「おはよう、スコール」
朝の爽やかな光の中、リノアはベッドの住人に声をかけた。
応えはない。
「おはよう、リノア」
代わりに挨拶を返したのは、保健室の主であるドクター・カドワキだ。
「あ、おはようございます、カドワキ先生」
深々と頭を下げるリノアに、カドワキは微笑む。
「あんた、頑張るねぇ」
「わたしに出来るのは、これくらいですから」
リノアは寂しげに笑みを返すと、ベッドを振り返る。
そこには、昏々と眠るスコールがいる。
任務終了から数日。
立役者の1人であるスコール・レオンハートは、未だ意識不明のままだった。
後に「第三次魔女戦争」と呼ばれる大戦が、エスタ大統領発案「愛と友情、勇気の大作戦」に因って秘密裏に集結した。
割かれた戦力はたった6人の少年少女――4人のSeeDと、1組の魔女と騎士――のみという、あまりに無謀で目茶苦茶な作戦は、辛うじて成功を掴み取った子供達が命からがらの帰還を遂げて終わりを告げた。
――ただ1人を除いて。
「魔女の騎士」スコール・レオンハートだけは、未だ生死の狭間をたゆたっている。
「仮令目覚めたとしても、脳障害や麻痺が遺ることは覚悟しておかないとね……」
彼に点滴やら何やら繋ぎながら、バラム・ガーデンで保健医を勤めているドクター・カドワキはそう断じている。
それを聞かされたリノアは、割と平然としていた。
彼女いわく。
「それでも、生きていてくれるから、良いの」
それが、ただの強がりなのか、本心なのか、誰にもわからない。
リノアは毎日、スコールの元に通う。
最初こそ保健委員達が眉をひそめていたが、毎日来ては関節が固まらないようにとリハビリをしている彼女の姿に、いつの間にか皆ほだされていた。
「早く良くなりますように」
いつも彼女はそう言って、スコールの手を両手で包み込み、祈る。
だが1度だけ、彼女は弱音を吐いた。
「スコール……寂しいよ。強がってみたけど、寂しいよぉ……早く目を覚まして、わたしを見て……そうじゃないと、わたし……」
泣きそうな顔をして恋人の耳元で呟いた彼女の姿を、誰もが見て見ぬ振りをしていた。彼女を気遣い、事あるごとに食事や気晴らしに連れ出していた、仲間達も。
――ひょっとしたら彼自身も、心配していたのかもしれない。
その瞼が久方ぶりに開かれたのは、リノアが彼の耳元で呟きを零した翌日の、午過ぎだった。
「先生!」
連絡を受けたリノアは、瞬く間に保健室へ飛び込んで来た。
「あぁ、来たね」
本来なら叱るところだが、カドワキは苦笑して手招きする。
「奥に皆いるよ。一緒に顔見ておいで」
リノアはこくこくと頷き、慌ただしく奥のベッドスペースへ向かった。
「あ、リノア〜!」
頬に絆創膏を貼ったセルフィは、姿を見せたリノアを諸手を上げて歓迎する。
皆、まだ怪我が治っていない。リノアとてそうで、キスティスから借りているカーディガンを脱いでしまえば仲間達同様包帯と絆創膏だらけである。
「いいんちょったらねぇ、目ぇ開けて真っ先に『リノアは?』って」
セルフィはにやにやしながらリノアの腕に纏わり付き、ぐいぐい引っ張っていく。
リノアは可愛らしく頬を赤らめた。
「いいんちょ、リノア来たよ!」
ベッドの周囲を覆う薄いカーテンを勢い良く開くセルフィに押され、リノアはスコールのベッドサイドへそっと寄り添った。
スコールの目が薄く開き――リノアを、捉える。
「スコール……!」
リノアの顔に、満面の笑みが咲き誇る。
「……」
スコールの唇が小さく動いた。声が小さすぎるのか、何も聞こえない。
「?」
リノアは顔を寄せる。
その時。
「痛っ」
こちっ、と音がして、リノアが額を押さえた。スコールの頭が、ぽすん、と枕に落ちる。
「……なぁ、それって起きて早々渾身の力を振るってすることかい?」
逆サイドから見ていたアーヴァインは、苦笑いでスコールへ問うた。
「何するのよぅ」
恐らく、目を開けているのも相当きついのだろう。閉じそうになる瞼を必死にこじ開け、スコールは涙目で頬を膨らませるリノアをじっと見つめる。
「……と、が、……てる、きに……」
「……何?」
「……ひ、とが、寝てる、と、きに……泣き言、言、うな」
スコールはそう言うと、苦しそうに大きく息をついた。リノアはしゅんと俯いてしまう。
「ちょ、いいん……」
セルフィはいきり立ったが、アーヴァインが片手で制し、軽く笑んで頭を振った。
「り、の、あ」
再び注目させようと、スコールは呼びかける。
「寝て、たら、慰めて、や、れない、だろ……? だ、から、言うな、ら、起きてる、ときに……な?」
リノアははっと顔を上げた。
ブルーグレーの瞳が、自分を見ている。口許を緩め、彼なりに微笑みかけている。
「……聞いてたの? わたし達の声……」
スコールは一度目を閉じ、ゆっくりと開いて肯定を示した。
「聞いてた……。ずっ、と、いて、くれた、よな。あり、がと……みんな、も」
思わぬ事実に一同は驚き、リノアは泣き笑いを見せる。
「もぅ、ひどいな。わたし、聞いてないと思って言ったのに」
「あんたの、声、は……一番、良く聞こえ、た」
「えへ、嬉しいな。でも……その呼び方やめてよぉ」
「…………?」
「その、『あんた』って言い方! 何か他人行儀〜」
あっという間に元の調子に戻ったリノア。その頬には最早笑みすら浮かんでいる。
4人の友人達は視線を交わし合い、静かに2人の傍を離れた。
「ようやく、終わったね」
「あら、私達にとってはこれが『始まり』なんじゃないの?」
「かもな。でもま、今はとりあえず……」
「2人っきりにしてあげよっか〜」
そう、これからが「始まり」なのだ。
戦争とは始めるより終わらせるのが、戦前戦中よりも戦後の処理が難しい。
永く続く平和を築き上げることはなまなかなことではない。ガーデンも軍も世界も、これからはスタンスを変えることを余儀なくされるだろう。
だが、いや、だから今は、2人でゆっくりと休ませてやろう。それくらい、許されるはずだ。
「おやすみなさい、2人共」
仲間達はそっと囁くと、静かに保健室のドアを閉めた。