Guardian Ring


 それは、突然の話だった。
 TRRRR...。
「はい、こちらバラムガーデン司令室。SeeDキニアスがお受けします」
 仕事用の真面目な声色で、アーヴァインは直通外線電話に出た。これは親交のある各国首脳陣から繋がるホットラインであり、普段は滅多に鳴らない。鳴るとすればたいていのっぴきならない状態を脱却したいが為の依頼コール、そうでなければエスタからの個人的なコールである。最近は、エスタは大統領からのコール(スコールに言わせれば無駄話)が圧倒的だが……。
『いよっ、アーヴァイン。元気か〜?』
 今日は、エスタからのようだ。暢気な男の声が受話器から零れ、それを端で耳にしたスコールの眉間が僅か狭まった。彼のサインが入った書類を集め、印章を押しているリノアがそれに気付き、隣のセルフィと苦笑いを交わし合う。
 アーヴァインは相手が誰だか知るや、朗らかな笑顔を浮かべた。
「はい、元気ですよ〜。大統領もお変わりなく」
『止せよ〜、水虫くせぇ』
 漏れ聞こえる会話に、キスティスがそっぽを向いて口元を押さえて咳ばらいする。うっかり吹き出しかけたのをごまかしたのだ。
 この分なら、依頼のコールではないのだろう。何事かと聞き耳を立てていた面々が、手元の仕事に戻ろうとしたその時。
『実はよ、今回電話かけたの、ちっとばっかし見てもらいてぇもんがあるからなんだ』
 スコールを含めた皆が、アーヴァインの持つ受話器に視線を集めた。

 東の大国、エスタ。
 世界で最も化学技術を発達させ、開国した今では既に世界の重鎮となりつつある、かつての”沈黙の国”。
 この国を統べるのは大統領、ラグナ・レウァール。
 ……そう、この目の前でぴっかぴかの笑顔を見せている男こそ、そのレウァール大統領だった。
「よ〜、久しぶりだな妖精さん達☆」
「…………」
「お、お久しぶりですラグナさん」
 親しげに肩を叩かれても無反応を貫き通したスコールに代わり、リノアが些か引き攣った笑みでその人に挨拶を返した。
 ラグナは気にしていない様子で、リノアに目線を合わせるよう少し屈んで笑った。
「おぅ、元気そうだなリノアも。うんうん、元気なのが1番だよな〜!」
 豪快に笑って(何故か)スコールに「なぁ?」と同意を求めるラグナの姿に、皆はヒヤヒヤしていた。すなわち、いつスコールが爆発するか、と。
「……それで、何故自分達が()ばれたのでしょうか、大統領?」
 注目を集めている当のスコールは、無表情に問う。
 流石のラグナも顔をしかめた。
「お前、もーちょい会話しようぜ? 勤勉第一なのはいっけどよ」
「まがりなりにも任務ということで喚ばれたのでしたら、プライベートな会話は後回しにしてください」
「…………」
 あくまでも仕事中だと突っぱねるスコールに、ラグナは何か企んだ様子でにやり、と笑った。
「そ・れ・は……後なら良い、っつーことか?」
「……時間があれば」
 リノア以下、その場にいた面々は目を丸くした。あのスコールが、後で時間があればとの制約付きとはいえ、ラグナとの会話に応じると答えるとは。
 ラグナは嬉しそうに軽い調子で頷いた。
「うっし、わかった。んじゃま、時間もギリギリだしオダ研行こうぜ」

「大統領、遅いでおじゃるよ! オダインは待ちくたびれたでおじゃる!」
「わりーわりー、ちっと手間取ってよ〜」
 スコール達は、ここで初めて自分達を喚んだのがラグナではなくオダインであることを知った。
「……オダイン博士、何の用だろうね?」
 アーヴァインの耳打ちに、スコールは軽く肩を竦める。
「さぁな。変な事言い出さないように祈るだけだ……」
 例えば、魔女リノアを研究させろ、とか。
 自分の想像に、スコールはひそかに顔をしかめる。馬鹿な事を、と自分でも思うのだが、言い出しかねない台詞であるために不愉快な気分になってしまった。
 少し俯き、軽く頭を振る。と、そこに研究員が何かワゴンを押して部屋へと入って来た。
「見せたいのは、これでおじゃる」
 オダインは得意げに胸を張ると、ばさり、と勢い良くワゴンを被う布を取りのけた。
 そこに在ったのは、ひとつの金のリング。
 大きさは、男性用のバングルほど。デザインはアイビーが互いに互いを絡め合う華奢なもので、どう追っても結び目が見当たらない様はトラビアの伝統模様トラビアン・ノッツに似ている。
「……何だこれ?」
 ゼルの言葉は、まさしく今の全員の心情を表していた。
「聞きたいでおじゃるか? 聞きたいでおじゃるか? では聞かせてやるでおじゃる」
 いつもながら勿体振った話し方に、スコールは内心苛々していた。あまり気の長い方ではないと自覚している自分には、彼とリズムがさっぱり合わない。どころか、だんだん腹が立ってくる。多分、「天才だが人で無し」という先入観もあるのだろうが……。
「これはじゃな、オダインバングルバージョンツーでおじゃるよ!!」
 ところが、投下されたのはスコールにとって爆弾だった。
 バン! 思考が空転していた一同が耳にしたのは、スコールがワゴンの天板を殴り付けた音だった。衝撃でワゴンを飛び出したリング――バングルが、からん、と淋しげな音を立てて床に転がった。
「……これをリノアに付けさせる為に、俺達を喚んだのか……!」
