ささやかな幸福

〜ある日の司令室〜


「キスティスの髪って綺麗だよね〜」
 昼食時の司令室、リノアがうっとりした目で呟いた。
「……え?」
 何を突然。キスティスはきょとんとする。
「ねぇ、セルフィ。思わない?」
「思わない訳ないじゃん。あたしキスティスが羨ましい〜」
 セルフィもリノアに同意見らしく、その小さい手指がキスティスの髪を一筋搦め取った。つやつやの金糸は、するりとセルフィの指先から逃げる。
「すっごいするするしてる。お水みたい」
「あ、わたしもそれ思った! 良いよなぁ、羨ましい」
「そ、そんなことないわよ。リノアもセルフィも、綺麗な髪してるじゃない」
 照れるキスティスを間に挟み、リノアとセルフィはきゃっきゃとはしゃぐ。
 それを遠目に見ている男、3人。
「……良いねぇ、女の子達がにこにこしてるのは〜」
「おいそこのオンナ好き、コーヒー入ったぞ」
 どん! と音を立てて、ゼルはアーヴァインの鼻先にマグカップを置いた。
「サンキュー」
「ほい、スコールも」
「ありがとう」
 こちらには丁寧に渡す辺り、ゼルはアーヴァインにツッコミのつもりで乱暴にしたのだろうと推測出来る。案外いろいろと考えている男だと、スコールはカフェオレの覗き込み思った。ちゃんと、自分達の好みまで熟知している。
「……♪」
 何も言わないが何となく幸せ。これがリノアの入れてくれたやつならもっと幸せ。これが最近のスコールの「ささやかな幸せ」というやつである。
 もうひとつの幸せはただ今目の前で黄金のごとき芳香を放っていた。アーヴァインの手が延び、その黄金を1枚取り上げる。
「意外な特技、ってやつ? まさかリノアが料理出来るとはね〜」
 恋人が手ずから焼き上げたクッキーが友人の口に入るのを見ながら、スコールは少し前に発生したちょっとした騒動を思い出した。


 … … …

 ある日、リノアが山盛りのクッキーを手に司令室へ現れた。
「……どしたの? それ」
「調子に乗って焼きすぎちゃって……」
 目を丸くするセルフィに、リノアは苦笑いで頭を掻く。
 ちょっと形が歪なクッキーを一枚取り上げ、アーヴァインはくるりと回してみた。鼻先に翳してみる。匂いは非常に良い。
「……これ、食べれるのかい?」
「失敬な」
 リノアは頬を膨らませる。
 そこに匂いに誘われてやってきた蝶と蜂、もといキスティスとゼルも混ざり、4人はこの食べ物が果たして食べられるシロモノなのかを協議し始めた。
「見た目は……うん、ちょっとよたよただけど美味しそうだよね」
「匂いもなぁ……」
「でも匂いはバニラエッセンス使えばごまかし効いちゃうよ?」
「……ちょっと、勇気出ないわね」
 その時。
「うぉわっ!」
 横合いから、大きな手がぬっと伸びてきた。ゼルが大袈裟に驚いて飛び退く。
 皆が目を剥くその前で、指先が器用にソレを3枚取った。一旦退却し、また2枚。更に1枚追加すると……ソレは手の持ち主の口に放り込まれ、さくりと良い音を立てた。
「食わないんなら、俺が全部食うぞ」
 そう言いながらクッキーを咀嚼する様子は、かなり意外性がある。……というか、無表情で幸せオーラを放ちつつクッキーを頬張る美人、という図はかなりシュールに映った。
「こらっ、スコールは自重しなさい! あなたの分はお部屋にたっぷりあるから」
 リノアは慌ててスコールの背を押しクッキーの山から遠ざける。スコールは未練がましく山を見つめながら、大人しくデスクに座った。そしておもむろに、小動物か何かのようにかりかりかりとクッキーを齧る親友を見て、皆は漸く安心してそれを口にしたのである。


