「あーぁ、スコール帰っちまったなぁ」
 昼食時に、ラグナは名残惜しそうに呟いた。目線の先には、空っぽの席がふたつ。
「残念だなぁ、寂しいなぁ」
 その子供のような言い草に、エルオーネが苦笑する。
「もぅっ、いつまでそんなこと言ってるの?」
「だってよぅ」
 ぐずるラグナ。エルオーネは流石に呆れた顔をして両手を腰に矯めた。
「そんなだったら、言えば良かったのに。『ずっとうちにいろ』って」
「それは……言えねぇよ。だってスコールの人生はスコールのモンじゃんか。居場所だって、あいつ自身が決めるんだ」
「なら、我慢なさい。ガーデンにテレビ電話入れられるようにするって、スコール言ってたじゃない?」
「あー……そういや、言ってたなぁ」
 ラグナの目線が、今度は電話に移った。ガルバディア風に設えた部屋の中で、唯一のエスタ的な調度品。小さなカメラとモニタが付いた電話。
「あいつ、どんな顔してかけてくると思う?」
「ふふっ、さぁねぇ」
 ラグナとエルオーネは、いつその電話が鳴ることかと首を長くして待つことにした。



騎士の矜持

Act.10 まだ見ぬ未来へ


 霧雨そぼ降る森を、スコールとリノアは歩いていた。
 リノアはその胸に花束を抱えている。そんな彼女の肩をスコールが抱き、周囲を警戒しつつ進む。暫く歩くと、やがてぽっかり開けた場所に出た。
「ここだよね、確か」
「あぁ……」
 彩度を落とした森の中、大樹のほとりの泉。霧雨に霞む水面みなもは、本当に寂しげで、2人はこの地で果てた魔女と騎士のことを静かに思い起こした。
 リノアが花束を水面に浮かべ、手を合わせる。スコールもそれに倣い、目を閉じ頭を垂れる。

 … … …

 バラムへ帰ってきたスコール達を待っていたのは、公用文書の入ったドールからの書簡を持ったキスティスだった。その書簡の表には、スコールとリノアの名前が書かれている。
「中身はまだ見ていないわ。貴方達がまず最初に見るべきだと思ったの」
 そう言うと、彼女は「何かあったら司令室へ連絡頂戴」と残して姿を消した。残された2人は、スコールの部屋へ戻るなり顔を見合わせるばかり。
「何だろう?」
「さぁ……リノア、開けて」
「え、何で。スコールが開けてよ」
「いやだ、俺見るの怖い」
「……っ、こんな時ばっかり甘えて〜」
 リノアは悔しそうにしながら、結局彼の望み通りに封蝋を破った。
「議長さんから……じゃ、ないや。会議の主要出席者全員の連名だねぇ? んー……?」 リノアの片眉が上がる。
「スコール」
「ん?」
「見て」
「議会宣言」と題されたそれを、リノアはスコールの眼前に差し出した。スコールの目が、2回程内容を追う。

 一、現代の魔女ことミス・リノア・ハーティリーの身柄は、満20歳までの間バラム・ガーデンに預け、保護観察を受けさせることとする。

 一、魔女の騎士ことミスタ・スコール・レオンハートの身柄については、職に就いていることもあり不問とする。

 一、上記2名は未成年者である為、遠方への外出の際には行き先及び連絡手段をバラム・ガーデンへ明らかにすることとする。また、場合によっては保護者が付き添い引率することとする。

 ・
 ・
 ・

「…………何だかな」
 スコールは、じっと宣言書を見つめる。
 アイゼン議長は、未来を守る為に努力すると言ってくれた。宣言書の内容は、より具体的な概要となっている。
 例えば、魔女に関する故意または不作為の情報制限及び資料の閲覧制限を段階的に解除していくこと。
 例えば、魔女に対する無用な偏見や差別等を排除すべく、教育現場において道徳指導に力を入れること。
 他にも、努力目標ではあるもののかなりの量の細則が書かれていた。
「教育、か……」
「何?」
「いや……何でもない。それより、ちょっと行きたい所があるんだけど、付き合ってくれないか?」
「良いけど」
 そしてスコールは、ある場所へ行くことを提案したのだった。