 押し殺した声に怒りを滲ませて吐き捨てると、スコールは身を翻す。
「ちょ、まっ……スコール!」
 素早く部屋を出てしまった少年を追い掛けるべく、ラグナが駆け出した。
 オダインがふぅ、と息をつき、額の汗を拭う。
「怖かったでおじゃるよ。全く、リノアの騎士は気が短くて困るでおじゃる。まだ何の説明もしていないのに」
「……単刀直入に『オダインバングルバージョンツー』などと言えば、かの騎士どのがどれほどの反応を示すかわかっておられたと思いますが?」
 キスティスが、ささやかながら非難を込めてオダインへ問う。ゼル、アーヴァインも同様の表情をしており、セルフィに至っては一触即発、といった感じだ。ただ1人、リノアだけは平静を保っている。やや俯きがちな為か、顔色だけは悪く見えた。

「スコール!」
 外へ向かう廊下の中途でようやく追い付いたラグナは、かろうじてスコールの腕を捕まえて振り向かせることに成功した。
 ギロリと蒼い瞳がラグナを射抜く。
「おい、落ち着けって」
「落ち着け? 落ち着けだと? よくぞそんなこと言えるな喚んだ本人が! それとも何か? 『落ち着いて』SeeDの役目を果たせとでも」
「スコール」
 ラグナが、スコールの言葉を静かに遮った。スコールは息を呑む。ラグナの目は、平静な光を湛えていた。
 男は一息入れ、口を開いた。
「……あのな? オレはお前の為にしないことなんて、何ひとつないんだ。んで、同じように、お前がしんどくなるようなことは、何ひとつしたくない」
「……は?」
 スコールは、意味が掴めなかった。
 いや、頭では理解していたのだろうと思う。言葉の意味は元より、そこに篭っているのが真心であることも。
 が、意義がわからない。
 どうして、この男がこんなこと言うんだ? 俺に何かしたところでメリットも何もないのに。
 どうして……ドウシテ?
 思考が、推測が先へ進まない。進められない。話題的にパスしたい、というわけでもないのに、頭の奥でする声が思考を阻む――これは決して考えるな。考えれば、お前は壊れてしまうぞ――。
 ラグナは黙り込んだスコールの目の前で、居心地悪そうに身じろいだ。
「あぁ、まぁ、とにかく。今回の件はお前がいなくちゃどうにもならないんだ。SeeD責任者のお前が、な。……落ち着いたら、部屋戻って来てくれや」
 くるりと背を向けて、ラグナは歩き出した。その後ろを、困惑気味のあどけない顔をしたスコールが付いてくる。
「……?」
 ラグナは不可思議そうにスコールを見遣る。スコールは視線を嫌がるようにそっぽを向いた。
「……とりあえず、話は聞こうと思った」
「そーか」
 ラグナはニッと笑うとスコールの肩に手をかける。が、それは素気なく振り払われた。
「気安く触るな」
 そのまますたすたと先に行ってしまうスコールに、ラグナは肩を竦める。気を許してもらえるようになるまで、まだまだ前途多難のようだ。

 少し気まずげに戻って来たスコールに、リノアが寄り添ってきた。その顔は不安に満ち満ちていて、彼女の平静さがフェイクだったことを仲間達へ伺わせる。
 スコールはすまなさそうにリノアを見遣った。
「……ごめん、俺が取り乱してどうするんだよな。リノアの方が、不安なはずなのに」
「ううん、平気」
 口ではそう言いながらもスコールの肘を掴むその手は震えていて、スコールは本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 床に落ちたバングルの検分を終えたらしいオダインが、SeeD達へと向き直った。彼はスコールの顔をちらと見て、軽く息をつく。
「ようやく戻ってきたでおじゃるな、レオンハート。さてさて、では改めて説明でおじゃるよ……の前にお前達、『魔女のジャンクション仮説』は知っているでおじゃるか?」
 スコール達は顔を見合わせた。目だけで、互いに既知の情報なのかどうか探る。皆、知っている様子はない。
「初耳、ですが」
 キスティスが代表して、遠慮がちに答えた。
「やっぱりそうでおじゃるか、うむうむ。ではそこからでおじゃる。『魔女のジャンクション仮説』というのは、要するに魔女の持つ真性の魔力を『魔法のハイン』というG.F.として捉える仮説でおじゃるよ。魔女というのはエルオーネの外部接続のように、被接続者が自分でG.F.『魔法のハイン』を着脱出来ない状態を保持する者、と考えると、いろいろ説明しやすいのでおじゃる。
 唯一の問題は、魔女が複数人存在する理由を上手く説明出来ないことでおじゃるな。G.F.は基本的に、誰かがジャンクションすると他の人が使えなくなるでおじゃるからな」
 スコールは思う――その乱暴な風にも聞こえる説は、一体どこから出て来たのだろう。そして、今その仮説を聞かせる事に何の意味がある? リノアを普通の少女に戻せる訳でもない。
(――普通? リノアはリノアだ。SeeDである以上特別な存在で、俺には更に特別で――そもそも、普通な人なんて誰もいないな。皆誰かの特別……って、何考えてるんだ、俺)
 脇道にそれた思考を、頭を振って振り払う。
「……それで、俺達にその仮説が何の意味がある」
「せっかちでおじゃるな、レオンハート」
 オダインは大袈裟な溜息をつき、肩を落とした。が、すぐに復活を遂げると、バングルを指し示す。
