騎士の矜持 拍手小話その1

〜森の魔女の物語〜


 昔々あるところに、小さな国がありました。
 森に囲まれたその国は、さほど豊かな地ではありませんでしたが、人々は手を取り合い日々を大切に暮らしていました。
 国には、1人の魔女が住んでいました。「癒しの聖女」と称された彼女は、その名を贈られるに相応しい心根の持ち主でした。
 森に住まう彼女の許には、いつも人々が集いました。ある者は彼女に癒しを求め、ある者は彼女に教えを請い、またある者はただ彼女と語らう為に森を訪れたのです。
 ある時、1人の男が森を訪れました。その目は血に濁り、恐ろしい程の力を持って光っています。
「この森には魔女がいるという。魔女は人を惑わすという。どれ、このおれが斬ってやろう!」
 誰も彼もが首を横に振りました。聖女と呼ばれる魔女は年若く、癒しの術と薬を作る腕しか持たない彼女を皆が愛し可愛がっていたからです。
 男が森に入っていくのを見つめながら、皆はどうしたものかと思案しました。彼女を匿うには、森を抜けなければなりません。しかし森には魔物が潜み、互いにおいそれと行き来が出来ませんでしたから、剣を持たない人々は困り果ててしまいました。
 けれど、誰も慌てはしません。夜が来て、朝が来て、ややもすれば男が逃げ帰ってくることはわかっていたからです。だって彼女には、この国で一番と謳われる騎士が、いつでも寄り添っていましたから。


 2人は、とても睦まじい夫婦でした。
 騎士は貴き生まれではありましたが、宮に仕えていた薬師の娘と懇意になり、周囲の反対をことごとく押し切って娶ったのです。そして騎士は、人とは違う力を持つ妻を良からぬ者どもから護る為、片田舎へと領地を賜りました。口さがない者は王の怒りを買って左遷されたのだと噂しましたが、騎士のそれはそれは幸福そうな様子に、いつしか誰もが2人を羨むようになりました。
 ある時、騎士の古い友が2人の元へ訪れました。遠い戦場へ赴く為、暇を告げに来たと言うのです。
 騎士の妻は張り切って晩餐の準備を調えました。冬支度の為に取り分けておいた黒スグリの蜜漬けまでも差し出す彼女に、騎士はやり過ぎだと苦言を呈しました。妻は笑います。
「旦那様のご友人なら、私にとっても大切な方です。その方を大事にせず、どうするのですか」
 騎士がその話を友にしたところ、友は「お前は幸福なのだな」と満足げに笑いました。
 翌朝、彼らの友は旅立っていきました。彼らと友は、二度と、合見えることはありませんでした。


 遠かったはずの戦禍は、森の国へもじわじわと忍びやってきました。
 最初は、小さな国同士の小競り合いのような、小さな火種だったのです。ですがそこに帝国が割り込んだことで、火種は一気に西の大陸全土へ燃え広がろうとしていました。
 当然、森の国も例外ではありません。帝国は最初のふたつの国を押し潰し、自らが炎となることで大陸を全て手に入れようとしていましたから。
 王は息子たる騎士を呼び寄せて言いました。
「最早我が国もこれまでだ。騎士ゼファー、我が血を引く最後の者よ。民を連れて逃げのびよ」
「いいえ父上、わたしにも最期までお傍で戦わせてください」
「ならぬ、ならぬ! お前が騎士へと下りし時、何を誓ったか忘れたか!」
 騎士は目の醒めたような心地を味わいました。
『この命が果てるまで、わたしはあなたに添い遂げよう』
 そうでした。彼が添い遂げると誓ったのは、国や王ではなく愛しい妻。妻は民が1人、では民を生かすは己が役目。
 騎士は父母へ今生の暇を請い、踵を返しました。
 業火に燃える国を後に、騎士とその妻は、少なからぬ民を引き連れ逃れ落ちていきました。