 … … … 

 それが、2日ばかり前のこと。
 スコールとリノアは今、かつて戦乱に巻き込まれた一組の魔女と騎士の為、彼らの最後の地であるセントラの森で祈りを捧げていた。
 泉は、清浄で甘そうな水を湛えている。だがそれは、魅入られた者には毒となる、そんな水だった。
 スコールは、思う。「彼女」は、この泉を己に擬えて網を仕掛けていたのかもしれない。今度こそ「彼女」を裏切らない騎士を、手中に収める為に。
 哀れな魔女だった。求める者は、確かにずぅっと傍に在ったのに。
 自分が助けた、とは思わない。だが、助けのひとつになれたなら――魔女の騎士の一人として、これ程心休まることもない。
 思えば、悲しい話だった。だが、最後には救われたと信じたい。
 永い沈黙の後、リノアが顔を上げた。
「……終わり、かな」
「あぁ……」
 スコールも伏せていた目を上げる。
「やっと、終わりだ」
 濡れた髪から、ぽつり、と雫がこぼれ落ちた。
「でも、始まりでもある」
 泉に波紋を呼び起こした雫は、あっという間に水へ同化してしまってわからなくなる。だが波紋は、遠く遠くまで広がっていく。
「過去は変えられない。だから、未来を変える」
「……うん」
 リノアはゆっくりと立ち上がると、スコールへ寄り添う。
 スコールはリノアの肩へ手を回し、しっかりと抱き寄せた。リノアはその手を握り、泉を見渡す。
「見ていてほしい。俺達は、俺達の望む未来を、創る」
 何時しか雨は止み、淡い光が泉を照らしていた。泉にそびえる光の柱は、さながら、彼らへの祝福のようだった。

 第三次魔女戦争が終結し、世界の交通網は瞬く間に整備された。最近はティンバー港からセントラヘと向かう客船が就航し、半日程でセントラ大陸へ行けるようになった。スコール達はSeeDなのだから、ガーデンから高速上陸艇を借りることも出来る。だが、リノアがどうしても新しい客船に乗ってみたいと――何でも、女性に人気の美味しいデザートバーがあるのだという――言うので、バラムから大陸横断鉄道を利用して来たのだ。
 当然ながら、帰りも同じ道を辿って帰ることになる。
「はい、スコール」
 2人きりになりたくて、人の倍額は金を払い乗り込んだ特別車両。スコールがソファで寛いでいると、リノアがサービサーから購入したコーヒーを手渡してくれた。スコールはそれを軽く掲げて謝意を示し、そっと口にする。温かな香気に、ふと頬が緩んだ。
「……美味しい」
 リノアはくすっと笑う。
「久々だから尚更でしょ」
「あぁ……どこのかな、豆」
「マルゴー半島産だって。最近はエスタにも輸出してるって、サービサーの人が言ってた」
「へぇ」
 そう聞くと、そういえばこの甘い香りはどこかで嗅いだような気がしてくる。

『これはなぁ、オレがまだオヤジとオフクロと、弟といた頃住んでた辺りの特産品なんだ。最近になって、よーやくエスタにもトラビア回りで輸入されるようになってさ。懐かしいね……』