「このバングルは、その仮説に基づいて作られたものでおじゃるが……睨まないで欲しいでおじゃるよ。ええと、作られたものでおじゃるが、実験中にまた別の効能があることがわかったのでおじゃる」
 勿体振って踏ん反り返るオダインに、スコール達はややうんざりしていた。彼らに共通する言葉はひとつ――「だから、何なんだ」、である。比較的気の短いゼルやセルフィ、スコールは何だか眉間にシワを寄せていたし、辛抱強いキスティスでも捕まえた両肘の片方をとんとん叩いている始末。リノアとアーバインは一応真面目に利いているものの、リノアは既に緊張が緩んでいるようで、もぞもぞと足を組み替えたりして落ち着きがない。
「それでよ、何なんだよオレ達SeeDを喚んだ理由ってのは」
 痺れを切らしたゼルが、不満げに問うた。
「ふむ、理由でおじゃるか。理由は、G.F.J.S.のバージョンアップの提案でおじゃるよ」
 G.F.J.S.――ガーディアン・フォース・ジャンクションシステム。
 それはガーディアン・フォースと疑似魔法を組み合わせて人体に装着することで、飛躍的に戦闘能力を高めるシステム。長期記憶に関した記憶障害が発生するリスクが高いために多用は出来ないものの、上手く組み合せればその恩恵は計り知れない。
 SeeDが世界最強の準軍隊でいられるのは、もちろん厳しい訓練の賜物でもあるが、(ひとえ)にこのシステムのおかげであると言っても過言ではないくらい、SeeDにとっては必要な技術である。
 そのバージョンアップの提案となれば、確かに有用な話ではある。あるが……話が全く別の方向に行った気がするのは気のせいか。
 一同は何となく疲れを感じ、胸の内で溜息をついた。
「……だから、俺達を……というか、俺を喚んだのか」
 スコールは漸く、納得いったという顔をする。成程、確かにSeeD責任者である自分が直接聴くのが一番早い話だった。
「この前、お前達の健康診断の結果を取り寄せたでおじゃるよ。やっぱり、G.F.を多用するSeeD連中には、負担がかかりすぎているようでおじゃった。オダインにはどうでもよいが、大統領がうるさいでおじゃるからな、このオダインバングルバージョンツーを造ったでおじゃる。オダインはこれに『ガーディアンリング』と名付けたでおじゃる」
「ガーディアンリング」
 スコールが復唱すると、オダインは満足げに数度頷いた。
「元々は、魔力を内側に封じ込めるオダインバングルの逆で、魔力を外側に切り離し、拡散させるというものでおじゃる。これがガーディアン・フォースにも応用出来るのでおじゃるな。リングに使用者の脳波データを打ち込んでおくことで、ガーディアン・フォースを頭にではなくリングに装着することが出来るようになるのでおじゃる!」
 さぁ讃えろ! とばかりに、オダインは胸を張った。それをさっぱり無視して、スコールは疑問を口にする。
「効果の程は?」
「……G.F.の方に関しては、リングを挟んで感応が悪くなる為召喚魔法の規模や威力はいくらか落ちるが、ジャンクションシステムの方は、従来よりも概ね3割程の能力増強が見られたでおじゃる。だから前よりもシステム的には良くなっているでおじゃるな。じゃが魔女に対してはデータなしでおじゃる」
「え、そうなんですか?」
 リノアが目を丸くすると、オダインはほとほと呆れ果てた、といった風情で盛大な溜息をついた。
「オダインが知っている現代の魔女は、リノア・ハーティリー、お前だけでおじゃる。そんなお前をレオンハートが肌身離さず手元に置いていては、実験したくても出来ないでおじゃる」
 確かに、最もな言い分である。リノアは何か考えるそぶりを見せた。
「んん、じゃあわたし、データ提供しなきゃ、だよね」
 彼女なりに覚悟を決めたのだろう。少し緊張した面持ちで、バングルに手を延ばす。が、その手より先に、男の手指がバングルを搦め捕った。
「先に俺が試す」
「スコール」
 キスティスが見咎める。
「わかってるの? あなた、ガーデンの司令官なのよ? 実験台だなんて……」
「司令官だからこそ、だ。ガーデンの子供達全員の命を預かる立場なんだ、命を預けるシステムを試すのはまず俺であってしかるべきだろ」
 キスティスは二の句が接げなかった。彼の言っていることは 正しい。全く、正論だ。 オダインが頷いた。
「うむ、平均的な軍属男性の脳波を仮登録してるので、それが良いでおじゃろ。では実験室に行くでおじゃるよ。この隣でおじゃる」

 スコールは1人、実験室に入っていた。
 ちょっとした教室くらいはあるこの小部屋は、ある一面だけ上半分が強化ガラス張りになっており、観察室のコンソールパネルがその向こうにある。だから仲間達やスタッフらとスコールは、ガラスを隔てて向かい合わせになっていた。スコールのSeeD服を預かっているリノアが、不安げな顔で彼を見ているのが、真正面に見えている。
 スコールはほんの少し微笑んでみせると、手の中で弄り回していたバングルを開き、左手首に嵌めた。カシャン、と小さな音を立て、バングルは完全な円形を取り戻す。
 実験スタッフがコンソールに生えたマイクをオンにした。
「どうですか? 何か不具合や気にかかる点はあります?」
『今は特に何もありません』
 ガラス壁の上部に取り付けられたスピーカーから、スコールの返答があった。