 ある者は、飢えに苦しみ倒れました。
 ある者は、渇きに苦しみ倒れました。
 ある者は、先の見えぬ苦しみに倒れました。
 ある者は、道中に安楽の地を見出だし、そこに根を下ろしました。
 残った者は、進みます。遠く遠く、南の果てへ。
 そしてついに、海すら越えて、彼らは森の中に佇む美しい村へと辿り着いたのです。
「恐かったろう、辛かったろう。ここならもう大丈夫。戦いの火も、海は越えまい」
 村の衆は、彼らを温かく迎え入れてくれました。彼らは漸く、安息を手に入れたのです。
 すっかりと気落ちしていた娘達がやっと笑顔を取り戻した頃、騎士の妻はまた森で暮らしたいと言い出しました。昔のように、ひっそりと。騎士に否やはありません。2人は村から程近い森の中に庵を結び、また元のように暮らし始めました。彼らをよく知る民は勿論、村の衆も微笑ましく2人を見守りました。


 何事もなく、数年が経ちました。
 森に住まう2人の許には、いつも人々が集いました。ある者は癒しを求め、ある者は教えを請い、またある者はただ彼らと語らう為に森を訪れたのです。
 それは全き平和の風景でした。そのはずでした。
 最初の異変は、遠くからの旅人が姿を見せなくなったことでした。
 次には、森がしんと静まり返ったきり、そよとも風が動かなくなったことでした。
 あぁ、これには覚えがある。騎士の妻は急を知らせるべく、夫と共に村へと駆けました。
 されど既に時遅し。遠くの森には火の手が上がっています。それは瞬く間に地を嘗め尽くし、遂にはこの村へとやってきてしまいました。
「我が同胞の子、我が妻よ。皆を連れて先にお逃げ、約束したあの泉まで。私もすぐに向かうから」
 騎士の言葉に、妻はとても心を痛めました。彼女は愚かではありませんでしたから、自分が村に残ったところで村を救う助けにもなれないことはわかっていました。
「わかりました、お先に参ります。ご武運を、私の騎士様」
 騎士の妻は夫を祝福すると、子や女達を引き連れ森を駆けました。秘密の道を使えば、追っ手に見付からずに行ける筈です。
 ですが、1人はぐれ、2人はぐれ……中には秘密の道へ行くまでに弓矢に射られ臥す者もあり、泉の近くまで来たときには、彼女は独りになっていました。
 刻はそろそろ夜半の頃。されど空は紅く染まり、まるでこの世の終わりのよう。
 地の利がある者は、きっと逃げ延びたことでしょう。騎士の妻は祈るように両手を組み、天を見上げました。
 がさがさと、下草の揺れる音が聞こえました。騎士の妻は夫が来たのだと思い振り返ります。ですがそれは、嘲りと怒りの混ざった恐ろしい者達の足音でした。
「見付けたぞ、この魔女め!」
 その時、彼女の心は嫌という程冷えました。
「あの方が、裏切ったのですか」
 ここは、どんな親しい者にも秘密にしていた「約束の場所」です。ここには、彼女と彼女の夫以外は近付かない筈なのです。では何故そこに帝国の兵士が来られたのか? 簡単なこと、騎士が彼女を裏切るしか、来られよう筈もない!