 そうだ、ラグナがそう言って出してくれたコーヒーの香りだ。となれば、ラグナはマルゴー半島近辺の出身ということになるのだろうか。
「スコール、スコール」
 取り留めのない思考に入り込みかけたスコールに、リノアは呼びかける。スコールが首を傾げて応じると、リノアは居住まいを正してスコールを見上げた。
「あのね、スコール。スコールは、将来のことって何か考えてる?」
「何だ急に?」
「いやほら、わたし達今年で18でしょ? ガーデンの一般生徒とか、普通の高校生とかは、そろそろ進路考える頃でしょ? だからわたし、なーんか気持ちが焦っちゃって」
 スコールゆっくりと頷いた。
「気持ちはわかるよ。皆、何かそわそわしだすんだよな。早いやつは夏頃からそんなで、学年的にも関係ないのにこっちまで何か慌てちゃって」
「うんうん、だよね! あ、それでね、進路の話なんだけど……何か、考えたりする? あ、それとも、SeeDだし20歳近くなってから考える、かな……?」
 リノアの言葉は、だんだんと弱気に尻窄みになっていく。スコールの頬に自然と笑みが浮かんだ。
「いや……俺、今ちょっと考えてることがあって。リノアになら、話しても良いかな……」
 リノアはぱっと目を輝かせ、首を傾げる。
「俺な、大学行こうかと思ってるんだ」
「大学」
 スコールは軽く2、3度頷く。
「大学行って、教職の勉強しようかな、って。SeeDとしては実質引退しなきゃいけないし、となると卒業ってことになるから、ガーデン出ないといけないし……それに、受験勉強もあるから、思い付きとしては超無謀だけどな」
 スコールが小さく笑って肩を竦めるとリノアは俯いてしまった。
「……考えてるんだね、いろいろ」
「いや、だから思い付きだって」
 そうは言っても、リノアの表示は晴れない。スコールはカフェオレを少し口にして、小さく息をついた。
「リノアは、さ。子供の時、何になりたかった?」
「わたし?」
 突然の問いに、リノアはきょとんと目瞬く。
「ん〜、ちっちゃい時は、お母さんみたいにピアニスト、とか、お父さんのお嫁さん、とか、ケーキが好きだからパティシエ、とか……プライマリースクールの時は、先生になりたかったなぁ」
 うふふ、と楽しそうに笑うリノア。スコールも口元を緩める。
「今は?」
「今? んん……漠然とね、考えてることはあるんだけど……」
「教えてくれよ」
「笑われそう」
「笑わない」
 リノアは少し俯き、恥ずかしそうにスコールを見た。
「…………あの、ね。ガーデンで、先生になれたら、って思ったの」
 スコールは片眉を上げた。それのどこが、「笑われそうな目標」なんだ?
「良いじゃないか。リノアならきっと良い教師になれる」
「あ、や、でも、動機が全く不純というか何と言うか……」
 両手をぱたぱた振って口ごもるリノアに、スコールは首を傾げる。
「……それって、俺に都合良く解釈しちゃって良いのか?」
「う、ごめん。そういう意味の不純じゃない」
「そうか、残念」
 リノアはスコールを見遣った。最近の彼は時折意地悪な冗談を言う。それも真面目な顔してそんなことを言うものだから、冗談か本気か、どちらか判別が付かない時がある。
 スコールが目で続きを促す。
「……あのね、わたし、きっと一生ガーデンから出られないとばかり思ってたの……」
「うん」
「でも、だからってぼーっとしてる訳にもいかないじゃない? だからせめて、お手伝いでも出来たら、って思ったの」
「そう」
「で……ね、昔、先生になりたかったの思い出して、そういえばSeeDには教員試験があったなぁ、とか思い出したら、もうそれしかないな、って思えてきちゃって……」
 口ごもるリノアの頭を、スコールは乱暴に掻き回した。そして、ぐいと自身の肩へ抱き寄せる。
「偉い」
「…………」
「偉い、偉い。リノアは本当に偉い。俺だったらそんな状況で前向きに考えることなんて出来ないよ」
「そんなこと、ない。スコールの方が偉いと思う。だってわたしは、大学行ってちゃんと勉強するなんて考えられなかった」
「それは『ガーデンから出られない』って思ってたからだろ? でも今は? 会議の結論は『保護観察』だからな、未来なんてどうなるか誰にもわからない。でも可能性は無限大にある。
 リノアはどうしたい? 何がしたい? 何になりたい? 時間は出来たんだ、ゆっくり考えたら良い。俺はいつでも、傍にいるから」
 あやすように撫で叩くスコール。リノアは甘えるようにスコールへ擦り寄り、目を閉じた。