 … … …

「なぁ、スコールくんや」
 回想から戻ってくるや否や、アーヴァインが出し抜けにスコールへ呼びかける。
「何だ、アーヴァイン」
「スコールはさぁ、女の子の好みってやっぱりガチでリノアなの?」
「…………」
 急にそんなこと言われても。というかアーヴァインは知っている筈だろう。スコールは口ごもる。
「……あー、えーと……」
 ちら、と女子達を見ると、何か感じ取ったのかリノアはこちらを見ていた。これでは下手なことは言えないではないか。
「女嫌いの人嫌い」、そう言われていたスコールも、何となく目を引く女性のタイプというものはある。
 リノアがにんまりとした。
「スコールの好みはねぇ、キスティスみたいな金髪碧眼の、可愛い感じの人だよ」
「ちょ、リノア……」
 仮にも恋人がぶっ飛ばしてくれた爆弾に、スコールは慌てて腰を浮かせた。何でお前がそれを知ってるんだ?!
「あら、意外。私、てっきりママ先生みたいな黒のロングが好みだと思ってたわ」
「あたしも〜。あるいはお姉ちゃんみたいな、茶髪のショートか」
 にやにや笑いながらスコールを見るキスティスとセルフィに、スコールは頭を抱えた。
 リノアはにっこりする。
「だって、いつも目で追ってるもんね?」
「「え?!」」
「『未解決事件捜査班』のキャスリン」
「……何や、『女優の』好みかいな」
 セルフィがつまらなさそうに鼻を鳴らした。気が気でなかったスコールは、一気に脱力してデスクに突っ伏す。リノアはくすくすと楽しそうに笑っていた。
「焦った? 何言われるか」
 リノアの問いに、スコールは顔を上げぬまま頷く動作をした。リノアはスコールの頭を撫で回す。
「も〜、可愛いなぁ」
「可愛がられても嬉しくない……」
 呻くように呟きながら、スコールは顔だけ起こした。ぱさぱさと、前髪が視界の中で散る。
 幼い頃から見慣れた、茶色い髪。
 髪。
 リノアは黒髪、キスティスとゼルは金髪、アーヴァインとセルフィは茶髪。
 スコールの脳裏に、あることがふわりと思い出された。
「……ガキの頃は、黒髪ブルネットになりたかったな」
「え、そうなの?」
 リノアが目を丸くして手を止めた。スコールはゆっくり身を起こす。
「何で?」
「俺が、……マンマの子供にしてもらえないのは、俺が茶髪だからなんだって信じてたんだ。ほら、マンマの髪って真っ黒だろ? 全然似ないから、だから捨てられたんだって思ってた」
 少しだけ恥ずかしそうに「マンマ」とイデアを呼び、苦笑いで肩を竦めるスコール。
 リノアは見る間に泣きそうな顔になる。セルフィやゼルまでそんな顔になってしまって、スコールは大いに戸惑った。
「何で皆してそんな顔するかな。昔の話だ、昔の。しかもガキの思い込み」
「だ、だってぇ」
 既に泣き声のリノアはスコールにぎゅーっとしがみついた。この感受性豊かな恋人は、この手の話をするとすぐに感情移入して泣いてしまう。可愛いが、スコールにはどうして良いのか未だよくわからない。
 そして。
「う、わ、ちょ……あ、暑苦しい離れろ!」
 何故か2人一緒くたに、がばっと、ゼルとセルフィまで抱き着いてきた。
「スコール〜っ、お前何て不憫な奴なんだ!!」
「何かいい子いい子したらなあかんような気持ちになってきた!」
「何だそれ気色の悪い」
 スコールは嫌そうな顔をして2人を押し退けようとする。だが仲間内でも力の強い方に入る彼らは引きはがそうにも引きはがせない。キスティスとアーヴァインは、楽しそうに見守っていた。
「スコール、スコール」
 リノアがスコールの顔を見上げて呼び掛ける。スコールは首を傾げた。
「わたし、スコールのさらっさらの栗色の髪とか、透き通った綺麗な蒼い目とか、とにかくスコールのこと全部大好きだからね!」
 その力いっぱいの力説に、スコールは絶句した。一瞬遅れて、ぱーっとその顔が真っ赤になる。
 傍観者その1とその2は苦笑した。
「ヤツはあのストレートさに惚れたんだろうなぁ」
「そうでしょうねぇ。誰だって、あそこまで言われたら惚れるでしょ。……あら」
 パシュ、という小さな排気音と共に司令室のドアが開く。
「シュウ・レインズ以外5名、ただ今帰還いたしました! ……って、何よ、このダラけ具合」
 派遣任務の帰還報告に来たシュウが、呆れた顔で司令室を見回した。キスティスはぺろりと舌を出した。
「だって休憩中だったんだもの。お帰りなさい、シュウ」
「おっかえりなさーい!」
「ぃよっ、おかえり!」
 セルフィがぱっと両手を上げ、ゼルも拳を振り上げる。リノアは微笑んで「おかえりなさい」と言った。
 漸く団子状態から解放されたスコールは、こほんとひとつ咳を零して軽く手を挙げる。
「お帰り、シュウ。お疲れ様」
「うん、ただいま。あ、これファストレポートね。正式な報告書は出来次第」
「了解。今日明日はゆっくり休んでくれ」
「ありがとう☆」
 シュウは女子高生のようにキスを投げ、くるりと踵を返す。行きがけの駄賃とばかりにクッキーを1枚口に放り込み、リノアへと親指を立ててみせた。そして、「あ」と思い出したように振り返る。
「アンタ達、ダラけするのも程々にしなさいよ? あまりにもアレじゃ、下級生に示しつかないでしょ」
「はいはい、気を付けますわ」
 キスティスはひらひらと手を振ってシュウを見送る。静かにドアが閉まり、アーヴァインが背伸びがてら立ち上がった。
「さーて、それじゃあはりきって次のお仕事片付けますか!」
『おーっ!』

 拳を振り上げ気合を入れて、SeeD達はまた、戦場に戻っていく。
 日常という、穏やかで愛しい戦場に。




End.