「愚かな女だ。あの男が来ると本気で思っていたのか」
「孕んでいては面倒だ。ええい、射殺してしまえ!」
 幾人もの兵士が弓を引き絞り、音高く響かせ矢を放ちます。
「……私が、お前達に何をした……?」
 矢は見事、彼女の胸を射抜きました。
「この身が憎いか。この血が憎いか。この力が憎いか。ならば今はこの死を受け入れようぞ。だが心せよ、私は決してお前達を赦さない! 未来永劫お前達を呪い、その血が絶えるまで責め立てようぞ!」
 ぼぅっと、翠色の炎が魔女を取り巻きました。兵士は恐れ慄き、剣を抜き払い炎を斬り伏せました。
 魔女はゆっくりと、仰のけざまに倒れていきます。やがて彼女の身体は泉に落ち、その血が水面を染めました。
 その時、漸く騎士が辿り着きました。兵士達がはっと身を強張らせます。騎士は茫然としました。その兵士達は、まごうことなく彼らが大事に連れて逃げた民の内にあった顔だったからです。
「おのれ、お前達が我が妻を殺めたか! 祖国と我が血を裏切り、我等を敵国に売り渡したはお前達か!」
 騎士は一刀の内に兵士を切り捨てました。愛しい妻の仇を討ったのです。
 そうして、泉の泉の(ほとり)に膝をつきました。
「我が妻よ! あぁ!」
 騎士が目にしたものは、水面に揺らめく妻の姿でした。
 変わり果てたものだというのに、何と言う美しさ。胸に矢が突き立っているのでなければ、泉に捧げられた供物のようでした。
 騎士は嘆きに嘆きました。ですが、妻をそのままにはしておけません。彼は彼女を弔うべく、泉へ手を伸ばして彼女を腕の中に引き寄せました。
「すまない、我が妻よ。あともう少し早ければ。いや、共に来ていればこんなことにならずに済んだものを。こんな無体をされずに済んだものを」
 すっかりと冷たくなった身体をしっかり抱き締め、騎士は立ち上がろうとしました。
 その時、ぶつり、という音が耳に届きました。一体何の音なのか、騎士にはわかりません。ですが泉は見る間に紅く染まっていきます。
(あぁ……)
 騎士の身体がぐらりと傾き、魔女の亡きがらと共に泉へと倒れていきます。
 静かな森に、小さな水音が響きました。
 後には、最早生あるものの気配はありません。森は閉ざされたのです。木々は繁り、水が湧き、それを慕う小鳥達が繁栄を謳歌しても、ここは最早人にとっては死の森でした。
 ある帝国の「ドラゴン公」と呼ばれた将軍は、この地で勝利を納めた後、この時の戦傷が元で亡くなったそうです。
 さる有名な探検家が、この森で消息を絶ちました。
 あるいは迷い込んだ者が、散々彷徨わされた後に気が触れて発見された、という話もあります。
 それもこれも、全ては彼女の願いの故。
 彼女は今でも、泉の(ほとり)で騎士が迎えにくるのを待っているのです。