「……そうですか」
 スコールから事の顛末を聞かされたシド・クレイマーは、じっくりと頷いてカップをテーブルへ置いた。
「残念ですねぇ。筆頭SeeDの君が、進学の為とはいえ一線を退くとは」
「少し早まっただけですよ。元々、20歳までも出来ないんですし」
 スコールは苦笑すると、自身の為に用意されたカップを取り上げた。中身は、温められたミルクだ。傷めた身体への気遣いなのかかつての習慣なのか、イデアはスコールへ蜂蜜入りのミルクを用意してくれた。
「それに、まだ引退するつもりはありません。進学してもSeeDの仕事はします。……学園長のお許しがあれば、ですが」
 そう言ってミルクを口に含むスコール。その温みに、知れず吐息が深くなる。
 シドは懐かしそうに目を細めた。
「君は昔から、それが好きでしたね。そうやって、ミルクを飲む時だけは両手でカップを持つのも変わらない」
「……何か、恥ずかしいです。子供だ、って言われてるみたいだ」
 肩を竦めるスコールに、シドは声を立てて笑う。
「当たり前でしょう。親にとってはね、子供はいつまで経っても子供なんですよ」
「…………」
 スコールは渋い顔をする。しかしそれも一瞬のこと。決まり悪げに微笑む顔は、どこかあどけない。
 シドはじっとその顔を見つめた。
 スコールと初めて出逢ったのは、まだ暑い盛りのウィンヒル丘陵の小さな村でだった。妻に抱かれて姉と共に連れられてきた、とても小さな赤ん坊。笑い方も泣き方も忘れたように生きてきた子。それがまぁ、随分と大きくなったものだ。
(歳を取る訳ですねぇ、私も)
 シドは小さく笑う。
「学園長?」
 首を傾げるスコールに、シドは「何でもありませんよ」とごまかした。
「さぁ……そろそろ、お開きにしましょうか」
「長居をしてしまってすみません」
「いや、引き留めたのは私ですよ。司令室の皆さんによろしく」
「はい。……ご馳走様でした」
 スコールはカップを空けると静かに席を立った。シドはカップを取り上げ、軽く掲げて挨拶の代わりとして……。
「……あぁ、スコール」
「はい?」
「言い忘れたことがありました」
 スコールは踵を返し、居住まいを正す。
「やると決めたことは、とことんまでやりなさい。但し、無理はいけませんよ。無理だと思ったら、すぐに助けを求めるように。君は何でも独りで背負おうとする悪い癖がありますからね」
 スコールは笑みを浮かべると、了解、とSeeD式の敬礼をして学園長室を後にした。