「G.F.はいくつありますか?」
『事前の要請に従って、あるだけ連れてきましたが。魔法のカートリッジも手分けして一通り』
「そうですか。では、ローレベルG.F.の装備をお願いします」
『了解』
 そう応答して初めて、スコールはバングルの使用法や注意点を何ひとつ聞かされてないことに気が付いた。
『……装備は、どうやって?』
「あぁ、すみません。通常通りやってください。普段と同じように」
『はい』
 スコールは、目を閉じる。意識を凝らすと、目の奥に光を感じた。炎の朱、雷の黄、氷の蒼……その内のひとつに手を伸ばし、助力を請う。
 選ばれたのは、イフリート。スコールの背後に陽炎のような姿現した『彼』は、スコールの身体へ重なるように姿を消した。
『……ぐっ……』
 不意に、スコールが苦しげに顔を歪め、口許を押さえる。
「スコール!」
 リノアが悲鳴じみた声で彼の名を呼んだ。仲間達に緊張が走る。
『……参ったな、薬を持ってくるべきだった……』
 出来るだけ吐き気を無視し、首筋を揉むスコール。彼は頭痛を起こしたときに、よくこういうことをする。
 スタッフがオダインを振り返った。
「博士、そろそろ」
「うむ、やるでおじゃるよ。本当はもう少し計測したかったでおじゃるが、ま、限界でおじゃろ」
 何の許可だろう、とリノアは不安になった。
 最近知ったのだが、スコールはそんなに身体が強くない。第三次魔女戦争の折りに少し弱らせたのもあるが、そもそも持って生まれた身体がそうなのだと彼は言う。カドワキ先生など、「スコールが風邪引いたら、あぁ今年もそろそろ冬だな、なんて思うもんだよ」などと笑っていたくらいだ。
 これ以上実験を続けて、彼が苦しむ姿など見たくない。もうやだ、もうやめて。そう叫びたくなって、リノアはスコールのSeeD服を強く握り締めた。そして、スタッフの何か操作している様をじっと見続けていた。
「レオンハートさん」
『……っ、大丈夫です、いけます』
 顔をしかめながらも――恐らく、彼はきつい頭痛を堪えているのだろう――そう言うスコールに、スタッフはにっこりと微笑む。
「えぇ、テストを止めるつもりはありませんよ。今、腰の高さ辺りに小窓が開いたでしょう? そこにバングルを翳してください。すぐにデータを書き換えますから」
『小窓?』
 スコールの視線が数秒彷徨い、どこかに止まった。確かに、滑らかな壁にぽかんと四角い穴が空いているのだ。バングルをかざすと、中からせり上がって来た接続ジャックが、バングルの意匠であるアイビーの葉のひとつととリンクした。どうやら、この一際大きい葉にこそ、肝心のデータチップが入っているらしい。
 オダインが見つめるパネルには、波打つオシロスコープのようなものと「15%」という数値が表示されている。
「うむむ……やはり親子で波形が似ていても無理でおじゃったな。固体差故に反発が発生したようでおじゃる。もう少し波形データを精錬してから使いたかったが」
「……親子?」
 キスティスが聞き咎める。スコールが実験室に入ってからこっち、彼女は酷く神経質になっていた。
 パネル表示が「30%」になった。
「あのリングに仮登録していたのは、大統領の脳波データでおじゃる。本来こういうものは、他人のデータを使うなど発狂の元でおじゃるよ。大統領とレオンハートの間には血の繋がりがあって、脳波の波形の山が似通っている。だから拒絶反応が起きても頭痛程度で済んだのでおじゃる」
 オダイン達スタッフを除く皆の視線が、ラグナに集まる。彼は、居心地悪そうに頬を掻いた。
「博士よぉ、今の言葉……」
「マイクを切ったので、レオンハートの耳には入ってないでおじゃる」
「そっか」
 ホッとした顔で息をつくラグナ。
「……どうして?」
 リノアが小さく首を傾げると、セルフィも頷いてが身を乗り出した。
「どうしていいんちょの耳に入ったらダメなの〜? ラグナ様〜」
 無知故の無邪気な問いに、ラグナは苦い笑みを浮かべてみせる。
「あいつは俺を知らずに育ってきた。だからあいつは、俺を受け入れないだろう」
 パネルの数値は、「60%」になっている。
 ラグナは感傷を覚えた。
 スコールのはめたバングルから、自分のデータが消えていく。親子とはいえ違う人間、波形が適合しないなら書き換えるしかない。わかっていても、スコールに自分が拒絶されたようで。
 ――自分勝手、だな。
『……何の話をしてるんだ? 皆だけで』
 突然、スコールの声が割り込んだ。皆が慌てて目を向けると、彼はどこかいじけたような表情をしている。
『マイク入ってないだろ』
 とんとん、とガラスを叩いて抗議するスコール。どうやら、仲間はずれにされた気がして面白くなかったらしい。
 リノアは思わず頬を緩めた。彼は最近、こんな風に人の会話に入ってきたがる傾向がある。司令官に据えられてからこっち、嫌でも口を使わなくてはいけなくなって、会話の愉しさに目覚めたらしいのだ。
「あぁ、すみません。頭痛の方はどうです?」
 スタッフがにこやかにスコールへ問うと、スコールは軽く頷いた。
『大丈夫そうです。おさまってきました』
「それは良かった。では、すみませんがテストに付き合って下さいね」
 スコールは気を引き締めた。実際の実験は、まだまだこれからである。

「……疲れた」