 ――彼女を心から愛し、決して裏切ることのない騎士を。

End.



本編内に出てきた、「騎士ゼファー」、「セントラの美しい村」、「邪悪なドラゴン」、アルティマニアに出てきた「ある国の滅亡時、人々の為に立ちあがった魔女」を氷月がカクテルしてみるとこんな風になりました。





騎士の矜持 拍手小話その2

〜Act.6 断片〜


 焼け付くような胸の熱さを咳で何とかやり過ごし、スコールは漸う目を開けた。
 身体が、重い。目を開けて、暗いな、と思う。
「……っり、のあ」
 彼女はどこだ。目を閉じるその時まで、この腕に抱いていたのに。人のではない温かな気配は傍にあるのに。
「スコール?」
 あぁなんだ、すぐそこにいたのか。スコールはほっとし、声が聞こえた方向へ目を向けた。彼女の声が震えていたのはわかっている。だから、彼は固まりつつある頬を必死で動かし、笑んでみせた。
「よかった」
 良かった、リノアは無事らしい。だがたった一言を言い切る前に喉が塞がる。スコールは咳払いし、リノアを探す。
 胸は熱いのに、ひどく寒い。そこにいるはずのリノアが、見つからない。見えない。
「……見えてないなら、ちゃんと言ってよ。目、合わせられないじゃない……!」
 あぁ、そうか。スコールは不意に気が付いた。
 俺はもう、視界を無くしていたのか。もう、時間がない。
「みんな、ぶじか?」
 スコールはもうひとつの心配事を問う。途端、身体に微かな振動が伝わった。
 何を思ったろう? こんなときに、と思われたろうか。もっとリノアのことを心配した方が良かったろうか。でもリノアは俺がどういう人間なのか知ってるはずだ。俺が、彼女にどれだけ気を向けてるか、知ってるはずだ。
 あぁ、そうだ思い出した。
「ごめんな。かいほうして、やれなくて」
 魔女の力は、死を厭う。死の気配を厭う。
 だからスコールは、リノアとの同期を解除して彼女にサンダガをぶつけた。瀕死になれば力は離れるだろう、そう考えて、そうした。だが彼女は魔女のままだ。彼女が持つ力が、スコールを引き留めておこうとして纏わり付いてくる。
「誰が、解放してなんて言った……? 誰が魔女でいたくないって言った? 誰が、あなたの傍にいたくないなんて言った?!」
 慟哭が、恋情が、ダイレクトに胸に突き刺さる。
 ――何で俺、お前を泣かせてばかりなんだろうな。大事にしたいのに。愛したいのに……。
 ごめんな、愛してやれなくて。
 愛したかった。
 愛して愛して、慈しんで、幸福にして、最後まで一緒にいたかった。
 でも、それは無理そうだ。
 だったらリノア、俺を忘れてくれ。思い出の中にも俺を残すな。
 それで幸福になってくれたなら、それで良い。忘れられるのは寂しいけれど、お前が不幸になるよりはずっと良い。
 大好きだよ、リノア。だからせめて、幸福になれ。
「駄目よ……駄目よ、目を開けてなさい! 気をしっかり持つの! 死んだりしたら許さないからね……絶対に、許さない! こんな、こんなところであなたを死なせてなんてあげないわ! あなたはねぇ、もっと、沢山のものを見るべきなの。独りで冷たいところにいた今までとは違うのよ。あなたは暖かい場所で、人が悔しがるくらい幸福にならないといけないの。それがあなたの義務なの! 綺麗なものいっぱい見て、美味しいもの沢山食べて、楽しいこといっぱいして……それでもういらないって満足するまで、絶対死なせてなんてやるもんかっ!」
 何故……そんなことを言ってくれるんだ。置いていけば良いのに。
 あぁ、眩しい――リノアがいるはずの方向から、強い光がスコールの目を刺す。
「そっか……じゃあ、すきにしろ。やるよ、おれのぜんぶ」
 彼が思い付いたのは、ただそれだけだった。
 それでお前が幸福になれるのなら、俺は全部お前に捧げる。遺してしまうお前への疵が、少しでも浅いものに出来るのなら、何を寄越しても惜しくない――ただその一心で、スコールはその光を見ていた。
「言ったわね? 見てなさい、ホントに好きにしてやるから」
 リノアからスコールへ、何かが流れ込む。何か? 正体なんて、スコールはとっくの昔に知っていた。温かな光、心地良い力――それこそが、リノアの持つ魔女の力。魔力、そのものだった。
 スコールは、これに触れるのが好きだった。言ったことはなかったが、リノアの持つこの魔力――気配だとか、雰囲気だとかに置き換えてもさほど変わらない――は、スコールに安寧と快さをもたらすものだった。
 だがそれが、今はどうだ? 彼という器に溜まりつつある魔力は、徐々に熱を増して彼を苛み始める。
「……っ、つ、い」
「我慢して」
「熱い」
 いつもとは違う感触に、スコールは身もだえる。それは無理に望まぬ快楽を与えられたときにも似て、スコールには苦しい。
 リノアは、殊更優しく囁いた。
「大丈夫よ……あなたは、生きる」
 彼女の囁きが、スコールの痛みと快楽を増長させていく。あぁ、苦しい。そんな無理に責め立てないでくれ、頼むから!
「っ、ああぁあぁー――っ!!!」
 ありったけの魔力を注がれ、スコールは絶叫した。腹の中に、熱核を埋め込まれたかと思うほどの衝撃が走る。四肢を突っ張らせ全身を震わせる様は、まるで痙攣を起こして苦しむかの如く――。
 スコールは恍惚としていた。
 傷は完全に治癒された訳ではない。だが、「痛み」の感覚が戻ってきている。そんなことがスコールはひどく嬉しかった。
(あ、俺やっぱり死にたくなかったんだな……)
 目を閉じる瞬間、その蒼眸にちらと映ったのは、リノアの白い顔だった。

 大好きだよ、リノア。

 寝顔にそう囁いて、スコールは意識を手放した。



End.


リノアがスコールに魔力を注ぎ込んでいる最中、こいつはこんなことを考えていました。スコールはとにかくリノアが大事。大事にしすぎて暴走するのがお約束ww