「ふっかーつ」
 やる気なさそうに言いながら足を踏み入れた司令室には、誰の姿もない。当然だ、今日は週に1度の公休日である。
 最奥のデスクには、書類が積み上がっていた。スコールは軽く息をついてデスクに就いた。全く、少しダウンしただけですぐにこれだ。ひとまず、郵便は片付けてしまわないといけない。それから、決済が必要な書類に目を通して、内容に不備がなければ担当に回して……。
「スコール」
 テンポ良くペーパーナイフを動かしていた所に、柔らかな声がかかった。
「やっぱり、ここにいたんだ。捜したよ?」
「リノア」
 苦笑しながら歩み寄るリノア。その手には何故か紙束が抱えられている。スコールは不思議そうにしながらも、額に降ってくる口付けを受け入れた。
「もうお仕事?」
「片付けくらいは、と思って」
 スコールがデスクを指し示すと、リノアは唇を尖らせてみせる。
「確かに、酷い状態。でもお休みの日にすることかな? リノアちゃん、そろそろ学園長とお話終わったかな、って思って図書室から真っ直ぐお部屋戻ったんですけど」
「悪かったよ……」
 諸手を挙げて降参するスコール。リノアはくすくす笑い、自身のデスクから椅子を引き寄せ腰を降ろした。
「図書室で何してたんだ?」
「んー、ちょっと、調べ物をね」
 リノアは手元の紙束をちらと見る。気になったスコールは紙束に指先を引っ掛け、紙を覗き込んだ。
「これ……問題集か?」
「あ、うん。バラム大の入試問題集があるってキスティに聞いたから、ちょっとコピーしてきたの」
 図書室には、一般生徒向けに大学受験用の問題集が所蔵されている。バラム大学等各国の国立大学に限って言えば、確か5年分は置いてあった筈だ。
「見せてもらっても良いか?」
「うん」
 リノアは快く紙束を差し出した。
「流石に国立、ちょっと難しいね。これは頑張らないといけないよねぇ」
「そうか……って、リノアも行くのか、大学」
「…………」
 顔を上げたスコールに、リノアは恥ずかしそうに口をつぐむ。それから暫し、彼女は俯いて指先をもぞもぞとさせていた。
「リノア?」
「……わたし、も……魔女のわたしでも、誰かに何か伝えられると思う?」
 スコールの目が、僅かに瞠られる。
「スコールが学園長室に行ってる間、考えてたの。あの手紙を、何回も読んで……。何で急にスコールが先生になるって言いだしたか、やっとわかった」
 リノアは淡い笑みを浮かべた。
「わたしの為、だね」
 スコールは無言だ。慌てて否定しないということは、則ち肯定。
 リノアは立ち上がり、スコールの頭を胸に抱いた。
「ごめんね、スコール。ごめんなさい……わたしがあなたの未来を奪ってしまう……でもね、嬉しいの。あなたがわたしを1番に想ってくれる……それが、すごく嬉しいの……ごめんなさい……!」
 涙に喉を詰まらせるリノア。スコールは彼女を支えるように腕を回し、その背をゆったりと叩いた。
 ……どれ程の間そうしていただろうか。
「リノア」
 スコールは静かにリノアの名を呼んだ。リノアはそろりと腕を緩め、スコールをの目を覗く。
「感激してくれたところ申し訳ないんだけどな、俺は何もリノアの為だけにこの道を選ぶんじゃないぞ」
「?」
「考えてもみろよ、俺がそんなにお人好しな奉仕精神の持ち主か? リノアは知ってるだろ。俺がどれだけ我が儘で欲張りな性格か」
 そう言われても、リノアは苦笑するしかない。確かに「我が儘で欲張り」な面はあるかもしれない。だがリノアは彼程周囲に気を配る人はいないと思っている。
「……何か、説得力ないぞ〜?」
「そうか?」
 そらっとぼけるスコールの額を、リノアは笑いながら突いた。スコールは少しのけ反り、目を細めて微笑む。
「やっと、いつもの調子だな」
「え?」
 リノアはきょとんとした。スコールは笑みを深め、リノアをしっかりと抱き直す。
「心配だったんだ。この間、セントラに行った時から元気なかったから」
 その目が本当に優しくて、リノアは泣きたいような気持ちになる。だから彼女は慌てて、恋人の髪に頬を擦り寄せた。スコールはその背をゆっくりと撫でる。
「俺は、リノアやミシュアが穏やかに暮らせる世界が欲しい。その為に何が出来るかって考えても、今まで何も思い付かなかったんだ。でもあの議会宣言で、道が見えた気がした。
 昔からの言い伝えで、誤った知識を持った人がいる。親から教わった話で、偏見を持つようになった人がいる。そういう人の気持ちを変えるのはとても難しい。
 でも、子供達は?
 子供は大人より素直で、どんな話でも水を吸い上げるように吸収してくれる。なら、その間に正しい知識……って言ったらちょっとおかしいけど、誤りを誤りと見極められるだけの知識を伝えられたら、きっといつか世界は変わる。そう思えたんだ。
 だから俺は、教師になろうって思った。いつかの未来、ミシュアも幸福になれるように。
 その未来を、リノアも一緒に夢見てくれるなら……俺にはこれ以上嬉しいことない」
「スコール」
 リノアの瞳があっという間に潤み、飽和する。零れかけた涙を、彼女の前髪を掻き上げたスコールの唇が吸い取る。
「わたしで……良いの?」
「あぁ、リノアが良い」
「わたし、魔女だよ? 魔女でも良いの?」
「魔女でも良いさ。魔女で良い」
 いつかの言葉を睦言のように囁き合って、2人はくすくすと笑う。そして、2人は徐々に近付き――。

