少女の小さな頭を彼は抱き締めた。
「……ありがとう。その、気持ちだけで十分だ。今、一緒だし」
「んっ……」
 スコールは、ゆっくりとリノアの頭を撫でた。愛撫とも、慰撫ともつかない動きに、リノアは安堵を覚える。
(そうだ、いてあげれば良い。寂しかっただろう昔の分も込めて、ずっとずっと)
「スコール」
「ん?」
「ずっと、一緒にいるからね。スコールの隣に、ずっといるから」
「…………」
 おずおずと背に回された細い手の感触に、スコールは少し戸惑うような表情を見せる。そしてそれは、どこか悲しみを混ぜた笑みへとすり変わった。その顔を、リノアは見ていない。
「……あぁ、期待してる」
 リノアは、両腕に精いっぱいの力を込めて恋人を抱きしめた。

End.