 実験室から出て来たスコールが、ぼそりと零した。
 苦笑いを零すアーヴァイン。
「お疲れ、どんな風だい?」
「見ればわかるだろ」
 スコールは大きな溜息をつくと、スタッフに勧められてコンソール前の椅子に座った。背もたれに寄り掛かると、汗まみれのシャツが背に張り付く。気持ち悪いのだが、女子もいるので脱ぐわけにもいかない。
 実験は結局、相当に長い時間スコールを拘束した。あらん限りのパターンで実験を行ったからだ。ローレベルG.F.は何体装着出来るのか、ミドルは、ハイは、から始まり、ジャンクションによる能力向上の程度、疑似魔法の威力幅、エトセトラ、エトセトラ。中には、スコールには何の意味かわからないものもあって、中途から彼をうんざりさせていた。
 現在、実験室に入っているのはリノアだ。スコールが先に実験したのが幸いか、リノアがやるのは脳波測定と魔法実験だけらしい。今、彼女はG.F.をジャンクションしていない。
 スコールが実験室に目を向けると、リノアは無邪気に微笑んで手を振った。
『やほ〜、スコール☆』
「……大丈夫か?」
 スコールがそう言うと、リノアは耳に手を当てて首を傾げた。スタッフがマイクをオンにし、スコールを促す。
「大丈夫か? 頭痛いとか、そういうのは」
『うん、スコールみたいにぶっつけ本番じゃないもん。先に脳波打ち込むって言ってたから』
「そうか。俺はやられ損だったんだな」
 珍しい軽口を叩いてリノアが笑ったのを確認し、スコールはほっと息をついた。あんな痛み、経験しなくて良いならその方が良い。
 オダインが眉間にシワを寄せた。
「リノア、集中するでおじゃるよ」
『そう言われても……』
 唇を尖らせるリノア。
『急に言われても、ヴァリーなんて出せないわよ』
「出来ないでおじゃるか?」
『できませんっ』
「ふむ。他には?」
『他?』
「魔法カートリッジは持たされているでおじゃろ? 使ってみるでおじゃるよ」
『…………。……だめ、やっぱり無理。っていうか、ジャンクションしてない状態で魔法ってどう使うんだろ? ねぇ、皆』
 SeeD達は、全員肩を竦めるか苦笑するしかない。軍隊でのスタンダードな疑似魔法の使い方は知らないのだから。
『おっかしいなぁ、いつもならちょっと探ればすぐに触れるのに』
「……触れる?」
 言葉の違和感に、スコールが首を傾げた。
『うん。あのね? いつもは、G.F.みたいにちょっと探るとすぐ見つかるくらいのところにあるんだよ。今日はちょっと、うまく見つからないなぁ。あった! と思っても、手が届かなくて……逃げ水みたいな、感じ』
 もちろん、捕まえたところで全然使わないんだけどね。
 これを聞いていたスコールは、少し不思議な気分になった。ある意味、オダインのいう「魔女のジャンクション仮説」を支持する証言のように聞こえたからだ。少なくとも、彼女は魔女の力を個体として捉えており、G.F.とそれを同列に認識している。
 スコールは僅かながら期待感を持った。が、すぐにかぶりを振って打ち消す。オダイン博士が言っていたではないか、「魔法のハインというG.F.を自ら外せない」のが魔女だ、と。
(――馬鹿だな、俺。仮説を聞きながら、思いっきり否定したの、誰だよ)
 そうして、酷い自己嫌悪に陥った。結局自分は、彼女を普通の少女にして手元に置いておきたいのか。無力な、護ってやらないといけない存在にしておきたいのか、と。
 だが、彼女とてSeeDの一員だ。来年度の筆記試験に合格するまでは準隊員扱いだが、それでも背中を預けるべき仲間の1人。彼女が人並みに強いことは、認めて誇るべきことなのに……。
「おいおい、どうしたんだぁ? 俯いて」
 彼の様子を表情で察した仲間達はそっとしておいてくれたのに、ラグナは逆に彼へと声をかけた。
 スコールが前髪の隙から剣呑な目付きで――好むと好まざるにかかわらず、気分が悪いと彼はこうなる――ラグナを眺めると、ラグナは「おぉ恐」と肩を竦める。
「あんましんどそうな様子、見せんなよ。リノア、不安がるだろ?」
 そう言って親指でガラス壁を示すラグナ。スコールがはっと顔を上げると、リノアは心配そうに彼を見ていた。その頭が、横に少しだけ傾ぐ。スコールは淡く笑みを浮かべると、小さく頭を振った。が、リノアの表情が晴れない。
 スコールはスタッフに断りを入れ、マイクをオンにした。
「心配することは何もない。集中しろ」
『でも、スコールしんどそう』
「本当に何でもないさ。……ただ、馬鹿なこと考えてただけ。後で話す」
『…………』
 リノアは息をついた。そんな風に言われては、引き下がるしかないではないか。
 最近、スコールは多少自分からも話すようにはなった。些かつっかえ気味なことも多いが、一言一言、彼は話す。仲間内ではより積極的に、プラスの感情もある程度は零すようになった。
 だが、やはり話さない部分、隠してしまう感情も多く、リノアはやりきれない。1番分け合いたい部分は、そこにこそあるのに。彼は、時折見せる寂寥の訳を、リノアには決して語らない。
「……集中してるか?」
『しっ、してますー』
 訝しげなスコールの声に、リノアは慌てて意識を集中させた。
 ……といっても、先程からどんなに頑張っても「魔女の力」にかけらも手が触れないのだ。これはどういうことなのか?