「あ〜っ、やっぱりここにいた〜っ!」

「きゃあっ!」
 突如響いたその大声にリノアの背筋は伸び、勢い余ったスコールは彼女の胸に突っ伏した。
 それを見たサイファー――彼はコートの首をセルフィに捉えられ、逃げるに逃げられない状態だった――が、2人を交互に指差し目をひん剥く。
「おっ、お前ら! 人が見てないからって神聖なる司令室でいちゃつくんじゃねぇ!!」
「サイファー、落ち着きなよ〜」
「これが落ち着いていられるかぁ! ガーデンにはガキ共が沢山いるんだぞ?!」
 流石は風紀委員である。アーヴァインが苦笑しながら宥めるも、しばらく収まりそうにない。その背中をキスティスが両手で押して、司令室に入ってきた。ゼルもひょこっと顔を出す。
「はいはい、さっさと入ってちょうだいな。後ろ、つかえてるのよ」
「よぅっ、皆探してたんだぜ。スコールの全快祝いしようって、SeeD皆で準備してんだ」
 ゼルがそう言うと、セルフィがぱっと両手を広げてみせた。
「名付けて、『いいんちょお帰りなさいパーティー』! 今日は夜通し騒ぐよ〜っ!」
「………………あ、うん」
 真っ赤になったリノアは、かろうじてそれだけ返した。スコールはその胸に突っ伏したまま動けなくなっている。
 キスティスが苦笑した。
「お邪魔だったみたいねぇ……ごめんなさいね? でもガーデンの皆はずぅっと待ってたのよ、貴方達が帰ってくるのを。だから、今日だけはこっちに時間くれないかしら?」
「……嫌だって言っても、聞いてくれないんだろどうせ……」
 スコールはぐずぐずと呻くように呟くと、漸く顔を上げた。
「行けば良いんだろうが、行けば。先に言っとくけどな、あいさつなんか絶対しないぞ」
「おや残念。やってもらおうと画策してたのに〜」
「アーヴァイン・キニアス!」
「はいはいごめん、冗談冗談」
 諸手を挙げてけたけた笑う友人を睨みつつ、スコールは勢い良く立ち上がる。リノアは彼に場所を譲り、彼を見上げて首を傾げた。
「じゃあ、行きます?」
「しかないだろこの状況……ったく、どこまでも邪魔してくれるんだからこいつら……」
 がしがしと頭を掻きながら、スコールは大きなストライドで歩いていく。リノアはくすくす笑いながら彼に追従した。仲間達はそれぞれに笑いさざめきながら、2人を取り巻いていた。
「リノア」
 司令室を後にする寸前、スコールはすっと手を差し出す。
「ん」
 リノアはその手を取り、そっと寄り添う。
 祈りの形に結ばれた2人の手は、それから長いこと離されることはなかった。

 誰もいなくなり、明りの落とされた司令室。
 ガーデンの浮遊リングの光が、ブラインドを透かして微かにスコール達の机を照らしている。
 それはまるで、彼方の未来から届いた祈りのようだった。




Fine.