 リノアは試しに、1番相性の良いG.F.へと手を伸べてみた。
「リノア〜?」
『ん、ちょっと』
 不思議そうなセルフィに手を振ってみせ、リヴァイアサンをジャンクションする。
『あれ? これは普通に出来た』
「何がどうしたの?」
 リノアが、突然指示されていないG.F.装備をしだしたことに、キスティスが不審げに問いかけた。
『あ、うん。んー……』
 歯切れ悪いリノア。
(何とした? 主よ)
 ――誰?!
 その途端、世界が反転した。
「リノア!!」
 スコールの叫びを最後に、リノアの視界が闇に包まれる。
「え、え、え、何?!」
(落ち着き下さい、別に何もありませんから)
「え?」
(きみにちょっと話したいことがあったからサ)
(申し訳ない。抵抗なく我等を受け入れてもらうには、これしかなかったのだ)
 声はすれど、姿は見えない。リノアは周囲の闇を見回した。
 不思議なことに、恐怖は感じなかった。どころか、温かな感じがする。
「……だぁれ?」
 ふわり、と光が燈った。清けき水の(あお)、強い護りの力を宿す翠、そして静かな金。よく見ると、彼らの間にはもうひとつ、弱々しい白い光がある。
 そう、「彼ら」、だ。落ち着けば、すぐにわかった。
「リヴァイアサンに、カーバンクル、それとセイレーンね」
 皆、リノアと相性の良いG.F.だ。
「皆が喋れるなんて、びっくり」
(人は、なかなかその事実に気付かないものだ。我等はいつも、人に話しかけてはいるのだがな)
(そうそう、イフリートが話すのを聞いてる子供達はともかく、大概の人はボクらが話す訳無いと思ってるんだよね。人のカタチをしてないから)
「そうなの……え、じゃあわたしは?」
 金の光から、微笑む気配がした。
(あなたが持つ魔力に、私達の力をぶつけ、無理にチャンネルを開きました。ですので、あまり長くは……)
(手っ取り早く説明しようと思うので、その心、我等に暫し貸してほしい)
 リノアは、ゆっくりと頷いた。
(まず最初に覚えておいて欲しいのは、ボクら、人が大好きだってことなんだ)
(だから私達はあなた方に力を貸したいと思うのです。ですが、あなた方の身体はあなた方で充ちていて、とても私達はその身に自由に在ることは叶いません)
(なればこそ、主等が最も『薄い』場所――記憶の座に、我等は割り込むこととなる。主等を害するは本意でないが、宿る場が他にないのだ)
 説明なのか、言い訳なのか。リノアは3つの光の話を静かに聞いていた。
(この子も、そうなのです)
 弱々しい白い光は、そうっとリノアに近付いて来た。その速度は極端に遅い。まるで、怯えた子猫のよう。
「……大丈夫、怖くないよ」
 指先で撫でるように触れたとき、あ、とリノアは気が付いた。
 コレハ、『魔女の力』ダ――!
 光がふるりと小さく震える。
(いけません、主を傷付けるつもりですか)
 金の光――セイレーンの叱声に、白い光はふわりと離れた。
(わかるだろう? 実体を持たぬアレの心は、常に怯えに充ちている)
 碧い光――リヴァイアサンの呆れた気配が空間に充ちた。人間なら、嘆かわしい、と首を振る感じだろうか?
(強大な力を持つのに自分で制御出来ない、おまけに何の心配もないのに世界を怖がって……ねぇ、リノア。あの子、何に反応すると思う?)
 翠の光――カーバンクルの問いに、リノア首を傾げて考えた。
「わたしの、『何か』だよね?」
 リノアは考える。
 魔女の力。今まで、「在る」ことに恐がるばかりで深く考えてみようと思ったことはなかった。
(魔女の力、魔法の力。そういえば、どんなときに使ったっけ……?)
 いつもは意識して使うことはない。使うときは、大概無意識か、極度に緊張しているときばかりだ。
 例えば、バトルのとき。皆が危ない! と思うとき、頭がかぁっと熱くなった状態で訳も解らず手当たり次第に目についた魔法を投げまくることがある。オダイン博士やイデアによると、「ヴァリー」と呼ばれる状態らしい。このときは、普段使う擬似魔法の威力がかなり高まっているらしいが、当のリノアは焦っていて、そんなことは気にしていられない。
 例えば、命を守るとき。魔女戦争の折りに宇宙に漂ったときは、ただ怖かった。自分を追いかけて来てくれたスコールを死なせることが怖かった。だから無我夢中で、感覚に触れた「何か」を手繰り寄せたのだ。それがエスタの飛空挺、竜機ラグナロクだったのには流石に驚いたが……。
 リノアは、急に恥ずかしくなった――何てこと、発動させるときは決まってスコールが関わっている!
 正確に言うと、スコールの危機に対する、「恐怖」。そして、仲間を失うことへの「怯え」。
 ひょっとして、これだろうか。リノアは自分なりの答を口にしてみた。
「わたしの……『恐怖』?」
(お見事!)
 はしゃぐように跳ね上がるカーバンクルの声。リヴァイアサンも頷く。
(左様。主の恐怖に、アレは酷く反応を示す。実体なきが故、尚更に)
「でも、ならどうしたら良いの? わたし、自分の気持ちを宥める方法さえわかってないのに、その子を宥めるなんて出来ないよ!」
 癇癪を起こしそうになったリノアの肩に、背中越しにそっと誰かの手が触れる。
(大丈夫です)
「セイレーン」
(大丈夫、あなたはただ、あなたの安寧を守って下されば良いのです。さぁほら、見てください)
 金色の爪持つ指先が、あの白い光を指し示した。
(私達は今、あなたが腕にはめたあのリングに座を構えています。あれはあなた方を害することなく、あなた方を助けることの出来る素晴らしい『座』。それだけでも有り難いことなのに……ほら)
 白い光の周囲に、どこからともなく金色のアイビーが顕れた。それは柔らかな円を描き、白い光を閉じ込める。――いや、違うのか?
「――子猫?」
 ぱん、と光が弾け、小さな黒猫が姿を現した。その小さな背には小さな白い翼があり、また首には金色のリングがはまっている。
(あのリングはアレにカタチを与えた。それはアレに安定をもたらし、主が恐れる事柄への『怯え』を和らげる)
(もちろん、完全に消えることはないよ。人がそれを忘れることが出来ないように。だけど、あなたとリングがカタチを与えたことで、あの子は随分落ち着くみたい)
 リノアはちらと手首のリングを見た。
「……じゃあわたし、ずっとこれを付けてなきゃいけない、のかな」
(否、それは違う)
 リヴァイアサンがかぶりを振った。
(アレはいつもまどろみの中に在る。主が恐怖を覚えた時にだけ、アレは目を覚ますのだ)
(ですから、過剰に恐れないで。あなたの心の安定こそ、あの子の安寧なのですから)
(付けたくなければ普段は付けなきゃ良いのさ。だってボクら、バトルにしか役立たないからね。あの子も同じ。普段はまどろみの中)
「そっか」
 リノアはふと微笑むと、黒猫に手を伸ばした。
「おいで、怖くないよ」
 黒猫はそっと近づいてくる。そして、リノアの指先をぺろりと舐めた。
「いい子、いい子……そうだわ! あなたには、わたしが知ってる1番優しい人の名前をあげる。あなたは今日から……『イデア』、よ」
 途端に、世界にノイズが走った。
 リノアは目を眩ませ……意識が、途切れた。

「……ノア、リノア!」
「スコール……?」 
 あまりの眩暈に目をつぶったリノアが次に目にしたのは、スコールの蒼い瞳だった。そこには怯えが揺らいでいる。
 彼はリノアが何事もないかのように自分を認識したことに安堵の溜息をついた。
「立ちくらみか、貧血かな。とにかく、大丈夫か? どこも辛くないか?」
 スコールの慌て振りが、リノアには少し滑稽に見える。
 スコールを安心させるべく、大きくはっきりと頷くリノア。
「うん、大丈夫だよ。ねぇ、私どれくらい気絶してた?」
「……2、3秒程度だと思うが」
「あれ、それだけ? じゃあ本当に、『あまり長くは』なかったんだ」
 手首を返してリングを見遣ると、金色の葉がキラリと照明を弾いた。
 スコールはそれを苦々しげに睨み付ける。
「……それのせいか。それで気分悪くしたんじゃないのか」
「え? あぁ、違うよぉ。心配しないで」
 笑顔でひらひらと両手を眼前で振るリノア。いつもの、ちょっとふざけたような物言い。それはいつものリノアだ。
 スコールはとりあえず、彼女の膝裏に手を差し入れた。
「なっ、何すんの?!」
「貧血かもしれないだろ。少し休めないと」
「いやっ、歩けるから!」
 リノアは両手を振ってアピールしたものの、抵抗虚しく抱き上げられて実験室をでるはめになった。
(あぁあ、みんな見てるじゃないのー!)
 真っ赤になった顔をスコールの肩に埋めるリノア。だが彼女に対する冷やかしの言葉は耳に入らなかった。むしろ入って来るのは、気遣いのものばかり。
「大丈夫〜?」
「今日、ひょっとして体調悪かったかしら?」
 セルフィとキスティスが、心配そうにリノアを覗き込もうとする。リノアはちら、と目線を向けると、ぐずるように身をよじった。
「スコール、降ろして! 何ともないって、今訳を話すから!」

 リノアは、先程体験したことを洗いざらい話した。
 見た目には気付かなかったが彼女は相当興奮しており、皆が全体を理解出来る程度に話を聞けた頃には、スタッフが気を利かせて出してくれたコーヒーがぬるくなっていた。
「良くやったでおじゃる! これで仮説は証明されたでおじゃるよ!」
 喜々として騒ぎ出したオダインを欝陶しげに睨むスコール。オダインがたじろぐと、彼は鼻を鳴らしてリノアに向き直った。
「……で、それをずっと着け続けるつもりなのか」
 金糸で編まれた華奢なデザインなのに、彼の目には手枷に見える。
 リノアは頭を振った。
「ううん。カーくんが言うには、普段は寝てるから付けなくても大丈夫って。むしろ意味ないみたい」
「『カーくん』って……」
 仲間達はうっかり噴き出しかけ、危ういところでごまかした。多分、カーバンクルの事だろうとは、わかる。わかるがその緊張感のない呼び方は一体何なのか。
 唯一スコールだけが本気で呆れて溜息をついた。
「……お前、全部にヘンな呼び方してないだろうな?」
「してないよぉ、カーくんだけ。可愛くない? 『カーくん』」
「…………」
 スコールは何とも言えず、俯いて文字通り頭を抱えた。
「で、まぁ、とりあえず、イデアは大丈夫そうだから」
「『イデア』?」
「あ、名前つけてあげたの。わたしが知ってる人の中で、1番優しい人の名前」
 ねー、と胸を柔らかく叩いて「イデア」とやらに同意を求めるリノア。
「あながち、間違った名前じゃないかもしれませんね。『イデア』は、セントラの古い言葉で『理想』の意味ですから
」 研究員が尤もらしい、と笑った。
 確かに、その通りなのだろう。「優しくあれ」と、彼女は願うのだから。

 任務という名の実験が無事終了して数日過ぎた。
「郵便チョコボでーす」
 がらがらと台車を押して、1人のSeeDが司令室にやってきた。台車に載せられているやや大きめの箱には、エスタの国章が印刷されている。
「『割れ物注意』とか何とか書いてあるけど、誰かエスタからの荷物に覚えある人ー」
 こういう言い回しは大体、手ぇ挙げて、と続く。それに応じ、スコールが書類を見たまま、ひょいっと手を挙げた。
「あ、司令官ですか。……金属製品みたいですけど、また何買ったんです?」
「何でプライベート確定なんだよ」
 憮然とするスコール。司令室にぱっと笑い声が上がる。
「ミーティングスペースに置いててくれ。すぐに開けるから」
「早く見たいからって仕事ほっぽらかさないで下さいねー」
「誰がほっぽらかすか、誰が」
 盛大な溜息をついて、郵便係を追い出すべくジェスチュアを送るスコール。郵便係は敬礼を返し、荷物を置いて出ていった。 スコールが席を立つ。
「あら、本当にすぐに開けるの? なら追い出さなくても良かったんじゃ?」
「一応、機密だ」
 キスティスは軽く頷き、カッターナイフをスコールに投げ渡す。スコールは無造作に箱を開くと、中身をひとつ出してみせた。
 金色の、リング。そう、あの「ガーディアンリング」だ。
「俺達6人専用分と、一般SeeD用の書き換え可能分、計20個。マルチメンテナンスユニットが1台」
 納品書を読み上げながら、中身を数える。興味津々のSeeD連中がいつの間にか周りを囲んでいた。実験に参加したキスティスが、どういう仕様のものなのか皆に説明し始める。
「わぁ、届いたの?」
「見せて〜!」
 リノアとセルフィが興奮した様子でスコールの手元を覗き込む。スコールは邪魔にされるのを避けるように自らその場を譲った。
 中には、大事そうに緩衝材に包まれたバングルが並べられている。セルフィとリノアはそれを片っ端から開いていく。
 リライタブルタイプは、試作品のデザインと同じ絡み合うアイビー。勿論、2人の目的はそちらではなく、自分達6人の専用品の方である。
「あった!」
「どれどれどれ?」
 セルフィが掲げたのは、鈍い金に光る複雑な編み目模様のバングル。
「やっぱりこういうのはトラビアンノッツが1番だと思ったんだよ〜」
「トラビアンノッツ?」
「ん、あたしの地元では幸運のお守りなの。結婚式のお祝いカードにも書き込んだりするし……戦地に向かうときに、これを刻んだお守りを親密な人同士で交換して無事を祈ったりするの」
「へぇ……良いね、そういうの」
 リノアが何のてらいもなく笑顔で言うと、ない裏を読んだセルフィは頬を染めて慌ててそっぽを向いた。
「リ、リノアのはどれやろ〜?」
 がさごそと箱を引っ掻き回し、セルフィはあるふたつのバングルを取り出した。セルフィから取り上げたアーヴァインが、矯めつ眇めつ検分した。どちらかといえば、女性が好みそうなデザインになっている。それが、大小ふたつ。
「同じデザインだね。これはどっちのペアだい? ゼル? スコール?」
 慌てた風で掻っ攫ったのは、スコールだった。
 途端ににやにやしだすアーヴァイン。スコールの意図をしっかり悟った彼は、からかう気満々でスコールの肩に手をかけた。
「ほーぅ、成程ね〜。それ、『コーディアル』の新作にそっくりじゃな〜い?」
「い、良いだろうが別に! デザインくらい遊ばせろっ」
「悪いとは言ってないだろ〜。ただ、リノアが喜びそうだな〜、と」
 スコールは苦虫を噛み潰したような顔で鼻を鳴らし、恋人を手招いた。リノアが彼の元へ向かうと、小さい方のバングルを受け取らされる。それを見たリノアは、ぱっとスコールの顔を見上げ、恥ずかしそうに俯いた。
「なぁ、キスティス」
「なぁに?」
 今まで黙りこくっていたゼルが、傍らでメンテナンスユニットを検分していたキスティスへ声をかけた。
「『コーディアル』の新作、ってどんなのか知ってるか?」
「えぇと……女性用の、ちょっと変わったバングルだったわ。留め金が変わっててね、鍵がかかるようになってるの。鍵は恋人が持つの」
「……確か、このバングルも鍵がかかるよな? バトル中に外れないようにってことで」
「そうねぇ。……あ」
 キスティス達の見ている前で、リノアの手に鍵がひとつ落とされた。そして当然のように、スコールの手に鍵が渡される。立ち位置の関係でスコールの顔は見えないが、リノアはやたらに幸福そうな笑顔だった。
「……お約束な奴ら……」
「何だか、見ちゃいけないもの見た気分ね」
 砂だか砂糖だかを盛大に吐き出してすっきりしたい気分に駆られるが、そんなことが出来る訳でもなし……。
 ゼルとキスティスは顔を見合わせて苦笑し、自分達のバングルを手にしてSeeD達への説明を再開することにしたのだった。




Fine.